2023年5月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今月は31日間ある中の12日間(38.7%)を6つの教会・修道院に16回訪問し、16回ミサに与って16回ご聖体を拝領させていただきました。なお、ホームレス支援活動は0回でした。
4月28日(金)の仕事中に胸部に激痛が起こり、病院で検査・診察の結果、狭心症と診断されました。これまでの睡眠時間を今まで1日4〜5時間だったものを6〜7時間に増やし、体重を現在の84kgから75kgに減量しなけれはなりません( ̄◇ ̄;) これは身体への負担を減らし、心臓への負荷を軽減するためです。

そこで、これまで毎朝欠かさず早朝7時からの平日のミサに与てきましたが、6月からは基本的に次のとりとすることにしました。
◯平日のミサ(早朝7時からのミサ)
1.第一金曜日の初金のミサを除く第二~第四金曜日の先唱奉仕の担当日(月3日)
2.毎月第三月曜日の朗読奉仕の担当日(月1日)
◯主日のミサ
毎週土曜日の18時のミサ(月4回)
また、2月から曜日によってカトリック相模原教会、八王子教会及び松原教会にお世話になっていましたが、いらぬご迷惑をおかけすることになりますので、基本的に私の所属するカトリック成城・聖タデオ教会のみとすることにしました。
そして、ミサで唯一の楽しみであった成城教会聖タデオ聖歌隊の聖歌奉仕活動も当分の間はお休みすることにし、今月は「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動も不本意ながらお休みしました。非常に残念ですが、身体を壊してしまっては元も子もなくなってしまいますから、欲求を捨てて自制します。

1日(月)………
2日(火)………
3日(水)………
4日(木)神奈川県相模原市・相模原教会:復活節第四木曜日のミサ・9時から
5日(金)成城教会:初金のミサ(復活節第四金曜日のミサ)10時から
6日(土)松原教会:復活節第五主日のミサ・19時から
7日(日)八王子教会:復活節第五主日のミサ・7時から
8日(月)………
9日(火)………
10日(水)………
11日(木)………
12日(金)成城教会②:復活節第五木曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
13日(土)神奈川県相模原市・相模原教会②:復活節第五土曜日のミサ・7時から
  〃  松原教会②:復活節第六主日のミサ・19時から
14日(日)八王子教会②:復活節第六主日のミサ(世界広報の日)・7時から
15日(月)成城教会③:復活節第六月曜日のミサ・7時から(朗読奉仕)
16日(火)………
17日(水)………
18日(木)………
19日(金)成城教会④:復活節第六金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
20日(土)神奈川県相模原市・相模原教会③:復活節第六土曜日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会:復活節第六土曜日のミサ・12時から
  〃  吉祥寺教会:主の昇天の祭日のミサ・17時から
  〃  松原教会③:主の昇天の祭日のミサ・19時から
21日(日)………
22日(月)………
23日(火)………
24日(水)………
25日(木)………
26日(金)成城教会⑤:聖フィリポ・ネリ司教の記念日のミサ(復活節第七金曜日のミサ)・7時から(先唱奉仕)
27日(土)成城教会⑥:聖霊降臨の祭日のミサ・18時から
28日(日)………
29日(月)………
30日(火)………
31日(水)………
以上です。

【元も子もなくなる】
元も子もないの「元」は元金、「子」は利子のこと。 投資をして利子を得るはずだったが、それどころか元金も全て失くしてしまうことを「元も子もなくなる」と言います。そこから、金銭的なことだけではなく、無理をしたり欲張り過ぎ、何もかも全てを失うことのたとえとして用いられるようになりました。
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カラヴァッジョの『ロザリオの聖母』のご紹介 [キリスト教と美術]

今月は「聖母月」ですが、今日31日が最終日です。
ご紹介する『ロザリオの聖母』は、私が大好きな画家であるカラヴァッジョ(イタリア・ミラノ:1571年~1610年)の作品です。本名は、ミケランジェロ・メリージです。ミラノの小さな村カラヴァッジョの生まれのため、カルヴァッジョの通称で呼ばれています。この作品は、カラヴァッジョがナポリにおいて製作したもので、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されています。
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<解説>
中央上部に聖母子(聖母マリア様に抱かれた幼いイエス・キリスト)、その左側横に両手にロザリオを持った聖ドミニコ司祭、その足元に民衆がおり、右側のこちらを向いて聖母子を指さしているのがイエス・キリストの12使徒(弟子)の頭である聖ペトロだそうです。
聖母マリア様は、聖ドミニコ司祭に目配せしてロザリオを指差し、民衆に配るように指示しています。民衆は熱狂的に聖ドミニコ司祭にすがるように懇願し、神の恵みとともにこのロザリオを欲しているようです。それは信仰することを求めるということですね。民衆には幼いイエス・キリストと聖母マリア様は見えませんが、聖ドミニコ司祭には見えるのです。また、上から垂れている赤い生地は栄誉を表しているとのことです。
一番左側の聖ドミニコ司祭の足元に、頭の禿げた男性がこちらを向いていますが、これは寄進者だそうです。彼は聖ドミニコのマントの端を掴んでおり、このマントは庇護マントであり、こちらに向かって聖ドミニコの庇護マントに身を寄せることをこの絵を見る人々に勧めているようです。
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「聖母の訪問」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日5月31日は、「聖母の訪問」の祝日です。
「聖母月」の最終日でもあります。
神の子であるイエス・キリストを身ごもった聖母マリア様が、親戚のエリザベト訪問したことを記念する日ということです。
ローマでは8世紀に、待降節中に聖母の訪問が祝われ、東方教会では7月2日が祝日とされていました。第二バチカン公会議の典礼刷新において「エリサベトはもう六か月になっている(ルカによる福音書:第1章・第36節)」という天使ガブリエルの聖母マリア様への言葉と「マリアは三か月ほどエリサベトのところに滞在した(ルカにようる福音書・第1章・第56節)」という福音書の記述に従って、「聖母の訪問」の祝日は「神のお告げ(3月25日)」と「洗礼者聖ヨハネの誕生(6月24日)」の間の日に移されました。4月のはじめは復活祭と重なることが多く、この祝日は聖母月とされる5月の最終日に定められました。
ジョット・ディ・ボンドーネ(イタリア:1267年頃~1337年1月8日)の作です。中央の人物の左側が聖母マリア様、右側がエリザベトです。
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聖母マリア様が、大天使カブリエルから“受胎告知(じゅたいこくち・「赤ちゃん(イエス・キリスト)が授かりましたよ」という告知)”を受けたころ、彼女の親戚であるエリザベトも懐妊していると、大天使ガブリエルから聞きました。エリザベトは、長年子どもができず年老いていましたので、聖母マリア様はエリザベトの懐妊を聞き、神の偉大な力に驚き賛美して、さっそく山里にあるエリザベトの家を訪ねました。聖母マリア様の訪問を喜んだエリザベトは、新約聖書のルカによる福音書に記載のあるとおり、感動の言葉を述べたのでした。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第39~45節
「そのころ、マリアは旅だって、急いでユダの山地にある町に向かった。そしてザカリアの家に行き、エリサベトに挨拶した。 エリサベトがマリアの挨拶を聞くと、胎内の子が躍り、エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに叫んで言った、『あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎内の子も祝福されています。わたしの主の御母(おんはは)が、わたしのもとへおいでくださるとは、いったい、どうしたことでしょう。あなたの挨拶のお声が、わたしの耳に入ったとき、胎内の子が喜び躍りました。主から告げられたことが成就すると信じた方は、ほんとうにお幸せなことです。』」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

そこで、聖母マリア様は、神に感謝して祈りました。この祈りが有名な「マニフィカト」です。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第46~第55節
「そこで、マリアは言った。
『わたしの魂は主を崇め、
わたしの霊は、
救い主である神に、喜び躍ります。
主が、身分の低いはしために、
目を留めてくださったからです。
そうです。今から後、いつの時代の人々も、
わたしを幸いな者と呼ぶでしょう。
力ある方が、
わたしに偉大な業を行われたからです。
その名は尊く、
その憐れみは代々限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕をもって力ある業を行われ、
心の思いの高ぶった者を、追い散らされました。
権力をふるう者をその座から引き下ろし、
身分の低い者を引き上げられました。
飢えた者を善いもので満たし、
富める者をむなしく追い返されました。
主は憐れみを心に留め、
その僕、イスラエルを助けてくださいました。
わたしたちの先祖に仰せになったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。』
マリアはエリザベトのもとに三か月ほど滞在した後、家に帰った。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

「ルカによる福音書」は、聖母マリア様の訪問について語る直前に、天使がイエス・キリストの受胎を聖母マリア様に告げる場面を記しています。その中で、天使は聖母マリア様に「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と言っています。聖母マリア様は、神の子イエス・キリストを身ごもるにあたって、聖霊に満たされました。そのすぐ後に、親戚のエリサベトのところへと向かいました。どうやら、福音書は、エリサベト訪問が神の霊に導かれた行動であった、つまり、聖母マリア様の思いやりから生まれた行動ということもあったと思いますが、神様の導きに身を任せた行動であり、神様がなされた業であったということが言えます。聖霊に導かれてなされる行いは、聖霊の力に満たされて行ったイエス・キリストや使徒たちの宣教活動を思わせるものがありますね。このことから、「聖母の訪問」は、福音宣教を先取りしているといえるのではないでしょうか。
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「聖ジャンヌ・ダルク」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日5月30日は、聖ジャンヌ・ダルクの任意の記念日です。
昔から歴史物語や映画で世界的に有名ですから皆さんよくご存じですね。「オルレアンの乙女」とも呼ばれています。ジャンヌ・ダルク(フランス:1412年ごろ~1431年5月30日)は、フランスの東部で貧しい農家の娘として生まれました。13歳の時に「フランスを救え」という神からの啓示を受け、フランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献しました。その後、ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡されました。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって、魔術によって神を冒涜したという罪をきせられ「不服従と異端」の疑いで異端審問にかけられました。最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を終えました。
ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命令でジャンヌの復権裁判が行われた結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言され名誉は回復されました。その後、ジャンヌは1909年に列福、1920年には列聖され、フランスの守護聖人の一人となり、フランスの国民的英雄となっています。

フランスの新古典主義の画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルによって、1854年に制作された《戴冠式のジャンヌ・ダルク》です。ルーヴル美術館に所蔵されています。
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死刑執行日、ジャンヌはピエール・コーション司教に向かって「司教さん、私は貴方のせいで死ぬのですからね」と述べたという。コーション司教は「お前は我々に約束したことを守らなかったし、元の悪行に戻ったため、死ぬことになったんじゃないか」と答えましたが、それに対してジャンヌは、「貴方が私を教会裁判所の牢に入れ、しかるべき正式な看守の手にゆだねてくれれば、こんなことにはならなかったのに。だから私は貴方を神の前で告発します」と述べたと伝えられています。ピエール・コーション司教は死後に地獄に落ち、現在に至るまで地獄の燃え盛る炎で焼かれていることでしょう。
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今日の日記その二2023.5.59(アップルパイ!) [日記]

病院の帰りに、いつものパン屋さんで大好物のアップルパイを買って帰りました。狭心症で食事を節生していることもあり、毎日ほとんど野菜と魚が中心の食事ですから、たまにはいいかな〜と(⌒-⌒; ) 今日と明日で食べますね。もちろん妻と半々ですよ( ̄▽ ̄;)
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今日の日記2023.5.29(病院!) [日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、北里大学附属病院に来ました。受診は循環器内科で、今月3回目の通院です(⌒-⌒; ) 病名は狭心症てす。またまた採血をしました!( ̄◇ ̄;) 注射は、この世の中で一番嫌いなもので、採血のたびに憂鬱になりストレスがかかります!注射嫌いは、生まれてこの方64年間唯一不変であります!なんか、大の大人が小さな子どもみたいですね(⌒-⌒; )

次回以降も検査が続きますが、まず「負荷心臓核医学検査」があります。放射性医薬品を点滴で体に入れて運動負荷や薬物負荷をかけて検査するのですが、安静時には分からない心筋への血液の状態を調べ、隠れている狭心症を見つけたり、心筋梗塞や狭心症の治療後の効果判断を目的として行う検査だそうです。一日かかりになります( > _ < )核医学?なんか恐ろしいですね!

私の家系は、心臓疾患の家系です。父は心筋梗塞で救急車で救急病院に搬送され、九死に一生を得て助かり88歳まで生きました。しかし、父の兄(叔父さん)は心筋梗塞で40歳代後半で亡くなっています。父の父親(お爺さん)も心臓発作(たぶん心筋梗塞)で、同じく40歳代後半で亡くなっています。父がまだ20歳前のころです。その血筋を私が継いでいるのですね( ̄◇ ̄;)
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【核医学】
「核医学とは、ごく微量の放射性同位元素(Radioisotope、ラジオアイソトープ又は略してRIまたはアイソトープといいます。) を目印としてつけた医薬品を用い、病気の診断や治療をする放射線医学の専門分野です。核医学診断の対象となる疾患は、心臓、脳、呼吸器、消化器、腎尿路系、内分泌疾患、骨関節 など多岐にわたっており、さまざまな病態や機能の診断が可能だそうです。」
【核医学検査】
「ごく微量の放射線を放出する薬(これを放射性医薬品といいます)を用いて病気を診断する検査のことです。この薬が点滴や注射などにより体内に入ると、特定の臓器(骨や腫瘍など)に集まりそこから放射線を発します。この放射線をガンマカメラと呼ばれる特殊なカメラで検出し、その分布を画像にします。 」
【放射性医薬品】
「ごく微量の放射線を放出する薬のことです。多くの場合、注射された薬は、一度は目的の臓器や器官に集まりますが、その後は、体から薬が排泄されたり、薬が持つ放射線を放出する能力が弱くなっていくため、早いものでは数時間で、遅くても数日で放射線が弱くなって、やがてなくなってしまいます。」
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「教会の母聖マリア」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日5月29日は、「教会の母聖マリア」の記念日です。
聖霊降臨の主日の翌日にあたる月曜日から、教会カレンダーは、復活祭(復活の主の)から聖霊降臨祭(聖霊降臨の主日)までの50日間を終わり、再び「年間」に入ります。年間は必ず34週と決まっているため、聖霊降臨の主日が何日になるかによって、年間の何週から入るかが決まっていきます。今年は、年間第10週となります。その最初の月曜日に教会は、「教会の母聖マリア」を記念します。
フランシスコ教皇は、2018年、この記念日を一般ローマ暦に加えることを決定しました。教皇は「マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です」と言われました。教会の母である聖マリアに、祈る教会の最高の模範である彼女に、キリストに約束された聖霊を祈り求めましょう。
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◯ミサ(司式)『毎日のミサ 2023.5.29』から
☆入祭唱
弟子たちはイエスの母マリアと心を合わせて熱心に祈っていた。
(新約聖書:使徒言行録・第1章・第14節参照)

☆集会祈願
あわれみ深い父である神よ、
十字架につけられた御ひとり子は、
ご自分の母であるおとめ聖マリアを、
わたしたちの母として与えてくださいました。
マリアの愛に助けられ、
あなたの教会が、日々、信じる人々の誕生と成長を喜び、
母としてすべての民の家族を迎え入れることができますように。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

☆第一朗読
◯旧約聖書:創世記・第3章・第9~第15節、第20節
〔アダムが木の実を食べた後に、〕主なる神は〔彼〕を呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
呪われるものとなった。
お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。」
アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

または
☆第一朗読
◯新約聖書:使徒言行録・第1章・第12~第14節
『使徒たちの宣教』
〔イエスが天に昇られた後、〕使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

☆答唱詩編
(旧約聖書:詩編・第87編・第1節+第2節、第3節+第5節、第6節+第7節)
答唱
神の町シオンよ、お前に示された神のことばはすばらしい。
神はシオンの町をとうとい山の上に建て、
ヤコブのすべての住まいより愛される。
神の町シオンよ、お前に示された神のことばはすばらしい。
シオンはすべての者の母と言われ、すべてを越えるかたに支えられる。
神は民を数えられる時、すべての人をシオンの民に加えられる。
彼らは踊りながら歌う。「シオンはわたしたちの泉。」
(歌う場合じゃ、詩編・第65編・第3節+第4節、第5節、第6節 『典礼聖歌』183)

答唱
われらはシオンで神をたたえ、豊かな恵みを喜び歌う。
祈りを聞いてくださる神、罪に苦しむ人はみな、あなたのもとをたずねる。
罪の重荷にうちひしがれても、あなたはすべてをゆるしてくださる。
あなたの庭に住むように選ばれ、招かれた人はしあわせ。
わたしたちはあふれる恵みに潤される、あなたの家、神殿の中で。
わたしたちの救い、わたしたちの神よ、あなたは地の果ての望み、遠い島々の希望。
わたしたちにこたえて救いを現し、驚くべきしるしを行われる。

☆アレルヤ唱(『典礼聖歌』の年間アレルヤ唱の旋律を用いる)
アレルヤ、アレルヤ。
幸せなかた、主を産んだおとめ、教会の母よ。
あなたはわたしたちのうちにイエス・キリストの霊をはぐくんでくださる。
アレルヤ、アレルヤ。

☆福音朗読
(新約聖書:ヨハネによる福音・第19章・第25~第34節)
「ヨハネによる福音」
〔そのとき、〕イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

☆奉納祈願
恵み豊かな神よ、
わたしたちのささげものを受け入れ、
救いをもたらす秘跡としてください。
秘跡の力と
教会の母おとめマリアの愛がわたしたちを燃え立たせ、
マリアとともに、あがないのわざにいっそう強く結ばれますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
叙唱聖母マリア三-聖母マリアの生涯-(『ミサ典礼書』608ページ)

☆拝領唱
ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。
イエスは最初のしるしを行い、その栄光を現され、
弟子たちはイエスを信じた。
(新約聖書:ヨハネによる福音書・第2章・第1節、第11節参照)
または
十字架につけられたイエスは、愛する弟子に言われた。
「見なさい。あなたの母です。」
(新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第26~第27節参照)

☆拝領祈願
聖なる神よ、
あがないをもたらすいのちの糧を受けて、心から祈ります。
あなたの教会が、母であるおとめマリアの助けによって、
すべての民に福音を告げ知らせ、
あなたから注がれる聖霊を受けて、全世界に広がりますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
(2018年4月5日日本カトリック司教協議会常任司教委員会承認
ミサ司式は以上です。

ローマ教皇庁典礼秘跡省
◯通 達
「教会の母聖マリア」の記念日について
「教会の母聖マリア」の義務の記念日は、本年の聖霊降臨後の月曜日にすべての人によって祝われなければならないが、この記念日がローマ暦に記入されたことをふまえて、以下の指針を示すことは時宜を得ていると思われる。
『ローマ・ミサ典礼書』の聖霊降臨のミサの式文に続く典礼注記は、次のように述べている。「聖霊降臨後の月曜日もしくは火曜日が、信者にとってミサへの参加が義務もしくは習慣となっているなら、聖霊降臨の主日のミサを繰り返すか、聖霊のためのミサをささげることができる」(『ローマ・ミサ典礼書(規範版)』448 頁)。この典礼注記は現在も有効である。
なぜなら、その祭儀が、「典礼日の優先順位表」(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」59 参照)によってのみ規制される典礼日間の優先権を損なうことはないからである。同様に、優先権は信心ミサに関する以下の規則によって規制される。「義務の記念日に当たる日、または12 月 16 日までの待降節、1 月 2 日からの降誕節、主の復活の 8 日間後の復活節の週日には、種々の機会のミサと種々の目的のためのミサと信心ミサは原則として禁じられる。しかし、それが真に必要あるいは司牧上有益であるならば、会衆が参加するミサにおいて、教会責任者または司式司祭自身の判断によって、その必要性または有益性に応じるミサを用いることができる」(「ローマ・ミサ典礼書の総則」376)。
それにもかかわらず、その他の点ですべて同等であるなら、「教会の母聖マリア」の義務の記念日を選ぶべきである。記念日の式文は、朗読箇所の指示とともに「教令」に添付されている。これらは、霊的母性の神秘を明らかにするので、固有のものとして保たれなければならない。『ミサの朗読配分(Ordo lectionum Missae)』の改訂版では、第 572 項の 2 の典礼注記は、朗読箇所が固有であること、また、その日が記念日であっても当日の朗読の代わりに採用すべきであることを明確に示すことになるであろう(「朗読聖書の緒言」83参照)。
この記念日が他の記念日と重なる場合には、典礼暦年と典礼暦に関する一般原則に従うべきである(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」60 参照)。「教会の母聖マリア」の記念日が聖霊降臨と関連づけられていることを考えれば、「聖母のみ心」の記念日が「イエスのみ心」と関連づけられているのと同じように、聖人や福者の記念日と重なる場合には、人々の間の卓越した典礼の伝統に従い、聖母マリアの記念日が優先される。
  典礼秘跡省にて、2018 年 3 月 24 日
  長官 ロベール・サラ枢機卿
  次官 アーサー・ローチ大司教

ローマ教皇庁典礼秘跡省
◯教 令
一般ローマ暦における「教会の母聖マリア」の祭儀について 現代の教会は大きな喜びをもって神の母を崇敬しており、キリストの神秘とその本性に ついて考察するなら、一人の女性(ガラテヤ 4・4 参照)、すなわちキリストの母であると同時 に教会の母でもあるおとめマリアの姿を見過ごすことはできない。
このことはある意味で、聖アウグスティヌスと聖大レオが先駆けて語ったことばを通し て、教会の心の中にすでに残されていた。実際、聖アウグスティヌスは、マリアはキリス トの肢体の母であると述べている。それは、信者が教会のうちに新たに生まれることに、 マリアが愛をもって協力したからである。他方、聖大レオは、頭の誕生はからだの誕生で もあると述べて、マリアは神の子キリストの母であると同時に、神秘体すなわち教会の成 員の母であることを示している。こうした考察は、マリアが神の母であること、そして、 十字架の時に頂点に達したあがない主のわざにマリアが深く一致したことに由来している。
たしかに、母は十字架のもとに立ち(ヨハネ 19・25 参照)、わが子の愛のあかしを受け入れ、 永遠のいのちへと再生する子としてすべての人を最愛の弟子の名のもとに迎えた。こうし て母は、キリストが十字架上で霊をゆだねることによって生まれた教会の優しい母となっ た。さらにキリストは、最愛の弟子のうちに、すべての弟子を母に対する自らの愛の奉仕 者として選んだ。キリストは母をこの人々にゆだね、こうして彼らは孝愛をもって母を迎 えることができたのである。
生まれたばかりの教会の優しい導き手として、マリアは聖霊の到来を待ち望む使徒たち とともに祈り、階上の部屋で自らの使命を果たし始めていた(使徒言行録 1・14 参照)。この 意味で、敬虔なキリスト者は時代の流れの中で、たとえば弟子たちの母、信者の母、信じ る者の母、キリストにおいて新たに生まれるすべての人の母など、さまざまな称号をもっ てマリアをたたえてきた。また、同じように、霊的著作家の文章や教皇ベネディクト 14 世とレオ 13 世の教導職において、「教会の母」という称号も用いられた。
福者教皇パウロ 6 世は、第 2 バチカン公会議第 3 会期の閉会に際し、1964 年 11 月 21 日に、聖なるおとめマリアを「教会の母」と宣言した。「それはマリアが、信徒であれ司牧 者であれマリアを最愛の母と呼ぶすべてのキリスト者の母であるということである」。そし て、「すべてのキリスト者が、最も甘美なこの称号をもって、今後いっそう神の母に敬意を 払い、取り次ぎを願うよう」定めた。
したがって、使徒座はあがないの聖年(1975 年)の機会に、教会の母聖マリアのための 信心ミサを提示し、これはその後『ローマ・ミサ典礼書』に採用された。使徒座はまた、 ロレトの連願にこの称号による嘆願を加えるための権限を付与し(1980 年)、『聖母マリア のミサ集(Collectio missarum de Beata Maria Virgine)』の中で他の式文を公布した(1986 年)。 また、使徒座に申請したいくつかの国、教区、修道家族には、この祭儀を特殊暦に加える ことが許された。 2 教皇フランシスコは、この信心を奨励することが、司牧者と修道者と信者における教会 の母性の感覚の成長とともに真正なマリアへの信心の成長もいかに大きく促進するかを熟 慮して、教会の母聖マリアの記念日を、ローマ暦の聖霊降臨後の月曜日に記載し、毎年祝 わなければならないと命じた。 この祭儀は、キリスト者の生活の成長が、十字架の神秘、聖体の晩餐におけるキリスト の奉献、そしてあがない主の母でありあがなわれた者の母であり、神に自らをささげたお とめであるマリアに固く結ばれていなければならないことを思い起こすために役立つであ ろう。 したがってこの記念日は、すべての暦、ならびにミサの祭儀と時課の典礼の典礼書に記 載されるべきである。関係する典礼式文は本教令に添付され、司教協議会によって準備さ れ認可された翻訳は、本省による認証の後に公表される。 教会の母聖マリアの祭儀が、局地法の規定に従って認可されたより高い典礼上の優先度 をもってすでに特定の日に祝われている場合、将来もその祭儀は同様の方法で祝うことが できる。 以上に反することはすべて退けられる。
  典礼秘跡省にて、2018 年 2 月 11 日、ルルドの聖母の記念日
  長官 ロベール・サラ枢機卿
  次官 アーサー・ローチ大司教

◯「教令」に関する解説
「教会の母」であるマリアの記念日について
ルルドでのおとめマリアの最初の出現から 160 年を記念する 2018 年 2 月 11 日付の「教令」をもって、教皇庁典礼秘跡省は、「教会の母聖マリア」の記念日を一般ローマ暦に加えるよう命じる教皇フランシスコの決定を履行する。「教令」には、ミサと時課の典礼とローマ殉教録のためのラテン語による典礼式文が添付されている。司教協議会は、必要な式文の翻訳を認可し、認証を受けた後、その管轄区域のために典礼書の中で発表する。
新しい祭儀については、「教令」の中で簡潔に説明されている。「教令」は、第 2 バチカン公会議の『教会憲章』第 8 章で説明されているように、「キリストと教会の神秘の中の」マリアの存在について理解が深まり、マリアに対する典礼による崇敬が最終的に成熟したことを思い起こしている。たしかに、1964 年 11 月 21 日にこの教義憲章が発布される際、福者教皇パウロ 6 世が、マリアに「教会の母」という称号を荘厳に与えることを望んだのには正当な理由があった。キリスト者の意識は、二つの千年期という歴史を通して、キリストの弟子たちをさまざまな方法で聖母と分かちがたく結び付ける最終的なきずなをはぐくんできた。福音記者ヨハネは、十字架上で亡くなるイエスについて記すとき、そのようなきずなについてはっきりとあかししている(ヨハネ 19・26-27 参照)。自らの母を弟子たち
に与え、母を弟子たちに与え、「すべてのことが今や成し遂げられたのを知り」、死の間際のイエスは、神秘体である教会のいのちのために「息を引き取られた」。実に、「十字架の上に眠るキリストの脇腹から、このうえない秘跡である全教会が生まれた」(『典礼憲章』5条)のである。
十字架上のイエスの心臓から流れた水と血は、イエスのあがないをもたらす奉献の完全なしるしであり、洗礼と聖体を通して、教会に秘跡的にいのちを与え続けている。あがない主とあがなわれた者とのこのすばらしい交わりは、つねにはぐくまれなければならず、この交わりのうちに、聖マリアはその母として果たすべき使命をもっている。このことは、ヨハネ福音書 19・25-31 で思い起こされ、この箇所は創世記第 3 章と使徒言行録第 1 章からの朗読とともに、すでに示された新しい記念日のミサのために推奨されている。これらの箇所は、1975 年のあがないの聖年を前にして 1973 年に典礼省によって認可された「教会の母聖マリア」という信心ミサに含まれている(Notitiae 1973, pp. 382-383 参照)。
このように、マリアが教会の母であることを典礼の中で記念することは、1975 年の『ローマ・ミサ典礼書』規範版第 2 版の信心ミサの中にすでに採用されている。そして、聖ヨハネ・パウロ 2 世の教皇在位中には、ロレトの連願に「教会の母」という称号を加える可能性が司教協議会に与えられたNotitiae 1980, p. 159 参照)。また、マリア年に際して、典礼省は、『聖母マリアのミサ集(Collectio missarum de Beata Maria Virgine)』の中で、「教会の母であり象徴であるマリア」という表題で信心ミサのための他のミサの式文を発表した。何年か後には、ポーランドやアルゼンチンなどいくつかの国の固有の暦には、「教会の母」の祭儀を聖霊降臨後の月曜日に挿入することも認可された。その他の例として、福者パウロ6 世がこの称号を告知した聖ペトロ大聖堂のような特別な場所や修道会や団体の固有暦の中にこの祭儀が加えられた。
五旬祭に聖霊を待ち望んでいたときから、地上を旅する教会に母としてたえず気遣ってきたマリアの霊的母性の神秘の意義をふまえて、教皇フランシスコは、聖霊降臨後の月曜日に、教会の母であるマリアの記念日が、ローマ典礼様式の全教会で義務として守られることを定めた。聖霊降臨の教会の活力と教会に向けられるマリアの母としての心遣いとの結びつきは明らかである。ミサと聖務日課の式文の中で、使徒言行録 1・12-14 は、世のあがない主であるわが子の十字架のもとで「すべていのちある者の母」となった「新しいエバ」の予型の観点から読まれる創世記 3・9-15、20 と同じように、典礼祭儀に光を投げかけている。
この祭儀が全教会に広がるようにという願いは、すべてのキリストの弟子に次のことを思い起こさせるであろう。すなわち、神の愛によって成長し満たされることを望むなら、わたしたちの生活を三つの偉大な現実、すなわち、十字架と聖体と神の母の上にしっかりと据える必要があるということである。これらは、わたしたちの内的いのちを形づくり、実を結ばせ、聖化し、わたしたちをイエスへと導くために神からこの世界に与えられた三つの神秘である。この三つの神秘は、沈黙のうちに観想されなければならないのである(R.Sarah, The Power of Silence, n. 57 参照)
典礼秘跡省長官 ロベール・サラ枢機卿
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『明治の東海道を歩いた宣教師 テストヴィド神父書簡集』のご紹介! [キリスト教と読書]

今日は、『明治の東海道を歩いた宣教師 テストヴィド神父書簡集』のご紹介です。このブログに過去に掲載した記事を再掲載いたします。
江戸時代から続いたキリシタン禁令の高札が撤去された1873年(明治6年)、長崎の大浦天主堂にいた“信徒発見”で有名になったプティジャン司教(神父様)は、すぐにパリ外国宣教会の香港事務所の責任者であったオズーフ神父様に、「すぐに司祭15名と資金を送ってほしい!」と電報を打ちました。この要望に応えて送られた司祭たちの1人がテストヴィド神父でした。彼は高札が撤去された同じ年の6月に司祭叙階を受け、7月に船で出発して8月に横浜に着きました。
テストヴィド.jpg
この本は、日本の再宣教の年からの歴史的事実を踏まえ、テストヴィド神父様の残された18通の紙をもとに書かれています。明治時代のパリ外国宣教師達には乗り物などはなく、歩いての宣教活動でした。テトヴィド神父様も神奈川県全域を歩きまわり、キリストの福音を述べ伝え、洗礼を授け、教会を設立し、次いで、静岡、愛知、岐阜などの東海道を巡りながら宣教し、洗礼を授けていました。特に第5章は、テストヴィド神父様が箱根を巡回中、1人のハンセン病にかかった女性と出会ったことをきっかけに、神山復生病院の設立にまで及び、日本のハンセン病患者の最初の病院を建てることになりました。当時のハンセン病患者が、いかに悲惨な環境で生活していたかを知る貴重な書簡だと思います。神山復生病院の詳細は、このブログの2021年8月21日に掲載した「神山復生病院聖堂・カトリック墓地訪問のお話し」に書きましたので、是非お読み下さい。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-08-21-1
また、「第3書簡」では、テトヴィド神父様が横浜から私が住む町田市を訪れ、当時の町田市上小山田村・下小山田村辺りを通って八王子に達し、現在のカトリック八王子教会の礎を築いたことが分かります。

目次は次のとおりです。第1章 日本再宣教の黎明
1 パリ外国宣教会
2 再宣教までの道程
3 横浜天主堂と大浦天主堂
4 キリシタン禁令高札の撤去

第2章 テストヴィド神父、横浜へ
(1849~1877)
1 テストヴィド神父の誕生
2 日本への旅――第1書簡
3 横須賀から横浜へ――第2書簡
4 横浜から八王子へ――第3書簡

第3章 歩く宣教師――神奈川県全域
(1878~1880)
1 外国人の国内旅行と宣教師
2 小田原へ――第4書簡・第5書簡
3 砂川へ――第6書簡・第7書簡

第4章 歩く宣教師――東海道
(1881~1885)
1 静岡へ、愛知へ、岐阜へ(1)――第8書簡・第9書簡
2 静岡へ、愛知へ、岐阜へ(2)――第10書簡・第11書簡・第12書簡
3 芝生村天主堂と若葉町教会
4 プティジャン司教時代の終焉――第13書簡
5 沼津と砂川に教会誕生――第14書簡

第5章 神山復生病院設立
(1886~1891)
1 神奈川県と静岡県の巡回宣教
2 神山復生病院誕生までの道程――第15書簡・第16書簡
3 神山復生病院の設立――第17書簡
4 最後の書簡――第18書簡
5 香港で帰天

第6章 テストヴィド神父の時代
1 語り継がれる思い出
2 テストヴィド神父の後継者たち
3 テストヴィド神父の時代

◯著者紹介
中島昭子(なかじま あきこ)
捜真学院学院長。早稲田大学東アジア法研究所招聘研究員、関東学院大学キリスト教と文化研究所客員研究員。法制史学会、キリスト教史学会会員。捜真女学校高等学部、早稲田大学法学部卒業。同法学研究科博士前期課程、パリ第2大学博士課程修了。
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「聖霊降臨の主日(聖霊降臨祭・五旬祭・ペンテコステ)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日5月28日は、「聖霊降臨の主日(祭日)」です。
イエス・キリストが復活して天に昇られた後、集まって祈っていた聖母マリア様や信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事を記念してお祝いする日のことです。「聖霊降臨祭(せいれいこうりんさい)」、「五旬節(ごじゅんせつ)」、「五旬祭(ごじゅんさい)」とも言います。新約聖書においては「五旬祭(ペンテコステ)」と呼ばれています。イエス・キリストは、共に福音宣教する弟子たちに<聖霊の降臨>について話されていました。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第14章・第25~第26節
「私は、あなたがたのもとにいる間これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」
『聖書協会共同訳聖書』から

そして聖書はその約束された<聖霊の降臨>の出来事を記しています。
◯新約聖書:使徒言行録・第2章・第1~第4節
「五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。」
『聖書協会共同訳聖書』から

私の大好きな画家であるスペインのエル・グレコ作の「聖霊が使徒たちに降臨する 」です。この場面は、前掲した「使徒言行録」の第2章・第1~第4節の場面を描いていますね。中央の女性が聖母マリア様です。
聖霊降臨.jpg聖霊降臨.jpg
聖霊については、処女マリアがイエス・キリストをみごもったのは聖霊によってであること(ルカによる福音書・第1章・第35節)、イエス・キリストが洗礼を受けた時に聖霊がくだったこと(マルコによる福音書・第1章・第10節)などからもわかるように、イエス・キリストが栄光を受ける以前に、すでにこの世に働きかけていたことがわかります。その同じ聖霊が内面に働きかけ、すべての人の救いのための業を行い、教会を発展させるために、聖霊は弟子たちとともに永遠にとどまるために、弟子たちのうえに下ったのです。これを“聖霊の降臨”といいます。

第二バチカン公会議の「教会の宣教活動に関する教令4」では聖霊の働きをつぎのように説明します、「聖霊降臨の日に教会は多くの人の前に公に現わされ、説教によって諸国民への福音の宣布が始められた。そして、普遍的信仰において結ばれる諸国民の一致が、新約の教会を通して予告された。この教会は、すべての国語を語り、愛をもってすべての国語を理解し、受け入れ、こうしてバベルの離散を征服する」。このことから聖霊降臨が教会活動の始まりだといわれ、特別に祝われます。またこの出来事はキリストの復活から50日目で日曜日にあたり、この日を「ペンテコステ(ギリシャ語で50の意)」とも言います。

聖霊によって使徒たちがキリストの教えをよく悟り、力強く述べ伝え、多くの人々をキリストへの信仰に導いたように、教会はその歴史の中でこれまで、そして現在も聖霊が働かれていることを宣言し、その意義を唱え、そして聖霊による働きを求めています。公会議公文書は次のように明言します。「聖霊はあらゆる時代に全教会を『交わりと奉仕のうちに一つにまとめ、位階制度と霊の種々のたまものとをもって教え導く』。また聖霊は、教会の諸制度の魂であるかのようにそれらを生かし、信者の心にはキリスト自身を動かした同じ宣教精神を注ぎ込む。時として聖霊は、目に見えるかたちをとって、使徒的活動に先立ち、また種々の方法によってその活動に絶えず伴い、それを導く」(宣教教令4)
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教会日記2023.5.27(カトリック成城・聖タデオ教会「聖霊降臨の祭日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、病院に行くために仕事はお休みをいただき、カトリック成城・聖タデオ教会での18時からの「聖霊降臨の祭日の主日のミサ」に与りました。4月末に狭心症になり、休日に身体に負担をかけないようにと、しばらく主日のミサは自宅から近い八王子教会で与っていましたが、土曜日の朝ミサに与っていたカトリック相模原教会を含めて、所属教会であるカトリック成城・聖タデオ教会以外の教会のミサに与ることはやめました。自分では気がつきませんが、やはり何かとご迷惑をおかけすることもありますからね(⌒-⌒; )

したがって、カトリック成城・聖タデオ教会では、先唱奉仕を担当している金曜日は、第一金曜日(初金のミサ)を除いて、第二〜第四金曜日の7時からの平日のミサに与り、他に第三月曜日に朗読奉仕を担当していますので、担当日の第三月曜日の7時からの平日のミサに与ります。主日のミサは、毎週土曜日の18時からのミサに与ります。いずれにしても、基本的にミサに与るのは、一ヶ月月曜日1回、金曜日3回、土曜日4回、合計8回となります。何年も毎日のように朝ミサ&主日のミサに与っていましたが、とりあえず体調がよくなるまで我慢します!

ミサでは、「聖霊降臨」の祭日を祝いお祈りを捧げました。(「聖霊降臨」については、明日のブログ記事としてアップしますね。)
そして、まず主を讃えるお祈りを唱えました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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