教会日記2024.1.28(カトリック相模原教会「年間第四主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック相模原教会で、7時からの「年間第四主日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと64日です!
相模原教会でミサに与るのは、昨年9月30日の年間第25土曜日のミサ以来、約4か月ぶりとなります。定年退職したらお世話になる予定です。私が住んでいる町田市相原町からdoor-to-doorで約30分です。現在所属しているカトリック成城教会は、door-to-doorで約1時間10分ですから、相模原教会の方が断然近いですね!(*^▽^*) 今日も寒い朝です!

ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「世界子ども助け合いの日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月28日(1月の最終日曜日)は、「世界子ども助け合いの日」です。カトリック教会では、1月の最後の日曜日を「世界こども助け合いの日」と定めています。 これは、175年前にフランスで始まった活動で、子どもたち自身が、今助けを必要としている世界のどこかの子どもたちのことを考え行動しようという日です。 世界中のカトリック教会の主日のミサで、世界中の子どもたちのためにお祈りします。詳しくは、教皇庁児童宣教事業のホームページをご覧ください。
https://j-missio.org/about/children/
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「聖トマス・アクィナス司祭教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月28日は、典礼暦にはありませんが、「聖トマス・アクィナス司祭教会博士(イタリア:1225年頃~1274年)」の記念日です。私が所属するカトリック成城教会の主任司祭山本量太郎神父様の霊名(洗礼名)でもありあす。
中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者で、シチリア王国出身のドミニコ修道会士です。大著である『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者です。カトリック教会と聖公会で聖人とされており、カトリック教会の33人の教会博士の一人となっています。
◯この《聖トマス・アクィナス》は、画家のカルロ・クリヴェッリによって制作された作品で、制作年は1476?年から1476年です。イギリスのロンドン・ナショナルギャラリーに所蔵されています。
聖トマス・アクイナス.jpg
『聖トマス・アクィナスの祈り』
「私の神よ、私があなたを忘れても
あなたは私を忘れないでください

私があなたを見捨てても
あなたは私を見捨てないでください

私があなたから離れても
あなたは私から離れないでください

私が逃げだしても呼びもどし
反抗しても引き寄せ
倒れても起きあがらせてください

私の神、主よ、お願いいたします
いかなるむなしい考えによっても
あなたから遠ざかることのない目覚めた心を

いかなるよこしまな意向によっても
ゆがめられることのないまっすぐな心を
 
いかなる逆境にもめげず
勇敢に立ち向かう強い心を

いかなる卑しい情欲によっても
打ち負かされることのない自由な心を
主よ、私にお授けください

主よ、お願いいたします
あなたを求める意志を
あなたを見いだす希望を
信仰をもってあなたを待ち望む堅忍を
そして、ついにあなたを所有できる確信を
主よ、この私にお与えください。」

このお祈りの言葉を読むと、信徒ではない一般の皆さんは「なんとわがままで自分勝手なご都合主義的な言葉なのでしょうか!」と思われるでしょうね。しかし、キリスト教の信徒であれば、この祈りの言葉は、「なんと素直な神を信頼したお祈りの言葉なのでしょうか!」となります。そうなのです。私たちクリスチャンの祈りは、神を信頼した神に願う祈りなのです。聖トマス・アクィナスのように、自分をさらけ出して、すべてを神に委ねる姿勢が大切なのです。私たちも幼子のように素直になって祈らなければなりませんね。
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