教会日記2023.8.6(カトリック相模原教会「主の変容の祝日のミサ」日曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック相模原教会で、7時からの「主の変容の祝日のミサ」に与りました。相模原教会でミサに与るのは、6月25日(日)の7時からの主日のミサ以来となります。なお、「主の変容」については、先ほどこのブログに掲載した「主の変容のお話し」をお読みください。今日も暑い日になりそうてますね。熱中症にならないように、こまめな水分補給をしましょう!

また、今日から「日本カトリック平日旬間」が始まりましたので、昨日のこのブログの教会日記に掲載した記事を再掲載いたします。
「カトリック中央協議会では、「2023年平和旬間・人間のいのちの尊厳を守るものは」と題して、日本カトリック司教協議会会長から談話が発表されています。次のカトリック中央協議会のホームページをご覧いただき是非お読みください。
◯2023年平和旬間 日本カトリック司教協議会会長談話
<人間のいのちの尊厳を守るものは>
https://www.cbcj.catholic.jp/2023/07/20/27410/
【平和旬間】(カトリック中央協議会のホームページから)
1981年2月23日~26日、教皇ヨハネ・パウロ二世は「平和の使者」として日本を訪問し、多くの人々に喜びと希望を与えました。特に広島では、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われ、日本国内外に平和メッセージを発信しました。戦争を振り返り、平和を思うとき、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動でなければなりません。
そこで日本のカトリック教会は、その翌年(1982年)、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました。毎年の平和旬間にあたり、そのための談話が発表されます。これ読んでいただき、ともに平和を祈り、平和を考え、平和について語り、平和のために行動する機会になることを願っています。
この「平和旬間」に広島教区と長崎教区では、全国から司教をはじめとして多くの信徒が集まり、「平和祈願ミサ」がささげられます。また各教区でも、平和祈願ミサや平和行進、平和を主題とした映画会、講演会、研修会、平和を求める署名などが行われます。
わたしたちが望む平和とはまだまだ程遠い状況ではありますが、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の思いを新たにし、その心を心とするためにも各教区・地区で行われます平和祈願ミサや様々な行事に参加することをお勧めします。」
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「主の変容」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日8月6日は、「主の変容(しゅのへんよう)」の祝日です。
「主の変容」とは、新約聖書の福音書に記述された、イエス・キリストが弟子(使徒)であるペトロ、ヨハネと、大ヤコブの3人を伴い、高い山に登って旧約聖書に出てくる預言者のモーセとエリヤと語り合いながら、白く光り輝く姿を弟子たちに示したと聖書に記された出来事のことです。
高い山とは、「タボル山」」と伝承されていますが、聖書には山の名についての記載はありません。山において、イエス・キリストは、旧約時代の大預言者とともに語り合いながら光り輝く姿を弟子達に見せたと伝えられており、教会では、この世的な意味でのキリストの勝利(イスラエルの解放)を願う弟子達に対し、自らの受難を予言し続けたキリストが、これから受ける苦難に際して信仰し続ける希望を与えるためにこの奇蹟を行ったと伝えられています。

◯ラファエロ作の「キリストの変容」1520年の作品です。バチカン美術館所蔵。ラファエロ・サンティ(イタリア:1483年〜1520年)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家で建築家です。ラファエロの作品は、その明確さと分かりやすい構成とともに、雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されており、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれています。
主の変容2.jpg
<作品の説明>
上部は伝説のタボル山でのキリストの変容を中心に右がモーセ、左がエリヤ。その下に横たわって目を蔽うているのは弟子(使徒)の3人で、左から大ヤコブ、ペトロ、ヨハネです。左端の二人は、この絵を依頼したメディチ家が支援する司祭と肖像画家のユスゥトス。下部の左側はキリストの使徒たち九人、右側は悪霊につかれた息子と父母や家族・親族たちのグループの九人。画面手前の婦人は母の妹と思われます。彼女は両手で男の子を指し、アンデレと若いフィリポに話しかけ、甥の癒しを求めているようです。弟子たちは癒すことが出来ず当惑し、キリストによる癒しを待ち望んでいます。(ここのところの描写は聖書に書かれています。)息子は変容のキリストを見上げ、キリストにより悪霊から解放された瞬間を表現しています。右手で息子を指さしているのはタダイ、彼の左は 熱心党のシモンです。奥の左端はユダ、その右がアルファイの子ヤコブ。左手前の本を持っているのがマタイです。キリストを指さすのはバルトロマイ?マタイの後はトマス?と思われます。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第17章・第1~第9節
「六日の後、イエスはペトロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、 高い山にお登りになった。 その時、彼らの見ている前でイエスの姿が変わった。 顔は太陽のように輝き、衣は光のように白く光った。すると、彼らの前にモーセとエリヤが現れて、イエスと語り合っていた。 ペトロが口を挟んで、イエスに言った。 「主よ、わたしたちがここにいるのは、素晴らしいことです。 お望みなら、わたしはここに三つの仮の庵を造りましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのために。」 ペトロがまだ言い終わらないうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。 すると、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け」。 弟子たちはこれを聞いて倒れ伏し、非常に恐れた。 イエスは近づいて、彼らに触れて仰せになった。「起きなさい。恐れることはない。」 彼らが目を上げてみると、イエスのほかには、誰も見当たらなかった。
一同が山を下りるとき、 イエスは彼らにお命じになった。「人の子が死者の中から復活するまでは、 今、見たことを誰にも話してはならない。」
『原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
「主の変容」は、次の福音書にも記載されています。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第9章・第2~第8節
◯新約聖書:ルカによる福音書・第9章・第28~第36節
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