祈りの言葉(食前の祈り・食後の祈り) [祈り]

この「祈り」についての記事は、このブログに3回目の掲載となりますが、一部修正・加筆してあります。
キリスト教には、いろいろな祈りがあります。朝の祈り、夕べの祈り、感謝の祈り、仕事の前後の祈り、食事の前後の祈り、病気をしている人のための祈りなどたくさんあります。ある意味、何でもお祈りになりますね。
プロテスタント教会の方の祈りは自由なお祈りが特徴で、皆さん独自の美しい、そして力強いとても素敵なお祈りをされています。それに比べ、カトリック教会のお祈りは、信徒で一緒にお祈りする定型的なものが多いような感じがします。

今日は、食事の前後のお祈りをご紹介しましょう。
◯「食前の祈り」食事の前に次の祈りを唱えます。
「父よ、あなたのいつくしみに感謝して、
この食事をいただきます。
ここに用意されたものを祝福し、
わたしたちの心と体を支える糧としてください。
わたしたちの主、イエス・キリストによって。
アーメン」

◯「食後の祈り」食事が終わる時に次の祈りを唱えます。
「父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。
あなたのいつくしみを忘れず、
すべての人の幸せを祈りながら。
わたしたちの主、イエス・キリストによって。
アーメン」

日本ではキリスト教の信徒は少なく(日本の総人口の約0.8%)、キリスト教自体があまり浸透していないというか、一般的ではないみたいなところもあり、日常の中でお祈りを捧げるという”風景”がないですね………そういえば、ハグとキスの”風景”も日本では一般的ではないですね(*^▽^*)
ある時、レストランで注文した料理が運ばれてきた時のことですが、私は目を閉じて下を向いて約10秒ほど「食前の祈り」を心の中で唱えていたのです。そうしたらウエイターの方が「どうしたのですか!?大丈夫ですか(; ̄O ̄)」と、レストラン中に聞こえる大きな声で………どうやら体調がおかしくなったのかと勘違いしたのだそうです(⌒-⌒; )やはり、お祈りは感謝と慈しみの気持ちを大切にして、いつどこであっても声を出して正々堂々とお祈りしたいものですね。

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コメント 5

のどか

アウグスティヌスさん、初めまして。カトリック信徒ののどかと申します。

レストランでのエピソード、思わず声を出して笑ってしまいました。ごめんなさい。

普段の自分の食前・食後のお祈りを振り返ってみますと、周囲にどなたかいらっしゃる時は、下を向いて、小さな声でごにょごにょと早口でつぶやいております。アウグスティヌスさんのことを、笑える立場ではありません(赤面)。せめて、もう少しゆっくりと、落ち着いた心でお祈りを捧げたい・・・と反省しました。
by のどか (2016-12-10 19:50) 

アウグスティヌス

こんばんは。拙いブログをお読みいただきありがとうございます。そうなんですよ〜レストランで注目されてしまいました(汗)。”祈りの風景”を一般化するために頑張りますね!
by アウグスティヌス (2016-12-10 21:44) 

お名前(必須)

日本の「いただきます」と「ごちそうさま」はキリスト教に由来します
明治維新まではそんな習慣は無かったのです
昭和時代の学校統制、軍事教育が始まった時に、全ての学校に一律に導入されました
子供が自宅で「いただきます」などと言えば、家族は「???」となりました
なぜキリスト教の方式を導入したかというと、外交のためです
日本人が外国で食事をしたり、迎賓館など外国人が日本人と食事をする時に、キリスト教の国の人が食前に祈りを捧げている時に手持ち無沙汰になるという問題が発生ました
そこで神道において神棚に食事を捧げる時のポーズを利用し、外国人が祈ってる時は日本人は手を合わせるというのを「マナー」としたのです。外交で会食する皇族や華族、政治家など上流階級で普及し、学校教育に導入されるに至りました

明治維新によって、他にもお米はフォークの背に乗せて食べるなどの謎マナーが誕生しました

つまり日本では、神道の信者は、食事の前に神棚に食事を置いて拍手や礼をしていた訳です。今の初詣と同じですね
それがキリスト教の食前の儀式を真似て西洋風にやるようになったのがいただきますとごちそうさまという事です。拍手はうるさいのでカットしたのでしょう
by お名前(必須) (2023-04-06 10:57) 

金城光永

僕は沖縄県那覇市字田原323番地1に住んでいる金城光永ニックネーム(みーつー)と言う者です。                         僕は92年頃沖縄県安里にある末日聖人モルモン教の人に誘われて夕方4時三十分前に訪ねました。 その頃は教会の人は一人もいなく一人でドアを開けて聖水みたいな水道水で万引きやカツアゲの罪で汚れた手を拭いたいと手を洗って帰って行きました。 あれから精神病院に運び込まれはや三十年位たちます。 相変わらずバイトで月五千円位暮らして学生時代の罪を悔いています。 どうか此処んとこ毎日の様に不良やヤクザに祈りを捧げています。 母は生きている人間が強いと言っても生きている偉人は少ししか知りません。 僕の幻視と言う統合失調症の病気にはサタンと言って同級生の高里潤也君が出ていました。 あれからサタンは出なくなりましたが出るぞ出るぞと脅すのは日常茶飯事です。 病院の訪問看護の島袋卓さんは自宅が誰かに乗っ取られた事など無視の様です。 今年はクリスマスプレゼントもありませんし誕生日も祝って貰えませんでした。 姉も二人の兄もキリスト教会の幼稚園で威張っていて92年は勇気を出してモルモン教を訪ねたのに成人式は行けませんでした。 三十代の中学時代の同窓会も那覇のホテルオリオンで開かれましたが100kgを体重が越えていてスーツが間に合わず行けませんでした。 他にも高校時代の大事な体育祭や修学旅行もキャンセルしました。 今のところ友達も那覇市で一人もいなくはや三年がたとうとしています。 他に小学校六年生の時に担任の盛正弥先生に「油泥棒は絶対に許さない」とクラスメイトに言っていて高校三年生の時に痛恨のミスをしてハンバーグラーの冗談のノリで油泥棒をハイオクで500円分位したことがあります。 本当にごめんなさい。 僕の働いている事業所特定非営利活動法人ナカヤで自宅の近所の出光出払っておいてくださいと頼みました。 任天堂の3dsと言う携帯ゲームでDS甲子園と言うゲームマンガ倉庫那覇店で買って高校時代の部活動を取り戻しています今は沖縄県の先払高校と言う場所にいて類語でアドバンスと言うようです。 僕はホープアカデミーと言う自己啓発ゼミで四十万円払って何でも直ると言って何一つ直ってませんでした。 原付も事故で大破して向こうが悪いのに五千円で示談に終わりました。 あれから車の免許証も取れず三十年以上も歩いています。 よろしくお願いいたします。
by 金城光永 (2024-02-23 15:48) 

アウグスティヌス

こんばんは。
大変な人生を歩んでいますね。
いろいろとご苦労をなされていると思います。
私にできることは大したことではなく、イエス・キリストにお祈りを捧げるだけです。金城さんに、神の平安とお恵みがありますようお祈りいたします。
by アウグスティヌス (2024-02-25 01:49) 

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