教会日記2023.8.4(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の記念日のミサ(年間第17金曜日のミサ)・初金のミサ)」金曜日) [教会日記]

今夜は、仕事が終わってから四ツ谷にあるいつもの整体院に来たこともあり、まずはカトリック麹町・聖イグナチオ教会での18時からの「聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の記念日のミサ・初金のミサ」に与りました。毎月第一金曜日は、カトリック教会では「初金のミサ」の日となりますが、どこの教会もだいたい午前10時前後から始まります。平日は、仕事のある信徒はミサに与れません。ですから私の場合は、仕事が終わってからでも間に合う(18時からミサが始まる)聖イグナチオ教会の「初金のミサ」にお世話になっているのです。

私には、聖イグナチオ教会がありますからいいのですが、18時前後に始まる「初金のミサ」がないところは、仕事のある信徒は「初金のミサ」に与れないということですね。平日である金曜日に仕事がある信徒は、「初金のミサ」の対象とされていないということでしょうか。せめて、平日のミサの時間である午前7時ごろに開式してもらいたものです。それでしたら、午前10時にミサに与っている信徒も与ることができるのではないでしょうか………と思うのです。

ミサが始まる前に、聖イグナチオ教会の夕刻18時のアンジェラスの鐘が鳴り響く中、祭壇奉仕の方の先唱にしたがい、いつものように会衆全員で『お告げの祈り』をお祈りしました。
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
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「聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月4日は、聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭(フランス・1786年〜1859年)の記念日です。
聖ビアンネ司祭は、南フランスの農家に生まれ、信仰深い両親のもとで育てられました。当時のフランスは、革命の混乱期にあり、司祭の不足で満足な信仰教育がなされていませんでした。それに心を痛めた聖ビアンネは、司祭になることを決意して神学校に入りました。家が貧しくて教育を受ける機会に恵まれなかった聖ビアンネにとって、勉学に追いついてゆくことは大変なことでした。
苦労の末、1815年に司祭に叙階され、アルスの主任司祭に任命されました。聖ビアンネの慈愛溢れる教えと良い模範は、不熱心な人々ばかりであった村をキリスト教の精神に満ち溢れる村に変えたのでした。彼の徳の評判は広まり、多くの国から人々が祝福や赦しの秘跡を求めてやってきました。最後の1年間は10万人の巡礼者があったといわれています。
◯カトリック高円寺教会聖堂にある聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭像です。聖ビアンネ司祭は、高円寺教会の守護聖人となっています。
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「聖ニコデモ」のお話し [聖人・福者・尊者]

昨日8月3日は、聖ニコデモの記念日でした!( ̄◇ ̄;)
掲載するのを忘れていました(⌒-⌒; )
聖ニコデモ様、ごめんなさい!m( _ _ )m
聖ニコデモはユダヤ教のファリサイ派で最高法院の議員でしたが、イエス・キリストに敬意を払っており、夜ひそかにイエス・キリストを訪ねて問答をしています。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第3章・第1〜第21節
「さて、ファリサイ派の人で、その名をニコデモという、ユダヤ人たちの議員がいた、ある夜、イエスの所に来て、こう言った、「ラビ、わたしたちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。あなたが行なっておられるあのような徴は、神がともにおられるのでなければ、誰にもできないからです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯左側がイエス・キリスト、右側が聖ニコデモです。
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また、ユダヤ人指導者たちがイエス・キリストを非難する場では「我々の律法では、罪の証が無ければ裁かないではないか」とイエス・キリストを弁護しています。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第7章・第50〜第51節
「彼らの中の一人で、以前イエスの所に来たことのあるニコデモが、彼らに向かってこう言った「われわれの律法は、まず本人の言い分を聞き、その人が何をしたかを知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

イエスの処刑後は、使徒や他の弟子たち、アリマタヤのヨセフとともにイエス・キリストの遺体を引き取って埋葬しています。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第38〜第39節
「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスの体を取り下ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトは許した。そこでヨセフは行って、イエスの体を取り下ろした。また、以前、夜中に、イエスを訪ねたことのあるニコデモは、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを百リトラほど携えて来た。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

新約聖書の外典には、ニコデモの名前をとった『ニコデモによる福音書』というものがあり、また、伝説によれば後に木彫りのキリストの磔刑像を製作したということです。
◯イタリアのルッカのルッカ大聖堂に現存する『ヴォルト・サント(聖顔)』がそれであるとのことです。
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