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「身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。」のお話し [今日の言葉(詩・その他)]

次の言葉は、儒教の経典の一つである『孝経(こうきょう)』に記載されている「親孝行」について書いてある言葉です。この『孝経』は、孔子と弟子の曾子(そうし)との問答形式で、「孝」について述べている有名な書物です。ご高齢の方(戦前の方)は小学生時代に学校で習いましたからご存じですね。

原文:「身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。」
直訳:「身体髪膚(しんたいはっぷ) これを父母に受く あえて毀傷(きしょう)せざるは 孝の始めなり。」
意訳:「人間の身体は、髪の毛から皮膚にいたるまで、すべて父母から授かったものだから、身体を大切にして、軽々しく傷つけないようにすることが、親孝行の第一歩である。」
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上記の言葉はとても有名で、現在、世間で使われているのは前半でしかありません。続く後半の言葉はあまり知られていないのではないでしょうか。後半の言葉は次のとおりです。私は、大した親孝行もせずに両親を亡くしていますから、人に言えた義理ではありませんが、若い方は立派な人物となって親孝行をしましょう!

原文:「立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。」
直訳:「身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕す(あらわす)は、孝の終りなり。」
意訳:「一人前の人物になって正しい行いをして、自分の名前と功績が死んだ後までも世の中に伝わるようにし、そのような立派な人物をよく育てたと、父母が 称(たたえ)られるようにするのが、親孝行の最終目標である。」
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『枕中記』のご紹介 [今日の言葉(詩・その他)]

有名人になることが幸せなのか?立身出世や人生の栄華が幸せなのか?金持ちになることが幸せなのか?いったい人の幸福はどこにあるのか?そもそも幸福とはなにか?欲に任せて生きるとどのようになるのか………今、欲に眩んだ話題の方は、大人の人間としての生き方を学ばなかったのですね。『枕中記』をよんで少しでも感じるところがあれば………『枕中記』の作者は、沈 既済(しん きせい:750年~ 800年頃)です。唐代の歴史家・小説家で、蘇州呉県の人です。歴史書『建中実録』10巻や、伝奇小説の作品があります。

◯あらすじ
中国・開元七年(719年)のこと、道士(道教を信奉して道教の教義にしたがった活動を職業とする人)の呂翁(りょおう)が、旅の途中で邯鄲(かんたん)への道中、とある宿屋に立ち寄って休憩をしていたとき、偶然通りかかった青年の盧生(ろせい)と語りあうことになります。やがて盧生は身の不遇を嘆き始めました。彼は、今の農民の暮らしではなく、官界での出世栄達を望んでいるのです。これを聞いた呂翁は、「貴方の姿を見たところ、病気などで苦しんでいる様子もなく、先程まで楽しそうに話していたではないか。何を苦しみ嘆いているのか?これをよき人生と言えないのであれば、何が人生の幸福だと言うのだろうか。」と。そして、眠気を催した盧生に、荷物袋の中から枕を取り出して渡し、盧生はそれを枕として寝ます。このとき、宿屋の主人はちょうど黍(きび)の飯を炊いていました。

夢の中で、彼は時の名族である清河の崔氏の娘を娶(めと)り、進士に挙げられ、夷狄の征伐で功績を挙げて国の高官となりますが、時の宰相に嫌われて左遷されます。しかし、三年後に呼び戻されて宰相となりますが、同僚に憎まれて謀叛を企てていると訴えられ、今度は逮捕されてしまいます。この時、盧生は自殺しようとしますが、妻に諫められて思いとどまります。一度は死罪を言い渡されたのですが、宦官(かんがん)が庇ってくれましたので、罪一等を減じられてベトナム方面への追放となります。ですが数年後、冤罪であったことがわかり、盧生は中書令として都に呼び戻され、当時第一級の人物となり、息子5人も皆な出世して孫も10人あまりもでき、80余の長寿を以て死にました。

死んだと思ったら、盧生は「なんと夢だったのか!」と眠りから覚めますが、寝る前に宿屋の主人の炊いていた黍の飯は、まだ煮えていませんでした。夢は一瞬だったのです。すると呂翁は笑いながら「人生の楽しみとは、まぁこんなものだろう」と言いました。盧生はしばらくぼんやりしていましたが、やがて呂翁に礼を述べ、「名誉と恥辱の道程、困窮と栄達の運命、成功と失敗の道理、死と生の実情、これらのすべてがわかりました。これは、先生が私の貪欲を抑えるために、この枕で夢を見させたのですね。ご訓戒、深く心にしみました。謹んで先生のお教えに従います。」そして、頭を下げて二度礼拝してから宿屋を出て行きました。盧生は、出世栄達の儚さ(はかなさ)を悟ったのでした。

◯私は『唐宋伝奇集(上)』岩波文庫版で読みました。ブックオフで500円でした。
訳者:今村与志雄
発刊:1988年7月18日
定価:中古で500円くらいです。
※現在は「品切れ」となっております。
Webサイト「日本の古本屋」で検索してください。https://www.kosho.or.jp/
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<収録作品>
・白い猿の妖怪――補江総白猿伝(無名氏)
・倩娘の魂――離魂記(陳玄祐)
・邯鄲夢の枕――枕中記(沈既済)
・妖女任氏の物語――任氏伝(沈既済)
・竜王の娘――柳毅(李朝威)
・紫玉の釵――霍小玉伝(蒋防)
・南柯の一夢――南柯太守伝(李公佐)
・敵討ち――謝小娥伝(李公佐)
・鳴珂曲の美女――李娃伝(白行簡)
・夢三題――三夢記(白行簡)
・長恨歌物語――長恨歌伝(陳鴻)
・鶯鶯との夜――鶯鶯伝(元稹)
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『平家物語』冒頭部分 [今日の言葉(詩・その他)]

昔からこのような人はいますが、今の誰かさんを表しているような………。
◯原文
祗園精舎の鐘の声、
(ぎおんしょうじゃのかねのこえ)
諸行無常の響きあり。
(しょぎょうむじょうのひびきあり)
娑羅双樹の花の色、
(しゃらそうじゅのはなのいろ
盛者必衰の理をあらはわす
(じょうしゃひっすいのことわりをあらわす)。
おごれる人も久しからず、
(おごれるひともひさしからず)
唯春の夜の夢のごとし。
(ただはるのよのゆめのごとし)
たけき者も遂にはほろびぬ、
(たけきものもついにはほろびぬ)
偏に風の前の塵に同じ。
(ひとえにかぜのまえのちりとおなじ)

◯口語訳
祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
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「戒石銘」のお話し [今日の言葉(詩・その他)]

この記事は、過去にこのブログに掲載した記事の再掲載となります。
最近、心に残った言葉に「旧二本松藩戒石銘碑(戒石銘:かいせきめい)」があります。4句16字の言葉ですが、私の座右の銘であり自戒とする言葉です。

◯原文
爾俸爾禄
民膏民脂
下民易虐
上天難欺

◯読み
爾俸爾禄
なんじのほう なんじのろく
民膏民脂
たみのこう たみのしなり。
下民易虐
かみんは しいたげやすく
上天難欺
じょうてんは あざむきがたし。
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◯訳・意
「お前のもらっている俸禄(ほうろく:給料・収入のこと)は、そのすべては民が働いた汗によるものである。下々の民は、権力で抑えて従わせることができても、天(神)を欺くことはできない。だから身を慎み、民を大切にせよ。」との意

◯説明
「旧二本松藩戒石銘碑(きゅうにほんまつはんかいせきめいひ)」は、二本松藩第7代藩主丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、藩士の戒めとして旧二本松城の入り口にあたる場所(現在の福島県二本松市郭内三丁目)に設置した石碑です。一夜のうちに自然石(花崗岩)の露出面に刻まれたそうです。1935年(昭和10年)12月24日に国の史跡に指定されました。石碑には16字が4字4行に刻まれており、藩政改革と綱紀粛正の指針を示したものとされています。
「戒石銘」の原典は、中国の965年に後蜀(ごしょく)の君主・孟昶(もうちょう)が作った24句96文字の「戒諭辞」だといわれています。983年、北宋(ほくそう)の君主・太宗(たいそう)が、この「戒諭辞」より4句16字を抜き出し「戒石銘」とし、太宗はこれを官史に示し戒めとしたそうです。その後、南宋(なんそう)の君主・高宗(こうそう)が、「戒石銘」を石に刻ませ州県に頒布しました。中国では、この時代に広く各州県に「戒石銘碑」が建てられたようです。

◯これを私の職場である大学(学校法人)に置き換えると
「教職員がもらっている給与・賞与は、すべて学生生徒の納付金(その学生生徒の親が汗して働いたお金)と国からの経常費補助金(国民の血税)である。学生生徒に、何を教えても文句を言わないかもしれないが、国民と文部科学省を欺くことはできない。(天(神)を欺くことはできない。)だから、学生生徒を大切にし、きちんとした教育と研究をして世界の平和に貢献しなければならない。」となりますね。肝に銘じます( ̄▽ ̄;)!
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詩 『明日』(作者不詳) [今日の言葉(詩・その他)]

「彼は、人間の達しうる最高の者に
なろうとしていた ―明日
彼は、誰よりも親切で勇敢な者に
なろうとしていた ―明日

彼は、悩み疲れたひとりの友を知っていた。
自分の境遇から引き上げられることを
喜びとし、それを必要としていた友だった。
彼は、その友を尋ね、どうすればよいか
相談しようとしていた ―明日

彼は、朝ごとに、書こうとする手紙を
山のように積み重ねた ―明日
そして、彼が喜びをもって満たそうとしている人々のことを考えた ―明日

今日は忙しすぎるのだ、
一瞬の息をつく暇もない。
彼は言う、
「私は他の人々のために働く時間を
持つようになろうだろう ―明日」と。
彼は、最も偉大な働き人になったであろう
―明日になれば。
世界は彼を知ったであろう
 ―もし彼が明日まで生きていれば。

しかし、事実は、彼は死んだのだ。
そして彼は人々の見える所から消え去った。
彼が生涯の終わったあとに残したものは
明日しようとしていた山のような仕事だった。」

なかなか教訓のある詩ですね。①今日やらなければならないことは、今日のうちにすること。②絶対に先延ばしにしないこと。この2つは社会人としての鉄則です。誰が見ても高い評価のできる人の根拠の一つは「実行力」があるということが言えます。一般的に言って実行力のある人は、今日できることを先延ばしはしません。私たちクリスチャンも、隣人のためにできることは明日ではなく、すぐにでも実行するという心構えでいたいものです。この世の中のために、“善い行い”をするということは時と場所を選びません。今すぐできることは、今すぐ行うことですね。
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『戒石銘』のお話し [今日の言葉(詩・その他)]

私の座右の銘に「旧二本松藩『7戒石銘(かいせきめい)碑』があります。4句16字の短い言葉ですが、私の自戒とする言葉です。

◯原文
爾俸爾禄
民膏民脂
下民易虐
上天難欺

◯読み
爾俸爾禄
なんじのほう なんじのろく
民膏民脂
たみのこう たみのしなり。
下民易虐
かみんは しいたげやすく
上天難欺
じょうてんは あざむきがたし。
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◯訳・意
「お前のいただく俸禄(ほうろく:給料・収入のこと)は、すべて民の汗によるものである。下々の民は、権力で抑えて従わせることができても、天(神)を欺くことはできない。(「だから身を慎み、民を大切にせよ。」との意)」

◯説明
旧二本松藩戒『戒石銘碑(かいせきめいひ)』は、二本松藩第7代藩主丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、藩士の戒めとして旧二本松城の入り口にあたる場所(現在の福島県二本松市郭内三丁目)に設置した石碑です。一夜のうちに自然石(花崗岩)の露出面に刻まれたそうです。1935年(昭和10年)12月24日、国の史跡に指定されました。石碑には16字が4字4行に刻まれており、藩政改革と綱紀粛正の指針を示したものとされています。
『戒石銘』の原典は、中国の965年に後蜀(ごしょく)の君主・孟昶(もうちょう)が作った24句96文字の『戒諭辞』だといわれています。983年、北宋(ほくそう)の君主・太宗(たいそう)がこの「戒諭辞」より4句16字を抜き出し「戒石銘」とし、太宗はこれを官史に示し戒めとしたそうです。その後、南宋(なんそう)の君主・高宗(こうそう)が「戒石銘」を石に刻ませ州県に頒布しました。中国では、この時代に広く各州県に「戒石銘碑」が建てられたとされているようです。

◯これを自分の職場である大学(学校法人)に置き換えると
「教職員がもらっている給料は、すべて学生・生徒の納付金(授業料)=その学生・生徒の親が汗して働いたお金と国民の血税(国からもらっている経常費補助金)である。学生・生徒に、どのように教えても文句を言わないかもしれないが、天(神)を欺くことはできない=国民と文部科学省を欺くことはできない。だから、学生・生徒を大切にし、きちんとした教育と研究をして世界の平和に貢献しなければならない。」となりますね。肝に銘じます!
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『まいにち、教皇フランシスコ(パパ・日めくり)』のご紹介 [今日の言葉(詩・その他)]

写真は、カレンダーの『まいにち、教皇フランシスコ(パパ・日めくり)』です。パパとは教皇のことで、親しみを込めてパパとお呼びします。1ヶ月分(31日分)ありますから、1年間で1日分を12回見る(読む)ことになります。
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今日のお言葉は、「欲は、あなたの見方を狂わせる」です。続けて「断食してみると、あらゆることに対して見方を変えられます。それは貪欲の誘惑から遠ざけ、愛のために苦悩する力を与えてくれるのです。」と書いてあります。
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「苦しんでいる者のための信条」(詩) [今日の言葉(詩・その他)]

「私は何かを成し遂げようとして神に力を求めたが
私が謙遜になって従うようにと弱くされた。

私はより大きなことを成そうとして健康を求めたが
私がより良いことを成すようにと病を授かった。

私は幸福になろうとして富を求めたが
私が賢明になるようにと貧困を授かった。

私は人々の賞賛を得ようとして権力を求めたが
私が神の必要を感じるようにと弱さを授かった。

私は人生を楽しもうとしてあらゆることを求めたが
私があらゆることを喜ぶようにといのちを授かった。

私が求めたものは何一つ得られなかった
しかし願ったことはすべてかなえられた。

こんな私であるにもかかわらず
私の数々の暗黙の祈りは答えられた。

私はあらゆる人々の中にあって
最も豊かに祝福された者だ!」

このブログに過去に何回か掲載していますが再掲載いたします。これは正確には詩ですが、「祈り」に通じるものがあると思います。アメリカの南北戦争で負傷した南軍の無名兵士が、収容先の病院の病室に書き残したとされる詩です。現在は、ニューヨーク州立大学病院物理療法リハビリテーション研究所の受け付けの壁に展示されているそうです。私のような凡人には、この詩のような境地にはなかなか達することはできません。心を無にし、子どものような純真さを持って、たえず祈り続ける信仰心ある人のみが達することができるのでしょうね。
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「関西弁講座・続編」のお話し [今日の言葉(詩・その他)]

このブログの2016年6月16日に「今日の日記2016.6.16 関西弁」を掲載して随分年月が経ちましたが、約7年ぶりに「関西弁講座・続編」を掲載いたします。
三重県四日市市生まれの私は、方言としては「伊勢弁」で、お隣の愛知県の「尾張弁(名古屋弁)」や「三河弁」の影響は受けていません。伊勢弁は完全に関西弁系の言葉で、ゆったりとした話し方が特徴ですね。例えば、「そうやに~。(そうですね。)」、「あかんわな~。(いけないですね。)」といった、語尾に「に」や「な」が付きます。三重県四日市市生まれといっても、大学進学で東京に来るまでですから、18歳までしかいませんでした。まったく関係ありませんが、ちなみに、尾張弁(名古屋弁)で、「この海老フライは美味し過ぎる。」は、「このえびふりぁあ、うまぁていかんわ。」と言います………が、現在ではあまり使われていないようですね。

そこで、久しぶりに「関西弁講座・続編」を掲載いたします。ただ、関西弁と一言で言っても、同じ関西圏でも大阪、京都、神戸などでは、微妙に違いがあります。例えば、標準語で「何をしているんですか?」は、次のようになります。
大阪では「なにしてん?」
京都では「なにしてはる?」
神戸では「なにしとぉ?」となります。
………ということで、このブログ記事では大阪で使われている言葉を中心にして掲載いたします。関西ご出身の方!監修をお願いいたします!しかし、よく考えてみると、三重県四日市市にいたのは18歳までで、18年間しか関西弁を使っていないわけです。あとの46年間は東京で生活をしているのです。こんな私に関西弁を語る資格があるのかと。まぁ、いいか( ̄▽ ̄;)

「あかん」
標準語:①いけない。②ダメ。
使用例
「食べたらあかん。」:食べてはいけません。
「そんなことしたらあかん。」:そのようなことをしてはいけません。

「あかんたれ」
標準語:①根性なし。②ダメなやつ。
使用例
「あかんたれやな~。」:ダメな人ですね〜。

「あて」※わて
標準語:①私、②自分
使用例
「これ、あてのもんです。」:これは、私のものです。

「あほくさ」
標準語:あほみたい。
使用例
「こんなあほくさいことやってられんわ。」:このようなアホみたいなこと、やっていられません。

「いける」
標準語:①大丈夫、②決まってる。
使用例:
①「おい、いけるか?しっかりせい。」:おい。大丈夫ですか?しっかりしなさい。
②「その服いけてるで~。」:その服、決まってるね。

「いてこます」
標準語:(こてんぱんに)やっつける。
使用例
「しょうもないこと言うてたら、いてこますぞ!」:つまらないことを言ってたら、やっつけますよ。

「いぬ(いね)」※「犬」ではない。
標準語:去る。
使用例
「はよ、いね!」:早く、行きなさい。

「いわす」
標準語:①痛める。②痛めつける。
使用例
①「重いもん持って腰いわしたわ。」:重いものを持って、腰をいためてしまいました。
②「てめぇ、いわしたろか!」:君、痛めてつけてあげようか!( ̄▽ ̄;)

「うち」
標準語:私
使用例
「うち、はよう行くわ。」:私、早く行きます。

「ええ」
標準語:①いい。②よい。
使用例
①「ええ気持ちや。」:いい気持ちです。
②「それでええ。」:それでよいです。

「えらい」※大学入学直後、大変な思いをした言葉です。部活で先輩に”今日は、私は疲れました。”というのを「今日は、私はえらいですわ~。」と言ったら、「お前のどこが偉いの?バカか!」と一発頂戴しました。
標準語:①大変、②すごい、③疲れる。
使用例
①「えらいこっちゃあ!」:大変だ!
②「ああ、えらいわ~(ああ、しんどいなあ。):ああ、疲れるるな~。

「えげつない」
標準語:とんでもなくひどい。
使用例
①「えげつないにおいやな~。」:とんでもないにおいですね。
②「あいつえげつないやっちゃ!」:あの人、とんでもなくひどい人です。

「おおきに」
標準語:ありがとう。
使用例
「えらいお世話になっておおきに。」:大変お世話になりありがとうございました。

「おばんです」
標準語:こんばんは。
使用例
「おばんです。だれかおりまっか?」:こんばんは。どなたかいらっしゃいますか?

「おます」
標準語:①ございます。②あります。
使用例
①「明けまして、おめでとうでおます。」:明けまして、おめでとうございます。
②「そこに座布団がおます」:そこに座布団があります。

「おもろい」
標準語:①おもしろい。(おもしろくないときは「おもろない」又は「おもんない」)
使用例
「あの映画は、おもろいな~。」:あの映画は、おもしろいですね~。

「あほ」※大阪では日常的に使われる褒め言葉!的なあつかい?関西では「あほ」は日常的に使われていますので、「あほ」と言われて怒る人は、ほぼ誰もいません。しかし、「バカ」は関西では通用しません。ちなみに大阪で、「あほ」の代わりに「バカ」を使ってみてください。必ず相手の顔色が変わり、最低でも一発は食らうことになります( ̄▽ ̄;) 逆に関東は全く反対になります。関東では「あほ」は通用しません!
標準語:アホ。
使用例
①「あほか!」※相手がしょもないことを言ったら、すばやく突っ込むために使う。
②「あんた、あほちゃうか~。」:あなた、アホではないですか。

◯その他、簡単にご紹介いたします!
こんにちは → まいど
本当 → ほんま
ダメ → あかん
そうだね → せやで
すごい → めっちゃ・ばり
むずかしい → むずい
本当 → ホンマ
早く→ はよ
ちがう → ちゃう
なんで → なんでやねん
さようなら → さいなら・ほな
とても → めっちゃ
構わない → かまへん
自転車 → ちゃり
とりあえず以上です( ̄▽ ̄;)
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「情けは人のためならず」のお話し [今日の言葉(詩・その他)]

仕事が終わって帰宅する電車で座っていたら、目の前に立っていた二人が、次の言葉の意味について議論し始めました。議論となった言葉は「情けは人のためならず」です。私は知っているつもりだったのですが、聴いていて自信がなくなり、不安になって家に着いてから辞書で調べました………とりあえず正解でした!( ̄▽ ̄;)

案外と意味を間違っている人が多い言葉に、「情けは人のためならず」があります。本来の意味は、「人に思いやりを掛けておけば、結果として、いつか自分にも良い報いが訪れる。」という意味の言葉です。決して「人に情をかけると、その人のためにならない。」ということではありません………ということで、「情けは人のためならず」を辞書で調べました!
◯『日本国語大辞典 第2版(小学館)』
【情けは人(ひと)の為(ため)ならず】
情をかけておけば,それがめぐりめぐってまた自分にもよい報いが来る。人に親切にしておけば必ずよい報いがある。(補注:情をかけることは,かえってその人のためにならないと解するのは誤り。)
◯『大辞林 第3版(三省堂)』
【情けは人の為(ため)ならず】
情を人にかけておけば,巡り巡って自分によい報いが来るということ。(近年,誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある。)

ここに掲載した2つの辞書では、両方とも「人に情をかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来る。」を意味としています。そして、「誰かに情を掛けることは,その人のためにならない」という解釈が誤りであることを指摘しています。この言葉を本来とは違う意味で理解してしまうのは,「ためならず」の解釈を誤ってしまうからだと考えられます。
もし「情けは人のためにならず」のように、「ために」の「に」が入っているというのであれば、「その人のためにならない」と受け取れるでしょう。しかし、「人のためならず」の「ならず」は、断定の「なり」+打ち消しの「ず」ですから、「である+ない=~でない」という意味になり、「人のためでない(=自分のためである)」と読み取る必要があります。ここのところがはっきりしないことが「人のためにならない」と解釈する人がいる理由だと思います。

この言葉について、いろいろ調べていたら、実はこの「情けは人のためならず」は、新渡戸稲造(にとべいなぞう)博士が作った詩の一部分でした。新渡戸博士が書いた大正4年発売の『一日一言』に書かれているそうです。人生に役立つ言葉が366日(一年)分書いてあり、しかも、言葉が分かりやすくて読みやすいそうです。是非読んでみようと思います。では、この『一日一言』の「4月23日“恩を施しては忘れよ”」を全文を読んでみましょう。
「施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ 我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな」
意味は、「情けは他人のためではなく自分自身のためにかけるものだ。だから自分が他人にした良いことは忘れてもいい。でも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけない。」という意味ですね。
今読める本は、次のとおりです!
『新訳 一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』
著者:新渡戸稲造
出版:PHP研究所
定価:880円(税込)

ところで、この「情けは人のためならず」は、キリスト教では何というか?を聖書を調べてみました。そうしたら、新約聖書の『ルカによる福音書』の第6章・第38節に「与えなさい。そうすれば、あなた方にも与えられる。」がありました。これはイエス・キリストの聖句(イエス様の言葉)です。この聖句が一番近いと思います。仏教では、「因果応報(いんがおうほう)」ですね。「善い行いをすれば、良い報いがある。」ということです。ただし、因果応報には、「悪い行いをすれば、悪い報いがある。」という意味もあります(⌒-⌒; )
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