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典礼聖歌集第352番「聖霊の続唱」のお話し [聖歌日記]

今日3月31日の「復活の主日」と、その後の復活節最終日にあたる5月19日の「聖霊降臨の主日」で、両日とも「続唱(ぞくしょう)」が歌われます。この続唱についてカトリック中央協議会のホームページから説明文を引用いたします。

「復活の主日と聖霊降臨の主日のミサでは、アレルヤ唱の前に続唱が歌われます。続唱とはラテン語の「セクエンツィア(Sequentia)」の訳で、「連続」、「続き」という意味です。中世のころ、アレルヤ唱の「アレルヤ(Alleluia)」の最後の「ヤ(ia)」の母音aに、装飾的な旋律が付けられるようになりました。9世紀以降、装飾的に音符が続く部分に後から歌詞を当てはめ、後にこの部分のみがアレルヤ唱から独立して「続唱」として歌われるようになったといわれます。かつてはアレルヤ唱に続けて歌われましたが、現在はアレルヤ唱と福音朗読の結びつきを重視して、アレルヤ唱の前に歌うことになっています。

復活の主日のミサでは、復活の続唱(Victimae paschali laudes)を歌います。この続唱は、ブルグンドのヴィポ(Wipo Bulgundus、10世紀末~1050年ごろ)によって11世紀初めに作られたといわれます。復活の続唱は、復活の月曜日から復活節第2主日までのミサでも任意で歌うことができます。
聖霊降臨の主日のミサでは、「聖霊の続唱(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス:Veni, Sancte Spiritus)」を歌います。この続唱は「黄金の続唱」とも呼ばれる代表的な続唱です。作者に関しては諸説がありますが、イギリスのカンタベリー大司教であったステファヌス・ラングトン(Stephanus Langton、1155年頃~1228年)とする説が有力です。」とあります

今日は、「聖霊の続唱」について書いてみました。まず、典礼聖歌集352番「聖霊の続唱」の歌詞を見てみましょう。この歌詞は、聖霊降臨を願う祈りの祈祷文でもあります。
「聖霊来てください。
あなたの光の輝きで、
わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。
アレルヤ。」

前述した説明文にありましたように、続唱(セクエンツィア:Sequentia) は、アレルヤ唱(Alleruia)に続けて歌われるため、"Sequentia" はラテン語の “sequor"「〜に続く」という言葉が由来になっています。現在はアレルヤ唱の前に歌われます。9世紀から15世紀にかけて多くの曲が作られましたが、16世紀半ばのトリエント公会議で4つの曲を残して廃止されたそうです。その後、1727年に聖母マリアの祝日の「悲しみの聖母」が追加され、次の5曲が公認の曲になりました。
5つの続唱(セクエンツィア:Sequentia)
1.「復活のいけにえに」:復活祭
"Victimae paschali laudes"
2.「来たりたまえ聖霊」:聖霊降臨祭
“Veni Sancte Spiritus"
3.「シオンよ汝の救い主を讃えよ」:聖体の祝日
“Lauda Sion"
4.「怒りの日」:レクイエム
“Dies irae"
5.「悲しみの聖母」:聖母マリアの祝日
“Stabat Mater"

聖霊降臨の主日に歌うのは典礼聖歌の「聖霊の続唱」です。この聖霊の続唱の旋律は、なんとなくグレゴリオ聖歌の"Veni Sancte Spiritus"の旋律を感じることができます。作曲した方が「グレゴリオ聖歌の旋律を遠く思い起こして」作曲されたそうです。典礼聖歌の「聖霊の続唱」は日本語、"Veni Sancte Spiritus"はラテン語ですが、の歌詞の内容はほぼ同じです。
◯ 『聖霊来たりたまえ(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス:Veni Sancte Spiritus)』
[A]
Veni, Sancte Spiritus, 聖霊来たり給え
Et emitte coelitus 天より御光の輝きを放ち給え
Lucis tuae radium.
Veni, Pater pauperum,  貧しき者の父、
Veni, dator munerum, 恵みの与え主、
Veni, lumen cordium. 心の光にます御者来たり給え。

[B]
Consolator optime, いと優れたる慰め主、
Dulcis hospes animae,  霊魂の甘美なる友、
Dulce refrigerium: 心の和やかなる楽しみ。
In labore requies, 疲れたる時の憩い、
In aestu temperies, 暑き時の涼しさ、
In fletu solatium. 憂うる時の慰め。

[C]
O lux beatissima, 至って幸いなる光よ、
Reple cordis intima, 主を信じる者の心に来たり満ち給え。
Tuorum fidelium. 
Sine tuo numine, 主の御助けあるにあらざれば、
Nihil est in homine, 人には罪ならざる所なからん
Nihil est innoxium,

[D]
Lava quod est sordidum, 乞い願わくば汚れたるを清め、
Riga quod est aridum, 乾けるを潤し、
Sana quod est saucium. 傷つけられたるを癒し給え。
Flecte quod est rigidum, 固きを和らげ、
Fove quod est frigidum, 冷えたるを暖め、
Rege quod est devium. 曲がれるを直くし給え。

[E]
Da tuis fidelibus, 主を頼む信者に
In te confidentibus,
Sacrum septenarium. 神聖なる七つの賜を施し給え。
Da virtutis meritum, 善徳の功を積み、
Da salutis exitum, 救霊の彼岸に至り、
Da perenne gaudium. 永遠に喜ぶを得しめ給え。

[F]
Amen, アーメン、
Alleluia.  アレルヤ。
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カトリック成城・聖タデオ教会・聖タデオ聖歌隊を隊退! [聖歌日記]

本日3月30日付けで、聖タデオ聖歌隊を隊退いたしました。
理由は、主日のミサにおける祭壇奉仕(侍者)や朗読奉仕など、ミサ中における司式に係る奉仕活動に専念するためです。元々聖歌を歌うことは大好きで、そのために聖歌隊に入隊したわけですから聖歌奉仕が嫌になったとかではなく、「よりミサに与る本質に迫りたい。」からです。ミサの本質に迫るには、集中してミサ中の司式に係る奉仕活動を務めるのが最適だと思うのです。

そういう意味では、聖歌奉仕も同じことが言えると思うのですが、ただ、聖歌奉仕を務めることは、どうしても歌うことに集中するため、ミサ全体の司式にしたがって行われる祈り、応唱や各々の所作を集中して行うことができないからです。いわゆる「ミサに与る」という意味、聖堂全体の中で行われるミサに自らが参画する、参与するなどの本質に迫ることができないからです。

司祭(神父)や助祭ではないわけですから、信徒の立場でできることには限界があるわけですが、それでもできる限り継続した奉仕を務め、「よりミサに与る本質に迫りたい。」という思いを実現させていきたいと思います。新約聖書のマタイによる福音書・第18章・第20節に「二人また、三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいる。」との聖句があります。ミサに、主イエス・キリストが臨在していると実感することのできる信徒になりたいものですね。
※聖句の引用は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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復活祭で歌う聖歌のお話し [聖歌日記]

カトリック成城・聖タデオ教会の聖タデオ聖歌隊(1グループは8人に制限)の「聖なる3日間」と「復活の主日」の聖歌奉仕は次の通りです。
3月28日(木)は、聖木曜日「主の晩餐の夕べのミサ」19時から
3月29日(金)は、聖金曜日「主の受難の祭儀」19時から
3月30日(土)は、聖土曜日、夜は「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」18時(洗礼式)から
3月31日(日)は、「復活の主日・日中のミサ」8時、10時と14時(洗礼式)から

この期間にたくさんの典礼聖歌を歌いますが、私が聖歌奉仕を担当するのは3月30日(土)の「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」です。なお、28日(木)の聖木曜日と29日(金)の聖金曜日は祭壇奉仕(侍者)を務めます。
◯3月30日(土)は、「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」で歌う聖歌は次のとおりです。
1.入祭の歌<光の祭儀>
典礼聖歌集第341番「キリストの光」
典礼聖歌集第342番「復活賛歌」
2.いつくしみと栄光の賛歌
典礼聖歌集第46番「神のそそがれる目は」②④
典礼聖歌集第79番「神よあなたはわたしの力」①②③
典礼聖歌集第7番「あなたのいぶうきをうけて」①③
栄光の賛歌612番
3.アレルヤ唱
典礼聖歌集第12番「アレルヤ」①②③
4.洗礼式
典礼聖歌集第343番「諸聖人の連願(新口語版)」
.洗礼の約束の更新後
典礼聖歌集第96番「この水を受けた」
5.奉納の歌
典礼聖歌集第143番「たて琴をかなで」
6.感謝の賛歌613番
7.平和の賛歌614番
8.拝領の歌
典礼聖歌集第165番「喜びに心をはずませ」
9.拝領後の歌
典礼聖歌集第410番「よろびうたえアレルヤ」
◯私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の聖タデオ聖歌隊は、聖堂後方2階に設置しているパイプオルガン(ドイツ製)の伴奏で歌います。奏者の左側にあるモニターは、祭壇にいる司祭(神父様)の司式手順を見ながら演奏するためのものです。パイプオルガンの横に聖歌隊席があります。
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ところで、31日(日)の復活の主日・日中のミサでは、司祭の入祭の時に歌う第345番「わたしは復活し」があります。この聖歌について、成城教会の山本主任司祭(神父様)が、以前に東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会の主任司祭をお勤めの時に、関口教会のホームページに書かれた記事がありますので掲載いたします。

「復活節に歌われる典礼聖歌の一つに「わたしは復活し」がある。その歌詞は、復活の主日のミサの入祭唱からとられている(詩編139からのかなりの意訳である)。「わたしは復活し、あなたとともにいる。あなたはわたしの上に手をのべられた。あなたの知恵ははかりがたい。アレルヤ」(典礼聖歌345)
それでは、この歌詞の「わたし」とはだれのことだろうか。「あなた」とはだれのことだろうか。実は、「わたし」とは「復活のキリスト」、「あなた」とは「父なる神」であり、復活のキリストが父なる神をたたえている言葉なのである。今日のミサでも復活のキリストがわたしたちの真ん中におられ、父なる神をたたえて「わたしは復活し、あなたとともにいる。…」と歌っておられる。わたしたちもキリストのからだとしてキリストと一つになって、「あなたの知恵ははかりがたい。アレルヤ」と唱和するのである。
2015年04月18日 山本量太郎神父」

◯典礼聖歌集:第345番「わたしは復活し」
「わたしは復活し
あなたと共にいる
あなたはわたしの上に手をのべられた
あなたの知恵は測りがたい
アレルヤ
アレルヤ
アレルヤ」

復活祭でのもう1曲の重要な典礼聖歌を掲載いたします。それは、典礼聖歌集:第351番「復活の続唱(Victimae paschali laudes)」です。毎年のことですが、この続唱を静かなお御堂で気持ちを込めて歌っていると、「マリアよ、わたしたちに告げよ、あなたが道で見た事を、開かれたキリストの墓、よみがえられた主の栄光」のところから涙がにじんできて、最後の方は涙があふれ出て歌えなくなります………きちんと終わりまで歌ったことがありません。一昨年の復活の主日・日中のミサで、この続唱の先唱を担当し、「キリストを信じるすべてのものよ」と独唱したところで、もう涙がにじんできました。純朴な感激屋の私としては、涙腺がゆるゆるになってしまいます(T_T)今年は担当から外れていますから大丈夫ですね。とても素晴らしい感動の聖歌です。それでは、まず、典礼聖歌集にある日本語の歌詞を掲載し、続いて原曲のラテン語歌詞を掲載いたします。

◯典礼聖歌集:第351番「復活の続唱」
(先唱)
キリストを信じるすべてのものよ
(会衆)
主の過越をたたえよう
こひつじはひつじをあがない
罪のないキリストは
罪の世にゆるしをもたらされた
死といのちとのたたかいで
死を身に受けたいのちの主は
いまや生きて治められる
マリアよ
わたしたちに告げよ
あなたが道で見た事を
開かれたキリストの墓
よみがえられた主の栄光
あかしする神の使いと残された主の衣服を
私の希望
キリストは復活し
ガリレアに行き待っておられる
ともにたたえ告げ知らせよう
主キリストは復活された
勝利の王キリストよ
いつくしみをわたしたちに
アーメン
アレルヤ」

この長い続唱は、原曲であるラテン語の正式名称は「ヴィクティマエ・パスカリ・ラウデス(Victimae Paschali Laudes)『復活のいけにえに』」というカトリック教会の聖歌の一つです。中世に多く書かれた続唱(セクエンツィア)の一つで、復活祭のミサのためのものです。ブルゴーニュ出身で神聖ローマ皇帝コンラート2世のシャプラン(宮廷付き聖歌隊長)であったヴィポ Wipo(活動 1020頃-1040頃)の作とされています。イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギによるグレゴリオ風協奏曲(1921年)2楽章冒頭のヴァイオリンソロ等に引用されています。
[A]
Victimae paschali laudes 過ぎ越しのいけにえに
Immolent Christiani. 賛美をささげよ、キリスト者たちよ。
[B]
Agnus redemit oves 子羊が羊を贖い。
Christus innocens Patri 罪のないキリストが父に
Reconciliavit 罪びとたちを
Peccatores. とりなされた。
Mors et vita duello 死と命とは戦い
Conflixere mirando, 驚くべき仕方でぶつかりあう。
Dux vitae mortuus 命の王は、死ぬことで
Regnat vivus. 生きて治められる。
[C]
Dic nobis Maria マリアよ、私たちに告げよ。
Quid vidisti in via? あなたが道で見たものを。
Sepulcrum Christi viventis 生きているキリストの墓を
Et gloriam vidi resurgentis. そして蘇られた方の栄光を、わたくしは見た。
Angelicos testes 証しする天の使と
Sudarium et vestes. 布と服を。
Surrexit Christus spes mea 私の希望、キリストは復活し
Praecedet suos in Galilaeam. ガリラヤに行き、待っておられる。
[D]
Credendum est magis soli 真を語るマリアを
Mariae veraci 信ぜよ
Quam Iudaeorum 嘘を語る
Turbae fallaci. ユダヤの群集ではなく。
Scimus Christum surrexisse 私たちは知っている。キリストが
A mortuis vere. 真に死から立ち上がられたことを。
Tu nobis victor Rex 勝利の王であるあなた、どうか私たちを
miserere. あわれみたまえ。
[E]
Amen, Alleluia. アーメン(かくあれ)
アレルヤ(神を讃えよ)
▲1570年以降、カトリック教会では[D]の前半の歌詞は歌いません。
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典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて(羊飼いがいて)」 [聖歌日記]

この典礼聖歌は、聖書にあるイエス・キリストの教えである聖句を用いた歌詞になっています。神の救い、神の慈しみを見事に表した、救いの究極的な聖歌だと思います。とても優しいメロディで、私の大好きな聖歌の一つです。
◯典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて」
「羊飼いがいて たくさんの羊を飼っていた。
ある日その中の一匹が迷子になってしまった。
羊飼いは他の羊をおき、その一匹を探しに出る。
もし見つけたらどんなに喜ぶことだろう。
羊飼いはキリスト、その一匹はわたし
羊飼いはキリスト、その一匹はあなた
どんなに小さな一人をも
神は見すてることがない。」

この聖歌は、新約聖書のルカによる福音の第15章から採られています。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第15章・第1〜第7節
「さて、徴税人や罪人たちがみな話しを聞こうとして、イエスのもとに近寄ってきた。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを受け入れて、食事をともにしている」とつぶやいた。
そこで、イエスは彼らに次の喩えを語られた。
あなた方のうちに、百匹の羊を持っている者がいるとする。そのうちの一匹を見失ったら、九十九匹を荒れ野に残して、見失った一匹を見つけ出すまで、跡をたどって行くのではないだろうか。そして見つけ出すと、喜んで自分の肩に乗せて、家に帰り、友人や近所の人々を呼び集めて言うだろう、『一緒に喜んでください。見失ったわたしの羊を見つけましたから』。あなた方に言っておく、このように、悔い改める一人の罪人のためには、悔い改めの必要のない九十九人の正しい人のためよりも、もっと大きな喜びが天にある。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯このイエス様のご絵は、とても神様への愛に深い敬虔な方からいただきました。罪びとの私にぴったりなご絵ですね(⌒-⌒; )………ということは、イエス様の肩に乗っている羊は私ということになりますね( ̄◇ ̄;)
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この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)ですが、まず「百匹の羊を持っている者=羊飼い」とは、イエス・キリストのことで、「見失った一匹の羊」とは罪びとのことです。そして、「九十九匹」とは、正しい人という意味です。この聖句は、「悔い改める一人の罪びとのためには、悔い改めの必要のない九十九人の正しい人のためよりも、もっと大きな喜びが天にある。」とい意味になります。
九十九匹を荒れ野に残すという大きな危険を冒してまでも、羊飼いは見失った一匹の羊のために探し出そうとするのですね。つまり、イエス・キリストは、たった一人の罪びとであっても大切な存在なのだと説いているのです。そして、神の恩寵(おんちょう)の外に出て行った罪を犯した罪びとでも、悔い改めて恩寵の中に戻ってこれるように、イエス・キリストは救い出すのです。これが神の救いであり、慈しみなのですね。
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聖歌隊日記2024.3.24(復活の主日・聖なる復活徹夜祭の聖歌奉仕練習) [聖歌日記]

今日は、枝の主日のミサが終わってから、3月30日(土)の「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」の聖歌奉仕で歌う聖歌の練習をしました。私は、今月末の定年退職を機に、復活徹夜祭の聖歌奉仕をもって成城教会聖タデオ聖歌隊を退隊いたします。大変お世話になりありがとうございました。感謝感謝です!
◯歌う聖歌は次のとおりです。
1.入祭の歌<光の祭儀>
典礼聖歌集第341番「キリストの光」
典礼聖歌集第342番「復活賛歌」
2.いつくしみと栄光の賛歌
典礼聖歌集第46番「神のそそがれる目は」②④
典礼聖歌集第79番「神よあなたはわたしの力」①②③
典礼聖歌集第7番「あなたのいぶうきをうけて」①③
栄光の賛歌612番
3.アレルヤ唱
典礼聖歌集第12番「アレルヤ」①②③
4.洗礼式
典礼聖歌集第343番「諸聖人の連願(新口語版)」
.洗礼の約束の更新後
典礼聖歌集第96番「この水を受けた」
5.奉納の歌
典礼聖歌集第143番「たて琴をかなで」
6.感謝の賛歌613番
7.平和の賛歌614番
8.拝領の歌
典礼聖歌集第165番「喜びに心をはずませ」
9.拝領後の歌
典礼聖歌集第410番「よろびうたえアレルヤ」
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典礼聖歌集第305番『やみに住む民は光を見た』 [聖歌日記]

降誕祭、降誕節によく歌われる聖歌に典礼聖歌集の第305番『やみに住む民は光を見た』がありますが、これは新約聖書の『マルコによる福音書』第4章・第16節にある「闇に住む民は大いなる光を見た」から採られています。曲も歌詞も素晴らしい聖歌で、私が大好きな聖歌の一つです。

◯典礼聖歌集第305番『やみに住む民は光を観た』
「やみに住む 民は光を見た
ダビドの街に 生まれた幼な子
すべての人を 救う恵み
すべての民に およぶ喜び
神に栄光 人に平和

世界よ 神を讃え歌え
神は来られた 告げよ知らせよ
すべての国に その救いを
すべての民に 不思議なわざを
神に栄光 人に平和」
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カトリック聖歌集第121番『あめのみつかいの』のお話し  [聖歌日記]

今日ご紹介する聖歌『あめのみつかいの』は、毎年降誕祭・降誕節のミサで定番中の定番の聖歌として歌われますね。特に「主の降誕の祭日・夜半のミサ」でよく歌われるのではないでしょうか。漢字では「天の御使い(みつかい)の」と書きます。
カトリック教会では、カトリック聖歌集の第121番として収録されていますが、プロテスタント教会では、日本基督教団の讃美歌21では263番『荒野の果てに』となっています。この聖歌ですが、フランス語の原曲は文献上1842年の賛美歌集に初めて現れるとし、オランダの学者によると、18世紀にさかのぼるとされています。
◯ホーフェルト・フリンク(ドイツ生まれ:1615年~1660)の1639年作の『羊飼いへの告知』です。オランダで活躍した画家です。ルーブル美術館に所蔵されています。
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◯歌詞
歌詞の最後にある「グロリア イン エクセルシス デオ(Gloria in excelsis Deo)」の意味は、「天のいと高きところには神に栄光あれ」を意味する教会ラテン語の成句です。
1番:天のみつかいの うた声ひびく、
星影さやかな まき場の空に 
グロリア イン エクシエルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)
グロリア イン エクシエルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)

2番:貧しい厩(うまや)の 恵みの御子(みこ)に
褒め歌捧げて 喜び歌う
グロリア イン エクシエルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)
グロリア イン エクシエルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)

3番:優しい幼子 救いの御子(みこ)よ
御国(みくに)を望みて 御前(みまえ)に祈る
グロリア イン エクシエルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)
グロリア イン エクシエルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)

◯ちなみに、このブログに「カトリック聖歌集第653番『まきびと』のお話し」を掲載していますので、次のアドレスをクリックしてお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-25

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カトリック聖歌集第653番『まきびと』のお話し [聖歌日記]

今日ご紹介する聖歌『まきびと』は、毎年降誕祭・降誕節のミサで歌われますね。特に「主の降誕の祭日・夜半のミサ」でよく歌われるのではないでしょうか。カトリック教会では、カトリック聖歌集に収録されています。この『まきびと』は、漢字で「牧人」と書きますが、つまり羊飼いのことですね。プロテスタント教会での名称は『牧人ひつじを(まきびとひつじを、英語The first noel)』で、元はクリスマスに歌われるイギリスのキャロルのことです。この曲の旋律は、イングランド西部地方に17世紀以前から伝わっている旋律で、ウィリアム・サンディーズが1833年に発表して以来、軽快な曲と共に世界に広まったそうです。なお、イギリス国教会由来の日本聖公会は、カトリック教会と同じ名称・歌詞です。
◯アブラハム・ダニエルス・ホンディウス作の『羊飼いへの告知』です。制作年は1663年から1663年で、アムステルダム国立美術館に所蔵されています。
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◯歌詞
1番:まきびとひつじを 守れるそのよい
たえなるみ歌は 天(あめ)よりひびきぬ
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

2番:仰げばみ空に きらめく明星(あかぼし)
よるひるさやかに 輝きわたれり
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

3番:その星しるべに みたりの博士ら
メシヤを尋ねて はるばる旅しぬ
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

4番:くすしき光の 導くまにまに
博士はまぶねの 主イエスにまみえぬ
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

この「まきびと」は、新約聖書の『ルカによる福音書』に書かれています。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰っていった。
ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠もっていたいいなづけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが、二人がそこにいる間に、出産の日が満ちて、マリアは男の初子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照らし出したので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。
「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」
み使いたちが離れて天に去ると、羊飼いたちは語りあった。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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聖歌日記2023.12.17(カトリック成城・聖タデオ教会「聖歌奉仕聖歌隊練習」日曜日) [聖歌日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会で11時から13時30分まで、今月24日(日)と31日(日)の「主の降誕夜半のミサ」での聖歌奉仕の聖歌隊練習だけに出席しました。私が聖歌奉仕を担当するミサの時間と歌う聖歌は次のとおりです。

◯12月24日(日)「主の降誕夜半のミサ」での聖歌奉仕で歌う聖歌
(1)18時開式
ミサ前のミサ:なし
入祭の歌:典礼聖歌集・第305番「やみに住む民は光を見た」①②
答唱詩編:典礼聖歌集・第148番「遠く地の果てまで」①④⑤
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第258番(降誕夜半)
奉納の歌:カトリック聖歌集・第655番「ああベツレヘムよ」①②③
拝領の歌:教会聖歌集・第36番「きかせてください」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第121番「あめのみつかいの」①②③
(2)20時開式
ミサ前のミサ:なし
入祭の歌:典礼聖歌集・第305番「やみに住む民は光を見た」①②
答唱詩編:典礼聖歌集・第148番「遠く地の果てまで」①④⑤
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第258番(降誕夜半)
奉納の歌:カトリック聖歌集・第655番「ああベツレヘムよ」①②③
拝領の歌:カトリック聖歌集・第111番「しずけき」・第653番「まきびと」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第121番「あめのみつかいの」①②③

◯12月31日(日)「聖家族の祝日のミサ」での聖歌奉仕で歌う聖歌
ミサ前のミサ:典礼聖歌集・第372番「救い主を育てた母」
入祭の歌:典礼聖歌集・第148番「遠く地の果てまで」
答唱詩編:典礼聖歌集・第94番「心を尽くして神をたたえ」①②③
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第258番(聖家族)
奉納の歌:拝領の歌:典礼聖歌集・第321番「いつくしみと愛」
拝領後の歌: カトリック典礼聖歌集・第12番「われ神をほめ」
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典礼聖歌集第322番『愛といつくしみのあるところ』のお話し [聖歌日記]

私は、カトリック典礼聖歌集第322番の『愛といつくしみのあるところ』が大好きです!このブログに6回目の掲載となりますが、それほど大好きなのです(*^▽^*) メロディーも美しいですが、歌詞がいいですね!この聖歌をパイプオルガンの伴奏で歌うとすごく美しい聖歌であると実感します。この聖歌は、明日28日(土)に成城教会で行われる「聖シモン・聖ユダ使徒の祝日のミサ(年間第30主日のミサ)」で、聖歌奉仕として聖タデオ聖歌隊員として歌います!ちなみに、聖タデオ(又は聖ユダ、聖タダイ)は成城教会の守護聖人です。
聖歌1.gif
典礼聖歌第322番「愛といつくしみのあるところ」
<答唱>
「愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる」

1.キリストの愛に結ばれ
共に喜び分かち合い
まごころ込めて神を敬い
愛の奉仕につとめよう
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

2.分け隔てを取り除き
ねたみと争いを避け
主キリストを囲んで
みな一つに集まろう
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

3.主キリストの輝くみ顔
聖者と共に仰ぎ見る
まことの喜び限りなく
世々とこしえに到るまで
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)
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