「フレスコ画『聖母子像』」に再会! [キリスト教と美術]

このブログの2021年10月16日に掲載した記事を再掲載いたします。
写真は、日本で初めてフレスコ画を描いたことで有名な日本画家の長谷川路可(はせがわ るか)画伯作のフレスコ画『聖母子像』です。カトリック喜多見教会の聖堂内にあったのですが、その喜多見教会が2013年に閉鎖され、カトリック成城教会に統合されるのに伴い、神奈川県大和市にある学校法人大和学園聖セシリア(聖セシリア幼稚園・小学校・中学校・高等学校・女子短期大学)に寄贈・移設されました。

私は、喜多見教会が閉鎖される直前に訪問したことがあり、その時に初めて拝観させていただきましたが、確か祭壇に向かって右側の壁にありました。聖セシリアの法人事務局の方に事前に許可をいただいて拝観させていただきました。久しぶりの再会となりました。修復して色彩がきれいになっていましたね。学校法人大和学園聖セシリアでは、このフレスコ画『聖母子像』を一般公開しています。ただし、要事前許可申請が必要です(2021年10月16日現在)。事務局の方には、お忙しいところご親切に、そしてご丁寧にご案内いただきました。
◯聖セシリア小学校の講堂「八角堂」の舞台背面に展示してありました。
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「フレスコ(英語: fresco)」とは、絵画技法の一つで、この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼びます。大昔から西洋の壁画などに使われています。フレスコの作製は、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描きます。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とし、逆に、乾くと水に浸けても滲まないことで保存に適した方法でした。なお、失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すことになりますΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン ヨーロパでルネサンス期に盛んに描かれました。有名なラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などがよく知られていますね。

【長谷川路可】
長谷川画伯の詳細については、独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所のホームページをご覧ください。https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9099.html
【聖セシリア中学校・高等学校】
カトリック精神にもとづいた教育を行っている学校法人大和学園聖セシリア:聖セシリア中学校・高等学校のことは、次のホームページをご覧ください。https://www.cecilia.ac.jp/index.html
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聖マザー・テレサの祈り(第1日目) [祈り]

「イエスよ、私をお救いください
愛されたいという欲望から
ほめられたいという欲望から
名誉を得たいという欲望から
称賛されたいという欲望から
人よりも好かれたいという欲望から
相談されたいという欲望から
よく思われたいという欲望から
人気を得たいという欲望から

屈辱を受けるという恐れから
軽蔑されるという恐れから
非難されるという恐れから
中傷されるという恐れから
忘れ去られるという恐れから
ひどい扱いを受けるという恐れから
嘲笑されるという恐れから
疑われるという恐れから」

マザー・テレサ(マケドニア:1910年~1997年)は、キリスト教カトリックの修道女で、修道会「神の愛の宣教者会」の創立者です。本名は、アルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジといいます。神の使徒です。「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名ですね。インドのカルカッタで始めたマザー・テレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女らによって全世界に広められ、今も多くの貧困者などを救済しています。

生前からその活動は高く評価されており、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インド国民に与えられる最高賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けました。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれています。(アメリカ名誉市民はわずか10人ほどだそうです)。2003年には、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福され、2019年9月4日に教皇フランシスコによって聖人に列せられました。

この祈りの前半は、「欲望からの救いの祈り」で、後半は「恐れからの救いの祈り」となっています。欲望からの救いは、その欲望を自分ではなく、人に与えることへ変える祈りへ、恐れからの救いは、その恐れを勇気に変える祈りへということですね。欲望は、凡人である私が自戒としていた言葉です。過去形ですね。そうです!洗礼を受けえキリスト者として生きていくうちに、このような欲望は徐々に消え去っていくことを実感するようになりました。これが祈りの力です。
どこまでも常に謙虚で、勇気をもって何事にも取り組み、人に愛を与え続けたマザー・テレサらしいお祈りの言葉ですね。
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