「銀(シルバー)と悪魔払い」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

この記事は、過去にこのブログに掲載した記事の再掲載となります。
昔から銀(シルバー)で作られた十字架やメダイなどを身につけると、邪気を払う強い魔除けのパワーを持つと信じられ、周囲の邪気や悪意から守ってくれるといわれてきました。特に、人間の理性も科学も発達してなかった中世ヨーロッパでは、街の周りの森は暗闇の世界であり、それは「魔(悪魔)」の領域を意味しました。人知で計ることのできないものが支配するところから、死・病が運ばれて来ると考えられていましたので、シャープな光・輝きをもつ銀(シルバー)を身に着けて持ち歩くことは護身となったのですね………ということで、悪魔払いの道具はシルバーが定番になったのです。

また、古くはヨーロッパの王族・貴族や中国や朝鮮の王朝・宮廷が銀の食器を使っていたのは、銀が純度の低いヒ素などの毒に反応して黒く変色する作用があるのを知っていたからですね。特に箸(はし)やスプーンが銀製なのは、食事の時に毒に反応して黒くなることから、毒殺されるのを防ぐためだったのです。このようなことも銀(シルバー)で作られた十字架やメダイなどを身につけると、悪魔から身を守ることができると考えられ、吸血鬼のような悪魔(サタン)は、銀製の剣、弾丸や杭などで滅ぼすことができると考えられたのですね。ドラキュラなどの悪魔の小説や映画に出てきますね。

◯実際の悪魔払いについては、このブログの2020年12月13日に掲載した「バチカン・エクソシストのご紹介」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-12-13-1
◯悪魔払いに関係して、このブログの2021年4月13日に掲載した「聖ベネディクトのメダイのお話し」もご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-04-13
◯ちなみに、銀(シルバー)の実際の特徴を記載しておきます。
<特性>
①金属中で最大の可視光線の反射率をもっていることから、昔から宝飾品として重宝され利用されてきました。銀製のアクセサリーは多いですよね。
②金属の中で最も熱伝導率が高く、指輪の一部のみを加熱しても全体が高温になりますので、サイズ直しの際に、石(宝石)が付いている場合は、事前に外したりして工程が難しくなるそうです。これが弱点なのです。
③貴金属の中では化学反応しやすい金属で、空気中などの硫黄分と反応(硫化)して硫化銀の被膜をつくり黒ずんできます。洗濯に使用する塩素系漂白剤も黒ずむ原因ですね。また、バクテリアなどへの殺菌力から、銀イオンは抗菌剤としても重宝されています。
<安全>
人体に悪い影響を及ぼす水銀のイメージから、銀は身体に悪いと思われがちですが、実は食用にも用いられるのです。例えば、仁丹(じんたん)が銀色なのは、銀でコーティングされているからです。水銀と銀とはまったく別の金属なのです。ご存じでしたか?また、金やプラチナと同じく、金属アレルギーにはなりにくい金属です。
<純度>
シルバーのアクセサリーは、SV925(純度92.5%がよく使われ、「スターリングシルバー」と呼ばれています。「925」や「STERLING」「SILVER」などの刻印が入れられていることが多いですが、刻印が入っていないこともあります。特に決まりはないようですね。純度92.5%ですから、残りの7.5%は何か?といいますと、それは、純度100%では柔らか過ぎるため、強度を増すために他の金属が入っているのですね。
<価格>
銀の1gあたりの地金の買取り価格は121円です。金は10,490円、プラチナが4,826円ですので、銀の安さは桁違いであることが分かります!ですから銀製のアクセサリーは多いのですね。私も「不思議のメダイ」やペンダントの十字架はシルバーです。まぁ、私みたいな庶民には、ものすごくありがたい金属です。
(2024年1月11日貴金属価格情報)
◯私が左手薬指にはめている指輪はシルバーです。
持っている指輪は、結婚指輪はプラチナリング、結婚10周年記念指輪はホワイトゴールド(18K)、結婚20周年記念指輪もホワイトゴールド(18K)、結婚30周年暫定?記念指輪はシルバーリングですが、妻が拒否したため暫定のままです。しかし、もうすぐ40周年記念になりますから早くしないと( ̄▽ ̄;) やはり、清貧を愛しておられたイエス・キリストですから、イエス様に倣って高価な18Kリングではなく、安価なシルバーリングがいですね。興味のある方は、このブログに2021年3月8日に掲載した「私の指輪物語(その後)」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-03-08-2
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教会日記2024.1.13(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第二主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会で、18時からの「年間第二主日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと78日です!
明日14日(日)は、私が勤務する大学で大学入学共通テストの支援業務がありますので出勤となります。前日の今日13日(土)は振替休日となっています。それにしても寒いですね〜と思ったら、一時的ですがミサ中に雪が降りました!( ̄◇ ̄;) 風邪をひかないようにしましょう!

◯聖歌奉仕(聖タデオ聖歌隊)で歌った聖歌は次のとおりです。
ミサ前の歌:典礼聖歌集・第389番「キリストのように父を仰ぎ」
入祭の歌:典礼聖歌集・第76番「神よあなたのことばは」
答唱詩編:典礼聖歌集・第54番「神のみ旨をおこなうことは」①②③
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第271番(油注がれた者)
奉納の歌:典礼聖歌集・第61番「神は残された不思議なわざの記念を」
拝領の歌:典礼聖歌集・第162番「喜び歌え神に叫びをあげよ」
拝領後の歌: 典礼聖歌集・第388番「ガリラヤの風かおる丘で」

ミサでは、聖歌奉仕登(聖タデオ聖歌隊)を務めました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「死後にあの世に持っていける物」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「死後にあの世に持っていける物のお話し」という、ブログの記事の題名としては、なんか変な長い題名になってしまいましたが、2021年末の12月29日に妻方の叔母の葬儀があり、思うところがあってこのブログの2022年1月19日に記事とし掲載しました。それを今回再掲載したのですが、少々長くなりますが最後までお読みいただければと思います。納得の内容であると思います。

日本で一番多いというか、日本人のほとんどが仏式(仏教様式)の葬儀ですが、この仏式の葬儀で、一般的に葬儀会場から火葬場に向かう前(出棺する前)に、最後のお別れということで棺(ひつぎ:棺桶)の中にお花を敷き詰め、故人の思い出の品、好きだったお菓子なども入れます。そして、仏式の葬儀では最後に必ず入れる物があります。それは「六文銭(ろくもんせん)」です。

六文銭とは、故人が「極楽浄土(ごくらくじょうど)」までの道のりで、お金に困ることのないよう棺におさめる「冥銭(めいせん)」のことです。しかし、現在は六文銭という硬貨はありません。一文銭の硬貨が6枚ということですが、この一文銭は、明治時代の初期ごろまで使用されていましたが、現在はありません。ですから今では紙に一文銭を6枚印刷したものを入れています。

六文銭は、仏式の葬儀に使われ、故人を棺へと納める際に添える副葬品のひとつです。一般的な仏教の概念では、亡くなった人は49日をかけて極楽浄土を目指すといわれています。六文銭は、その旅の途中でお金に困ることのないようにという、遺族の気持ちが込められた伝統儀礼なのです。あの世で使うお金という意味から、冥途(めいど)で使うお金、冥銭と呼ばれるのですね。

また、六文銭は、死者が旅の途中で渡ると信じられている「三途の川(さんずのかわ)」の渡し賃になります。三途の川は、現世(この世)と冥途(あの世)を隔てる川で、その渡し賃が六文というわけですね。ちなみに、三途の川の由来は、故人の生前の行いによって、橋を渡れる人、浅瀬を渡る人、深いところを渡る人の3通りの渡り方があるということからだそうです。知ってた?

一方、キリスト教ではどういう考え方なのでしょうか。まず、仏教でいうところの極楽浄土は、キリスト教では「天の国(天国)」という所になります。そして、キリスト教の天国の概念では三途の川はありませんし、六文銭のような交通費も必要ありません。それに審判する閻魔大王(えんまだいおう)もおりません。
ただし、キリスト教の教えでは、「終末(この世の終わり)」にイエス・キリストが現世に再臨し、この世のすべての生者と死者を集めて『最後の審判』を行い、天の国に入る者と、地獄に落ちる者とを選別するということになっております。ちなみに、天の国の門には使徒聖ペテロが門の鍵を持って立っておられます。

そこで、今日のブログ記事の題名の「死後にあの世に持って行ける物」ですが、カトリック教会というか、司祭(神父様)の教えでは、「生前に所有していた物は、天の国に持って行けない」ということです。自分が稼いだお金、名誉、肩書など所有しているすべての物は、一つも持って行けないのです。しかし、持って行けるものがあります。それは「生前に善い行いをした物」です。

では、生前に善い行いをした物とは何でしょうか?それは、1つ目に「隣人への愛:慈しみ・憐れみ、思い遣り」、2つ目に「隣人への施し・与えた物」、3つ目に「隣人のために流した涙」、4つ目に「隣人への赦し」です。これらはすべて天の国に持っていける……というか、持って行くことになります。しかし、自分が現世で得た物・所有していたものは一切持っていけません。

仏教は「ご利益宗教」ですが、キリスト教はご利益を求めない宗教です。自分のためではなく、「隣人のために善き行いをする」ということを大切にしているからですね。ですから、生きている間に(現世で)、善き行いを一つで多く、一つでも熱心に一生懸命に行いましょう!『最後の審判』の時には、イエス・キリストの前で、隣人への愛をどのくらい注いだのか?、隣人をどのくらい赦したのか?これは必ずや問われることになります。神様は真実な方です。私たちの傍にいて毎日その行いを見ておられます。日々の信仰生活が問われているのです。
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