『アレルヤの祈り』のお話し [祈り]

普段はミサの前に『お告げの祈り』を唱えるのですが、復活徹夜祭から聖霊降臨祭の晩までは、「お告げの祈り」の代わりに「アレルヤの祈り」を唱えます。
◯「お告げの祈りとアレルヤの祈りとは?」
(カトリック中央協議会ホームページから※一部加筆)
「お告げの祈り」は、大天使ガブリエルがマリアに救い主の母となることを告げた(受胎告知)ことを記念して唱える祈りです。一日に3回、朝6時、正午、夕方の6時に唱えます。Angelus Domini nuntiavit Mariae (主の天使がマリアに告げた)というラテン語の冒頭のことば「天使」に基づいて「アンジェラスの祈り」とも呼ばれています。またこのときに鳴らされる鐘を「お告げの鐘(アンジェラスの鐘)」と呼んでいます。この習慣は、13世紀から14世紀頃に始ったといわれています。
「アレルヤの祈り」は、復活節中(復活の主日から聖霊降臨の主日まで)は、お告げの祈りの代わりに、この「Regina caeli laetare alleluja(天の元后、喜びたまえ、アレルヤ)」を唱えます。バチカンでは教皇が正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」または「アレルヤの祈り」を唱えています。

<口語祈祷文>
先唱:神の母聖マリア、お喜びください。アレルヤ。
会衆:あなたに宿られた方は。アレルヤ。
先唱:おことばどおりに復活されました。アレルヤ。
会衆:わたしたちのためにお祈りください。アレルヤ。
先唱:聖マリア、お喜びください。アレルヤ。
会衆:主はまことに復活されました。アレルヤ。
・祈願 先唱:祈りましょう。
先唱:神よ、あなたは御子キリストの復活によって、
   世界に喜びをお与えになりました。
   キリストの母、聖マリアにならい、
   わたしたちも永遠のいのちの喜びを得ることができますように。
   わたしたちの主イエス・キリストによって。
会衆:アーメン。

<文語祈祷文>
先唱:天の元后(げんこう)、喜び給え。アレルヤ。
会衆:御身(おんみ)に宿り給いし者は。アレルヤ。
先唱:宣(のたま)えるよう(ごと)くよみがえり給えり。アレルヤ。
会衆:われらのために天主に祈りえ。アレルヤ。
先唱:童貞 マリア 喜び給え。アレルヤ。
会衆:主まことよみがえり給いたらなり。アレルヤ。
・祈願 先唱:祈りましょう。
先唱:喜ばしめ給いし天主、願わくはその御母(おんはは)童貞マリアによりて、終わりなき命の喜びを告げられたら得しめ給え。
会衆:ア-メン
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教会日記2024.4.6(カトリック成城・聖タデオ教会「復活節第二主日のミサ(神のいつくしみの主日のミサ)」土曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「復活節第二主日・神のいつくしみの主日のミサ」に与りました。やっと春の暖かとなり、桜も満開となりました(^◇^)この一週間は超忙しい日々でしたが、明日は私が住んでいる町田市相原町の陽田町会の総会があり、8年間断り続けてきた町会長に就任することになっています(⌒-⌒; ) またまた忙しい日々を過ごすことになりそうです( ̄◇ ̄;)
◯成城教会の聖堂横にある桜が満開です!
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ミサの司式前に典礼聖歌集第351番『復活の続唱』を歌い、『アレルヤの祈り』をお祈りしました。
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。

◯「神のいつくしみの主日」について
教皇ヨハネ・パウロ二世は2000年から、ご復活の主日の次の日曜日(復活節第二主日)を「神のいつくしみの主日」と定め、この主日に神のいつくしみに対する特別の信心を行うよう望まれました。それは信者たちが聖霊の慰めの賜物を豊かに受け、神への愛と隣人への愛を強め、成長させることが出来るためです。この信心によって、信者たちはそれぞれ自分を反省して、罪の赦しを得た後、兄弟姉妹をすぐに赦すよう促されます。(カトリック中央協議会のホームページから)

【神のいつくしみ】(聖パウロ女子修道会公式ホームページから)
「バチカンの教皇庁典礼秘跡省は、2003年の典礼暦から、復活節第2主日の名称として「神のいつくしみ」を付記することを決めました。それは、教皇ヨハネ・パウロ2世が「神の愛のこもった寛容さが特に輝き出る」復活節に、神のいつくしみをほめたたえるため、この名称を付記するよう求められたからです。それに基づいて日本の教会暦も、復活節第2主日の名称を、「復活節第2主日(神のいつくしみの主日)」と表記することになりました。
また、今日の別名は、伝統的に「白衣の主日」とも呼ばれてきました。初代教会から、復活に洗礼を受けてキリストの死と復活にあずかった人は、今日の日まで、キリストの死といのちをうけて新しい人となったしるしとして、白い衣をつけることになっており、今日は、それを脱ぐ日でしたので、「白衣の主日」と呼ばれたのです。これから後、一人前の信徒として生活します。初代教会から復活節は、復活祭に洗礼を受けた人びとが、秘跡を中心とした信仰生活を学びながら生活する時でした。この時期、新しく信仰生活をはじめる方たちから刺激を受けながら、私たち一人ひとりも新たなこころで信仰生活の中心には復活されたキリストが私たちの中におられる現実を受け直しましょう。」

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小泉信三のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「練習ハ不可能ヲ可能ニス(練習は、不可能を可能にする)」

このブログに過去に掲載した記事を再掲載いたします。
小泉信三(こいずみ しんぞう:1888年~1966年)は、キリスト教日本聖公会(イングランド国教会由来の教派)のクリスチャンで、経済学者、上皇陛下(平成天皇)の皇太子時代の師父です。戦前の1933年から1946年まで慶應義塾長(慶応義塾大学)を務めました。1954年にコロンビア大学から人文学名誉博士号を贈与され、1959年には文化勲章を受章されています。

1943年10月16日開催の出陣学徒壮行早慶戦(通称「最後の早慶戦」)は、「学徒出陣に赴かざるを得ない学生らに、せめてもの最後の餞を残したい。それには早慶戦が相応しい。」との小泉信三の思いから始まったそうです。小泉は慶大野球部の部長・主将を通じ、早稲田大学野球部(飛田穂洲監督)に試合を頼み込みました。早稲田大学野球部はこれを快諾しましたが、早稲田大学側は軍部や文部省の圧力に屈して、試合の申し出を承諾出来ずにいました。

そのため、早稲田大学野球部は大学当局の反対を押し切って試合を挙行し、試合が行われた戸塚球場に招かれた小泉は、早稲田大学側による特別席への案内を「私は学生と一緒の方が楽しいです。」と断り、学生席で観戦したそうです。当時、敵国アメリカのスポーツであった野球に対する弾圧をただ一人体育審議会でその無意味さを説き、強烈な反対の論陣をもって軍部や官僚たちを沈黙させたのも小泉信三の功績です。1976年に野球殿堂入りしています。
◯慶應義塾大学日吉キャンパスにある小泉信三の「練習ハ不可能ヲ可能ニス」の碑です。
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後に、『ラストゲーム 最後の早慶戦』として、試合から65年にあたる2008年に映画化されました。(小泉信三役を石坂浩二が演じました。石坂浩二は、慶應中、慶應高、慶應大卒です。)この言葉は、慶応義塾大学日吉キャンパスにある碑に刻まれています。毅然とした言葉のようにも聞こえるのですが、私には、この言葉の奥底にある、氏の学生を " 叱咤激励 " するような情熱ある言葉に聞こえてきます。この世の中のすべてのことに当てはまる言葉ですね。
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