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絵画『結び目を解く聖母』のお話し [キリスト教と美術]

過去に、このブログに掲載した2つの記事を合わせて再掲載いたします。
この絵は、一般駅に『結び目を解く聖母』という名称ですが、「結び目の聖女」又は「結び目のマリア」とも呼ばれています。ドイツ最南部のアウクスブルクにある、カトリックの巡礼教会のペルラッハの聖ペテロ教会が所蔵する宗教絵画です。作者は、地元の画家ヨハン・ゲオルク・メルヒオール・シュミットナーです。製作されたのは1700年頃で大きさは182cm×100cmあります。アウクスブルクの聖ペテロ修道院の司祭であった地元貴族出身のヒエロニムス・アンブロシウス・ランゲンマンテルが、「良き助言者の聖母マリア」の祭壇のために依頼したものだそうです。余談ですが、現在のフランシスコ教皇が、まだホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿であったころ、特に許可を得て複製画を制作し、アルゼンチンに持ち帰り崇敬を集めているそうです。
◯左側は実際の絵です。右側は中央部分を拡大したものです。絵をよく見ると、聖母マリア様がものすごく絡まった紐(リボン)をキレイに解いていますね。
結び目を解く聖母.jpgIMG_5373.png
◯私は、この絵の壁掛け飾りをのベッドの横の壁に飾っています。
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この絵ですが、よく見ると、悪魔の象徴である蛇の頭部を足で押さえながら、白く長いリボンの結び目を解いている黙示の日の聖母マリア様が描かれています。聖母は12人の小天使と2人の大天使、7つの六芒星からなる輪に囲まれています。 聖母の頭上には聖霊が鳩の姿で降臨し、彼女が聖霊の花嫁であることを暗示しているところを画いているそうです。新約聖書の『ヨハネの黙示録』に記載されていますが、聖母は太陽を纏っています。
1.新約聖書:ヨハネの黙示録・第12章・第1節
「また、天に大きな徴が現れた。それは、太陽をまとった女で、月をその足の下にあり、頭上には十二の星の冠を戴いていた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
三日月の下にかなり小さく天使、人間と犬が描かれていますが、これは旧約聖書の『トビト記』に記載のある、大天使ラファエルがニネベのトビアにエクタバナのサラを娶るよう促し、仲人として共に旅をするシーンであると解釈されているそうです。
2.旧約聖書:トビト記・第5章・第17節
「それから彼が息子トビアを呼んで、言った「わが子よ、旅の支度をし、同族のこの人と出かけなさい。天の神が、かの地でお前たちを守り、無事にわたしのもとに戻してくださるように。わが子よ、神の使いが道道お前たちと共に歩み、無事に旅をさせてくださるように、」トビアは旅路につくため家を出て、父と母に口づけした。トビトは言った「元気で行ってきなさい。」」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

上記の聖書(1と2)に基づく2つ図案、そして「良き助言者の聖母」の祭壇に捧げられていることには、別の意味もあるそうです。それはこの絵を寄進したランゲンマンテルの家族の身に起きた出来事に由来しています。
彼の祖父ヴォルフガング・ランゲンマンテル(1586年~1637年)は、妻ソフィア・レンツ(1590年~1649年)との離婚の危機に瀕したとき、インゴルシュタットのイエズス会士ヤーコプ・レム司祭を訪ねました。絵の中で旅人が右手を挙げた天使に導かれるがごとく、遠くの教会を目指したのです。レム司祭はマリア像に祈りを捧げ、「この祈りにより、結婚の絆が深まり、結び目を解くように2人の間の問題が解決されますように。」と取りなしを願いました。すると、彼らの離婚の危機は去り、その仲は平穏なものとなったそうです。後に聖職に就いたランゲンマンテルは、そのことを記念するために絵の中に織り込んだのですね。

これらのことから、聖母マリア様は2人の旅人のように「結び目のように複雑で困難な問題」に助けを与えるものだと解釈されています。すなわち、聖母は人生の伴侶を見つけること、そして結婚生活における問題を解決することの助けを与えるものと解釈され、この絵とは直接の関係はないと思いますが、乳がんを患う女性に対する理解と支援を促すシンボルとしても結び目(ピンクリボン)が用いられています。
◯認定NPO法人J.POSH日本乳がんピンクリボン運動
NPO法人J.POSH日本乳がんピンクリボン運動の詳細はホームページをご覧ください。
https://www.j-posh.com/about/
ピンクリボン.jpg
結び目を解く聖母マリア様にお祈りをすると、複雑に込み入ってしまった人間関係、誰にも打ち明けることのできない悩み、誰も助けてくれない懸案となっている事案などが必ず解決されます。私は、このお祈りによって随分と助けられました。予期しないことで人間関係が悪くなりましたが、このお祈りを唱えたら、突如として関係が修復されました。不思議に思われるかもしれませんが本当の話しです。
◯『結び目を解く聖母マリアの祈り』
「聖母マリア 神の臨在に満ちた方
あなたはご生涯を通じて、まったく謙遜に御父のみ旨を受け入れ
悪魔さえもあなたを罠や誘惑に陥れることはできませんでした。
あなたはすでに息子イエスと結ばれ、
私たちのすべてのもつれを解いてくださり、
単純かつ忍耐強く私たちの人生に絡み合った結び目を
どのように解くのかを身をもって示してくださいました。
あなたはいつも私たちの母として、
主イエスと私たちを結ぶ絆を示してくださいます。
聖母マリア 神の母 私たちの母
私たちの人生のもつれ、結び目を母の心で解いてくださるあなたのみ手に委ねます。
私たちを苦しみや不安から解放してください。
あなたの取り次ぎによって、
あなたの模範に倣うことによって私たちを悪から解き放ち、
私たちと神との交わりを妨げる結び目を解き、
不安、過ち、誘惑、すべてのものから解放してください。
あらゆることのうちに主イエスと出会い、主に心をとめ、
兄弟姉妹のうちに、いつもイエスに仕えることができますように。
アーメン」
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『聖アウグスティヌスの幻視』のお話し [キリスト教と美術]

今日は、「三位一体」の祭日です。
◯イタリア、フェラーラの画家であるガロファーロ(1481年~1559年)作の 『聖アウグスティヌスの幻視』(1518年頃)です。イギリス・ロンドン市にあるナショナル・ギャラリーの所蔵です。この絵は、アウグスティヌスが『三位一体論』の執筆中に幻視したことを描いています。絵をクリックすると大きくなります。
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この絵を説明をしますと、まず、左上に天上界が描かれ、天からは聖家族(聖母マリア様の後ろに聖ヨセフ様、膝の上に幼いイエス・イリスト)と天使達の奏楽隊が地上の様子を見守っています。そして、右側・下部に描かれている地上ですが、『三位一体論』を執筆しているアウグスティヌスの後ろに立っているのは、3世紀ごろの殉教者アレクサンドリアの聖カタリナです。彼女が手にしているナツメヤシの葉(シュロの葉)は殉教者の印で、聖カタリナのアトリビュートになっています。そして、幼児(の姿をしたイエス・キリスト)が砂浜に穴を掘り、柄杓(ひしゃく)で海水を汲み上げています。この絵のテーマである<聖ウグスティヌスの幻視>は、複数の画家によって描かれており、描き方の解釈が、執筆中ではなく散策中であったり、幼児が天使であったりして、描き方に少々違いがあります。

この場面ですが、アウグスティヌスは、幼児(の姿をしたイエス・キリスト)が砂浜に穴を掘り、柄杓(ひしゃく)で海水を汲み上げる姿を目撃し、それが無駄な努力であることを幼児に告げました。すると、幼児は、砂浜に掘られた小さな穴をアウグスティヌスに示し、「あなたが三位一体を理解するよりも、海の水を全部この柄杓で小さな穴に移し替えるほうがまだやさしい」と、人間の知力には限界があることをアウグスティヌスに諭しました。その時、アウスグスティヌスは「三位一体論」の神秘解明が、不可能であることを自覚するのでした。
「アレクサンドリアの聖カタリナ」の詳しいことについては、このブログの2021年11月25日に掲載しました「聖カタリナおとめ殉教者のお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-11-25

キリスト教の考えでは、人間の知性によって神の属性を知ることはできません。中世最大の神学者で哲学者であるトマス・アクィナスも、あるとき幻視を見てから「私が見た物に比べれば、これまでに考え書き記してきたことは塵のようなものだ」と言って、著述をやめてしまいました。アウグスティヌスは死ぬまで書物を書き続けましたが、彼の優れた知性をもってしても、神の属性を知ることはまったく不可能でした。
なお、「三位一体」の詳しい説明については、先ほどこのブログに掲載した「三位一体の祭日のお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-04
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カラヴァッジョの『ロザリオの聖母』のご紹介 [キリスト教と美術]

今月は「聖母月」ですが、今日31日が最終日です。
ご紹介する『ロザリオの聖母』は、私が大好きな画家であるカラヴァッジョ(イタリア・ミラノ:1571年~1610年)の作品です。本名は、ミケランジェロ・メリージです。ミラノの小さな村カラヴァッジョの生まれのため、カルヴァッジョの通称で呼ばれています。この作品は、カラヴァッジョがナポリにおいて製作したもので、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されています。
ロザリオの聖母 カラバッジョ (2).jpg
<解説>
中央上部に聖母子(聖母マリア様に抱かれた幼いイエス・キリスト)、その左側横に両手にロザリオを持った聖ドミニコ司祭、その足元に民衆がおり、右側のこちらを向いて聖母子を指さしているのがイエス・キリストの12使徒(弟子)の頭である聖ペトロだそうです。
聖母マリア様は、聖ドミニコ司祭に目配せしてロザリオを指差し、民衆に配るように指示しています。民衆は熱狂的に聖ドミニコ司祭にすがるように懇願し、神の恵みとともにこのロザリオを欲しているようです。それは信仰することを求めるということですね。民衆には幼いイエス・キリストと聖母マリア様は見えませんが、聖ドミニコ司祭には見えるのです。また、上から垂れている赤い生地は栄誉を表しているとのことです。
一番左側の聖ドミニコ司祭の足元に、頭の禿げた男性がこちらを向いていますが、これは寄進者だそうです。彼は聖ドミニコのマントの端を掴んでおり、このマントは庇護マントであり、こちらに向かって聖ドミニコの庇護マントに身を寄せることをこの絵を見る人々に勧めているようです。
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「装飾写本ハガキ」と『グーテンベルク42行聖書』のお話し [キリスト教と美術]

写真は、上野公園内にある国立西洋美術館で開催されている「憬の地 ブルターニュ展」を観に行かれた方からのお土産です。これは中世ヨーロッパのラテン語聖書・祈祷書から採った「彩飾写本ハガキ」ですね。装飾写本とも彩飾写本とも言います。
私がクリスチャンだからということでのお土産でした。国立西洋美術館で、2019年から2020年にかけて開催した「内藤コレクション写本展」で、展示された中から代表的な写本を国立西洋美術館が10種類の絵はがきのセットにしたものだそうです。
信徒でない方は、あまり興味がわかないかもしれませんし、このハガキでお便りをもらっても「これは何だろう?」とお思いになるでしょう。でもクリスチャンであれば、ヨーロッパの古い聖書や祈祷書にある装飾画や彩飾意匠であると気づきますね。
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………ということで、次に装飾写本に関係して、その装飾が施されている『グーテンベルク42行聖書(マルティン・ルターのドイツ語訳聖書)』のお話しをします。以前、このブログに掲載した記事を一部修正して再掲載いたします。写真は、私の自室に飾ってあるグーテンベルクの印刷機によって印刷した、マルティン・ルターの『ドイツ語訳42行聖書』の一葉です。もちろんレプリカです。
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宗教改革で有名なドイツのマルティン・ルターは、ザクセン選帝侯フリードリヒにかくまわれ、ヴァルトブルク城にいた時に新約聖書のドイツ語訳を完成し、1522年に印刷してドイツの民衆に広がりました。ルターは、ラテン語とギリシア語の原典から、当時のドイツの各地方の方言を取り入れながら翻訳しました。
◯『グーテンベルク42行聖書』のレプリカです。本物は、製作する時に最初に文字を印刷機で印刷し、刷り上がった紙面に装飾(彩飾)職人が筆を使って書き上げたそうです。
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この新約聖書は、15世紀にグーテンベルクによって改良された活版印刷機によって印刷されて広く普及して、宗教改革の民衆への広がりの一因となったそうです。また、このルター訳の聖書が普及することで、近代ドイツ語の統一が図られたとも言われています。この聖書の効果・影響は大きいものがあったのですね。
それまでは、ほとんどがラテン語の聖書でしたので、聖職者と一部の知識人しか聖書を読むことができませんでした。一般民衆はラテン語を読むことができないため、教会で聖書の朗読を聴くだけでした。余談ですが、このグーテンベルグによって印刷された『グーテンベルク42行聖書」』は、現在世界に48冊しかありません。その内の1冊は日本にあり、慶應義塾大学図書館に保管されています。

ルターのドイツ語訳新約聖書は、1522年9月21日に印刷を完了し、直ちに市場に販布されました。翻訳者、印刷者、出版者の名もなく、年月も記されずただ下方にヴィッテンベルクと市名が記されているだけでしたが、時が9月だったので、「9月聖書」と呼ばれました。定価は1グルテン半で、当時としては高価でしたが、大いに歓迎さて売り尽くし、すでに12月には再版が出ました。すごい!
その後もほぼ毎年、新版が印刷され、ルターの生存中に22版を重ねたそうです。なお、ルターは新約聖書のみならず、旧約聖書のドイツ語訳にも着手し、1532年には全部を訳し終え完成出版することができたそうです。
(マルティン・ルター/石原謙訳「キリスト者の自由・聖書への序言」岩波文庫から引用しました。)
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「フレスコ画『聖母子像』」に再会! [キリスト教と美術]

このブログの2021年10月16日に掲載した記事を再掲載いたします。
写真は、日本で初めてフレスコ画を描いたことで有名な日本画家の長谷川路可(はせがわ るか)画伯作のフレスコ画『聖母子像』です。カトリック喜多見教会の聖堂内にあったのですが、その喜多見教会が2013年に閉鎖され、カトリック成城教会に統合されるのに伴い、神奈川県大和市にある学校法人大和学園聖セシリア(聖セシリア幼稚園・小学校・中学校・高等学校・女子短期大学)に寄贈・移設されました。

私は、喜多見教会が閉鎖される直前に訪問したことがあり、その時に初めて拝観させていただきましたが、確か祭壇に向かって右側の壁にありました。聖セシリアの法人事務局の方に事前に許可をいただいて拝観させていただきました。久しぶりの再会となりました。修復して色彩がきれいになっていましたね。学校法人大和学園聖セシリアでは、このフレスコ画『聖母子像』を一般公開しています。ただし、要事前許可申請が必要です(2021年10月16日現在)。事務局の方には、お忙しいところご親切に、そしてご丁寧にご案内いただきました。
◯聖セシリア小学校の講堂「八角堂」の舞台背面に展示してありました。
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「フレスコ(英語: fresco)」とは、絵画技法の一つで、この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼びます。大昔から西洋の壁画などに使われています。フレスコの作製は、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描きます。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とし、逆に、乾くと水に浸けても滲まないことで保存に適した方法でした。なお、失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すことになりますΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン ヨーロパでルネサンス期に盛んに描かれました。有名なラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などがよく知られていますね。

【長谷川路可】
長谷川画伯の詳細については、独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所のホームページをご覧ください。https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9099.html
【聖セシリア中学校・高等学校】
カトリック精神にもとづいた教育を行っている学校法人大和学園聖セシリア:聖セシリア中学校・高等学校のことは、次のホームページをご覧ください。https://www.cecilia.ac.jp/index.html
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『聖アウグスティヌスの幻視』のお話し [キリスト教と美術]

イタリア、フェラーラの画家であるガロファーロ(1481年~1559年)作の 『聖アウグスティヌスの幻視』(1518年頃)です。イギリス・ロンドン市にあるナショナル・ギャラリーの所蔵です。この絵は、アウグスティヌスが『三位一体論』の執筆中に幻視したことを描いています。
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この絵を説明をしますと、まず、左上に天上界が描かれ、天からは聖家族(聖母マリア様の後ろに聖ヨセフ様、膝の上に幼いイエス・イリスト)と天使達の奏楽隊が地上の様子を見守っています。そして、右側・下部に描かれている地上ですが、『三位一体論』を執筆しているアウグスティヌスの後ろに立っているのは、3世紀ごろの殉教者アレクサンドリアの聖カタリナです。彼女が手にしているナツメヤシの葉(シュロの葉)は殉教者の印で、聖カタリナのアトリビュートになっています。そして、幼児(の姿をしたイエス・キリスト)が砂浜に穴を掘り、柄杓(ひしゃく)で海水を汲み上げています。この絵のテーマである<聖ウグスティヌスの幻視>は、複数の画家によって描かれており、描き方の解釈が、執筆中ではなく散策中であったり、幼児が天使であったりして、描き方に少々違いがあります。

この場面ですが、アウグスティヌスは、幼児(の姿をしたイエス・キリスト)が砂浜に穴を掘り、柄杓(ひしゃく)で海水を汲み上げる姿を目撃し、それが無駄な努力であることを幼児に告げました。すると、幼児は、砂浜に掘られた小さな穴をアウグスティヌスに示し、「あなたが三位一体を理解するよりも、海の水を全部この柄杓で小さな穴に移し替えるほうがまだやさしい」と、人間の知力には限界があることをアウグスティヌスに諭しました。その時、アウスグスティヌスは「三位一体論」の神秘解明が、不可能であることを自覚するのでした。
「アレクサンドリアの聖カタリナ」の詳しいことについては、このブログの2021年11月25日に掲載しました「聖カタリナおとめ殉教者のお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-11-25

キリスト教の考えでは、人間の知性によって神の属性を知ることはできません。中世最大の神学者で哲学者であるトマス・アクィナスも、あるとき幻視を見てから「私が見た物に比べれば、これまでに考え書き記してきたことは塵のようなものだ」と言って、著述をやめてしまいました。アウグスティヌスは死ぬまで書物を書き続けましたが、彼の優れた知性をもってしても、神の属性を知ることはまったく不可能でした。
なお、「三位一体」の詳しい説明については、このブログの2021年5月30日に掲載しました「三位一体の祭日のお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-05-30
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「フレスコ画『聖母子像』」再会! [キリスト教と美術]

日本で初めてフレスコ画を描いたことで有名な、日本画家の長谷川路可(はせがわ るか)画伯のフレスコ画『聖母子像』が、カトリック喜多見教会の聖堂内にあったのですが、その喜多見教会が2013年に閉鎖され、カトリック成城教会に統合されるのに伴い、神奈川県大和市にある学校法人大和学園聖セシリア(聖セシリア幼稚園・小学校・中学校・高等学校・女子短期大学)に寄贈・移設されました。私は、喜多見教会が閉鎖される直前に訪問したことがあり、その時に初めて拝観させていただきました(確か祭壇に向かって右側にありました)。今日は、聖セシリアの法人事務局の方に、事前に許可をいただき拝観させていただきましたが、修復して色彩がきれいになっていました。学校法人大和学園聖セシリアでは、このフレスコ画『聖母子像』を一般公開しています(要事前許可申請)。事務局の方には、お忙しいところご親切に、そしてご丁寧にご案内いただきました。感謝申し上げます。
聖セシリア小学校の「八角堂(講堂)」の舞台背面に展示してありました。
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「フレスコ(英語: fresco)」とは、絵画技法の一つで、この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼びます。大昔から西洋の壁画などに使われています。フレスコの作製は、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描きます。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とし、逆に、乾くと水に浸けても滲まないことで保存に適した方法でした。なお、失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すことになりますΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン ヨーロパでルネサンス期に盛んに描かれました。有名なラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などがよく知られていますね。

【長谷川路可】
長谷川画伯の詳細については、独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所のホームページをご覧ください。https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9099.html
【聖セシリア中学校・高等学校】
カトリック精神にもとづいた教育を行っている学校法人大和学園聖セシリア:聖セシリア中学校・高等学校のことは、次のホームページをご覧ください。https://www.cecilia.ac.jp/index.html
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「親指のマリア」ミニ・レプリカの額装 [キリスト教と美術]

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今日で3日連続して「親指のマリア」の関連記事となりますが、今日はミニ・レプリカの額装のご紹介となります。「親指のマリア」の詳しいことは、このブログの3月12日の「親指のマリア(親指の聖母)のお話し」をご覧ください。一昨年の秋に、フランシスコ教皇が来日した際、合資会社 俵屋工房さんが記念品として作製・販売したものです。ミサ・レプリカですが、原画を忠実に写しています。
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「親指のマリア」のご絵 [キリスト教と美術]

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一昨年、四ツ谷にあるキリスト教専門書籍・カトリック教会聖品専門店の「サンパウロ」で買い求めた「親指のマリア」のご絵です。もちろん複写プリントです。額に入れて飾らずに放置していました( ̄◇ ̄;) カルロ・ドルチ作の「悲しみの聖母」に酷似しています。ドルチは、聖母画を類似したポーズで何作も描いていますから、この絵の原画を観てみたいですね。「親指のマリア」については、昨日このブログに詳しく書きましたのでお読みください。
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「親指のマリア(親指の聖母)」のお話し [キリスト教と美術]

今日は、「親指のマリア(親指の聖母)」のお話しです。読売新聞の2月28日(日)の日曜版に「聖母像(親指のマリア)」の記事が掲載されていましたのでご紹介いたします。その前に、まずはこの絵を携えて宣教のために日本に侵入し、長崎奉行所に捕縛されたイタリアの司祭シドッチ神父をご紹介いたします。

ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチ(シドッティ)(イタリア:1668年〜1714年)は、イタリア人のカトリック教会の司祭です。江戸時代中期に日本へ潜入して捕らえられ、その死まで江戸で幽閉されました。その時の幕政の実力者である新井白石は、シドッチとの対話をもとに『西洋紀聞』などを著しています。このお話しは社会科(日本史)の授業で習いましたからご存じですよね( ̄▽ ̄;)
長崎奉行所に捕らえられた後、江戸にあった小石川の「切支丹屋敷」に収容され、宣教をしてはならないという条件で、拷問を受けないことはもちろん、囚人としての扱いを受けることもなく、二十両五人扶持という破格の待遇で軟禁されました。屋敷では、シドッチの監視役で身の回りの世話係であったのは長助・はるという老夫婦でした。彼らは切支丹の親を持ち、親が処刑されたため、子供のころから切支丹屋敷で働いて過ごしていたのでした。しかし、ある日、2人は木の十字架をつけていることを役人により発見され、シドッチに感化され洗礼を受けたと告白したため、シドッチは2名とともに屋敷内の地下牢に移され、その10ヶ月後の1714年(正徳4年)10月21日に46歳で衰弱死し、カトリック教会の司祭としては、日本における最後の殉教者となりました。

写真は読売新聞の2月28日(日)の日曜版にあった「聖母像(親指のマリア)」の記事です。
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次の写真は、シドッチの所持品であったカルロ・ドルチ作といわれる聖母の絵です。濃紺のマントから親指が覗いていますので、通称「親指のマリア(親指の聖母)」と呼ばれています。ドルチの作かの確証はありませんが、明らかにドルチの作風と認められます。現在は東京国立博物館に所蔵され、重要文化財に指定されています。これは、シドッチが捉えられて長崎奉行所で尋問を受けた時に没収され、長崎奉行所できちんと保管されていたからこそ残ったのですね。
このブログの2019年7月18日に「悲しみの聖母のお話し」として、国立西洋美術館に所蔵されている正真正銘のカルロ・ドルチの作品「悲しみの聖母」を掲載していますのでご覧ください。とっても「親指のマリア(親指の聖母)」とよく似ています!https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-07-18
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次の写真は、カトリック碑文谷教会(通称「サレジオ教会」)の大聖堂祭壇正面右側にある小祭壇上に掲げられた「親指のマリア」のレプリカ(円内中央にある小さな額絵)です。碑文谷教会は「江戸のサンタマリア」に捧げられた教会です。それは、シドッチ神父が、イタリアから持ってこられた「親指のマリア」をその聖母に因んで「江戸のサンタマリア」に捧げられることになったからだそうです。
碑文谷教会は通称「サレジオ教会」と呼ばれているように、カトリック東京大司教区から修道会のサレジオ会に委託された教会です。サレジオ会は19世紀にイタリアの司祭であった聖ヨハネ・ボスコによって設立されました。東京都では調布教会や下井草教会なども同じくサレジオ教会です。
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ちなみに、7年前の2014年に切支丹屋敷跡地を調査のため発掘したところ、3体の人骨が発掘されました。国立科学博物館などの調査によって、1体はシドッチ、残りの2体の人骨は、1人は日本人、もう1人はDNAが残っていなかったため、分析不能という結果が2016年4月に公表されました。国立科学博物館では、発掘された遺骨をもとにシドッチの頭部の復元像(写真)を制作し、2016年11月8日に公開されました。
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