2024年1月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今月は31日間ある中の24日間(77.4%)を3つの教会・修道院に25回訪問し、25回ミサに与って25回ご聖体を拝領させていただきました。なお、ホームレス支援活動(山谷夜回りの会)は、2回参加しました。新しい年を迎えて気持ちも新たに支援活動も始動しました。しかし、年初めから能登半島地震や航空機事故など暗いニュースが続きました。どれもこれも人の助けを必要としています。私たちは、人を助けることを行動の基本とし、命の大切さを心に留めながら活動をしています。すべては主イエス・キリストの教えである隣人への愛ですね。ホームレスの皆さんには、厳しい寒さにさらされる季節です。2〜3年に1人か2人は寒さで亡くなっていると聞いています。なんとかこの厳しい季節を乗り切ってもらいたいものです。
◯1月の教会奉仕・社会奉仕活動
1.主日のミサ
  祭壇奉仕 1回(侍者)
  聖歌奉仕 1回(聖歌隊:原則土曜日担当)
2.平日のミサ
  先唱奉仕  3回(毎月初金を除く金曜日担当)  
  朗読奉仕  1回(毎月第三月曜日担当)
3.社会奉仕  2回(ホームレス支援活動:第一木曜・第三木曜)

1日(月)………
2日(火)成城教会:聖バジリオ司教教会博士・聖グレゴリオ司教教会博士の記念日のミサ(降誕節火曜日のミサ・主の公現前火曜日のミサ)のミサ・7時から
3日(水)成城教会②:降誕節水曜日のミサ(主の公現前水曜日のミサ)・7時から
4日(木)成城教会③:降誕節木曜日のミサ(主の公現前木曜日のミサ)・7時から
 〃  支援活動:山谷夜回りの会・19時30分から(社会奉仕)
5日(金)麹町・聖イグナチオ教会:降誕節金曜日のミサ(主の公現前金曜日のミサ・初金のミサ)・18時から
6日(土)成城教会④:主の公現の祭日のミサ・18時から(祭壇奉仕・聖歌隊練習)
7日(日)………
8日(月)成城教会⑤:主の洗礼の祝日のミサ・7時から
9日(火)成城教会⑥:年間第一火曜日のミサ・7時から
10日(水)成城教会⑦:年間第一水曜日のミサ・7時から
11日(木)成城教会⑧:年間第一木曜日のミサ・7時から
12日(金)成城教会⑨:年間第一金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
  〃  麹町・聖イグナチオ教会②:年間第一金曜日のミサ・18時から
13日(土)成城教会⑩:年間第二主日のミサ・18時から(聖歌奉仕・聖歌隊直前練習)
14日(日)………
15日(月)成城教会⑪:年間第二月曜日のミサ・7時から(朗読奉仕)
16日(火)成城教会⑫:年間第二火曜日のミサ・7時から
17日(水)成城教会⑬:聖アントニオ修道院長の記念日のミサ(年間第二水曜日のミサ)・7時から
18日(木)成城教会⑭:年間第二木曜日のミサ・7時から
  〃  支援活動②:山谷夜回りの会・19時30分から(社会奉仕)
19日(金)成城教会⑮:年間第二金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
20日(土)………
21日(日)………
22日(月)成城教会⑯:年間第三月曜日のミサ・7時から
23日(火)………
24日(水)成城教会⑰:聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日のミサ(年間第三水曜日のミサ)・7時から
25日(木)成城教会⑱:聖パウロの回心の祝日のミサ・7時から
26日(金)成城教会⑲:聖テモテ・聖テトス司教の記念日のミサ(年間第三金曜日のミサ)・7時から(先唱奉仕)
27日(土)………
28日(日)相模原教会:年間第四主日のミサ・7時から
29日(月)成城教会⑳:年間第四月曜日のミサ・7時から
30日(火)成城教会㉑:年間第四火曜日のミサ・7時から
31日(水)成城教会㉒:聖ヨハネ・聖ボスコ司祭の記念日のミサ(年間第四水曜日のミサ)・7時から
以上です。
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教会日記2024.1.31(カトリック成城・聖タデオ教会「聖ヨハネ・ボスコ司祭の記念日のミサ(年間第四水曜日のミサ)」水曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「聖ヨハネ・ボスコ司祭の記念日のミサ(年間第四水曜日のミサ)」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと60日です!
私が勤務する大学は、今日から2月4日まで前期入試期間となります。入試支援業務もあり、緊張する日が続きます。受験生が支障なくスムーズに受験できるように務めてまいります!
◯2月14日の「灰の水曜日」に使う灰(灰粉)ために、昨年に配ったシュロの葉を回収しています。回収したシュロの葉は、燃やして灰にして使用します。どのように使用するかは後日このブログに掲載いたします。
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ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「聖ヨハネ・ボスコ司祭」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月31日は、ジョヴァンニ・メルキオッレ・ボスコ(イタリア:1815年8月16日~1888年1月31日)司祭の記念日です。通称をドン・ボスコといいます。ドンとはイタリア語で司祭への敬称です。ヨハネはジョヴァンニを日本のキリスト教式に読んだものですね。19世紀に活躍した北イタリアのカトリック司祭、教育者です。カトリック修道会であるサレジオ会、扶助者聖母会(サレジアン・シスターズ)の創立者でもあります。カトリック教会及び聖公会で聖人であり、カトリック教会では出版関係者の守護聖人となっています。
ヨハネ・ボスコ.jpg
ボスコは、1835年から1841年までキエリの大神学校で哲学、神学を学んだ後、1841年、当時のサルデーニャ王国の首都トリノで1841年司祭に叙階されました。19世紀後半のイタリア統一運動と産業革命の中で青少年たちが放置される現実に直面し、もっとも貧しい青少年たちのために生涯を捧げることを決意し、1859年にサレジオ会を設立し、1872年に扶助者聖母会を設立しました。学校事業、社会事業を通じて多くの人々を導き、1888年1月31日に帰天し1934年に列聖されました。
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「トリケトラ」のお話し [聖品紹介]

この記事は、過去にこのブログに掲載した記事の再掲載となります。
「トリケトラ」とは、ケルト人の文化の中で生まれたデザインで、ラテン語で3つのコーナーという意味だそうです。ケルト人とは、青銅器時代(紀元前1000年以上前)に中央アジアの草原から、馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族のことです。
◯私が持っているシルバー製のトリケトラです。
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写真のトリケトラは、基本的なトリケトラの図章にサークル(円)が組み込まれたもので、後のケルト人文化にキリスト教が入り込んだ際に、キリスト教の “ 三位一体(トリニティ) ” の教義を表しているトリニティ・シンボルとされたのです。このデザインしたものを持つことによって “ 魔除け ” になるとされています。

アメリカのオカルト系フィクション映画にも悪魔から身を守る “ 魔除け ” として聖職者が付けたりしていますね。例えば『コンスタンティン(フランシス・ローレンス監督・ワーナー・ブラザース配給)』は、2005年制作のアメリカ合衆国のファンタジー・アクション映画で、主演はエクソシスト役のキアヌ・リーブス。他にレイチェル・ワイズなどの有名な俳優が出演していますが、この映画に出てくる神父様が、地獄から来る悪魔たちから身を守るために付けていました。

【エクソシスト】
エクソシスト(Exorcist)は、キリスト教、特にカトリック教会の用語で、エクソシスムを行う人のことです。エクソシスムとは誓い、厳命を意味するギリシャ語であり、洗礼式の時に悪魔を捨てる誓約がありますが、その後に悪魔にとりつかれた人から、悪魔を追い出して正常な状態に戻すことをいいます。まぁ、簡単に言うと「悪魔払いをする人」のことを「エクソシスト」と言うのですね。
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教会日記2024.1.30(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第四火曜日のミサ)」火曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「年間第四火曜日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと61日です!
最近の朝ミサは、ミサに与る人が増えました。以前はだいたい15人前後くらいだったのですが、今は20人前後にを超えています。成城教会の近くに住んでいる信徒と遠方から来ている信徒と半々くらいではないでしょうか。町田教会、百合丘教会や松原教会などからきている信徒もいます。もっとたくさんミサに与ればいいのにと思いますが。

ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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新約聖書:マタイによる福音書・第11章・第28〜第30節 [聖書]

「労苦し、重荷を背負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で謙遜であるから、わたしの軛(くびき)を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂の安らぎを見出す。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
『原文校訂によるフランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(イエス・キリストの言葉)「労苦し、重荷を背負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」で、私は何度も癒やされて安らぎを得ることができ、表現が極端かもしれませんが “ 息をする ” ことができました。私と同じように、この聖句で癒やされた人はたくさんいるのではないでしょうか。
この現代社会で、疲れていない人なんていないと思います。大人も子どもも、体も心も疲れ果てているのです。人付き合いが下手で人間関係がうまくいかない。勉強しても成績が上がらない。いわれのない悪口を噂された。常にトップを目指さなければならない…………などなど、これでは疲れないわけがありませんね( ̄▽ ̄;)

イエス・キリストは、そんな私たちに対して「休ませてあげよう」とおっしゃられています。でも現実問題として多くの人は休んでいられない状況にあるわけです。しかし、間題は “ 私たちが何によって疲れ果てているか、何によって安らぎを得て、癒やしを得て平安を得ようとしているのか ” ということではないでしょうか。
よく言われる “ 心地よく疲れる ” というのとでは訳が違うのです。そうではなく、仕事では緊張の連続であり、常に強いられ、もう心身共にくたくたになり、心が押しつぶされるように疲弊しているというのが、多くの人の「疲れ」の現状ではないでしょうか。自殺者の心境にはなれませんが、その心境に近いかもしれません。

イエス・キリストは、私たちが苦しむ様子を、農具を取り付けられて畑で働かされている家畜の姿として表現しています。「軛(くびき)を負い。」という言葉ですね。重い軛をつけられて疲れきっている私たちに、イエス・キリストは「私のもとに来なさい」とおっしゃられます。あなたがたが担いでいる軛を外しなさいと。
本当はものすごくありがたい言葉ですが、そうは簡単にはいかないですよね。どうしてか?私たちはこの軛をもって働き、生活し、生きてきたのですから。重たい軛に耐えて、うまく担いで上手に畑を耕すこと、効率よく働き、その能力にしたがって評価され、それが長年当たり前の社会だとして生きてきたわけですからね。

イエス・キリストは “ 軽い軛を与える ” とおっしゃられています。休ませるといっても、何もしなくてもいいのではありませんね。職場の休憩時間ではないわけです。そのような休み時間を約束したのではないのです。イエス・キリストが約束した休み・安らぎとは、実は「軛を付け替えること」だったのです。ここが重要です。
私たちを疲れさせているのは、軛の重さや仕事の量ではなく、質や強いられる犠牲の大きさでもなく、「本質的な意味や目的に共感できないことで疲れている。」のではないでしょうか。世間の波に飲み込まれ、世間の物差しで自分を測って、 " 本当の自分らしさ ” を見失っているからではないでしょうか。これがポイントです。

イエス・キリストは柔和で謙遜で真実で優しい方です。それ以上に、イエス・キリストは十字架の苦しみをご経験された私たちの救い主です。ですから私たち人間の苦労や痛みを知っていらっしゃるのですね。軛を取り替えること → 仕事の目的を変えること → それは自分の人生観、価値観を変えることに他ならないと思います。
安らぎと癒やしはそこに約束されるのです。疲れて二進も三進もいかない人は、役に立たないような無駄ないらないプライドなど捨ててしまい、毎日の生活に平安と癒しを得られるように、今までの既存の生活環境&仕事環境から思い切って方向転換しましょう!人生は一つだけではありません!いろいろと選択肢があるのです。

生涯のすべてに信頼をおいてイエス・キリストを信じること。これが信仰なのですが、イエス・キリストに自分のすべてをゆだねることができること。これが信仰しているという証ではないでしょうか。このゆだねることこそ「軛を付け替えること」ではないでしょうか。だからこそ既存の状態から思い切って方向転換できるのです。
イエス・キリストはそばで見ておられます。祈りましょう。
【軛(くびき)】
車の轅(ながえ)の先端につけて、車を引く牛馬の頸の後ろにかける横木。
【輈(ながえ)】
「長柄」のこと。馬車・牛車などの前方に長く突き出ている2本の棒。先端に軛(くびき)をつけて牛や馬にひかせる。
◯図の矢印が軛(くびき)、牛の両側の横棒が輈(ながえ)です。
軛(くびき).jpg
◯2頭立ての軛(くびき)です。とっても重そうですね。
kubiki.jpeg
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「聖水盤(聖水入れ)」のご紹介 [聖品紹介]

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を一部書き改めて再掲載しています。
◯自宅の書斎兼寝室にある祈祷台に付けている金属製の聖水盤です。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに巡礼された、とってもお美しいご婦人から土産でいただいた「使徒聖大ヤコブの聖水盤」です。もちろんスペイン製です。使徒聖大ヤコブの肖像がある素敵な聖水盤ですね。神父様に聖別していただいた聖水を入れています。毎日お祈りする前に、この聖水入れに指先を浸して十字を切ります。
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◯接合部分から水漏れしていましたから、勤務大学の理工学部機械工学科の学生さんに頼んで直してもらいました。ハンダ付けなどでは熱で金属が変色する可能性があるそうなので、樹脂と速乾性ボンドできれいに修理してもらいました。(接合部の白い部分が修理部分です。)
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◯現在、書斎兼寝室の入口に付けてある陶器製の「聖母マリア様の聖水盤」です。四ツ谷にあるキリスト教・カトリック教会専門図書・聖品専門店の「ドン・ボスコ」で購入しました。こちらはイタリア製です。
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教会日記2024.1.29(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第四月曜日のミサ)」月曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「年間第四月曜日のミサ」に与りました。
今日も寒い一日になりそうです!暖かくして過ごしましょう!
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと62日です!
ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「フェレイラ神父」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

クリストヴァン・フェレイラ司祭(神父)(1580年(和暦:天正8年)~1650年11月4日(和暦:慶安3年10月11日))は、ポルトガルのジブレイラ出身のカトリック司祭・宣教師です。イエズス会士でもありましたが、長崎で捕縛され拷問によって棄教(ききょう)し、後に沢野忠庵(さわの ちゅうあん、忠安とも)を名乗ってキリシタン弾圧に協力したことになっています。遠藤周作の小説『沈黙』のモデルになりました。また、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 サイレンス』で、フェレイラ神父役をリーアム・ニーソンが務めていましたね。

イエズス会の司祭であるフェレイラ神父様が来日したのは、すでにキリスト教の布教が困難を極めていた1609年(和暦:慶長14年)でした。日本語にすぐれ、日本のイエズス会の中心となって働いていましたが、イエスズ会日本管区の管区長代理を務めていた1633年(寛永10年)に長崎で捕縛されました。1633年10月18日(和暦:寛永10年9月17日)、長崎において中浦ジュリアン神父様らとともに「穴吊り(あなづり)の刑」に処せられました。この刑は、過酷な苦痛をもたらしますが、事前になかなか死なないように処置をされ、しかし棄教の意思表示は自由にできるようにされるため、耐え抜くのは困難でした。その中でも他の者はすべて殉教しましたが、5時間後にフェレイラ神父様のみが耐え切れず棄教したそうです。
日本切支丹宗門史.jpg
岩波文庫から出版されている、レオン・パジェス著、クリセル神父校閲・吉田小五郎訳の『日本切支丹宗門史(上・中・下の3分冊・現在は絶版)』の下巻(P255)に次のとおり書かれています。少々長いですが引用します。なお、本書は昭和12年に初版され、旧字・旧文体ですので現代文字・現代文に修正しました。
「十月十八日、長崎でイエスズ会の管区長ポルトガル人クリストファル・フェレイラ神父と、イエズス会の日本人神父ジュリアノ・中浦が穴の中に入れられた(注1)。……(中略)……難教者たちの日本に於ける伝導は、四十二年、二十九年、二十三年、十七年、及び十年を数えていたので、この教会の最も花々しいものの一つであるべきこの殉教が、イエズス会の立派な宣教師、否管区長その人の背信によって暗くされた。
拷問五時間の後、二十三年の勇敢の働き、改宗の無数の果実(注2)、聖人のように忍耐された無数の迫害と難儀によって、確り(しっかり)していそうに見えたフェレイラ神父が、天主(注3)の正しく計り知れない審判によって、哀れに沈没(注4)した。
偶像崇拝の徒は(注5)、この破滅を喝采すれば、イエズス会では、実に苦い涙を流した。しかし、その会員の祈り(注6)と、日本の最初の使徒聖フランシスコ・ザビエルの代願(注7)は、他の宣教師の犠牲の代償で、精神的に死んだ不幸な背教者を復活させた、クリストファル・フェレイラは、二十年後に、その立ち返りと殉教とによって、イエズス・キリストの教会と、彼が所属するイエズス会を慰めた。フェレイラ神父は、当時五十四歳で、イエズス会にあること三十七年であった。」
(注1)「穴吊りの刑」の穴に吊されたこと
(注2)「改宗の無数の果実」とは、多くの日本人(仏教徒)をキリスト教に改宗させたこと
(注3)「天主」とは神様のこと
(注4)「沈没」とは棄教したこと
(注5)日本人のこと。この場合は幕府の役人を指す
(注6)イエズス会士の祈り
(注7)この場合の「代願」とは、聖フランシスコ・ザビエルにお願いしてお祈りしてもらうこと
【棄教】
棄教とは、主に政治的な弾圧により自分が信仰していた宗教に対する信仰を放棄するよう、その時代の権力者などにより外発的に動機づけられることにより、自らの信仰を放棄することです。
【穴吊りの計】
キリスト教信者を棄教させるために使われた刑罰です。ですからなるべく死なないように、苦痛を長引かせる様に考え出されました。ある意味火あぶりや磔よりも残酷な刑罰といえます。この刑罰はかなり効果的であったらしく、外国人の宣教師達もこれで何人も棄教しました。
①まず地面に深めの穴を掘ります。
②そこに汚物(糞尿など)を入れます。
③受刑者のこめかみの部分に少し傷を付けます(これは逆さ吊りにした時、血が下がってすぐに死なないよう、血抜きの目的があります)。
④受刑者の手足や胴をグルグルに縛り、掘った穴に頭や上半身が入るように逆さ吊りにします。
⑤あとは棄教する意志を示すか、死ぬまでそのままです。中浦ジュリアン神父様は、吊されてから4日目に亡くなりました。

棄教したフェレイラ神父様は、沢野忠庵と名乗って日本人妻を娶り、他の棄教した聖職者とともにキリシタン取締りに当たりました。1644年(和暦:正保元年)には、キリスト教を攻撃する『顕疑録』を出版したことになっています。これとは別に、天文学書『天文備用』や医学書『南蛮流外科秘伝』などにより、貴重な西洋科学を日本に伝えています。管区長代理であったフェレイラ神父様の棄教は、イエズス会とヨーロッパのカトリック教会に衝撃を与え、多くの宣教師が日本潜入を志願しました。実際に潜入した宣教師たちは捕縛され、ある者は殉教し、ある者は棄教しました。棄教した司祭の中に、フェレイラ神父様とともに遠藤周作の小説『沈黙』のモデルとなったジュゼッペ・キアラ神父様がいます。

前述のとおり『日本切支丹宗門史』を記したレオン・パジェスは、フェレイラ神父様が死を直前にしてキリスト教に立ち帰ったことを伝えています。ただ、確証はありません。なお、遠藤周作はフェレイラ神父様の子孫と名乗る女性に会ったことを書き残しています。フェレイラ神父様の娘婿に門下の医師・杉本忠恵がいて、のちに幕医となっているそうです。フェレイラ神父査様の墓所は、東京都台東区谷中の瑞輪寺(ずいりんじ)で、ここにある娘婿の杉本家のお墓に合葬されているそうです。戒名は「忠庵浄光先生」です。お墓詣りに行こうと思ってなかなか行けないでいます。今年こそはですね。

最後に述べておきたいのは、フェレイラ神父様が棄教を表明したことは、その後生きながらえたことから事実であると判断できます。だからといって、心底棄教したかどうかは、真実は誰にもわからないことであって、私はフェレイラ神父は ” 偽装棄教 ” だと思うのです。イエス様の「地の果てまで福音を述べ伝えよ。」という使命を帯びて日本に侵入し、信仰に生きてきたフェレイラ神父様が、心底棄教したとは思えないのです。また、キリスト教を攻撃する『顕疑録』を出版したことになっていますが、それは幕府の役人側がいくらでも操作できることであり、信憑性に欠けていて説得力はありません。

私は、迫害されて殉教しなかった者が、すべて棄教したとか背教したなどと捉えることには絶対に反対です。死を迫られて、たとえ死ぬことが恐ろしくなって殉教しなかったといって、その人の信仰は偽物だと決めつけるのは、今を生きている人間でいったい誰が言えるのでしょうか。何か考えがあってのことに違いありません。人間は弱いのです。死にたくはないのです。死が恐ろしいのです。人間はいつまでも弱い生き物なのです。今、フェレイラ神父様はイエス様のもと、天の国で諸聖人とともに主の食卓に与っていると私は信じています。主はどこまでも哀れみ深く、どこまでも慈しみ深いのです。
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教会日記2024.1.28(カトリック相模原教会「年間第四主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック相模原教会で、7時からの「年間第四主日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと64日です!
相模原教会でミサに与るのは、昨年9月30日の年間第25土曜日のミサ以来、約4か月ぶりとなります。定年退職したらお世話になる予定です。私が住んでいる町田市相原町からdoor-to-doorで約30分です。現在所属しているカトリック成城教会は、door-to-doorで約1時間10分ですから、相模原教会の方が断然近いですね!(*^▽^*) 今日も寒い朝です!

ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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