「聖アタナシオ司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

5月2日(木)から、このブログのアカウント変更手続き作業のため、昨日6日(月)までの5日間をお休みいただきました。遅くなりましたが、掲載予定であった記事を掲載いたします。
先日の5月2日は、「聖アタナシオ司教教会博士」の記念日でした。
エジプトのアレキサンドリアに生まれた聖アタナシオ(294年~373年)は、20歳のとき砂漠の隠遁者の聖アントニオと出会い、彼のもとで数年修業に励みました。修道生活を東方から西方にもたらしたのは聖アタナシオです。
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そのころアレキサンドリアでは、キリストの神性を否定する異端のアリウス派がしだいに広がり、社会情勢は不安に陥っていました。このため、ローマ帝国の皇帝であるコンスタンティヌスは、325年に「ニケア公会議」を開催し、司教たちを招集しました。司教からの依頼を受けたアタナシオは、この異端と大論争を展開し、数多くの司教たちの支持を受けました。そして、教会は「キリストは本性において神である父と同一のもの」であると宣言し、信仰をはっきりさせました。この時に定められたのが、「ニケア使徒信経」です。聖アタナシオは328年にアレキサンドリアの司教になり、公会議とその教えを支えました、歴代のローマ皇帝の変転する宗教政策により、追放5回、延べ17年間の亡命生活を余儀なくされましたが、多くの優れた著書を残しています。
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