教会日記2023.10.31(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第30火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「年間第30火曜日のミサ」に与りました。昨日からスーツにネクタイでの通勤となりました。5月1日から始まったクールビズは今日で終わりです。半年間はノーネクタイでした。まぁ、スーツ嫌いな私にはクールビズは最高でした!来年は定年退職していますから、毎日がクールビズです!(⌒-⌒; )

ミサでは、10月が「ロザリオの月」であることから『アヴェ・マリアの祈り』をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
nice!(0)  コメント(0) 

「やもめの献金」のお話し [聖書]

今日は、新約聖書の2つの福音書にある「やもめの献金」のお話しです。フランシスコ教皇のご説教も掲載いたしました。

◯新約聖書:マルコによる福音書・第12章・第41~第44節
〈やもめの献金〉
「さて、イエスは献金箱に向かい合うように座って、人々がその中に金を投げ入れるのを見ておられた。大勢の金持ちたちがたくさん投げ入れていた。そこへ、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚を投げ入れた。それは一クァドランスにあたる。そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて、仰せになった、「あなた方によく言っておく。あの貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人の中で、誰よりも多く投げ入れた。ほかの人々は有り余る中から投げ入れているのに、あのまもめは乏しい中から、その持っているすべてを、生活費のすべてを投げ入れたからである。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳註聖書』から
◯新約聖書:ルカによる福音書・第21章・第1~4節
〈やもめの献金〉
「さて、イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を入れるのを見ておられた。すると、ある貧しいやもめが、レプトン銅貨を二枚入れるのを見て、仰せになった。「あなた方によく言っておく。この貧しいやもめは、ほかの誰よりも多く入れた。金持ちたちはみな、あり余る中から入れたが、彼女は乏しい中から、生活費のすべてを入れたからである。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳註聖書』から

◯フランシスコ教皇の説教
2015年11月8日、フランシスコ教皇は、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。次は祈りの前に教皇が述べられた「やもめの献金」の全訳です。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。よいお天気ですね。
今日の福音朗読は二つの箇所から成り立っています。一つは、キリストに従う者がしてはいけないこと説明し、他方はキリスト者の模範を示しています。
最初の箇所から始めましょう。してはいけないことについてです。イエスは初めの箇所で、律法の教師である律法学者を非難しておられます。彼らの生き方には、高慢、強欲、偽善という三つの欠点があるからです。彼らは「長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを」望みます(マルコ12・38-39)。しかし、そうしたもったいぶった外見の下に、偽りと不正義を隠しています。
イエスが「やもめの家を食い物にし」(同40参照)と述べているように、彼らは人前で自分を誇示しながら、自らの権威を振りかざします。やもめとは、孤児や異邦人のようにもっとも弱く、もっとも守られていない人々であると考えられます。最後にイエスは、律法学者は「見せかけの長い祈りをする」(同40)と言っておられます。今日でも、わたしたちはこうした行いをする恐れがあります。例えば、祈りが正義からかけ離れているために、神を賛美せずに、貧しい人々に害を与えている場合や、神を愛していると言いながら、自分の利益を得るために神の偉大さをたたえる場合です。

福音の次の箇所も、同じ考え方に沿っています。エルサレムの神殿の中で、群衆が賽銭箱に金を入れている場面です。大勢の金持ちがたくさんの金を入れています。そこに一人の貧しいやもめがやってきて、銅貨2枚だけを献金します。イエスはこの女性を注意深く見つめ、状況が全く対照的であることに注目するよう弟子たちに呼びかけます。
裕福な人は、自分の行いを誇示しながら、有り余るものを献金しましたが、このやもめは、イエスが言われるように、「持っている物すべて、生活費を全部入れた」のです。(44)。したがって、彼女はすべてを差し出しました。彼女は非常に貧しいので、銅貨一枚を神殿に献金し、他の一枚を自分のために取っておくこともできたでしょう。しかし、彼女は神に半分だけ差し出すことを望みませんでした。自分の持っているすべてを自ら差し出しました。神とともにあることはすべてを持っていることと同じであることを、彼女はその貧しさのうちに知っていたのです。神によって完全に愛されていると感じたので、自分も神を完全に愛しました。この年老いた女性は何と美しい模範を示していることでしょう。
今日イエスは、基準は量ではなく完全さであることをわたしたちに示しています。量と完全さには違いがあります。多くの金銭を持っていても空虚であることはあります。心が満たされていません。今週は、量と完全さの違いについて考えましょう。それは財布の問題ではなく、心の問題です。財布と心の間には違いがあります。財布だけに心をうばわれるという心の病があります。それはよくないことです。「心から」神を愛することは、神と、神の摂理を信じ、見返りを求めずに、もっとも貧しい兄弟姉妹の中におられる神に仕えることなのです。

わたしが前にいた教区での出来事をお話しします。ある母親が三人の子どもたちと一緒に夕食を食べていました。父親は仕事のために留守でした。彼らはミラノ風カツレツを食べていました。誰かがドアをノックしたので、5才、6才、7才の子どもの内の一人が言いに来ます。「お母さん、貧しい人が何か食べるものを欲しがっているよ。」そこで、よいキリスト者である母親は、「どうしましょうか」と子どもらに尋ねます。「お母さん、あの人に何かあげようよ」「そうしましょう。」母親は、フォークとナイフをとって、カツレツを半分に切ります。「お母さん、そんなことしないでよ。冷蔵庫にある何かをあげようよ。」「いけません。これで三つのサンドイッチを作りましょう。」真の愛の行いは、残り物ではなく、自分が必要としている物を差し出すことであることを、子どもたちは学びました。その午後、子どもたちは少しお腹をすかせたでしょうが、これがあるべき姿なのです。
隣人が何かを必要としていたら、わたしたちは、この子どもたちと半分のカツレツの話のように、有り余ったものではなく、大切なものを差し出さなければなりません。有り余った時間ではなく、必要な時間を差し出すべきです。わたしたちは、自分の能力を、自分や自らの団体のために使った後ではなく、即座に無償で差し出すよう招かれています。
この貧しいやもめの学びやに受け入れてくださるよう、主に願い求めましょう。主はこのやもめを高い座につけ、生きた福音の師として示しておられます。ご自分の全生涯をわたしたちのために神にささげた貧しいかた、マリアのとりつぎによって、貧しくとも、喜びのうちに豊かで、惜しげなく無償で与えることのできる心を願い求めましょう。」

フランシスコ教皇は、ここで「イエスは、基準は量ではなく完全さであることをわたしたちに示しています。量と完全さには違いがあります。多くの金銭を持っていても空虚であることはあります。心が満たされていません。それは財布の問題ではなく、心の問題です。財布と心の間には違いがあります。財布だけに心をうばわれるという心の病があります。それはよくないことです。「心から」神を愛することは、神と、神の摂理を信じ、見返りを求めずに、もっとも貧しい兄弟姉妹の中におられる神に仕えることなのです。」と説いておられます。つまり、イエス・キリストは、たくさん捧げたから良い、少ないから駄目ということではなく、捧げるその人の姿勢・態度といった真心の行為の大切さを弟子たち(= 私たち信徒)に説いておられるのですね。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.10.30(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第30月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「年間第30月曜日のミサ」に与りました。だんだんと寒さが増してきましたが、天気予報では今週の日中は25度の夏日になる日があるようです。寒暖の差が大きくなりそうですから体調に気をつけましょう!

ミサでは、10月が「ロザリオの月」であることから『アヴェ・マリアの祈り』をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
nice!(0)  コメント(0) 

巷のことば(第4日目) [今日の言葉(巷の言葉)]

「『謙虚になれ』と他人をしたがわせる、謙虚でない態度。」

この言葉の出典も不明です。
確かにありますね。私も本人のためにと思い「謙虚になったほうがいいよ。」って助言したりします。従わせると思っていなくても、結果的に従わせているのかもしれませんね。う~ん難しい(⌒-⌒; )
nice!(0)  コメント(0) 

巷のことば(第3日目) [今日の言葉(巷の言葉)]

「みんな天国には行きたがってるけど、死にたくはないんだ。」

この言葉の出典も不明です。
確かに、死なないと天国には行けないですよね。でも一般的に人間は死にたくはないと思うものです。これは矛盾していますが、本当は “ いずれ死んだら天国に行きたい ” ということなのでしょうね(*^▽^*)
nice!(0)  コメント(0) 

今日の日記2023.10.28(あしなが学生募金!) [日記]

「2023年あしなが学生募金」が行われています!
今日は、カトリック成城・聖タデオ教会の18時からのミサに与るため出かけましたが、JR横浜線町田駅のコンコースで「あしなが学生募金」をやっていましたから、さっそく募金しました。いつもそうですが、もっと早くこのブログに掲載したかった~!あしなが学生募金は50年以上の歴史を持つ遺児支援の募金運動です。毎年春と秋に4日間、全国200か所で実施し、毎回のべ1万人のボランティアスタッフの方々に支えられながら、年間約2億円の寄付を集めています。今年度の街頭募金活動は、明日29日だけとなりました。皆さんも是非募金しましょう!
IMG_5917.jpeg
◯開催概要
日時:2019年10月21日(土)・22日(日)・28日(土)・29日(日)
場所:全国約200の主要駅・街頭
◯ あしなが学生募金ホームページから
〈あしなが学生募金とは〉
交通遺児支援から始まったこの運動は、時代と共に支援の輪を災害遺児、病気遺児、自死遺児、親が障がいを持つ子どもたちへと広げできました。さらに2016年よりアフリカのサブサハラ49か国の遺児たちも支援の輪を広げています。この52年間でおよそ遺児約11万人の進学を支援し支えた“あしなが運動”の原動力は、みなさま「ボランティアスタッフ」の情熱と行動です。
〈あしなが育英会の奨学金制度〉
皆さまからお預かりしたご寄付の2分の1は、病気・災害・自死遺児、親が重度の障がいを持つ子どもの奨学金として、一般財団法人あしなが育英会に寄付します。
現在、一般財団法人あしなが育英会が奨学金を貸与している遺児の数は、年間約8000人。
あしなが学生募金に参加する多くのボランティアの方々のおかげで、この8000人の遺児たちは進学し夢に向かって学ぶことができています。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.10.28(カトリック成城・聖タデオ教会「聖シモン・聖ユダ使徒の祝日のミサ(年間第30主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、有給休暇で仕事はお休みです。夜はカトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「聖シモン・聖ユダ使徒の祝日のミサ(年間第28主日のミサ)」に与りました。毎年10月28日は、聖シモンと聖タダイの祝日です。本来であれば、土曜日18時からのミサは主日のミサですが、聖ユダ(聖タデオ)は成城教会の守護聖人となっていますので、今日の祝日をお祝いしてミサを捧げました。聖ユダは、聖書にはタダイ、ユダ又はイエスを裏切ったイスカリオテのユダではない方のユダとして出てきますが、ラテン語読みではタデオとなります。成城教会では聖タデオと呼称しています。詳しいことは、今朝このブログに掲載した「使徒聖タデオのお話し」をお読みください。

さて、帰ったら土曜日恒例の妻と二人での60分間のウオーキングです!頑張ります!と言いたいところですが、先日のニュースで私の住む町田市相原町でクマの目撃情報がありました!どんだけ~田舎~!( ̄ロ ̄lll) ウォーキングコースから約1kmのところですが、警戒するように注意喚起されています( ̄▽ ̄;) ウォーキングコースでは、まだイノシシとの遭遇はありませんが、目撃情報はよくありますね。夜遅く歩いているとタヌキは頻繁に出没しています………ということで、とりあえずウォーキングコースから山道は外しますね!だんだん夜のミサは寒くなってきました。コロナはもちろんのこと、インフルエンザにも罹らないように体調管理に注意しましょう!

今夜のミサでは、成城教会の聖タデオ聖歌隊で聖歌奉仕を担当し、思いっきり聖歌と讃美歌を歌いました!やはり聖歌隊はいいですね~!ちなみに、讃美歌を「さんぴか」と言う方がいらっしゃいますが、正しくは「さんびか」です。半濁点の「ぴ」ではなく濁点の「び」です。
◯聖歌歌奉で聖歌隊で歌った聖歌は次のとおりです。
入祭の歌:教会聖歌集・第0番「聖なるタデオ使徒ユダ賛歌」
答唱詩編:典礼聖歌集・第56番「神のみ旨を行うことは」①②③
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第277番「シモン・ユダ」
奉納の歌:典礼聖歌集・第322番「愛といつくしみのあるところ」
拝領の歌:讃美歌・第21番543「キリストの前に」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第12番「われ神をほめ」①②③

◯「聖歌」と「讃美歌」の違いとは?
一般的に日本のキリスト教会で歌われる宗教歌は、聖歌(せいか)と讃美歌(さんびか)に名称(呼称)が分かれます。この名称の違いは、キリスト教の教派による違いです。「聖歌」と称する主な教派は、カトリック教会をはじめ、正教会などの東方教会、聖公会、プロテスタント教会諸派の中の日本福音連盟などです。一方の「讃美歌」と称する教派は、主にプロテスタント教会諸派の日本基督教団などです。でも、「讃美歌」と呼ぶプロテスタント諸派でも、讃美歌を歌う合唱団のことは「聖歌隊」と呼び、「讃美歌隊」とは呼ばないようですね。
カトリック教会では、「聖歌」と称しますから「讃美歌」の呼称は使いませんが、ただ、「カトリック聖歌集(小型の黒い聖歌集 = 通称「黒本聖歌集」)」には、プロテスタント教会の「讃美歌集」から引用したものがいくつか収録されています。そのため、目次に「讃美歌」とつけたものもあるのです。これらの歌は、カトリック教会、プロテスタント教会共通なのですが、『きよしこの夜』のように、カトリック教会とプロテスタント教会では歌詞がまったく違ったりします( ̄▽ ̄;) なお、教科書や新聞で「讃美歌」を「賛美歌」とも表記するのは、「讃」が常用漢字表外のためで、正しくは「讃美歌」です。

ミサでは、聖歌奉仕を担当し、聖シモン・聖ユダ使徒の祝日をお祝いしてお祈りし、また、10月は「ロザリオの月」であることから『アヴェ・マリアの祈り』をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

「使徒聖タデオ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日10月28日は、イエス・キリストの使徒である聖シモンと聖タデオの祝日です。
聖タデオは、私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の守護聖人でもあります。タダイ、ユダあるいはユダ・タデオ、ユダ・タダイとも呼ばれています。イエス・キリストの12使徒の一人ですが、新約聖書には、『マタイによる福音書』及び『マルコによる福音書』では「タダイ」、『ルカによる福音』では、「ヤコブの子ユダ」、『ヨハネによる福音書』では、「イスカリオテでないほうのユダ」となっています。もちろん、イエスを裏切ったイスカリオテのユダとは別人です。4つの福音書には、ほとんど出てこない存在ですが、小ヤコブの兄弟、イエス・キリストの親族(主の兄弟)だったともいわれており、新約聖書の『ユダの手紙』を書いたという説も伝えられています。絶望的な状況にある人・敗北者・医療従事者の守護聖人です。

◯『聖ユダ・タダイ』ホセ・デ・リベーラ作(1630年~1635年製作)プラド美術館蔵(スペイン)
tadao.jpg
『聖タデオの祈り』(文語祈祷文)
「栄光に満てるタデオの聖ユダ使徒よ、
イエズスの聖心によりて我御身に御礼をなし奉る。
彼の聖心によりて
御身が授かり給いし全聖寵がゆえ天主に謝し称え奉らん。
我御身に嘆願し奉る。
彼の御愛によりて慈悲もて我をみそなわし給わんことを。
わが貧しき祈りを軽んじ給わず、
かつわが信頼に狼狽し給わざらんことを。
天主は御身にいと望みなき状況において人類を助く特権を与え給えば、
ああわが助けに来り給い、
我が天主の御憐れみを称え奉らんことを。
我が天において御身に謝し奉るまで、
わが全生涯において御身に謝し依り頼み奉る者とならしめ給え。
アーメン。
聖ユダよ、我らのために、
御身の御助けを呼び求め奉る全ての者のために祈り給え。」
nice!(0)  コメント(0) 

典礼聖歌集第322番『愛といつくしみのあるところ』のお話し [聖歌日記]

私は、カトリック典礼聖歌集第322番の『愛といつくしみのあるところ』が大好きです!このブログに6回目の掲載となりますが、それほど大好きなのです(*^▽^*) メロディーも美しいですが、歌詞がいいですね!この聖歌をパイプオルガンの伴奏で歌うとすごく美しい聖歌であると実感します。この聖歌は、明日28日(土)に成城教会で行われる「聖シモン・聖ユダ使徒の祝日のミサ(年間第30主日のミサ)」で、聖歌奉仕として聖タデオ聖歌隊員として歌います!ちなみに、聖タデオ(又は聖ユダ、聖タダイ)は成城教会の守護聖人です。
聖歌1.gif
典礼聖歌第322番「愛といつくしみのあるところ」
<答唱>
「愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる」

1.キリストの愛に結ばれ
共に喜び分かち合い
まごころ込めて神を敬い
愛の奉仕につとめよう
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

2.分け隔てを取り除き
ねたみと争いを避け
主キリストを囲んで
みな一つに集まろう
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

3.主キリストの輝くみ顔
聖者と共に仰ぎ見る
まことの喜び限りなく
世々とこしえに到るまで
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)
nice!(0)  コメント(0) 

フランシスコ教皇のX(旧Twitter)への投稿! [キリスト教関係事項・用語等]

フランシスコ教皇は、2023年10月18日のX(旧Twitter)への投稿で、次のとおり今日10月27日(金)を平和 のための断食、悔い改め、祈りの日とすることを発表しています。
「10月27日の金曜日を、#平和 のための断食、悔い改め、祈りの日と決定しました。さまざまな教派のキリスト者、その他の宗教者、世界平和が大切だと考えておられる方々の参加をお願いいたします。」
とのことです。この日は、平和を願って断食行い、神に罪の告白をして悔い改め、平和のために祈りましょう!
nice!(0)  コメント(0)