森永太一のことば [キリスト者(クリスチャン)]

「景気不景気、人にあり。」

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を再掲載しています。
森永太一郎(佐賀県伊万里市:1865年~1937年)は、キリスト教プロテスタント教会のクリスチャンで、日本の実業家、株式会社森永製菓の創業者(初代社長)です。19歳の時に、一流の商人になろうと野心に燃えて上京して陶器商に勤めましたが、やがて店が傾いたのを期に、日本の陶器を売って一儲けしようと渡米しますが夢を果たせず、流浪の身になってしまいました。

そんなある日のこと、借金もあるし、おめおめと帰国することもできないと悩んで公園のベンチに座っていると、60歳ぐらいの上品な顔立ちの婦人が彼の隣に座り、ハンドバックからキャンデーを取り出してその一つを彼に勧めてくれました。そのキャンデーを口に入れた森永は思わず「うまい!」と叫び、その瞬間に洋菓子職人になろうと決心したそうです。森永は、さっそく菓子づくりの見習いの仕事を探しますが、人種差別が酷く、日本人には下男の仕事ぐらいしか見つかりませんでした。下男をしながらアメリカ人の家を転々としながらチャンスを待っていたところ、ある時、オークランドの老夫妻の家に流れ着きましたが、その家の老夫妻は熱心なクリスチャンで、とても親切で日本人である森永を対等の人間として扱い、決して見下すことはなかったことに感激し、老夫婦の信仰するキリスト教に興味を持ち、オークランドの日本人教会で洗礼を受けたのでした。

帰国後、キリスト教の伝道師を目指しますが周囲の者に理解されず、再び製菓技術を学ぶために渡米し、激しい人種差別に耐えて遂に技術を取得し、開業費も貯めて帰国します。そして、赤坂の溜池に二坪の小屋を借りると「森永西洋菓子製造所」の看板を掲げ開業しました。マシュマロを作って菓子屋に卸すと、これが好評で飛ぶように売れ、この成功に勇気を得た森永は、宣伝販売をするためにガラス張りの屋台式箱車を作らせ、その中にチョコレート、キャンデー、ケーキを積んで町を歩きました。この屋台の屋根には「キリスト・イエス罪人を救わんために世に来たりたまえり。義は国を高くし罪は民をはずかしむ」という聖句を書いた看板が打ち付けられていたため、「ヤソの菓子屋さん」と呼ばれ有名になったそうです。

容器の上げ底をしない、品質本位、厳格な衛生管理など誠実な仕事ぶりも評判を呼びました。菓子と言えば和菓子が主流の時代でしたが、彼は不眠不休で営業努力、また商品改良に努め、小さな菓子屋さんが株式会社へと発展し、やがてミルク・キャラメルがヒット商品となって全国的に有名になったのです。社長の職を退いた後は、「我は罪人の頭なり」と題して、全国の諸教会で力強く伝道をして回ったそうです。
この言葉は、好景気だ不景気だのと状況に嘆いたり甘んじたりしていてはいけない。どんな逆境でも各人が精一杯努力すれば、必ずや克服出来るという戒めの言葉であると私は解釈しています。創業者ならではの言葉です。
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