教会日記2023.8.5(カトリック成城・聖タデオ教会「主の変容の祝日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、有給休暇をいただき仕事はお休みです。夕方からカトリック成城・聖タデオ教会で、18時からの「主の変容の祝日のミサ」に与りました。「主の変容」については、今日の日没後から明日が「主の変容の祝日」ですので、このブログに明日掲載する「主の変容のお話し」をお読みください。
【主の変容】
主の変容とは、新約聖書の福音書に記述された、イエス・キリストが弟子(使徒)であるペトロ、ヨハネと、大ヤコブの3人を伴い、高い山に登って旧約聖書に出てくる預言者のモーセとエリヤと語り合いながら、白く光り輝く姿を弟子たちに示したと聖書に記された出来事のことです。
高い山とは、「タボル山」」と伝承されていますが、聖書には山の名についての記載はありません。山において、イエス・キリストは、旧約時代の大預言者とともに語り合いながら光り輝く姿を弟子達に見せたと伝えられており、教会では、この世的な意味でのキリストの勝利(イスラエルの解放)を願う弟子達に対し、自らの受難を予言し続けたキリストが、これから受ける苦難に際して信仰し続ける希望を与えるためにこの奇蹟を行ったと伝えられています。
◯写真は、カトリック成城教会の信徒館の壁画(タイル画)「主の変容(キリストの変容)」です。信徒館入口の上部(2階外壁)にあります。信徒の手作りによって1997年10月に完成しました。
3984CF5C-D421-4F7C-B317-4F902E10AEF2.jpeg
そして、今日から「日本カトリック平日旬間」が始まりました。カトリック中央協議会では、「2023年平和旬間・人間のいのちの尊厳を守るものは」と題して、日本カトリック司教協議会会長から談話が発表されています。カトリック中央協議会のホームページをご覧ください。皆さん是非お読みください。
◯2023年平和旬間 日本カトリック司教協議会会長談話
<人間のいのちの尊厳を守るものは>
https://www.cbcj.catholic.jp/2023/07/20/27410/
【平和旬間】(カトリック中央協議会のホームページから)
1981年2月23日~26日、教皇ヨハネ・パウロ二世は「平和の使者」として日本を訪問し、多くの人々に喜びと希望を与えました。特に広島では、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われ、日本国内外に平和メッセージを発信しました。戦争を振り返り、平和を思うとき、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動でなければなりません。
そこで日本のカトリック教会は、その翌年(1982年)、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました。毎年の平和旬間にあたり、そのための談話が発表されます。これ読んでいただき、ともに平和を祈り、平和を考え、平和について語り、平和のために行動する機会になることを願っています。
この「平和旬間」に広島教区と長崎教区では、全国から司教をはじめとして多くの信徒が集まり、「平和祈願ミサ」がささげられます。また各教区でも、平和祈願ミサや平和行進、平和を主題とした映画会、講演会、研修会、平和を求める署名などが行われます。
わたしたちが望む平和とはまだまだ程遠い状況ではありますが、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の思いを新たにし、その心を心とするためにも各教区・地区で行われます平和祈願ミサや様々な行事に参加することをお勧めします。
nice!(0)  コメント(0) 

今日の日記2023.8.5(アイスクリーム!) [日記]

小田急線成城駅の「成城コルティ」2階にある「ホテルショコラ」というチョコレート専門店&カフェで、アイスクリームを食べました!マレーシアからの大学3年女子留学生の就職相談です(⌒-⌒; ) ご本人は敬虔なイスラーム(イスラム教)の信徒です。しかし、暑い日のアイスクリームは最高です!美味しかった〜!
IMG_5557.jpeg
nice!(0)  コメント(0) 

「聖釘(せいてい)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「聖釘(せいてい)」とは、聖遺物(せいいぶつ)の一つで、イエス・キリストがゴルゴタの丘で十字架に磔(はりつけ)になった際、十字架の横木に手を縦木に足を打ち付けた釘(くぎ)のことを指します。言い伝えによると、328年ごろにコンスタンティヌスI世の母親ヘレナが、ゴルゴタの丘の跡地、現在のエルサレムにある聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい)付近で、聖十字架とともに発見したとされています。う~ん、イエス・キリストの磔刑後、約300年も経ってから発見されたというのは無理があるのではないかと思うのですが。当時地位のある方の発見ということですので。

信仰の対象として世界各地のカトリック教会に安置されています。世界中で祭られている聖釘の数は30本(3本1組で30本か?)を下らないだろうと言われているそうです(⌒-⌒; ) どれが本物なのか?そもそも本物は現存するのか?本物であると保証する証拠はどこにもありません。まぁ、誰もわからないのでしょうね( ̄◇ ̄;) これは「聖槍(せいそう)」と同じことが言えますね。聖槍のことは、このブログの2022年7月19日に掲載した「聖ロンギニスの槍のお話し」をお読みください。本物かどうかはそれほど関係なく、当時事実であったことが本物として崇敬されているのですね。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-07-19

◯私の部屋の壁に飾ってある「聖釘の十字架」です。聖釘を模して本物に似せるため、サビのような塗装がなされています。大きさは縦27cm、横16cmです。横に合わせた2本は両方の手に打った釘で、縦の長い1本は両足を合わせて打った釘となります。一般的に手のひらに打ったことになっていますが、手のひらに打つと体重がかかって手が裂けてしまいますから、私が思うに、実際には前腕の2本の前腕骨で構成されている橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃくこつ)の間に打ったのではないかと思いますが、それでも十字架上で体重を保つには弱いと思いますから、釘を打った上で手首をロープで横木に縛り付けたのではないかと思います。
7BA0223F-93E9-4245-8AF5-716516E3F559.jpeg8D1CAD5C-63A3-4F84-9709-1129BC41DC18.jpeg
【聖遺物】
カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品のことを指します。これらの品物は大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきました。古代から中世にかけて盛んに崇敬の対象となりました。ちなみに、日本のカトリック教会に安置(保存)されている聖遺物で、私の知っているものは次のとおりです。他のカトリック教会にもあると思います。
・カトリック神田教会:聖フランシスコ・ザビエルの遺骨
・カトリック多摩教会:聖コルベ神父様の顎髭(あごひげ)
・カトリック金沢教会:福者ユスト高山右近のチョッキの一部

【聖槍】
聖槍とは、正式名称は「聖ロンギヌス(Longinus)の槍」のことです。このロンギニスとは、ローマ帝国の百人隊長(100人の兵隊を率いる隊長のこと)の名前です。イエス・キリストがゴルゴタの丘で磔(はりつけ)になった際に、生死を確かめるために、ロンギニスがイエス・キリストの左脇腹に槍を突き刺したとされる槍のことを聖槍と言います。
nice!(0)  コメント(0) 

「聖マリア教会の献堂」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日8月5日は、「聖マリア教会の献堂」の記念日です。
聖マリア教会とは、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のことです。
イタリアのローマ市にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂では、聖母が真夏に雪を降らせて聖堂を建てる場所を指示されたことを記念し、毎年この献堂日には、聖堂内で雪の代わりに花びらが舞います。元となる「雪の聖母の伝説」というお話しがあります。
それは、「4世紀ごろ、ローマにジョヴァンニ夫妻という信仰深い裕福な貴族がおり、子供に恵まれなかったことから、自分たちの遺産の相続人に聖母マリア様を選びました。当時の教皇リベリウスは、それを知って夫妻に聖母マリア様に子供を授かる方法を尋ねるよう提案し、夫妻はそれに従いました。352年8月5日の夜、夫妻と教皇リベリウスの夢に聖母マリア様が同時にご出現し、降雪量の少ないローマで雪が降る丘を目印にして、エスクィリーノの丘の頂上に聖母の王冠を建設するよう命じました。」というものです。

◯イタリアのローマにあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の外観です。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、名称には次の二つの意味があります。第一に、世界の聖堂の中でも特に重要な教会であり、まさに母なる教会であるということ。第二に、カトリック教会の信仰において、古代より尊重されてきた聖母マリア様への崇敬を表す聖堂であるということです。
サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂.jpg
世界中に聖母マリア様に捧げられた聖堂がたくさんありますが、その中で最大のものがサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂ということです。ローマ教皇の座が、ローマからアヴィニョンに移されていた1309年~1377年の「アヴィニョン捕囚」から教皇がローマに戻ったあと、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていたため、一時的にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が教皇宮殿として用いられていました。後にバチカンに教皇宮殿がつくられ、教皇はそこに移って現代に至っています。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、ローマ市内の古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれ、数回にわたる改修と1348年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物となっています。なお、教皇が建築させたローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられています。四大バシリカとは、このサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)です。さらにサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂)を加えて五大バジリカと呼ぶこともあります。
nice!(0)  コメント(0)