今日の日記2024.3.31(端麗 ずわい蟹そば!) [日記]

先日、経堂の農大通り商店街にある「中華そば 勢(いきおい)」で、「特製ずわい蟹そば」を食べました。名前のとおり、ずわい蟹の出汁と身が入ったラーメンです。蟹の出汁スープが美味い!これに胡椒とかラーユは禁物です。せっかくのずわい蟹の出汁の風味が台無しになってしまいます。麺は細めんで、スープはあっさりして美味い!替え玉もできる!
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2024年3月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今月は31日間ある中の27日間(87.0%)を1つの教会・修道院に27回訪問し、26回ミサに与って26回ご聖体を拝領させていただきました。なお、ホームレス支援活動(山谷夜回りの会)は欠席しました。
四旬節、復活祭(イースター)が終わると同時に、私の65歳定年退職を迎えて学校法人国士舘での勤続42年が終了しました。昭和53年に入職して以来42年間、思い起こせば非常に感慨深いものがありますが、これからは、新たな大いなる希望と期待に胸を弾ませ、より一層信仰生活を深め、祈りと善き行いに励んでまいります!今後とも、このブログ「今日の言葉<愛と赦し・私の信仰宣言>」をよろしくお願い申し上げます!
◯3月の教会奉仕・社会奉仕活動
1.主日のミサ
  祭壇奉仕 3回(侍者)
  奉納奉仕 1回 
  聖歌奉仕 1回(聖歌隊:原則土曜日担当)
2.平日のミサ
  先唱奉仕  3回(毎月初金を除く金曜日担当)  
  朗読奉仕  1回(毎月第三月曜日担当)
3.社会奉仕  0回(ホームレス支援活動:第一木曜欠席・第三木曜欠席)

1日(金)成城教会:四旬節第二金曜日・初金のミサ・10時から
2日(土)成城教会②:四旬節第三主日のミサ・18時から(祭壇奉仕)
3日(日)………
4日(月)成城教会③:四旬節第三月曜日のミサ・7時から
5日(火)成城教会④:四旬節第三火曜日のミサ・7時から
6日(水)成城教会⑤:四旬節第三水曜日のミサ・7時から
7日(木)成城教会⑥:四旬節第三木曜日のミサ・7時から
8日(金)成城教会⑦:四旬節第三金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
9日(土)………
10日(日)成城教会⑧:四旬節第四主日のミサ・8時から(奉納奉仕)
11日(月)成城教会⑨:四旬節第四月曜日のミサ・7時から
12日(火)成城教会⑩:四旬節第四火曜日のミサ・7時から
13日(水)成城教会⑪:四旬節第四水曜日のミサ・7時から
14日(木)成城教会⑫:四旬節第四木曜日のミサ・7時から
15日(金)成城教会⑬:四旬節第四金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
16日(土)成城教会⑭:四旬節第五月主日のミサ・18時から
17日(日)………
18日(月)成城教会⑮:四旬節第五月曜日のミサ・7時から(朗読奉仕)
19日(火)成城教会⑯:聖ヨセフの祭日のミサ・7時から
20日(水)………
21日(木)成城教会⑱:四旬節第五木曜日のミサ・7時から
22日(金)成城教会⑲:四旬節第五金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
23日(土)成城教会⑳:受難の主日・枝の主日のミサ・18時から
24日(日)成城教会㉑:聖歌奉仕練習(3月30日)・11時から
25日(月)成城教会㉒:受難の月曜日のミサ・7時から
26日(火)成城教会㉓:受難の火曜日のミサ・7時から
27日(水)成城教会㉔:受難の水曜日のミサ・7時から
28日(木)成城教会㉕:主の聖なる過越の3日間・聖木曜日・主の晩餐のミサ・19時から(祭壇奉仕)
29日(金)成城教会㉖:聖金曜日・主の受難の・19時から(祭壇奉仕)
30日(土)成城教会㉗:復活の主日・復活の聖なる徹夜祭のミサ・18時から(聖歌奉仕)
31日(日)………
以上です。
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典礼聖歌集第352番「聖霊の続唱」のお話し [聖歌日記]

今日3月31日の「復活の主日」と、その後の復活節最終日にあたる5月19日の「聖霊降臨の主日」で、両日とも「続唱(ぞくしょう)」が歌われます。この続唱についてカトリック中央協議会のホームページから説明文を引用いたします。

「復活の主日と聖霊降臨の主日のミサでは、アレルヤ唱の前に続唱が歌われます。続唱とはラテン語の「セクエンツィア(Sequentia)」の訳で、「連続」、「続き」という意味です。中世のころ、アレルヤ唱の「アレルヤ(Alleluia)」の最後の「ヤ(ia)」の母音aに、装飾的な旋律が付けられるようになりました。9世紀以降、装飾的に音符が続く部分に後から歌詞を当てはめ、後にこの部分のみがアレルヤ唱から独立して「続唱」として歌われるようになったといわれます。かつてはアレルヤ唱に続けて歌われましたが、現在はアレルヤ唱と福音朗読の結びつきを重視して、アレルヤ唱の前に歌うことになっています。

復活の主日のミサでは、復活の続唱(Victimae paschali laudes)を歌います。この続唱は、ブルグンドのヴィポ(Wipo Bulgundus、10世紀末~1050年ごろ)によって11世紀初めに作られたといわれます。復活の続唱は、復活の月曜日から復活節第2主日までのミサでも任意で歌うことができます。
聖霊降臨の主日のミサでは、「聖霊の続唱(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス:Veni, Sancte Spiritus)」を歌います。この続唱は「黄金の続唱」とも呼ばれる代表的な続唱です。作者に関しては諸説がありますが、イギリスのカンタベリー大司教であったステファヌス・ラングトン(Stephanus Langton、1155年頃~1228年)とする説が有力です。」とあります

今日は、「聖霊の続唱」について書いてみました。まず、典礼聖歌集352番「聖霊の続唱」の歌詞を見てみましょう。この歌詞は、聖霊降臨を願う祈りの祈祷文でもあります。
「聖霊来てください。
あなたの光の輝きで、
わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。
アレルヤ。」

前述した説明文にありましたように、続唱(セクエンツィア:Sequentia) は、アレルヤ唱(Alleruia)に続けて歌われるため、"Sequentia" はラテン語の “sequor"「〜に続く」という言葉が由来になっています。現在はアレルヤ唱の前に歌われます。9世紀から15世紀にかけて多くの曲が作られましたが、16世紀半ばのトリエント公会議で4つの曲を残して廃止されたそうです。その後、1727年に聖母マリアの祝日の「悲しみの聖母」が追加され、次の5曲が公認の曲になりました。
5つの続唱(セクエンツィア:Sequentia)
1.「復活のいけにえに」:復活祭
"Victimae paschali laudes"
2.「来たりたまえ聖霊」:聖霊降臨祭
“Veni Sancte Spiritus"
3.「シオンよ汝の救い主を讃えよ」:聖体の祝日
“Lauda Sion"
4.「怒りの日」:レクイエム
“Dies irae"
5.「悲しみの聖母」:聖母マリアの祝日
“Stabat Mater"

聖霊降臨の主日に歌うのは典礼聖歌の「聖霊の続唱」です。この聖霊の続唱の旋律は、なんとなくグレゴリオ聖歌の"Veni Sancte Spiritus"の旋律を感じることができます。作曲した方が「グレゴリオ聖歌の旋律を遠く思い起こして」作曲されたそうです。典礼聖歌の「聖霊の続唱」は日本語、"Veni Sancte Spiritus"はラテン語ですが、の歌詞の内容はほぼ同じです。
◯ 『聖霊来たりたまえ(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス:Veni Sancte Spiritus)』
[A]
Veni, Sancte Spiritus, 聖霊来たり給え
Et emitte coelitus 天より御光の輝きを放ち給え
Lucis tuae radium.
Veni, Pater pauperum,  貧しき者の父、
Veni, dator munerum, 恵みの与え主、
Veni, lumen cordium. 心の光にます御者来たり給え。

[B]
Consolator optime, いと優れたる慰め主、
Dulcis hospes animae,  霊魂の甘美なる友、
Dulce refrigerium: 心の和やかなる楽しみ。
In labore requies, 疲れたる時の憩い、
In aestu temperies, 暑き時の涼しさ、
In fletu solatium. 憂うる時の慰め。

[C]
O lux beatissima, 至って幸いなる光よ、
Reple cordis intima, 主を信じる者の心に来たり満ち給え。
Tuorum fidelium. 
Sine tuo numine, 主の御助けあるにあらざれば、
Nihil est in homine, 人には罪ならざる所なからん
Nihil est innoxium,

[D]
Lava quod est sordidum, 乞い願わくば汚れたるを清め、
Riga quod est aridum, 乾けるを潤し、
Sana quod est saucium. 傷つけられたるを癒し給え。
Flecte quod est rigidum, 固きを和らげ、
Fove quod est frigidum, 冷えたるを暖め、
Rege quod est devium. 曲がれるを直くし給え。

[E]
Da tuis fidelibus, 主を頼む信者に
In te confidentibus,
Sacrum septenarium. 神聖なる七つの賜を施し給え。
Da virtutis meritum, 善徳の功を積み、
Da salutis exitum, 救霊の彼岸に至り、
Da perenne gaudium. 永遠に喜ぶを得しめ給え。

[F]
Amen, アーメン、
Alleluia.  アレルヤ。
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カトリック成城・聖タデオ教会・聖タデオ聖歌隊を隊退! [聖歌日記]

本日3月30日付けで、聖タデオ聖歌隊を隊退いたしました。
理由は、主日のミサにおける祭壇奉仕(侍者)や朗読奉仕など、ミサ中における司式に係る奉仕活動に専念するためです。元々聖歌を歌うことは大好きで、そのために聖歌隊に入隊したわけですから聖歌奉仕が嫌になったとかではなく、「よりミサに与る本質に迫りたい。」からです。ミサの本質に迫るには、集中してミサ中の司式に係る奉仕活動を務めるのが最適だと思うのです。

そういう意味では、聖歌奉仕も同じことが言えると思うのですが、ただ、聖歌奉仕を務めることは、どうしても歌うことに集中するため、ミサ全体の司式にしたがって行われる祈り、応唱や各々の所作を集中して行うことができないからです。いわゆる「ミサに与る」という意味、聖堂全体の中で行われるミサに自らが参画する、参与するなどの本質に迫ることができないからです。

司祭(神父)や助祭ではないわけですから、信徒の立場でできることには限界があるわけですが、それでもできる限り継続した奉仕を務め、「よりミサに与る本質に迫りたい。」という思いを実現させていきたいと思います。新約聖書のマタイによる福音書・第18章・第20節に「二人また、三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいる。」との聖句があります。ミサに、主イエス・キリストが臨在していると実感することのできる信徒になりたいものですね。
※聖句の引用は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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教会日記2023.3.30(カトリック成城・聖タデオ教会「聖土曜日・復活の主日・聖なる復活の徹夜祭のミサ」土曜日) [教会日記]

今夜は、カトリック成城・聖タデオ教会で、18時からの「主の過越しの聖なる3日間」の第3目「復活の主日・聖なる復活の徹夜祭のミサ」に与りました。大聖堂と信徒館を合わせて約400?人くらいは集まっていたと思います。
今夜からイエス・キリストがお墓に葬られた後の大安息日で、イエス・キリストの受難と死をしのんで復活の準備をする日です。復活徹夜祭の典礼は、会衆(信徒)全員がローソクを持って行われる第一部「光の祭儀」、そして第二部「ことばの典礼」、第三部「洗礼と堅信」、第四部「感謝の典礼」の4つで構成されました。特徴としては、典礼の中で「洗礼の儀(洗礼式)」が行われ、これは約2,000年前のキリスト教初代教会時代からの伝統になっています。「復活の主日・聖なる復活の徹夜祭のミサ」の詳しいことは、このブログの今朝の記事に書きましたのでお読みください。

「復活の聖なる徹夜祭」は、
第一部「光の祭儀」で火の祝福と任意ですがローソクの祝福が行われます。典礼聖歌341番「キリストの光」を歌いながら司祭を先頭にして会衆が行列して入堂しました………と書きたいところですが、何年かぶりにローソクは復活しましたが、ただ、ローソクを全会衆席に置いて、全員その席のままでローソクに点灯できるようになっていました。ですからローソク行列入堂はありませんでした。
第二部は「ことばの典礼」で、毎年、旧約聖書から第一朗読として「創世記」を朗読、第三朗読で「出エジプト記」を朗読、第七朗読で「エゼキエルの予言」を朗読し、続いて新約聖書から「使徒パウロのローマの教会への手紙」が朗読されました。福音朗読は、今年はB年ですから「マルコによる福音書」の朗読でした。

◯新約聖書:マルコによる福音書・第16章・第1~第7節
「さて、安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、そしてサロメは香料を買った。それは、イエスに油を塗りに行くためであった。そして週の第一日の朝早く、陽が昇るとすぐ、墓に行った。彼女たちは、「墓の入り口からあの石を転がしてくれる人が、誰かいるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石はすでに脇へ転がしてあった。それは非常に大きな石であった。墓の中に入った彼女らは、右手のほうに真っ白な長い衣をまとった若者が座っているのを見て、非常に驚いた。すると若者は言った、「驚くことはありません。あなた方は十字架につけられたイエスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。復活されたのです。御覧なさい、ここがお納めした場所です。さあ行って、弟子たちに、特にペトロに言いなさい。「あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれます。かねて言っておられたとおり、そこで、あなた方はあの方に会えるでしょう」。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

第三部「洗礼式の儀」では、洗礼志願者3人が受洗しました。連願(諸聖人の取り次ぎを願う歌)が歌われ、洗礼志願者に①水の祝福、②③悪霊の拒否、④信仰宣言(続いて洗礼が行われます)、⑤聖香油の塗油、⑥白衣の授与、⑦ろうそくの授与、⑧洗礼名の授与となります。続いて「堅信の儀」となり、①按手、②塗油となります。そして会衆(信徒)全員に対して「洗礼の約束の更新」が行われ、①信仰宣言、②聖水の撒布がありました。また、洗礼式の前にプロテスタント教会からカトリック教会に転会した方に、入会の式が行われました。

◯典礼では、聖歌奉仕で世界に誇る成城教会の聖タデオ聖歌隊から精鋭8人一組で担当しました!歌った聖歌は次のとおりです。ちなみに、聖歌隊の他の組も精鋭です!(*^▽^*)
1.入祭の歌<光の祭儀>
典礼聖歌集第341番「キリストの光」
典礼聖歌集第342番「復活賛歌」
2.いつくしみと栄光の賛歌
典礼聖歌集第46番「神のそそがれる目は」②④
典礼聖歌集第79番「神よあなたはわたしの力」①②③
典礼聖歌集第7番「あなたのいぶうきをうけて」①③
栄光の賛歌612番
3.アレルヤ唱
典礼聖歌集第12番「アレルヤ」①②③
4.洗礼式
典礼聖歌集第343番「諸聖人の連願(新口語版)」
.洗礼の約束の更新後
典礼聖歌集第96番「この水を受けた」
5.奉納の歌
典礼聖歌集第143番「たて琴をかなで」
6.感謝の賛歌613番
7.平和の賛歌614番
8.拝領の歌
典礼聖歌集第165番「喜びに心をはずませ」
9.拝領後の歌
典礼聖歌集第410番「よろびうたえアレルヤ」

私は、2012年4月7日(土)に行われた「復活の聖なる徹夜祭」で、カトリック町田教会の当時の主任司祭であった小池亮太神父様から洗礼を授けてもらい、すでに12年が経ちました。キリスト者(クリスチャン)となって12年が経ったということですね。これからも、主であるイエス・キリストの教えにしたがい、「隣人への愛と赦し」の教えを実践してまいります。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共にありますように。アーメン
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「聖土曜日・復活の主日・聖なる復活の徹夜祭」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日3月30日(土)は、「主の過越しの聖なる3日間」の三日目「聖土曜日・復活の主日・聖なる復活の徹夜祭」です。日没後からイエス・キリストがお墓に葬られた後の大安息日で、イエス・キリストの受難と死をしのんで復活の準備をする日です。復活徹夜祭の典礼は、会衆(信徒)全員がローソクを持って行われる第一部「光の祭儀」、そして第二部「ことばの典礼」、第三部「洗礼と堅信」、第四部「感謝の典礼」の4つで構成されます。特徴としては、典礼の中で「洗礼の儀(洗礼式)」が行われることですが、これは約2,000年前のキリスト教初代教会時代からの伝統になっています。ちなみに、今夜は成城教会が誇る教会所属の聖タデオ聖歌隊で、最後の聖歌奉仕を務めます!(3月31日付けで聖歌隊を隊退します。)

◯次の絵《キリストの復活》は、イタリアの画家ピエロ・デラ・フランチェスカによって制作された作品です。制作年は1463年から1465年で、現在、イタリアのサンセポルクロ市立美術館に所蔵されています。
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「復活の聖なる徹夜祭」は、第一部「光の祭儀」で火の祝福と任意ですがローソクの祝福が行われます。典礼聖歌341番「キリストの光」を歌いながら行列して入堂します。ただ、この2年はコロナ渦にありましたから中止していました。最近はコロナ渦が収まってきてマスクが自由になりましたから、ローソクを持って行列での入堂を行う教会もあるのではないでしょうか。
第二部は「ことばの典礼」で、毎年、旧約聖書から第一朗読として「創世記」をが朗読、第三朗読で「出エジプト記」を朗読、第七朗読で「エゼキエルの予言」を朗読し、続いて新約聖書から「使徒パウロのローマの教会への手紙」が朗読されました。福音朗読は、今年はB年ですから「マルコによる福音書」の朗読です。

◯新約聖書:マルコによる福音書・第16章・第1~第7節
<復活の朝>
「さて安息日が終わり、週の第一日が明け初めるころ、マグダラのマリアと、もう一人のアリアが墓を見に来た。すると突然、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降って石に近づき、石を脇へ転がして、その上に座ったからである。その姿は稲妻のように輝き、その衣は雪のように白かった。見張りの者たっちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。み使いは婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜してるのでろうが、その方は、ここにはおられない。かねて仰せになったとおり、復活された。さあ、入って納められていた場所を見るがよい。そして、急いて行って、弟子たちにこう伝えなさい。『イエスは死者の中から復活された。あなた方よりも先にガリラヤに行かれる。あなた方はそこでイエスにお会いできる。』これが、あなた方に伝えることです」。婦人たちは大喜びで、急いで墓を立ち去っると、弟子たちに知らせるために走っていった。すると、イエスが彼女らの行く手に立っておられ、「おはよう」と声をかけられた。彼女たちは近寄って、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。すると、イエスは仰せになった、「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くよう告げ知らせなさい。そこでわたしに会える。」 
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

「洗礼式の儀」は、教会によって式次順に多少の違いがありますが、一般的にはまず①洗礼志願者の紹介、②連願(諸聖人の取り次ぎを願う歌)、③水の祝福、④悪霊の拒否、⑤信仰宣言(続いて洗礼が行われます)、⑥聖香油の塗油、⑦白衣の授与、⑧ろうそくの授与、⑨洗礼名の授与となります。続いて「堅信の儀」となり、①按手、②塗油となります。そして会衆(信徒)全員に対して「洗礼の約束の更新」が行われ、①信仰宣言、②聖水の撒布があります。

私は、2012年4月7日(土)に行われた「復活の聖なる徹夜祭」で、カトリック町田教会の当時の主任司祭であった小池亮太神父さまから洗礼を授けてもらい、すでに12年が経ちました。キリスト者(クリスチャン)となって12年が経ったということですね。これからも、主であるイエス・キリストの教えにしたがい、「隣人への愛と赦し」の教えを実践してまいります。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共にありますように。アーメン
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教会日記2023.3.29(カトリック成城・聖タデオ教会「聖金曜日・主の受難の典礼」金曜日) [教会日記]

今日は、「主の過越しの聖なる3日間」の2日目「聖金曜日・主の受難の典礼」に与りました。なお、ミサではありません。「聖金曜日・主の過越しの晩餐(ばんさん)の夕べのミサ」の詳しいことは、このブログの今朝の記事に書きましたのでお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-04-07

夕べに行われる典礼では、感謝の祭儀(ミサ)は行われず、代わりに「十字架の崇敬」で、復活への希望のうちに十字架の勝利を賛美します。また、この日の典礼の最大の特徴は、4月10日(日)の「枝の主日」と同様に、第一部として、司祭(神父様)と複数の朗読者、さらには会衆全員の参加による「イエスの受難の朗読」が行われることです。朗読は通常、『ヨハネによる福音書』からとられています。通常は、イエス・キリスト役は司祭(神父様)、ローマ帝国の総督ポンティオ・ピラト役は信徒から1人、群集役は信徒全員、語り手は信徒から1人です。悲しくも感激のある朗読となりました。その後に、「盛式共同祈願」があり、例年ですと10ある祈願文からいくつかを祈願しますが、今日は、能登半島地震被災者のため、ミャンマーやウクライナでの紛争・戦争が終わって平和が訪れますようになどの祈願がありました。
そして、第二部として「十字架の礼拝」が行われます。司祭(神父様)が「見よ!キリストの十字架 世の救い」と言って、信徒が応唱します。これを3回繰り返します。そして、一人ずつ「十字架の礼拝」を行い、全員が礼拝が終わるとご聖体の拝領があり、典礼は終わります。(多少、教会によって違いがあります)

<新約聖書の福音書の「磔刑(たっけい:十字架の刑)」の場面の記載>
次の4つの福音書の聖句は、『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から引用しています。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第27章・第35~第38節
「兵士たちはイエスを十字架につけると、くじを引いてその衣を分け、そこに座って見張りをしていた。また、彼らはイエスの頭の上に、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きを掲げた。その後、二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、イエスとともに十字架につけられた。」

◯新約聖書:マルコによる福音書・第15章・第22~第27節
「こうして、彼らはイエスをゴルゴタ――その意味は「髑髏(されこうべ)の場所」――という所へ連れて行った。そして、兵士たちは没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに飲ませようとした。イエスはお受けにならなかった。 それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、誰がどれを取るかをくじで決めて、その衣を分けた。さて、イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、兵士たちはイエスとともに二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。」

◯新約聖書:ルカによる福音書・第23章・第32~第33節
「ほかにも二人の犯罪者が、イエスとともに死刑に処されるために、引かれて行った。さて、「髑髏(されこうべ)」と呼ばれている所に着くと、兵士たちはイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人はイエスの右に、一人は左に十字架につけた。」

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第17~第19節
「イエスは、自ら十字架を担い、「髑髏(されこうべ)の場所」――ヘブライ語で「ゴルゴタ」という所へ向かって出て行かれた。その場所で。人々はイエスを十字架につけた。また、ほかの二人をも、イエスを真ん中にして、その右と左に一緒に十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上につけさせた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。」

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今日の日記2024.3.28(辞令「退職」!) [日記]

本日、退職辞令が出ました。
学校法人国士舘専任職員勤続42年、
最終職位は財務部長で定年退職です。
感無量です!
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財務部からとっても綺麗な花束をいただき、皆さんに見送らせて職場を後にしました!最後の挨拶で不覚にも号泣してしまいました!………だからやめてって言ったのに(⌒-⌒; ) 花束は小田急線の中で撮影しました。もうこれからは満員電車に乗らずにすみます!
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「聖金曜日・主の受難の典礼」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日3月29日(金)は、「主の過越しの聖なる3日間」の二日目「聖金曜日」です。夜に「主の受難の典礼」が行われます。私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会では、19時から「主の受難の典礼」があります。昨日に引き続き祭壇奉仕(侍者)を務めます。ちなみに、成城教会の守護聖人である使徒聖タデオは、日本語訳聖書にタダイと訳されていますが、タダイのラテン語訳がタデオです。

◯有名なルーベンスの「キリストの磔刑(たっけい:十字架の刑)」です。右下の黒い?紺色?のマントを着た悲しみのあまり今にも崩れ落ちそうな女性は、聖母マリアさまです。その身体を支えている赤いマントを着た男性は使徒のヨハネです。
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「聖金曜日」は言うまでもなく、イエス・キリストの受難と十字架上の死を記念する日です。イエス・キリストは、この日の午後3時ごろ息を引きとったとされ、その受難と死をしのび、過越しの聖なる断食が守られます。現在の断食は「大斎」と言って一日中まったく何も食べないというものではなく、1食は十分に食べて後の2食は軽く済ますというものです。「大斎・小斎」の意味は、このブログの「教会日記2024.2.14(カトリック成城・聖タデオ教会 灰の水曜日のミサ・灰の式 水曜日)」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2024-02-14-3

夕べに行われる典礼では、感謝の祭儀(ミサ)は行われず、代わりに「十字架の崇敬」で、復活への希望のうちに十字架の勝利を賛美します。また、この日の典礼の最大の特徴は、3月24日(日)の「枝の主日」と同様に、第一部として、司祭(神父様)と複数の朗読者、さらには会衆全員の参加による「イエスの受難の朗読」が行われることです。朗読は通常、『ヨハネによる福音書』からとられています。通常は、イエス・キリスト役は司祭(神父様)、ローマ帝国の総督ポンティオ・ピラト役は信徒から1人、群集役は信徒全員、語り手は信徒から1人ですが、コロナ渦以後は朗読文(聖句)はそのままで、役は司祭と朗読担当者(信徒)で行われると思います。悲しくも感激のある朗読となります。その後に、「盛式共同祈願」があり、10ある祈願文からいくつかを祈願します。
そして、第二部として「十字架の礼拝」が行われます。司祭(神父様)が「見よ!キリストの十字架 世の救い」と言って、信徒が応唱します。これを3回繰り返します。そして、一人ずつ「十字架の礼拝(崇敬)」を行い、全員が礼拝が終わると(教会によっては、昨夜の聖木曜日「主の晩餐の夕べのミサ」で、安置所を移したご聖体が祭壇に戻される教会と明日戻す教会があります)聖体拝領が行われ、沈黙のうちに典礼は終わります。

<新約聖書の福音書の「磔刑(たっけい:十字架の刑)」の場面の記載>
次の4つの福音書の聖句は、『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から引用しています。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第27章・第35~第38節
「兵士たちはイエスを十字架につけると、くじを引いてその衣を分け、そこに座って見張りをしていた。また、彼らはイエスの頭の上に、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きを掲げた。その後、二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、イエスとともに十字架につけられた。」

◯新約聖書:マルコによる福音書・第15章・第22~第27節
「こうして、彼らはイエスをゴルゴタ――その意味は「髑髏(されこうべ)の場所」――という所へ連れて行った。そして、兵士たちは没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに飲ませようとした。イエスはお受けにならなかった。 それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、誰がどれを取るかをくじで決めて、その衣を分けた。さて、イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、兵士たちはイエスとともに二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。」

◯新約聖書:ルカによる福音書・第23章・第32~第33節
「ほかにも二人の犯罪者が、イエスとともに死刑に処されるために、引かれて行った。さて、「髑髏(されこうべ)」と呼ばれている所に着くと、兵士たちはイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人はイエスの右に、一人は左に十字架につけた。」

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第17~第19節
「イエスは、自ら十字架を担い、「髑髏(されこうべ)の場所」――ヘブライ語で「ゴルゴタ」という所へ向かって出て行かれた。その場所で。人々はイエスを十字架につけた。また、ほかの二人をも、イエスを真ん中にして、その右と左に一緒に十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上につけさせた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。」
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教会日記2023.3.28(カトリック成城・聖テデオ教会「聖木曜日・主の過越しの晩餐の夕べのミサ」木曜日) [教会日記]

今夜は、私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会で、19時からの「主の過越しの聖なる3日間」の初日「聖木曜日・主の過越しの晩餐(ばんさん)の夕べのミサ」に与り、祭壇奉仕を務めました。「聖木曜日・主の過越しの晩餐の夕べのミサ」の詳しいことは、このブログの今朝の記事に書きましたのでお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2024-03-28

今日から「主の過越しの聖なる3日間」で、その初日は「聖木曜日・主の過越しの晩餐の夕べのミサ」です。カトリック教会では、イエス・キリストの生涯における主なできごとを思い起こす(記念する)ことによって、イエス・キリストの ” 救いの恵み " が私達に与えられるよう、全員が一致してお祈りします。イエス・キリストの「救いのみわざ」は、十字架への受難と死をとおして、復活された栄光の「主の過越し(死から生へ過越す)」にあります。このことから、これを「復活祭」として年に一度盛大に祝うようになりました。「降誕祭(クリスマス)」と共にキリスト教の最大にして最高の祭典となります。聖なる3日間は、今日3月28日の第1日目を「聖木曜日・主の過越しの晩餐」、明日3月29日の第2日目を「聖金曜日・主の受難」、明後日3月30日の第3日目を「聖土曜日:復活の主日・聖なる復活の徹夜祭」としています。そして3月31日の日曜日が「復活の主日・日中のミサ」となります。

聖木曜日の「主の過ぎ超し晩餐の夕べのミサ」は、最後の晩餐を記念するものとして、教会の全員が一つのミサに預かり、一致の秘跡であるミサの制定(最後の晩餐で、イエス・キリストが使徒達に聖餐(ミサ〉の仕方を教えられました。)が記念されます。また、晩餐の前にイエス・キリストが使徒達の足を洗ったことから、「洗足式」が行われています。イエス・キリストは、十字架に架かる前夜に行われた「最後の晩餐」にのぞむ前に、12人の使徒(弟子)一人ひとりの足を洗いました。それは、死を覚悟したイエス・キリスト自らが、弟子達の足を洗うという奉仕を行うことで、弟子達にこれからも人に使える僕(しもべ)のようになるように、お互いの足を洗い合うようにお互いに愛し合うように(平和に暮らすように)、ということを含めて清めを行ったのですね。私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会では、「洗足式(せんぞくしき)」が行われ、山本量太郎主任司祭(神父様)が、信徒5人の足を水で洗いました。

ミサでは、祭壇奉仕(侍者)を務めました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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