支援活動日記2024.4.4(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今夜は、19時30分からホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。私は3月はお休みしましたので、2月15日以来の支援活動となりました。定年退職して4日目、退職後初めての支援活動ですが、翌日の出勤時間を気にして早く帰らなければ!という気をつかうことがなくなりましたから、気持ちは余裕でとても楽になりました!
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さて、毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人のキリスト者(クリスチャン)として、人道のための弱者支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮して路上生活を余儀なくされている人、精神時に不調をきたして路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では手が回らないところを私たちが支援するということですね。誰かがやらなければならない、隣人への愛の地道な活動です。

今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある「いろは商店街」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め25人(今日は少ない)ほどのホームレスの皆さんが私たちを待っていました。10年ほど前は、実測250mほどのアーケード(屋根がある)商店街で、そのころでもすでに8割方はシャッターを下ろして営業をしていない「シャッター商店街」になっていました。当時は屋根があって雨をしのげていましたから、シャッターの前に段ボールを囲って寝ることができましたね。あのころは120人ほどが来て、半数ほどの方が段ボールで囲って寝泊りしていました。今は40人~50人くらいです。
◯ビニールシートのある人は、雨が降っても大丈夫ですが、ない人は大変です。
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今日は、支援活動に集まった17人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、ペットボトル、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、シャツ、ズボン、毛布、寝袋、風邪薬などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。私が以前所属していたカトリック町田教会も、かつては「山谷の会」があり、おにぎりを作って隅田川沿いで配布していましたが、会のメンバーが高齢化して解散しました。

支援活動に集まっている方の年齢構成は、私のような仕事帰りの60歳代の社会人、定年退職した70歳代の方や主婦は少数派ですが、中心になっているのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。たまに高校生も親子で参加しています。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。ところで、4月に入って暖かくなりましたね~( ̄▽ ̄;) 今年は遅いですが、桜はやっと満開になってきました。でも明け方はまだ寒さがあります。とにかく健康には気をつけてもらいたいですね。活動が終了してから反省会を行って20時45分ごろに解散し、今はすでに帰りの電車の中にいます。
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新約聖書:ルカによる福音書・第24章・第13〜35節 [聖書]

「この日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩いて行かれた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。それで、二人は暗い顔をして立ち止まった。
その一人のクレオパと言う人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。私たちは、この方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の女たちが私たちを驚かせました。女たちが朝早く墓へ行きますと、遺体を見当たらないので、戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。それで、仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、女たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
そこで、イエスは言われた。「ああ、愚かで心が鈍く、預言者たちの語ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこれらの苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではなかったか。」 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれてあることを解き明かされた。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いています」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるために家に入られた。
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、祝福して裂き、二人にお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は互いに言った。「道々、聖書を解き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。」すぐさま二人は立って、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、主は本当に復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」
『聖書協会共同訳聖書』から

◯私が大好きな画家カラバッジョが、1607年に制作した「エマオの晩餐」です。イタリアのミラノにある「ブレラ美術館」の所蔵です。テーブルの中央がイエス・キリストで、左右両脇がエルサレムからエマオに向かう二人です。立っている男女二人は宿屋の夫婦です。
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この聖書の聖句(イエス・キリストの言葉)は、「エマオの晩餐の物語(エマオへの旅人の物語)」として有名なところです。この箇所の情景は次のとおりです。
当時、ローマ帝国という異邦人の支配から、神の民である自分たちユダヤ民族を救ってくれると信じ、大いに望みをかけていたメシア(救世主)であるイエス・キリストが、十字架に磔(はりつけ)にされて死んでしまいました。もうエルサレムには希望も何もかもがなくなってしまい、悲嘆に暮れてエマオに向かって歩く2人の弟子たちでしたが、その途中で復活されたイエス様に出会い、希望をとり戻して喜びに満ちあふれてエルサレムに戻る姿を画いています。

この聖句ですが、実は、このエマオに向かう2人の弟子とは私たちのことなのです。私たちが寂しいとき、悲しいとき、苦しい時、そのような弱った私たちの直ぐそばを、イエス・キリストご自身が私たちと一緒に歩んでくださる。み言葉を語ってくださる。そして、主の食卓に招かれて、自ら私たちにパンと杯をお与え下さって祝福を与えてくださる。いつもどんな時も、私たちの主である復活されたイエス・キリストが傍にいて平安を与えてくださっているのです。
イエス・キリストは、私たち人間がどのような境遇にあっても、「私が一緒にいるのだから、安心しなさい。希望をもちなさい。喜んでいなさい。」と説いているのですね。だからこそ洗礼を受けた私たちは常にミサに与り、感謝を捧げてご聖体を拝領し、復活されたイエス・キリストと一致することを実感するのです。私たち信徒にとって、主であるイエス・キリストと一致していると信じることが信仰する証でもあるのです。勇気をもって福音を証しすることです。
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