典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて(羊飼いがいて)」 [聖歌日記]

この典礼聖歌は、聖書にあるイエス・キリストの教えである聖句を用いた歌詞になっています。神の救い、神の慈しみを見事に表した、救いの究極的な聖歌だと思います。とても優しいメロディで、私の大好きな聖歌の一つです。
◯典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて」
「羊飼いがいて たくさんの羊を飼っていた。
ある日その中の一匹が迷子になってしまった。
羊飼いは他の羊をおき、その一匹を探しに出る。
もし見つけたらどんなに喜ぶことだろう。
羊飼いはキリスト、その一匹はわたし
羊飼いはキリスト、その一匹はあなた
どんなに小さな一人をも
神は見すてることがない。」

この聖歌は、新約聖書のルカによる福音の第15章から採られています。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第15章・第1〜第7節
「さて、徴税人や罪人たちがみな話しを聞こうとして、イエスのもとに近寄ってきた。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを受け入れて、食事をともにしている」とつぶやいた。
そこで、イエスは彼らに次の喩えを語られた。
あなた方のうちに、百匹の羊を持っている者がいるとする。そのうちの一匹を見失ったら、九十九匹を荒れ野に残して、見失った一匹を見つけ出すまで、跡をたどって行くのではないだろうか。そして見つけ出すと、喜んで自分の肩に乗せて、家に帰り、友人や近所の人々を呼び集めて言うだろう、『一緒に喜んでください。見失ったわたしの羊を見つけましたから』。あなた方に言っておく、このように、悔い改める一人の罪人のためには、悔い改めの必要のない九十九人の正しい人のためよりも、もっと大きな喜びが天にある。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯このイエス様のご絵は、とても神様への愛に深い敬虔な方からいただきました。罪びとの私にぴったりなご絵ですね(⌒-⌒; )………ということは、イエス様の肩に乗っている羊は私ということになりますね( ̄◇ ̄;)
4819D4CB-896E-42C4-B8A2-E442A290FB1F.jpeg
この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)ですが、まず「百匹の羊を持っている者=羊飼い」とは、イエス・キリストのことで、「見失った一匹の羊」とは罪びとのことです。そして、「九十九匹」とは、正しい人という意味です。この聖句は、「悔い改める一人の罪びとのためには、悔い改めの必要のない九十九人の正しい人のためよりも、もっと大きな喜びが天にある。」とい意味になります。
九十九匹を荒れ野に残すという大きな危険を冒してまでも、羊飼いは見失った一匹の羊のために探し出そうとするのですね。つまり、イエス・キリストは、たった一人の罪びとであっても大切な存在なのだと説いているのです。そして、神の恩寵(おんちょう)の外に出て行った罪を犯した罪びとでも、悔い改めて恩寵の中に戻ってこれるように、イエス・キリストは救い出すのです。これが神の救いであり、慈しみなのですね。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.3.26(カトリック相模原教会「四旬節第五主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック相模原教会での7時からの「四旬節第五主日のミサ」に与りました。昨日から寒い朝ですね。今日も相模原教会にお世話になりました。ただ、4月に入ると聖週間となり、私の所属するカトリック成城・聖タデオ教会の聖タデオ聖歌隊による聖歌奉仕がありますから、しばらく相模原教会には来れなくなります。とても寂しくなりますね(T_T)

ミサでは、昨日に引き続き朗読奉仕を担当しました。
そして、まず、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

『教会の祈り 新しい聖務日課』のお話し [祈り]

カトリック中央協議会出版の『教会の祈り 新しい聖務日課』です。このブログの2019年8月26日に掲載した記事を一部加筆・修正して再掲載いたします。
◯『教会の祈り 新しい聖務日課』です。デカい重いの二重奏です( ̄▽ ̄;)
IMG_3909.JPG
書名:『教会の祈り 新しい聖務日課』
出版:カトリック中央協議会(日本カトリック司教協議会認可)
編集 日本カトリック典礼委員会
発行:1973年初版・2016.11.30第21版
容量:1480ページ
価格:5200円(税別)※2017年当時の価格
聖務日課(せいむにっか)とは、カトリック教会で用いられる祈祷(祈祷書)のことです。「第2バチカン公会議」までは、世界中でラテン語で唱えられており、聖職者(司祭等)や修道者などが日課(朝、昼、晩)としてのお祈りに用いるものという位置づけでしたが、典礼改革によってすべての信徒のための祈りとするように改められ、各国語に翻訳されて用いられています。日本では『教会の祈り 新しい聖務日課』としてカトリック中央協議会から出版されています。

<聖務日課改革の概要>
第2バチカン公会議文章である『典礼憲章』の第四章で、「聖務日課」に関する規定があります。これによれば、聖務日課は「古来のキリスト教伝統によって、神への賛美を通して昼夜の全過程が奉献される」ことになっており、この本来の目的を踏まえ、煩雑だった時課を整理して賛歌を「朝の祈り」とし、晩課を「夕の祈り」としてこの2つを主要時課とし、朝課を「読書課」としていつでもとなえることができるように変更されました。さらに終課を「寝る前の祈り」とし、一時課を廃止、三時課、六時課、九時課は任意で1つを選んでも良いものとされました。さらに聖務日課で唱えられる詩篇および聖書朗読の箇所、読書の内容を典礼暦を元に再配分した上で、より多くの人の祈りとするために、使用される言語をラテン語だけでなく、各言語に拡大されました。

同じカトリック教会でも聖務日課のお祈りをするところは少数派ですね。私が訪問した教会では、田園調布教会、初台教会、小金井教会及び熱田教会など、修道会・修道院と一緒になっている教会は、平日(朝)のミサの20分~30分前に又はミサが終わってからお祈りしています。私は、聖務日課に馴染みがなかったものですから、前述した教会を訪問すると、皆さんについていくのが精一杯?いや、ついていけなくて、同じカトリックの信徒として毎回恥ずかしい思いをしていました。だったら「聖務日課に馴染んじゃえばいいじゃん!」と思い、2017年8月に『教会の祈り 新しい聖務日課』を購入しました。それから、1480ページもある『教会の祈り(聖務日課)」の朝の祈り、晩の祈りなどと格闘する日々が続いたのですが、お祈りするページの順序が分からずじまいで、一週間も続かずに早々に挫折したのでした( ̄▽ ̄;)

それから2年が経った2019年、このままでは、<不肖、回心した善良な罪人(つみびと)>としてのプライドが許さない!と思い、この年の8月に4日間だけですが、フランシスコ会の修道院と同じ敷地にあり、同修道会の修道司祭がミサを司式しているカトリック田園調布教会にお伺いし、7時からの平日のミサ前の6時40分から始まる聖務日課に参加して教えいただきました。当時、まだ完璧ではありませんし、毎日ではありませでしたが、やっと自宅でお祈りできるようになりました。今でもご指導いただきました田園調布教会のご親切な信徒の方に感謝いたしております………と思ったら、2020年に入って新型コロナウイルス感染症のため、緊急試合宣言が発出されてミサが中止となり、その後、平日のミサが再開されても聖務日課は中止になったままです………ということで、すでにお祈りの仕方を忘れてしまいました( ̄▽ ̄;)

◯聖務日課を行う教会には常備されていますが、私は自分のものを持参しています!
IMG_3910.JPG
聖務日課の祈りの中心は、旧約聖書の詩篇を唱えることにあります。各時課によって違いはありますが、聖務日課の基本的な祈り方は以下のとおりです。
1.初めの祈り(P3)
司祭)「神よ、わたしの口を開いてください。」
※司祭の言葉に合わせて、口元で十字を切ります。
会衆)「わたしは、あなたに賛美をささげます。」
2.交唱(P4~P15、P8前後の詩編100、24,95)
※上記の詩編を先唱者が唱えます。
3.第一唱和、第二唱和、第三唱和
4.神の言葉
5.答唱
6.福音の歌(朝の祈り:「ザカリアの歌」)
※「神をほめたたえよ」で十字を切ります。
ザカリアの歌(ベネディクトゥス・ドミヌス・デウス、ルカによる福音書・第1章・第68~第79節、朝の祈りに唱える)、マリアの歌(マニフィカト、ルカによる福音書・第1章・第46〜第55節、夕の祈りに唱える)、シメオンの歌(ヌンク・ディミティス、ルカによる福音書・第2章・第29~第32節、寝る前の祈りに唱える)
7.共同祈願(朝の祈り、夕の祈りのみ)
8.主の祈り(朝の祈り、夕の祈りのみ)
9.結び(派遣の祝福)
以上ですが、記念日、祝日、及び祭日や季節(待降節、降誕節、四旬節及び復活節)では違いがあります。聖務日課の詩篇は全体が一定の分量で区切られており、祈りを捧げるものが交代で唱えることができるスタイルになっています。

◯東急ハンズでブックカバーを購入しました。
C8E77C0F-9EAC-426D-9D35-286AEC80A406.jpeg
園調布教会のご親切な信徒の方からいただいた聖務日課のお祈りの手順を書いた紙をラミネートしたものです。ご丁寧にご指導いただき、ありがとうございました。今でも感謝いたしております。
1B161393-C167-47AF-9652-2E5748FABF41.jpeg
6484526A-B20D-4216-B803-F43637D2B9C9.jpeg
◯写真は『教会の祈り 日々の手引き 2019年度』(別売)です。
カトリック中央協議会・190円(税別) ※2019年当時の価格(現在は税込み220円)
その日のお祈り(朝、昼及び夜)の箇所などが、何ページに掲載されているかが分かる手引書です。毎年発行されていますから、次年度のものを10月ごろに購入するとよいでしょう。ドン・ボスコ社や女子パウロ会のオンラインショップからも購入できます。
D1FB9359-0FF8-41B4-91E3-3A968F5059F2.jpeg
『教会の祈り 新しい聖務日課』は、お祈りする祈祷文の掲載ページが、司式に従ってお祈り途中にあっちへこっちへと飛びますから大変なのです。それも日によって掲載ページが違うのです( ̄▽ ̄;) いずれにしても、聖務日課はお祈りの仕方を覚えないと続きません。それも初めのうちは、お祈りの仕方を知っている方と一緒にお祈りしないと覚えられませんし、毎日お祈りしないとすぐ忘れてしまいます。ですが、一般的に言って修道会の修道司祭のいる教会しか聖務日課を会衆(信徒)と一緒にお祈りしていません。そこで、教会の主任司祭の許可を得て、自分の所属する教会に「聖務日課でお祈りする会」を作ってお祈りの仕方を勉強したいですね。そうすれば、「聖務日課でお祈りする会」のメンバーが、平日のミサの前か後の20分間を使ってミサに来た信徒の皆さんと一緒にお祈りし、その教会に聖務日課を普及できますね。
nice!(0)  コメント(0) 

今日の日記その二2023.3.25(焼鳥!) [日記]

昨夜のお話しです。
昨夜は、仕事帰りに少々諸用?があり、町田市街にある焼鳥屋「鳥幸(TORICO)」に初めて行きました。やはり焼き鳥はいいですね〜!美味しいですね〜!焼鳥屋さんって久しぶりで、この2〜3年はコロナ渦ということもあって行ってなかったかも(⌒-⌒; )ですね。
D1ECB24D-1392-496F-99A9-9470FA5BF8A8.jpeg
◯白レバーです。ごま油とニンニクをつけて食べます。これは最高に美味い!このお店の白レバーは、切り身が大きくて絶品ですね!
FD299B9A-0C26-4DE7-AAD5-1649A5C9C04E.jpeg
◯ 椎茸は肉厚で美味しかったー!
44D3F883-8DDA-4D44-B80C-C27E32C61AC7.jpeg
◯ガーリック焼きポテトも美味い!赤いのは明太子です。
B4337751-E5F6-4BD6-A621-58C525EA524F.jpeg





nice!(0)  コメント(0) 

今日の日記2023.3.25(桜だんご!) [日記]

今日の3時のおやつは、桜だんごです!コンビニに牛乳を買いに行ったら、レジのところで売っていました。つい衝動買いです(⌒-⌒; ) ダージリンティーをいれて食べました。う〜ん甘い!美味し〜い!和菓子大好き人間の私にはたまりません!
A070B517-F48E-4394-9669-577B9304E158.jpeg
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.3.25(カトリック相模原教会「神のお告げの祭日のミサ・四旬節第四土曜日のミサ」土曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック相模原教会での7時からの「神のお告げの祭日のミサ・四旬節第四土曜日のミサ」に与りました。今日は、雨が降って寒かったですね。最近の土曜日の平日のミサと日曜日の主日のミサは、相模原教会にお世話になっています。やはり自宅から近いところにある教会は最高ですね (*^▽^*)
◯早朝6時30分のお御堂です。まだ誰もいません。十字架のイエス様に照明が当たっています。
C3547D08-33EE-4A4E-A70C-6E0F87AD49EF.jpeg
ミサでは、「神のお告げ」の祭日をお祝いしてお祈りを捧げ、
朗読奉仕で第二朗読を担当しました。
そして、まず、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

「神のお告げ」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日、3月25日は「神のお告げ」の祭日です。
大天使聖ガブリエルは、おとめマリア(聖母マリア様)に、神の子イエス・キリストがマリアから生まれることを告げました。これを「受胎告知(じゅたいこくち)」といいます。天使の言葉に、初めはとまどったマリアでしたが、神の働きを心に受けとめ「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と、神の母となる使命を受けました(新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第26~38節)。マリアが親戚のエリザベトを訪問した際に、神の母となる喜びと主への賛美を歌った聖母マリアの歌「マニフィカト」(新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第47~第55節)はとても美しいですね。

「神のお告げ」自体の詳しいことを説明する前に、まず、メシア(救世主)であるイエス・キリストが、後の世にお生まれになるという、旧約の時代に預言者イザヤが預言したことを説明します。旧約聖書には、次のとおり書かれています。
◯予言者イザヤの言葉
旧約聖書:イザヤ書・第7章・第14節
「それゆえ、わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。」
『新共同訳聖書』から

旧約聖書:イザヤ書・第9章・第5~第6節
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「おどろくべき指導者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義の恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」
『新共同訳聖書』から

では、なぜ預言者イザヤは預言したのでしょうか。その理由とイザヤが預言したこの時代(旧約聖書の時代)の背景を簡単に説明いたします。
預言者イザヤが生きていた当時は、ユダヤ人の王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国(王都はエルサレム)に分かれていました。このころ、強大な新アッシリア帝国(メソポタミア地方に紀元前911年から紀元前609年にかけて存在した当時世界最大の帝国)の圧力が高まる中、ユダ王国のアハズ王は新アッシリア帝国に服従していましたが、新アッシリア帝国に敵対するアラム人の国とイスラエル王国が同盟を組んだという知らせが届き、ユダ王国のアハズ王も国民も同盟軍の侵略の脅威の前に動揺していました。

旧約聖書:イザヤ書・第7章によると、この時、預言者イザヤはアハズ王のもとに赴き、事態をおそれずに神に従うこと、そうすればアラム人の国とイスラエル王国の侵略も成功しないだろうという神からの言葉をアハズ王に伝えました。アハズ王は神の言葉を受け取るのをためらいますが、これに対し預言者イザヤは「まだ信じようとしないのか」と言い、神の言葉が正しい証拠として、「インマヌエルという名の子が生まれる」という徴(しるし)をあなたたちは受け取るだろうと告げます。インマヌエルが大きくなる前にアラム人の国もイスラエル王国も滅び、諸国が荒廃する代わりにユダ王国には未曾有の繁栄が訪れると説くのでした。

そして、後の世になってイザヤの預言が実現します。神によって遣わされた大天使聖ガブリエルが、乙女マリアに受胎告知します。これは、旧約聖書の時代に約束されたイザヤの預言が成就するためだったのです。新約聖書には、次のとおり書かれています。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第26~第38
「さて、六か月目に、み使いガブリエルが、神のもとから、ガリラヤのナザレという町の一人のおとめのもとに遣わされた。このおとめは、ダビデ家のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。み使いは、彼女のもとに来て言った。「喜びなさい、恵まれた方よ。主はあなたとともにおられます。」この言葉にマリアは胸騒ぎし、いったい、この挨拶は何のことだろうかと思った。すると、み使いは言った。「恐れることはない。マリア。あなたは神の恵みを受けている。あなたは身籠って男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。その子は偉大な者となり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主は、彼にその父ダビデの王座をお与えになる。彼はヤコブの家をとこしえに治め、その治世は限りなく続く。」マリアはみ使に言った、「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」み使いは答えた、「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたを覆う。それ故、生まれる子は聖なる者、神の子を呼ばれる。あなたの親戚のエリザベトも、年老いていながら男の子を身籠っている。不妊の女と言われていたのに、はや六か月になっている。神には、何一つおできにならないことはない。」マリアは答えた、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」すると、み使いは彼女から離れ去った。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯新約聖書:マタイによる福音書・第1章・第22~第23節
「これはすべて、主が予言者を通して告げられたことが成就するためである。「見よ、おとめが身籠って男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は、わたしたちとともにおられる。」という意味である。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

実は、新約聖書には『福音書』は4つありますが、「インマヌエル」が記載されているのは、『マタイによる福音書』だけなのです。旧約聖書の時代の人々は、この世にメシア(救世主)である、文字どおり平和で幸せな世にしてくれる救世主を待ち望んでいたわけです。その救世主が現れると預言者イザヤは預言し、その預言がイエス・キリストがマリア(聖母マリア様)にお宿り(受胎)になって成就し、新約聖書の時代到来となったのです。『マタイによる福音書』の福音記者であるマタイは、この福音書をとおして私たちにイエス・キリストの教え(聖句=イエスの言葉)を述べ伝え、イエス・キリストは、インマヌエルという名の意味どおり、「神は、わたしたちとともにおられる。」と最後まで説いています。それが、この福音書の最後にある次の聖句です。
◯マタイによる福音書の最後の第28章
新約聖書:マタイによる福音書・第28章・第20節
「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

つまり、神であるイエス・キリストは、ご自分がこの世に現れたことが、すでに天の国が到来したのであって、これから来るとか、将来に来るとかではないとマタイは言っているのではないでしょうか。マタイは、イエス・キリストがいつも私たちと一緒におられることが、天の国にいるということになると説いているのですね。ですから、私たち信徒は何も恐れることはありません。イエス・キリストの教えどおり、隣人への愛、赦し、善き行い、祈りに励むこと、それが信仰の証となるのではないでしょうか。
主イエス・キリストは、いつも私たちのそばにおられます。

受胎告知の絵は、古代キリスト教の昔から多くの画家によって描かれています。受胎告知の絵には、必ずといっていいほど、聖母マリア様の象徴である「ユリの花」が描かれています。ユリの花は、聖母マリア様のアトリビュートになっていますね。次の絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『受胎告知』です。左側の大天使聖ガブリエルの左手は、茎の長いユリの花を持っています(絵をクリックすると大きく見れます)。イタリアのフィレンツェにあるルネサンス絵画で有名なウフィツィ美術館に収蔵されています。
受胎告知3 (2).jpg
こちらの絵は、私の大好きなスペインの画家、エル・グレコの『受胎告知』です。エル・グレコは受胎告知を何枚も描いていますが、この絵は岡山県倉敷市にある大原美術館に所蔵されています。
2108AA23-0847-4AED-9A82-6818FE5BD5E2.jpeg
【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
nice!(0)  コメント(0) 

入門講座受講から12年! [日記]

このブログを立ち上げたのが2012年2月12日でした。その2か月後に洗礼を授けていただきキリスト者になりました。その時のブログ記事は次のとおりです。初々しいかったですね~(*^▽^*)

◯「今日の日記その二2012.4.7」をそのまま再掲載いたします。
「復活の聖なる徹夜祭が約2時間30分かけて終わりました。
洗礼の儀(式)も行われ、晴れてキリスト教カトリックのキリスト者(クリスチャン)になりました。
洗礼名はアウグスティヌス。
緊張と感激が連続した時間でした。
私の他に、約1年ほど一緒に入門講座を受けた13人の方が受洗しました。
洗礼の儀に続いて「堅信の儀」が行われ、聖霊の恵みが注がれ、クリスチャンとしての歩みを始めることになりました。
昨年の4月、初めてカトリック町田教会を訪れ、あれから1年が経ちます。長いような短い1年でしたが、これからがキリスト者(クリスチャン)としての本番です。
聖書にしたがい、神とともに生きていきたいと思います。
私たちの主、イエス・キリストによって。アーメン」

初めて町田教会を訪れたのは、東日本大震災があった2011年3月の翌4月24日(日)で、確か復活の主日・日中のミサが終わった直後でした。ちょうど主任司祭の交替異動の時で、前任の高木神父様と着任したばかりの小池神父様がいらっしゃいました。小池神父様に「一緒に頑張りましょう!」とお声をかけていただいたことを覚えています。その翌々月の6月から入門講座が毎週土曜日に始まり受講していましたが、9月からは仕事が忙しくなって、2か月間は信濃町にあるカトリック真生会館で、森一弘名誉司教の入門講座(有料)が平日夜間に開講しており、仕事帰りに受講しました。

あれから12年、今までに仕事や社会活動の出張で、北は北海道旭川市の旭川五条教会、札幌市の北一条教会(札幌司教区カテドラル)から、南は福岡県福岡市の大名町教会(福岡司教区カテドラル)まで、全国92の教会でミサに与りました。中でも大阪府大阪市の玉造教会(大阪大司教区カテドラル)は、12回もミサに与っています。訪問した教会では、神父様や運営委員の方々とお話しをさせていただき、信徒の高齢化や減少の問題など教会運営の難しさを痛感したものでした。後に町田教会の運営委員会議長(委員長)を務めましたが、この時の経験・知識が大いに役に立ちました。

ちなみに、全国92の教会にお邪魔させていただいた中で、もっとも教会らしいヨーロッパのゴッシック様式というかロマネスク様式というか、私の選ぶ美しい教会トップ5は次の教会です。
第1位:東京都千代田区にある神田教会
こブログに掲載した「教会日記2018.7.1(カトリック神田教会「主日のミサ」日曜日)」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2018-07-01-1
第2位:栃木県宇都宮市にあるカトリック松が峰教会
このブログに掲載した「教会日記2018.9.23(カトリック松が峰教会「主日のミサ」日曜日)」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2018-09-23-1
第3位:東京都目黒区にある碑文谷教会
このブログに掲載した「教会日記2018.5.4(カトリック碑文谷教会「初金のミサ」金曜日)」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2018-05-04-1
第4位:兵庫県西宮市にある夙川教会
このブログに掲載した「教会日記2017.8.20(カトリック夙川教会「主日のミサ」日曜日)
」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-08-20-1
第5位:神奈川県横浜市にある山手教会
このブログに掲載した「教会日記2017.8.11(カトリック山手教会「平日のミサ」金曜日)」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-08-11-1
私は訪問したことはありませんが、他にも、北海道函館市や長崎県内、特にの五島列島など、美しい教会は宗派を問わず全国にたくさんありますね。

また、教会によってミサの司式の進行速度に、かなり大きな違いがありました。
ミサの最初にある「回心の祈り」ですが、私が所属するカトリック成城教会では約30秒です。これは一般的な普通の所要時間だと思います。それが、ある教会では、倍の約60秒です。これが一番の低速ですね。反対に高速なところもあり、なんと!約10秒という超高音速ジェット機なみです!教会名は書きませんが、これは私が実体験した実話です。はっきり申し上げて10秒という超高速では回心はできません!( ̄▽ ̄;) したがってこの教会では、主の祈りも他の祈りも応唱も超高速でした。( ̄▽ ̄;) しかし、ミサに与っている会衆である信徒の皆さんは、ちゃんと司式する神父様と同調していましたから驚きです!( ̄▽ ̄;) 慣れというか訓練されたというか、お見事でしたね~!( ̄▽ ̄;) ある意味、感心しました。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.3.24(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第四金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第四金曜日のミサ」に与りました。すでに18度あります!最高気温は23度だそうです( ̄◇ ̄;) 暖かい日となりましたが、明日は寒くなるそうです。寒暖の差があって体調管理に注意が必要です!今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、先唱奉仕を担当しました。
そして、まず主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

新約聖書:ヨハネの第一・第二の手紙「反キリスト」のお話し [聖書]

キリスト教の信徒であれば、一度は「反キリスト(アンチキリスト:Antichrist)」という言葉を聞いたことがあると思います。これは、イエス・キリストに偽装して、イエスの教えに背く者、人を惑わす者のことです。新約聖書の『ヨハネの第一の手紙』と『ヨハネの第二の手紙』に書かれています。
◯ヨハネの第一の手紙・第2章・第18節
「子供たちよ、終わりの時が来ました。あなた方がかねて、反キリストが来ると聞いていたように、今や、大勢の反キリストが現れました。このことから、今が終わりの時の来たことが分かります。」
同・第2章・第22節
「偽り者とは、イエスがメシアあることを否定する者でなくて誰でしょうか。御父と御子を否定する人こそ反キリストです。」
◯ヨハネの第二の手紙・第1章・第7節
「惑わす者が大勢世に出てきて、イエス・キリストが肉のうちに来られたことを告白しません。こういう者は人を惑わす者であり、反キリストです。」
以上は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

イエスがキリストであることを否定する者を反キリストであるとしています。キリスト教の終末論においては、真実に対極し、神から出ているものではない悪魔(サタン)の具現化であると解釈され、〈最後の審判〉の際に苦しみが与えられるとされ、救いは決して得られないとされています。
毎日の日課である祈りに励み、『使徒信条』のとおり父である神、子てあるイエス・キリスト、父と子から出る聖霊が、唯一の神であると信じ言い表すことが、信徒として信仰の証となります。ここが重要なところです。悪魔(=悪い行いをしようとする意思)は、明確に信仰を告白せず、祈りに不熱心な信徒の心の隙に入りやすいのです。毎日のお祈りで、しっかりと『使徒信条』を唱えて信仰告白し、熱心に祈ることで悪につけ入る隙をあたえず、悪への誘惑に打ち勝つことができるのです。熱心に祈りましょう。
nice!(0)  コメント(0)