『明治の東海道を歩いた宣教師 テストヴィド神父書簡集』のご紹介! [キリスト教と読書]

今日は、『明治の東海道を歩いた宣教師 テストヴィド神父書簡集』のご紹介です。このブログに過去に掲載した記事を再掲載いたします。
江戸時代から続いたキリシタン禁令の高札が撤去された1873年(明治6年)、長崎の大浦天主堂にいた“信徒発見”で有名になったプティジャン司教(神父様)は、すぐにパリ外国宣教会の香港事務所の責任者であったオズーフ神父様に、「すぐに司祭15名と資金を送ってほしい!」と電報を打ちました。この要望に応えて送られた司祭たちの1人がテストヴィド神父でした。彼は高札が撤去された同じ年の6月に司祭叙階を受け、7月に船で出発して8月に横浜に着きました。
テストヴィド.jpg
この本は、日本の再宣教の年からの歴史的事実を踏まえ、テストヴィド神父様の残された18通の紙をもとに書かれています。明治時代のパリ外国宣教師達には乗り物などはなく、歩いての宣教活動でした。テトヴィド神父様も神奈川県全域を歩きまわり、キリストの福音を述べ伝え、洗礼を授け、教会を設立し、次いで、静岡、愛知、岐阜などの東海道を巡りながら宣教し、洗礼を授けていました。特に第5章は、テストヴィド神父様が箱根を巡回中、1人のハンセン病にかかった女性と出会ったことをきっかけに、神山復生病院の設立にまで及び、日本のハンセン病患者の最初の病院を建てることになりました。当時のハンセン病患者が、いかに悲惨な環境で生活していたかを知る貴重な書簡だと思います。神山復生病院の詳細は、このブログの2021年8月21日に掲載した「神山復生病院聖堂・カトリック墓地訪問のお話し」に書きましたので、是非お読み下さい。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-08-21-1
また、「第3書簡」では、テトヴィド神父様が横浜から私が住む町田市を訪れ、当時の町田市上小山田村・下小山田村辺りを通って八王子に達し、現在のカトリック八王子教会の礎を築いたことが分かります。

目次は次のとおりです。第1章 日本再宣教の黎明
1 パリ外国宣教会
2 再宣教までの道程
3 横浜天主堂と大浦天主堂
4 キリシタン禁令高札の撤去

第2章 テストヴィド神父、横浜へ
(1849~1877)
1 テストヴィド神父の誕生
2 日本への旅――第1書簡
3 横須賀から横浜へ――第2書簡
4 横浜から八王子へ――第3書簡

第3章 歩く宣教師――神奈川県全域
(1878~1880)
1 外国人の国内旅行と宣教師
2 小田原へ――第4書簡・第5書簡
3 砂川へ――第6書簡・第7書簡

第4章 歩く宣教師――東海道
(1881~1885)
1 静岡へ、愛知へ、岐阜へ(1)――第8書簡・第9書簡
2 静岡へ、愛知へ、岐阜へ(2)――第10書簡・第11書簡・第12書簡
3 芝生村天主堂と若葉町教会
4 プティジャン司教時代の終焉――第13書簡
5 沼津と砂川に教会誕生――第14書簡

第5章 神山復生病院設立
(1886~1891)
1 神奈川県と静岡県の巡回宣教
2 神山復生病院誕生までの道程――第15書簡・第16書簡
3 神山復生病院の設立――第17書簡
4 最後の書簡――第18書簡
5 香港で帰天

第6章 テストヴィド神父の時代
1 語り継がれる思い出
2 テストヴィド神父の後継者たち
3 テストヴィド神父の時代

◯著者紹介
中島昭子(なかじま あきこ)
捜真学院学院長。早稲田大学東アジア法研究所招聘研究員、関東学院大学キリスト教と文化研究所客員研究員。法制史学会、キリスト教史学会会員。捜真女学校高等学部、早稲田大学法学部卒業。同法学研究科博士前期課程、パリ第2大学博士課程修了。
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「聖霊降臨の主日(聖霊降臨祭・五旬祭・ペンテコステ)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日5月28日は、「聖霊降臨の主日(祭日)」です。
イエス・キリストが復活して天に昇られた後、集まって祈っていた聖母マリア様や信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事を記念してお祝いする日のことです。「聖霊降臨祭(せいれいこうりんさい)」、「五旬節(ごじゅんせつ)」、「五旬祭(ごじゅんさい)」とも言います。新約聖書においては「五旬祭(ペンテコステ)」と呼ばれています。イエス・キリストは、共に福音宣教する弟子たちに<聖霊の降臨>について話されていました。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第14章・第25~第26節
「私は、あなたがたのもとにいる間これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」
『聖書協会共同訳聖書』から

そして聖書はその約束された<聖霊の降臨>の出来事を記しています。
◯新約聖書:使徒言行録・第2章・第1~第4節
「五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。」
『聖書協会共同訳聖書』から

私の大好きな画家であるスペインのエル・グレコ作の「聖霊が使徒たちに降臨する 」です。この場面は、前掲した「使徒言行録」の第2章・第1~第4節の場面を描いていますね。中央の女性が聖母マリア様です。
聖霊降臨.jpg聖霊降臨.jpg
聖霊については、処女マリアがイエス・キリストをみごもったのは聖霊によってであること(ルカによる福音書・第1章・第35節)、イエス・キリストが洗礼を受けた時に聖霊がくだったこと(マルコによる福音書・第1章・第10節)などからもわかるように、イエス・キリストが栄光を受ける以前に、すでにこの世に働きかけていたことがわかります。その同じ聖霊が内面に働きかけ、すべての人の救いのための業を行い、教会を発展させるために、聖霊は弟子たちとともに永遠にとどまるために、弟子たちのうえに下ったのです。これを“聖霊の降臨”といいます。

第二バチカン公会議の「教会の宣教活動に関する教令4」では聖霊の働きをつぎのように説明します、「聖霊降臨の日に教会は多くの人の前に公に現わされ、説教によって諸国民への福音の宣布が始められた。そして、普遍的信仰において結ばれる諸国民の一致が、新約の教会を通して予告された。この教会は、すべての国語を語り、愛をもってすべての国語を理解し、受け入れ、こうしてバベルの離散を征服する」。このことから聖霊降臨が教会活動の始まりだといわれ、特別に祝われます。またこの出来事はキリストの復活から50日目で日曜日にあたり、この日を「ペンテコステ(ギリシャ語で50の意)」とも言います。

聖霊によって使徒たちがキリストの教えをよく悟り、力強く述べ伝え、多くの人々をキリストへの信仰に導いたように、教会はその歴史の中でこれまで、そして現在も聖霊が働かれていることを宣言し、その意義を唱え、そして聖霊による働きを求めています。公会議公文書は次のように明言します。「聖霊はあらゆる時代に全教会を『交わりと奉仕のうちに一つにまとめ、位階制度と霊の種々のたまものとをもって教え導く』。また聖霊は、教会の諸制度の魂であるかのようにそれらを生かし、信者の心にはキリスト自身を動かした同じ宣教精神を注ぎ込む。時として聖霊は、目に見えるかたちをとって、使徒的活動に先立ち、また種々の方法によってその活動に絶えず伴い、それを導く」(宣教教令4)
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