教会日記2023.5.13(カトリック松原教会「復活節第六主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから、カトリック松原教会での19時からの「復活節第六主日のミサ」に与りました。仕事の終了時間の関係で、私の所属するカトリック成城教会の18時からのミサに間に合わないため、今月2回目の松原教会でのミサとなりました。狭心症を患っていることもあり、日曜日の主日のミサはお休みをして、なるべく自宅で療養することにしています。
(この記事は、手違いによって一度削除してしまいましたので、再度書き直して再掲載しています。)

ミサでは、まず主を讃えるお祈りを唱えました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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『アヴェマリアの祈り』のラテン語祈祷文 [祈り]

今月5月は「聖母月」です。
『アヴェマリアの祈り』を唱えましょう!
祈祷文を日本語 → ラテン語 → カタカナの順に掲載しました。ラテン語は、だいたいローマ字読みで読めるのです…………が、無謀なことと知りつつ、あえてカタカナ読みにしました( ̄▽ ̄;) 日本語祈祷文を暗記している上で、ラテン語祈祷文を暗記してお祈りすると、また違ったお祈りの境地に入ることができます。この雰囲気は何だろう…………。

「アヴェ、マリア、恵みに満ちた方
Ave Maria, gratia plena;
アヴェ マリア グラツィア プレナ

主はあなたと共におられます。
Dominus tecum;
ドミヌス テクム

あなたは女のうちで祝福され
benedicta tu in mulieribus,
ベネディクタ トゥ イン ムリエリブス

ご胎内の御子イエスも祝福されています。
et benedictus fructus ventris tui, Jesus.
エト ベネディクトゥス フルクトゥス ヴェントゥリス トゥイ イエズス

神の母聖マリア、
Sancta Maria, Mater Dei,
サンクタ マリア マーテル デイ

わたしたち罪びとのために、
ora pro nobis peccatribus,
オラ プロ ノビス ペカトリブス

今も、死を迎える時も、お祈りください。
nunc, et in hora mortis nostrae.
ヌンク エト イン オーラ モルティス ノストレ

Amen.
アーメン」
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教会日記2023.5.13(カトリック相模原教会「復活節第五土曜日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は病院に行くため、仕事は午前中お休みをいただき、病院の前にカトリック相模原教会での7時からの「復活節第五土曜日のミサ」に与りました。4月末からの体調不良(ほぼ狭心症)ですので、今日から土曜日がお休みの日は、これからも相模原教会のミサに与らさせていただきます。誠に勝手ながら大変お世話になります。
ちなみに、今夜はカトリック松原教会での19時からの「復活節第六主日のミサ」に与る予定です。
◯現在工事中の「聖ルドビコ茨木」様のご像です。十字架を抱いていらっしゃいます。教会入口正面にありますから、教会に来る人々を祝福してくださっているようですね。
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ミサでは、まず主を讃えるお祈りを唱えました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「ファティマの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日5月13日は、カトリック教会では「ファティマ(ファチマ)の聖母の任意の記念日です。
1917年(大正6年)5月13日、ポルトガルのファティマに住む3人の牧童の前に、聖母マリア様がご出現されました。イタリア・ローマ市内にあるバチカン市国の教皇庁が正式に奇跡として認めた「ファティマの聖母」又は「ファティマの預言」のことですね。このファティマの聖母のご出現は、いろいろなところに書かれていますから、それらを要約して掲載します。

ファティマは、ポルトガルの山中にある村のことです。第一次世界大戦の最中の1917年5月13日、3人の牧童の前に謎の貴婦人の姿をした女性が現われました。牧童はルシアという10歳の女の子、ルシアの従弟でフランシスコという男の子、そしてその妹で7歳のヤシンタです。3人は祈り方は知っていましたが、読み書きはできませんでした。この日、3人の子どもがいつものように羊たちを連れて丘の上で遊んでいると、突然、強い閃光が走り、小さな柊の木の上に、光り輝く貴婦人のような女性が立っていたそうです。貴婦人のような女性は、3人の子どもに6ヵ月間続けて毎月13日にここに来るように話し、子どもたちはその言葉に従って、村人の妨害にあいながらも毎月貴婦人のような女性に会いました。そして貴婦人のような女性から様々なメッセージを受け取り、6ヵ月目に貴婦人のような女性は「ロザリオの聖母」と自らを名乗ったといいます。

貴婦人のような女性と3度目に出会った7月13日、貴婦人のような女性が両手を広げると、3人の子どもは一瞬ですが、強い光線とともに火の海のような光景を見せられました。そこでは悪魔や人間のかたちをした霊魂が、絶望と苦悶のうちに火の固まりとなっています。貴婦人のような女性は、これは地獄の様子であると告げられました。子どもたちは地獄の実在に戦慄します。そして貴婦人のような女性は、「私があなた方に言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、戦争(第一次世界大戦)は終わるでしょう。しかし人々が神に背くことをやめないならば、教皇ビオ11世の御代にもっとひどい戦争が起こるでしょう」と警告しました。さらに貴婦人のような女性は、ロシアの奉献を求め「その求めに応じればロシアは回心し、平和が来るでしょうが、そうでないならばロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多くの苦しみを受けるでしょう」と警告します。女性の言葉が、第二次世界大戦と共産主義革命を指していることは、容易に見当がつきますね。
さらにもう一つ、いわゆる第3の預言もこの時に語られたといわれますが、内容はわかっていません。なお3回目の出現の時には、子どもたちの他に800人~1000人以上もの人が立ち会っていました。8月は、子どもたちは、行政側から拘束され町に連れていかれ、貴婦人のような女性の出現に立ち会うことはできませんでした。しかし子どもたちの話を信じる巡礼者が、2万人近く集まっており、彼らは強い閃光とともに木の上に白い雲が降り立ち、また空に上っていくのを見たといいます。

またその6日後の8月19日、祈りを捧げようとする子どもたちの前に、予期せぬかたちで貴婦人のような女性が現われました。9月13日の5回目の出現の時には、貴婦人のような女性は子どもたちに、「10月13日には、すべての人が信じるように、一つの奇蹟を行ないます」と告げます。9月13日には3万人ほどの人が集まっていましたが、多くの人が空を移動する球体を見たり、白い花びらのようなものが降ってくるのを見ました。
そして10月13日。その日は朝から雨でしたが、前月を上回る大群衆が集まりました。出現した貴婦人のような女性は、子どもたちに「私を称えてここに聖堂を建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。戦争は間もなく終わるでしょう」と告げます。そして聖母が去っていく時、ルシアは聖母に促され「太陽を御覧なさい」と叫びます。すると降り続いていた雨が急に止み、雲が切れて太陽が顔を出しました。太陽は様々な色の光線を発した後、ダンスをするかのように動き時に急降下するように動きました。その熱で雨に濡れていた群集の服は乾き、この約10分間の異常現象は居合わせた新聞記者たちも目撃し、翌日のポルトガル中の新聞が大々的に報じました。

高さ65mの塔をもつネオ・クラシック様式のファティマ大聖堂です。バジリカ式建築の聖堂で、バジリカはキリスト教において特別な高い地位にある聖堂に使われる名称であり、建築の平面形式のひとつです。
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1930年、現地管区のレイリア司教によって聖母の出現は公認され、同年、教皇ビオ12世によって、ファティマに参詣する者の贖宥が宣言されます。 また教皇庁は一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日をファティマの聖母の記念日としました。なお3人の牧童のうち、フランシスコとヤシンタ兄妹はほどなく天に召され、最年長のルシアは修道女となって、預言の内容を教皇庁に伝えます。第3の預言について、聖母は1960年に公表するようにと指示しましたが、教皇庁は公表しませんでした。 それがいわゆる「ファティマ第3の預言」とされるものです。この記録を見た教皇ヨハネ23世は絶句して再度封印し、次代の教皇パウロ6世は衝撃を受けて卒倒し、数日間人事不省に陥ったと伝えられています。
そして2000年に至り、教皇庁は「第3の預言」は1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件を指していたと発表しましたが、真の内容を伝えたルシアは「それはほんの一部でバチカンは嘘をついている」と司法省に提訴しています。そのルシアも2005年に97歳で他界しました。
この一連のファティマの聖母の奇蹟と、第3の預言が何を意味するのか、解釈はさまざまにあろうかと思いますが、将来における重大な警告を意味するのであろうことは、キリスト教カトリックの信徒でなくても察しのつくことではないでしょうか。真実を知りたいですね………ひょっとして、「ロシアの奉献」ということが言われていましたから、現在交戦状態にあるロシアのウクライナへの侵略かも?ですね。核兵器の使用が………絶対止めてもらいたい!
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