今日の日記2023.8.31(隣り駅までウォーキング!) [日記]

今日は、早めに帰宅しましたから早速ウォーキングに出かけました。今日のコースも28日に引き続きJR横浜線八王子みなみ野駅まででした。前回と同じで、相原駅近くにある自宅から約50分でした。約半分は山に挟まれた道を歩くので、暗くなるととっでも寂しい道となります。今日は風が強いためか?コウモリは飛んでなかったですね。今回も帰りは電車(1駅)で帰りました。
◯大きな杉の木です!雑木林からなんか出てきそう!
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2023年8月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今月は31日間ある中の31日間(100%)を6つの教会・修道院に42回訪問し、41回ミサに与って41回ご聖体を拝領させていただきました。なお、ホームレス支援活動(山谷夜回りの会)は、配布する食料が腐りやすいため、毎年8月だけは活動を中止しています。
さて、4月28日に狭心症と診断され、もう4か月が過ぎました。7月24日に医師からそれまでの核医学検査などと経過観察の結果、「検査結果では狭心症とは認められない。」と告知され、引き続き経過観察となりましたが、心臓の激痛はないものの、時々ですが相変らず胸部の胸苦しさはありますので、あまり無理をしないように生活をしております。

5月からは、これまでの生活を全体的に見直し、身体への負担を軽減してストレスを解消するために、4月末までは毎日のように早朝のミサ&主日のミサに与ってきましたが、5月からは、基本的に私の所属するカトリック成城・聖タデオ教会でのミサは、平日のミサは先唱奉仕と朗読奉仕の日に限定し、主日のミサは土曜日に仕事があるないにかかわらず、18時からの主日のミサに与ることにしました。そして、日曜日は完全休養日としました。ミサは先唱奉仕及び朗読奉仕を担当する日、聖人などの祝日や記念日の日に与ており、聖歌隊活動及びホームレス支援活動は、5月から引き続きお休みをいただいております。

しかし、8月は徐々に身体を慣らすことを目標にして生活してきました。特に8月は職場が学校(大学)ということもあって9日(水)から31日(木)までの期間は、業務に支障のない限り交替勤務です。勤務しない自宅待機の日もあり、期間内の土曜・日曜はお休みで、10日(木)~17(木)は学校閉鎖期間でお休みです。
ということで、この8月は休みの日を利用して、まだ訪問したことがない教会と神山復生病院附属教会・カトリック墓地を訪問しました。連日の猛暑でしたが、身体を慣らす目標は達成できました。9月は、ホームレス支援活動を再開させ、聖歌隊活動は土曜日の主日のミサでの聖歌奉仕に限定して再開します。また、祭壇奉仕(侍者)や朗読奉仕を務めます。
◯教会奉仕活動
1.主日のミサ
  朗読奉仕 3回(第一・第二朗読担当)
2.平日のミサ
  先唱奉仕 3回(毎月初金を除く金曜日担当)  
  朗読奉仕 1回(毎月第三月曜日担当)

1日(火)成城教会:聖アルフォンソ司教教会博士の記念日のミサ(年間第17火曜日のミサ)・7時から
2日(水)成城教会②:年間第17水曜日のミサ・7時から
3日(木)成城教会③:年間第17木曜日のミサ・7時から
4日(金)麹町・聖イグナチオ教会:聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の記念日のミサ(年間第17金曜日のミサ・初金のミサ)・18時から
5日(土)成城教会④:主の変容の祝日のミサ・18時から
6日(日)神奈川県相模原市・相模原教会:主の変容の祝日のミサ・7時から
7日(月)成城教会⑤:年間第18月曜日のミサ・7時から
8日(火)成城教会⑥:聖ドミンゴ司祭の記念日のミサ(年間第18火曜日のミサ)・7時から
9日(水)成城教会⑦:年間第18水曜日のミサ・7時から
10日(木)成城教会⑧:聖ラウレンチオ助祭殉教者の祝日のミサ・7時から
  〃  静岡県御殿場市:神山復生病院附属教会・カトリック墓地訪問(お墓参り)・11時から
11日(金)成城教会⑨:聖クララおとめの記念日のミサ(年間第18金曜日のミサ)・7時から(先唱奉仕)
  〃  神奈川県相模原市・相模原教会②:聖クララおとめの記念日のミサ(年間第18金曜日のミサ)・9時から
12日(土)神奈川県相模原市・相模原教会③:年間第18土曜日のミサ・7時から
  〃  成城教会⑩:年間第19主日のミサ・18時から
13日(日)神奈川県相模原市・相模原教会④:年間第19主日のミサ・7時から
  〃  赤堤教会:年間第19主日のミサ・9時30分から
  〃  松原教会:年間第19主日のミサ・11時から
14日(月)神奈川県相模原市・相模原教会⑤:聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日のミサ(年間第19月曜日のミサ)・8時から
15日(火)成城教会⑫:聖母の被昇天の祭日のミサ・7時から
  〃  神奈川県相模原市・相模原教会⑥:聖母の被昇天の祭日のミサ・9時30分から
16日(水)田園調布教会:年間第19水曜日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会②:年間第19水曜日のミサ・12時から
17日(木)成城教会⑬:年間第19木曜日のミサ・7時から
  〃  神奈川県相模原市・相模原教会⑦:年間第19木曜日のミサ・9時から
18日(金)成城教会⑭:年間第19金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
19日(土)田園調布教会②:年間第19土曜日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会③:年間第19土曜日のミサ・12時から
  〃  成城教会⑮・年間第20主日のミサ・18時から
20日(日)神奈川県相模原市・相模原教会⑧:年間第20主日のミサ・7時から(第一朗読奉仕)
21日(月)成城教会⑯:聖ピオ十世教皇の記念日のミサ(年間第20月曜日のミサ)・7時から(朗読奉仕)
22日(火)成城教会⑰:天の元后聖マリアの記念日のミサ(年間第20火曜日のミサ)・7時から
23日(水)成城教会⑱:年間第20金曜日のミサ・7時から
24日(木)成城教会⑲:聖バルトロマイ使徒の祝日のミサ・7時から
25日(金)成城教会⑳:年間第20金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
26日(土)神奈川県相模原市・相模原教会⑨:年間第20土曜日のミサ・7時から
  〃  成城教会㉑:年間第21主日のミサ・18時から(第一朗読奉仕)
27日(日)神奈川県相模原市・相模原教会⑩:年間第21主日のミサ・7時から(第二朗読奉仕)
28日(月)成城教会㉒:聖アウグスティヌス司教教会博士の記念日のミサ(年間第21月曜日のミサ)・7時から
  〃  東京カトリック神学院訪問・14時から
29日(火)成城教会㉓:洗礼者聖ヨハネ殉教の記念日のミサ(年間第21火曜日のミサ)・7時から
30日(水)成城教会㉔:年間第21水曜日のミサ・7時から
31日(木)成城教会㉕:年間第21木曜日のミサ・7時から
以上です。
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教会日記2023.8.31(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第21木曜日)のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「年間第21木曜日のミサ」に与りました。昨夜は食事会があり、久しぶりにたらふく食べてしまいました(⌒-⌒; ) 今日からまたダイエットです!頑張ります!

ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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徳川家康のことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「人の一生は
重きを負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なく、
心に望みおこらば困窮したる時を
思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、
怒りは敵と思え。
勝つ事ばかりを知って、
負くる事を知らざれば、
害その身に至る。
己を責めて、
人を責むるな。
及ばざるは、
過ぎたるより優れり。」

NHKの大河ドラマ「どうする家康」で、俳優のマツジュンこと松本潤さんが好演をしていますが、今日から徳川家康公のお言葉をご紹介いたします。信徒の方によっては、「徳川家康は、江戸幕府草創期にキリスト教を禁教し、信徒を弾圧した張本人なのに、どうして家康の言葉など掲載するのか!」とお怒りの方がいらっしゃるかもしれませんが、「それとこれは別物」と言うことでお赦しいただければと思いますが、いかがでしょうか?

徳川家康(1543年~1616年)は、 元々は松平元康と言います。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名で、江戸幕府の初代征夷大将軍です。三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の一人です。本姓は先に藤原氏、次いで源氏を称し、家系は三河国の国人土豪・松平氏です。1567年2月18日(永禄9年12月29日)に勅許を得て、徳川氏に改めました。松平元信時代からの通称は次郎三郎。幼名は竹千代(たけちよ)です。

家康公のことは有名ですから皆さんよくご存じですよね。ちなみに、キリスト教とはまったく関係がありませんし、もちろんクリスチャンではありません。この言葉は、徳川家康公の理念や理想の精髄を伝える「東照公御遺訓(とうしょうこう ごいくん)」として今日に伝えられています。家康公の有名な言葉ですね。読んだとおり、現代においても活かされるべき教訓(言葉)です。私座右の銘の一つです。ところで次の言葉に注目です。

この言葉の最後2行ですが、「及ばざるは、過ぎたるより優れり。」とあります。これは、「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。」と似ていますね。この言葉は、孔子が『論語』で述べている言葉です。意味は「何をするにも、いき過ぎになっていると、それがどんなに良いことでも、むしろ不足ぎみや、不満足な状態と変わらない。過度になってしまうようであれば、むしろ控え目にしている方がよい。」という意味で、“ 中庸(ちゅうよう) ”の大切さを説いています。いつも “ お節介焼き ” な私の最も自戒とするところです( ̄◇ ̄;)

『論語』は、孔子の弟子、その弟子の弟子達が、孔子の言葉をまとめたものです。『中庸』とは、儒教の経典で朱子学の〈四書〉の一つです。もともと「礼記(らいき)」のうちの一編で全文3,500余字の書物です。孔子の孫の子思の作とされる書です。この『中庸』の書が説いている、すなわち「かたよることなく常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。」の意味です。

この言葉の起源は次のとおりです。
孔子の弟子に子貢(しこう)という人がいました。彼はできる人物でしたが、人物評が好きで、孔子はややもてあましていました。あるとき、子頁は同門弟子の2人を比較して、「どちらが賢明ですか?」と尋ねました。孔子が「A氏の方は度が過ぎているし、B氏の方はやや不足ぎみだ。」と答えると、子貢はすかさず「すると、A氏の方が優れているのですね。」と重ねて尋ねました。

これに対する孔子の答えが、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し。」だったのです。子貢はもちろん学問がよくでき、しかも頭の鋭いA氏の方がB氏より優れているという返事を期待していたのですが、孔子は期待に反して「同じようなものだよ。」と答えたのです。この返事の中には、ものごとはなんでも、行き過ぎの状態よりも、むしろ謹んだ方がよいという意味が込められていますね。

この言葉は、孔子が子貢の “ 小賢しさ ” を諫める言葉でもあったと思われます。家康公は、ご自分の経験上からのこともあると思いますが、確実に『論語』を読んで勉強していますね。皆さんもこの言葉を日常で使いましょうね。度の過ぎる人がいたら、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し。」と言ってやってくださいね!
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今日の日記2013.8.29(ミートパイ!) [日記]

今日の午後は、ボランティア学生たちとパン&カフェのお店でミーティングなのですが、早く着きすぎて昼食代わりにミートパイを食べました!ミートの具材がパイの中にいっぱい詰まっており、パイ地のサクサク感と相まってとっても美味しかったです!パイはなんでも好きですが、一番好きなのは「鱸(すずき)のパイ包み焼」です!二番目は「アップルパイ」ですね。ところで、このミートパイはどこのお店にあるのでしょうか?小田急線沿線ではありません。場所は秘密です(*^▽^*)
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教会日記2023.8.30(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第21水曜日)のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「年間第21水曜日のミサ」に与りました。残暑はまだまだ厳しいですね( ̄▽ ̄;) 今日も熱中症に注意です!ちなみに、今夜は「第2回ラム肉食事会!」です(⌒-⌒; )

ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
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旧約聖書:詩編・第51編・第1~第19節 [聖書]

<指揮者によって。賛歌。ダビデの詩
ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき>
「神よ、私を憐れんでください
あなたの憐みによって。
深い御憐れみによって
私の背きの罪を拭ってください。
過ちをことごとく洗い去り
私を罪から清めてください。
私は自分の背きを知っていします。
罪は絶えず私の前にあります。
あなたに、ただあなたに私は罪を犯しました。
あなたの前に悪事を行いました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。
私は過ちの内に生まれ
母は罪の内に私を身ごもりました。
あなたは心の奥底に真実を望み
隠された所で知恵を授けてくださいます。
ヒソプで私の罪を取り払ってください
私は清くなるでしょう。
私を洗ってください
私は雪よりも白くなるでしょう。
あなたが喜びと祝いの声を聞かせ
砕かれたこの骨を喜び躍らせてくださいますように。
御顔(みかお)を私の罪から隠し
あらゆる過ちから拭ってください。
神よ、私のために清い心を造り
私の内に新しく確かな霊を授けてください。
あなたの前から私を退けず
聖なる霊を私から取り去らないでください。
救いの喜びを私に返し
導きの霊で私を支えてください。
私背きの罪のある者にあなたの道を教えます。
罪人はあなたのもとに帰ります。
神よ、わが救いの神よ
流血の罪から私を救い出してください。
この舌はあなたの義を喜び歌います。
わが主よ、私の唇を開いてください。
この口はあなたの誉を告げ知らせます。
あなたはいけにえを好まれません。
焼き尽くすいけにえを献げても
あなたは喜ばれません。
し神の求めるいけにえは砕かれた霊。
神よ、砕かれ悔いる心をあなたは侮られません。」
『聖書協会共同訳聖書』から

この詩編第51編は、ダビデ王が自分の犯した罪を痛悔して祈る祈りですが、私たち信徒にとっては、神の目に罪を犯してしまった時、自分の犯した過ちや罪を悔やみ、神に赦しを願うときの祈りです。ダビデ王が、部下であるウリヤの妻であったパテ・シェバと姦通した後、夫であるウリヤを計略して戦地で死なせ、人の妻を奪って自分の妻としたことを預言者ナタンに叱責された際に詠った「痛悔の聖詠(詩編)」と伝えられるものです。その経緯は、次のとおり旧約聖書の『サムエル記下』に書かれています。
これは信じられないことですね~、あの偉大なるダビデ王、それもイエス・キリストの父親である聖ヨセフの先祖となるダビデ王が、人妻であるパテ・シェバを王宮に呼び出して強姦し、こともあろうか、夫であるウリヤを計略を持って戦地で戦死に見せかけて謀殺し、そして、これも無理やり略奪結婚をしてしまうという暴挙をやってしまうのですからΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン 普通なら即時に地獄行でしょうね。しかし、神に赦しを乞い、赦していただいたのでした( ̄▽ ̄;)

こんなことを書いては神様に叱られるのではないかと思いますが、『旧約聖書』はある意味、「犯罪の百科全書」のような内容が満載なのです。一般的な殺人から親族殺人、惨殺、猟奇殺人や火あぶり、強姦、姦通、暴行、傷害、窃盗、略奪、強奪、誘拐、詐欺、恐喝、横領、侮辱、偽証、名誉毀損、誹り、妬み、恨み、憎悪、悪意、それに戦争などなど、ありとあらゆる悪と罪のオンパレード状態となっています( ̄▽ ̄;) しかし、このような『旧約聖書』ですが、これには意味があります。それは、こんなにも人間は罪を犯しやすい生き物であるということ、そして、その罪がどのようなものであっても悔い改めて神に赦しを乞い、神に立ち帰えれば必ずや神は赦してくださるということを私たちに教えているのですね。
 
◯ジャン・レオン・ジェローム作の『パテシバ(パト・シェバ)』です。ジェローム(フランス:1824年〜1904年)は、画家&彫刻家で、歴史や東方(オリエント地域)の描写を得意としました。ダビデ王は、王宮のベランダ(絵の左上)から身を乗り出し、清めのために水浴する裸のパト・シェバを見ています。このような場面に遭遇した時は、視線を外すのが紳士ですぞ!ダビデ王はエッチですね(⌒-⌒; )
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◯パト・シェバを描いた絵は、レンブラント作の『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』の方が有名ですね。レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(オランダ:1606年〜1669年)は、ネーデルラント連邦共和国(現在オランダ)の画家です。この絵は、歴史的に乳癌(にゅうがん)患者を描いた最初の絵だと言われています。モデルの裸婦を忠実に描いているため、左側の乳房に窪みと左脇に膨らみがあることから癌だとわかるそうです。詳しいことは次のアドレスをクリックしてご覧ください。まぁ、レンブラントは意図せずに描いたのでしょうね。
https://www.newsweekjapan.jp/amp/stories/culture/2019/03/post-11846.php?page=1
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長くなりますが、物語になっていますのでお読みください。
◯旧約聖書:サムエル記下第11章・第2節~第12章・第15節
<ウリヤの妻パト・シェバ>
「ある夕暮れ時、ダビデは寝床から起き上がり、王宮の屋上を散歩していたところ、屋上から一人の女が水を浴びているのを見た。女は大層美しかった。ダビデは人をやってその女のことを調べさせると、「あれはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻です」との知らせを受けた。ダビデは使いの者をやって彼女を召し出し、彼女がダビデのもとに来ると、床を共にした。彼女は汚れから身を清めたばかりであった。そして彼女は自分の家に帰って行った。やがて女は身ごもり、人をやってダビデに告げた。「私は子を宿しました」
ダビデはヨアブに人をやり、「ヘト人ウリヤを私のもとに送り返すように」と命じたので、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送り返した。ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。そしてダビデは言った。「家に帰って、足の汚れを落とすがよい。」
ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。しかし、ウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と同じように眠り、自分の家には帰らなかった。ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに言った。「あなたは遠征から帰って来たばかりではないか。なぜ自分の家に帰らないのか。」ウリヤはダビデに言った。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、私の主人ヨアブも主君の家臣たちも野営をしておりますのに、私だけが家に帰って食べて飲み、妻と寝ることなどできましょうか。あなたは確かに生きておられます。私には、決してそのようなことはできません。」 ダビデはウリヤに言った。「今日もここにとどまるがよい。明日、あなたを送り出すとしよう。」ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。ダビデはウリヤを呼び出し、食事を共にして彼を酔わせたが、夕方になるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、自分の家に帰ろうとしなかった。

翌朝、ダビデはヨアブに宛てて書簡をしたため、ウリヤに託して送った。書簡にはこう書いてあった。「ウリヤを戦いが熾烈な最前線に出し、彼を残したまま退却して、討ち死にさせよ。」と書かれていた。町を見張っていたヨアブは、武勇に優れた者がいると判断した辺りにウリヤを配置した。 町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、兵からもダビデの家来からも倒れると者が出て、ヘト人ウリヤも死んだ。
ヨアブは人をやって、この戦いの一部始終をダビデに知らせた。ヨアブは使者に命じた。「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が憤って、『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。城壁の上から射かけてくると分かっていたはずだ。昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から臼を投げつけたからではないか。なぜ、そんなに城壁に接近したのだ』と言われたなら、『あなたの僕、ヘト人ウリヤも死にました』と言うがよい。」
使者は出発し、ダビデのもとに来て、ヨアブの伝言をすべて伝えた。使者はダビデに言った。「相手は我々よりも優勢で、野戦を挑んで来ました。我々が城門の入り口まで彼らを押し返すと、射手が城壁の上から僕らに矢を射かけ、王の家臣からも死ぬ者が出、王の僕ヘト人ウリヤも死にました。」ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『このことで、心配するには及ばない。いずれにせよ、剣は人を餌食にするものだ。雄々しく戦い、町を攻め落とせ。』そう言って、彼を励ますように。」
ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆き悲しんだ。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、自分の妻にした。彼女はやがて男の子を産んだが、ダビデのしたことは主の目に悪とされた。

<ナタンの叱責>
主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンはダビデのところに来て言った。
「二人の男がある町にいた。
一人は富み、一人は貧しかった。
富める男は非常に多くの羊や牛を持っていた。
貧しい男は自分で買い求めた一匹の雌の小羊のほかは
何一つ持っていなかった。
彼はその小羊を養い
小羊は彼のもとで、彼の息子たちと共に成長し
彼の乏しいパンを一緒に食べ、彼の杯から飲み
彼の懐で眠り
彼にとってはさながら娘のようであった。
ある日、あるとき、富める男のとかろに
一人の旅人がやってきた。
富める男は
自分のところに来た旅人をもてなすのに
自分の羊か牛をとって料理するのを惜しみ
貧しい男の小羊を取り上げて
自分のところ来たその人のために振る舞った。」

ダビデはその男のことで怒りを燃やし、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなようなことをした男は死ななければならない。物惜しみをし、そんなことをした報いとして、小羊を四倍にして償わなければならない。」ナタンはダビデに言った。「それはあなたです。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注ぎ、イスラエルの王としたのは私である。私はあなたをサウルの手から救い出し、あなたの主人の家をあなたに与え、主人の妻たちをあなたの懐に与え、イスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし不足ならば、私はいくらでもあなたに与えたであろう。なぜ主の言葉を侮り、私の意に背くことをしたのか。あなたはあのヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分のものとし、アンモン人の剣で彼を殺した。それゆえ、剣はあなたの家からとこしえに離れることはない。あなたが私を侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからである。』主はこう言われると、『見よ、私はあなたの家の者の中から、あなたに対して災いを起こす。あなたの目の前で、あなたの妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼は白日の下で、あなたの妻たちと寝るであろう。あなたはひそかにこれを行ったが、私はイスラエルのすべての人々の前で、白日の下にこれを行う。』」
ダビデはナタンに言った。「私は主に罪を犯しました。」ナタンはダビデに言った。「主もまたあなたの罪を取り除かれる。あなたは死なない。しかし、あなたがこの行いによって大いに主を侮ったために、生まれて来るあなたの子は必ず死ぬであろう。」ナタンは自分の家に帰って行った。」
『聖書協会共同訳聖書』から
注)ナタンは、主(神)から預言者として召命され、ダビデ王に仕えるこの時代に生きた人です。「預言者」とは、主(神)から降る言葉を預かって人々に伝え、人々を過ちから悔い改めさせて正しい道に導く人のことです。ちなみに「予言者」の方は、将来を予知する人のことです。
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教会日記2023.8.29(カトリック成城・聖タデオ教会「洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日(年間第21火曜日)のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日」のミサに与りました。連日の猛暑は相変わらずですね〜( ̄◇ ̄;) 汗で体内の水分をたくさん排出しています。一日ですごい量になると思いますが、その分はきちんと水分補給しないといけないですね。新陳代謝が良過ぎます!(⌒-⌒; )

ミサでは、「洗礼者聖ヨハネの殉教」の記念日をお祝いしてお祈りしました。
また、今日は信徒の方のお母さんが手術をされるということで、無事に成功裡に手術が終わることができますようにとお祈りしました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
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「洗礼者聖ヨハネの殉教」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日8月29日は、洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日です。
洗礼者聖ヨハネ(紀元前6年から前2年頃~36年頃)は、新約聖書に登場する古代ユダヤの預言者で、民衆に悔い改め(回心)を呼びかけ、ヨルダン川で罪の赦しとなる洗礼を授けていました。イエス様に洗礼を授けられたのもこのヨハネです。新約聖書の「ルカによる福音書」によれば、父は祭司ザカリア、母はエリサベトです。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第2~第9節
「預言者イザヤの書に、「見よ、わたしはあなたの先にわたしの使い遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その歩む道をまっすぐにせよ。』」と書き記されているように、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れ、罪の赦しへと導く悔い改めの洗礼を宣べ伝えていた。ユダヤの全地方、またエルサレムに住むすべての人がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けていた。ヨハネはらくだの毛の衣を着て、腰に革の帯をしめ、蝗(いなご)と野蜜を食物としていた。ヨハネは宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のある方が、後からおいでになる。わたしは身をかかめて、その方の履き物の紐(ひも)を解く値うちさえない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊によって洗礼をお授けになる。」そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼をお受けになった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯題名は「キリストの洗礼」です。ヴェロッキオ作ですが、後にレオナルド・ダ・ヴィンチが完成させています。この場面を画いた絵は多くありますが、構図的に主題が分かりやすく画かれている絵ですね。イエス様は中央、右側が洗礼者聖ヨハネ、左側はイエス様にお仕えしている天使です。
キリストの洗礼.jpg
当時、ローマ皇帝の許しを得てヘロデ・アンティパス王がこの地方を治めていましたが、彼は弟の妻ヘロディアを自分の妻とするなど、非難されるべき生活をしていたため、ヨハネから戒められました。怒ったヘロデはヨハネを捉えて牢にいれていました。ある時、ヘロデの誕生日の宴席で、踊りを披露したヘロディアの娘サロメに、ヘロデは褒美として望むものは何でも与えることを約束しました。そこで、ヨハネを憎んでいたヘロディアは、娘にヨハネの首を望ませました。ヘロデは、人びとが信頼しているヨハネを殺すことに心を痛めましたが、公の場で誓った約束であったため、ヨハネの首を斬らせ殉教したのです。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第6章・第17~第28節
「実は、このヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアを娶り、彼女のことでヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネがヘロデに向かって、「兄弟の妻を自分の妻とするのは許されないことだ」と言ったためである。ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと望んでいたが、できなかった。それは、ヘロデがヨハネを正しい聖なる人であると知って、ヨハネを恐れ、保護し、またその教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んでその言葉に耳を傾けていたからである。ところが、ヘロディアにとって良い機会が訪れた。ヘロデが自分の誕生日にあたり、文官や武官、またガリラヤのおもだった人々を招いて、宴会を開いた。そこに、ヘロディアの娘が入って来て、踊りを踊り、ヘロデをはじめ列席の人々を喜ばせた。そこで王はこの少女に、「欲しい物は何でもあげるから言いなさい」と言い、さらに、「お前が願うものなら、国の半分でもあげる」と固く誓った。そこで少女が出ていき、「何を願いましょうか」と母に尋ねると、母は「洗礼者ヨハネの首を」と答えた。少女はすぐ、王の所に急いで戻ってきて、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は大いに心を痛めたが、列席の人々の前で立てた誓いの手前、少女の願いを拒否したくなかった。そこで、すぐに衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出ていき、牢の中でヨハネの首を刎ね、その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女はそれを母に与えた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯グイド・レーニ(1575年~1642年)は、17世紀前半、バロック期に活動したイタリアの画家です。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色としています。自信に満ちた様子でヨハネの首(頭)の髪を掴むヘロディアです。怖いですね~恐ろしいですね~悪女ぶりがにじみ出ていますね~(; ̄O ̄)
サロメ.jpg
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今日の日記2023.8.28(隣り駅までウォーキング!) [日記]

今日は、早めに帰宅しましたから早速ウォーキングに出かけました。今日のコースはJR横浜線八王子みなみ野駅まででした。相原駅近くにある自宅から約50分でした。ほとんど山に挟まれた道を歩くので、夕方ということもあり、コウモリが約20匹ほど乱舞して飛んでいました!飛んでいる昆虫を捕獲しているのですね。夕刻はコウモリのお食事時間なのです。低空飛行するものもいて、ぶつかりそうになります(⌒-⌒; ) ちなみに、帰りは電車(1駅)で帰りました。
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一面の畑ですが、向こうに見える森の下辺りにトンネルがあり、横浜線の電車が走っています。上下線2本のトンネルです。
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