「聖ジャンヌ・ダルク」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日5月30日は、聖ジャンヌ・ダルクの任意の記念日です。
昔から歴史物語や映画で世界的に有名ですから皆さんよくご存じですね。「オルレアンの乙女」とも呼ばれています。ジャンヌ・ダルク(フランス:1412年ごろ~1431年5月30日)は、フランスの東部で貧しい農家の娘として生まれました。13歳の時に「フランスを救え」という神からの啓示を受け、フランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献しました。その後、ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡されました。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって、魔術によって神を冒涜したという罪をきせられ「不服従と異端」の疑いで異端審問にかけられました。最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を終えました。
ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命令でジャンヌの復権裁判が行われた結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言され名誉は回復されました。その後、ジャンヌは1909年に列福、1920年には列聖され、フランスの守護聖人の一人となり、フランスの国民的英雄となっています。

フランスの新古典主義の画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルによって、1854年に制作された《戴冠式のジャンヌ・ダルク》です。ルーヴル美術館に所蔵されています。
ジャンヌ・ダルク.jpg
死刑執行日、ジャンヌはピエール・コーション司教に向かって「司教さん、私は貴方のせいで死ぬのですからね」と述べたという。コーション司教は「お前は我々に約束したことを守らなかったし、元の悪行に戻ったため、死ぬことになったんじゃないか」と答えましたが、それに対してジャンヌは、「貴方が私を教会裁判所の牢に入れ、しかるべき正式な看守の手にゆだねてくれれば、こんなことにはならなかったのに。だから私は貴方を神の前で告発します」と述べたと伝えられています。ピエール・コーション司教は死後に地獄に落ち、現在に至るまで地獄の燃え盛る炎で焼かれていることでしょう。
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