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徳川家康のことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「大将というのは敬われているようで、
たえず家来に落ち度を探られているものである。
恐れられているようで、あなどられ、
親しまれているようで、憎まれている。
だから大将というのは
勉強しなければならないし、
礼儀をわきまえなければいけない。
いい家来を持とうと思ったら、
自分の食を減らしても
家来にはひもじい思いをさせてはいけない。
家来というのは録でつないではいけないし、
油断させてもいけないし、
近づけても遠ざけてもいけない。
家来はほれさせなければならない。」

徳川家康のことは、「徳川家康のことば(第1日目)2023.8.31」をご覧下さい。
さすがに徳川家康公は乱世における大将です。小さい時から苦労をしてきた経験があるだけに、組織のトップとしての要諦をきちんと心得ていますね。言葉にある「大将」を、私の場合は、職場における「部長」と置き換えて読んでいます。「家来」は社会活動の構成員、職場の同僚・部下のことですね。この言葉は、すべて的を得ていると思います。言葉の最後にある「ほれさせなければならない」が一番難しいところと自覚しています。
65歳になっても私にはまだまだですね( ̄▽ ̄;)
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徳川家康のことば(第3日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。」

徳川家康のことは、「徳川家康のことば(第1日目)2023.8.31.」をご覧下さい。
そうなのです。大切なことは、きちんと人の話すことを聴くこと。それも最後まで聴くこと。聴くこととは「話す内容を把握して理解すること」ですね。聴く姿勢があれば、意見も出やすくなります。私は不得意ではないにしても、下手であると実感しているところです。この言葉は自戒とするところです。
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徳川家康のことば(第2日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「大事を成し遂げようとする者は、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。」

徳川家康のことは、「徳川家康のことば(第1日目)2023.8.31」をご覧下さい。
この言葉は、私の “ 組織運営方針 ” の一つと同じです。正直驚きました。特に大事を成し遂げようというような、大それたことではありませんが、「体制(大勢)に影響がない限りは、なるべく穏便にする。」ということが基本にあります。これは妥協するということではありません。小事(しょうじ)は荒立てずに「穏便」にすると、大事(だいじ)はすべて上手くいくのです。ただ、言葉にあるように「これだけは(本筋)」という時は別ですね。この場合は、小事であっても穏便ではなくハッキリした態度・言動・行動に出ます。これも座右の銘の一つとするところです。
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徳川家康のことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「人の一生は
重きを負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なく、
心に望みおこらば困窮したる時を
思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、
怒りは敵と思え。
勝つ事ばかりを知って、
負くる事を知らざれば、
害その身に至る。
己を責めて、
人を責むるな。
及ばざるは、
過ぎたるより優れり。」

NHKの大河ドラマ「どうする家康」で、俳優のマツジュンこと松本潤さんが好演をしていますが、今日から徳川家康公のお言葉をご紹介いたします。信徒の方によっては、「徳川家康は、江戸幕府草創期にキリスト教を禁教し、信徒を弾圧した張本人なのに、どうして家康の言葉など掲載するのか!」とお怒りの方がいらっしゃるかもしれませんが、「それとこれは別物」と言うことでお赦しいただければと思いますが、いかがでしょうか?

徳川家康(1543年~1616年)は、 元々は松平元康と言います。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名で、江戸幕府の初代征夷大将軍です。三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の一人です。本姓は先に藤原氏、次いで源氏を称し、家系は三河国の国人土豪・松平氏です。1567年2月18日(永禄9年12月29日)に勅許を得て、徳川氏に改めました。松平元信時代からの通称は次郎三郎。幼名は竹千代(たけちよ)です。

家康公のことは有名ですから皆さんよくご存じですよね。ちなみに、キリスト教とはまったく関係がありませんし、もちろんクリスチャンではありません。この言葉は、徳川家康公の理念や理想の精髄を伝える「東照公御遺訓(とうしょうこう ごいくん)」として今日に伝えられています。家康公の有名な言葉ですね。読んだとおり、現代においても活かされるべき教訓(言葉)です。私座右の銘の一つです。ところで次の言葉に注目です。

この言葉の最後2行ですが、「及ばざるは、過ぎたるより優れり。」とあります。これは、「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。」と似ていますね。この言葉は、孔子が『論語』で述べている言葉です。意味は「何をするにも、いき過ぎになっていると、それがどんなに良いことでも、むしろ不足ぎみや、不満足な状態と変わらない。過度になってしまうようであれば、むしろ控え目にしている方がよい。」という意味で、“ 中庸(ちゅうよう) ”の大切さを説いています。いつも “ お節介焼き ” な私の最も自戒とするところです( ̄◇ ̄;)

『論語』は、孔子の弟子、その弟子の弟子達が、孔子の言葉をまとめたものです。『中庸』とは、儒教の経典で朱子学の〈四書〉の一つです。もともと「礼記(らいき)」のうちの一編で全文3,500余字の書物です。孔子の孫の子思の作とされる書です。この『中庸』の書が説いている、すなわち「かたよることなく常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。」の意味です。

この言葉の起源は次のとおりです。
孔子の弟子に子貢(しこう)という人がいました。彼はできる人物でしたが、人物評が好きで、孔子はややもてあましていました。あるとき、子頁は同門弟子の2人を比較して、「どちらが賢明ですか?」と尋ねました。孔子が「A氏の方は度が過ぎているし、B氏の方はやや不足ぎみだ。」と答えると、子貢はすかさず「すると、A氏の方が優れているのですね。」と重ねて尋ねました。

これに対する孔子の答えが、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し。」だったのです。子貢はもちろん学問がよくでき、しかも頭の鋭いA氏の方がB氏より優れているという返事を期待していたのですが、孔子は期待に反して「同じようなものだよ。」と答えたのです。この返事の中には、ものごとはなんでも、行き過ぎの状態よりも、むしろ謹んだ方がよいという意味が込められていますね。

この言葉は、孔子が子貢の “ 小賢しさ ” を諫める言葉でもあったと思われます。家康公は、ご自分の経験上からのこともあると思いますが、確実に『論語』を読んで勉強していますね。皆さんもこの言葉を日常で使いましょうね。度の過ぎる人がいたら、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し。」と言ってやってくださいね!
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良寛和尚のことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

良寛和尚の「戒語」は今日で完結です。
良寛和尚のことは、「良寛和尚のことば(第1日目)2022.11.16」をご欄下さい。今日も自分に当てはまる言葉ばかりです(; ̄O ̄)

一、すべてことばはおしみおしみいうべし ※惜しみ惜しみ
「言葉はよく吟味し、しゃべりすぎてはいけない。」
言うべきことは、相手に伝わるようポイントを整理して話すべきで、無駄な余計なことをベラベラ話してはいけないのです。

二、いうたことはふたたびかえらず
「一度言ったことは取り返しがつかないから、注意して話しなさい。」
思わず言ってはいけないことを口走ってしまうことはあるものですが、しかし、一度話したことは取り消しがきかないこともあります。それまで良好であった人間関係が、一瞬にして悪くなってしまいます。最も注意すべきことですね。

三、人にそうおうせぬことはいわぬがよし
「相手に合わないことは言わないほうがよい。」
相手が興味のない聞きたくもないことや、話しの内容が相手に合わないようなことは話してはいけないのです。会話は、相手のことを考えて話すべきですね。

四、さしてもなきことをろんずる
「大して重要でもないことを、大事のように論じてはいけない。」
些細なことでも話を大きくする人がいますが、重要ではない何でもないことを大袈裟に話しさないことです。内容が相手に正確に伝わりません。

五、おどけのこうじたる
「あまりおどけすぎてはいけない。」
会話におけるユーモアは、必要でなくても大切なことだと思います。しかし、それも度を過ぎれば相手に信用されなくなります。
以上です。完!

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良寛和尚のことば(第3日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

今日も良寛和尚の「戒語(かいご)」です。
良寛和尚のことは、「良寛和尚のことば(第1日目)2022.11.16」をご欄下さい。もう身に浸みる言葉ばかりです!(⌒-⌒; )

一、くちのうちでものをいう
「ぼそぼそと独り言のように文句を言ってはいけない。」
相手に対して言いたいことがあるなら、面と向かってはっきり言ったほうがいいのです。ボソボソ言うのは相手に失礼になります!

二、しらぬ事をしったげにいう
「知らないことを知っているふうに言うのはよくない。」
知らないことは知らないとはっきり言うこと。知ったかぶりは、無知であることを証明するようなものです。後になって必ずやボロが出ます。恥をかきますよ!

三、客の前で人をしかる
「他人がいる前で人を叱ってはいけない。」
たとえ本人に落ち度があっても、恥ずかしい思いをさせられては素直に聞くことができないものです。ですから注意する時は、誰もいないところでしなければなりません。

四、にくきこころをもって人をしかる
「相手に対して憎しみなどの感情をもって人を叱ってはいけない。」
叱るときは、愛情をもってしかること。怒りや憎いという気持があって叱る意味がありません。相手に反省をほどこすのであれば、相手のためになるよう、その人の身になって話すことです。

五、おのがあしきことを人にぬりつくる
「自分が悪いのに他人に責任を転嫁して責めてはならない。」
これは論外ですね。他人に責任を擦り付けるなど言語道断です!反対に他人のミスを自分が被る(かぶる)ぐらいの度量の大きさがなくてはいけないですね。
今日は以上です。
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良寛和尚のことば(第2日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

第1日目に続いて良寛和尚の「戒語」です。良寛和尚のことは「良寛和尚のことば(第1日目)2022.11.16」をご欄下さい。今日も勉強になります!

一、はな(鼻)であいさつする
「挨拶は適当にしてはいけない。」
いい加減な軽い挨拶を「鼻で挨拶する」と言いますが、大変失礼なことです!挨拶は、誰にでも心を込めて丁寧にすることですね。

二、人のへだつることをいう
「人を差別するようなことを言ってはいけない。」
人間は誰でも平等ですから差別をしてはいけないのです。 

三、人のきずくることをいう
「その人が気にしていることを言ってはならない。」
誰でも自分が気にしていることを言われるのは嫌なものです。そうであるならば、自分も他人には言ってはいけないのです。

四、はらたちながら人にことわりをいう
「心の中で怒りながら人に理屈を説いてはいけない。」
怒っている人の言うことは、それがたとえ正しくても素直に聞けないものです。他人に話をするときは、冷静にそして落ち着いてすることです。

五、神仏のことかろがろしくさたする
「神や仏のことを軽々しく口にしてはいけない」
神仏への信心や理解がないのに、尊い存在である神様や仏様のことを軽々しく口にしてはいけないのです。バチが当たりますよ!
今日は以上です。
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良寛和尚のことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

良寛(りょうかん:1758年~1831年)和尚は、江戸時代後期の仏教の禅宗である曹洞宗(そうとうしゅう)の僧侶、歌人、漢詩人、書家です。俗名は山本文孝。号は「大愚(たいぐ」)といいます。良寛和尚は、有名な方ですから皆さんよくご存じですね。今日から良寛和尚の語った「戒語(かいご:戒めの言葉)」を掲載します。すべて人間関係に役立つ言葉ですね。どれもこれも私の自戒とする言葉です( ̄▽ ̄;)

一、てがらばなし
「手柄話し(自慢話し)を得意になってしてはいけない。」
自慢話しをしても、聞く相手にとっては面白くもなんともないことで、相手に不愉快な思いをさせることになりますからしないことですね。

二、おのがいじをとおす
「自分の意地を通してはいけない。」 
意地を通すと人間関係が窮屈になるからしないことです。相手の気持ちも考えないとね( ̄▽ ̄;)

三、おしはかりにものをいう
「自分で確かめもしないのに想像や憶測でものを語って(言って)はいけない。」
想像はだいたいが現実とは違うものですね。これは人間関係を悪くする恐れがあり、人としてしてはいけない悪意につながります。

四、しんせつげにものをいう
「親切そうなふりをして語ってはいけない。」
本当はしないかもしれないのに、見せかけの親切はしてはいけないのです。不誠実です。このような人を偽善者(ぎぜんしゃ)といいます。

五、この事すまぬうちにかの事いう
「人の話の腰を折ってはいけない。」
人の話は最後までよく聴くことです。話しの途中で割って入って発言してはいけないのです。
今日は以上です。

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相田みつをのことば(第10日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば愚痴になるから。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
そうなのです!愚痴になっちゃのです。だから、言いたくないのですが言いたくなる時もあります。人間は弱い生き物なのですね。言わない人は立派です………が、すべての人が同じではありません。ですから、聴いてあげる人になりたいですね。愚痴でもなんでも聴いてあげて、本人の気持ちが楽になればいいですね。そのような人になりたいと思います。
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相田みつをのことば(第9日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「あなたにめぐり逢えて本当によかった。一人でもいい、心からそう言ってくれる人があれば。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
大いに共感です!このようなことを言ってもらえれば最高ですね。言ってもらいたいのですが、その前に言ってもらえるような人間になれるよう、努力しなければならないかもしれませんが、そうだとも言い切れませんね。人間の出来不出来ではありません。これは隣人(相手)への優しさや思いやりのある一言の大切さを説いている言葉だと思います。
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