キリスト者(クリスチャン) ブログトップ
前の10件 | -

つるの剛士のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「産まれたときは、僕は泣いててみんなは笑顔だったんですよね。僕が死ぬときは、僕は笑顔でみんなは泣いてる。そんな人生にしたいんですよね。」

つるの剛士(つるの たけし:1975年~)さんは、キリスト教カトリック教会のクリスチャン(洗礼名は「アントニオ」)で、俳優、タレント、ミュージシャンです。本名は露野剛士(つるの たけし)といいます。
つるのさんのことは、よくテレビに出演されていますし、皆さんよくご存じですよね。ウルトラマンを演じていたことでも有名です。2男3女のお子さんの父親で、「第1回バースファミリーアワード2008『ステキな家族賞』」を授賞するなど、家族思いの優しいお父さんです。
この言葉は、上手い表現だと思います。私も死ぬ時は、みんなが涙を流して惜しまれて死にたいものです。それまでに惜しまれるほどの人物になってないといけないですね(⌒-⌒; )
nice!(0)  コメント(0) 

緒方貞子のことば(第6日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「あいまいで不透明な問題などというものはない。あいまいで不透明と考えるのであれば、
それを個々の課題に落とし込み、課題ごとの方策を考えていくことが肝要。」

緒方貞子氏のことは、2024年4月20日掲載の「緒方貞子のことば(第1日目)」をご覧ください。
「曖昧でしかも不透明という問題はない」と緒方さんは述べています。見方を変えると、曖昧で不透明な問題というものが存在するなら、それはそのまま放置されてしまうことになりかねません。緒方氏は「それを課題とし、政策として考えること!」とおっしゃられています。常に政策決定に関わってきた緒方氏ならではの言葉ですね。
nice!(0)  コメント(0) 

緒方貞子のことば(第5日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「最後は理論ではない。一瞬のカンです。」

緒方貞子氏のことは、2024年4月20日掲載の「緒方貞子のことば(第1日目)」をご覧ください。
この言葉は、勉強家であり理論では誰にも負けない緒方氏の言葉ですが、“ 最後は一瞬のカン ” というところがすごいですね。これにはよほどの経験を積んでいないと、絶対にカンというものは当たりません。経験がものを言う言葉だと思います。いろいろな場面で修羅場をくぐり抜け、ご苦労を重ねられてきたご経験のある緒方氏ならではの言葉ですね。やはり、最後の最後に詰まるところまでくると理論では埒が明かないもので、最後は理論よりも経験が勝るのですね。経験は大切です!私は今も経験を積んでいるところです!(⌒-⌒; )
nice!(1)  コメント(0) 

緒方貞子のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「忍耐と哲学をかければ、物事は動いていく。」

緒方貞子氏のことは、2024年4月20日掲載の「緒方貞子のことば(第1日目)」をご覧ください。
物事を動かすには、「忍耐」が必要というのは理解できます。しかし、次の「哲学」の解釈が問題ですね。私の解釈では、緒方さんは哲学を「論理的に思考した最善最適な方法(知恵)」と言っているのではないかと思うのです。緒方さんはこの2つがあれば物事は動いていくと説いています。まずは、何事も忍耐が最初ですね。忍耐………いま実感しています!
nice!(1)  コメント(0) 

緒方貞子のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「日本のあらゆる若い世代に、『何でもみてやろう』、『何でもしてやろう』という姿勢を意識的に持ってもらいたいと思います。」

緒方貞子氏のことは、2024.年4月20日掲載の「緒方貞子のことば(第1日目)」をご覧ください。
さすが国際派の緒方さんならではの言葉ですね。若い人達に世界に目を向けること。また、何でも好奇心を持って意欲的に行動することを説いておられます。若い人たちには、チャレンジ精神旺盛になってもらいたいものですね。チャレンジなくして進歩はありません!
nice!(1)  コメント(0) 

緒方貞子のことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「文化、宗教、信念が異なろうと、大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はあり得ない。世界はつながっているのだから。」

緒方貞子氏のことは、2024年4月20日に掲載した「緒方貞子のことば(第1日)」をお読みください。
このお言葉のとおりですね。平和を希求するのであれば、まず苦しむ人々を民族や宗教に捕らわれることなく救う(支援する)ことです。自国だけ平和であれはいいという考えは、国際社会では成り立ちません。困っている人々を支援しましょう!
参考:このブログの2024年1月4日に掲載した「私の支援活動!(直接支援&間接支援!)」をご参照ください。次のアドレスをクリックしてください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2024-01-04-2
nice!(1)  コメント(0) 

緒方貞子のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「熱い心と冷たい頭を持て。」

緒方貞子氏(1927年〜2019年)は、キリスト教カトリック教会のクリスチャンで国際政治学者です。東京都出身。カトリック教会のフランスにある女子修道会「聖心会」を母体として設立された聖心女子大学を卒業後、米国ジョージタウン大学を修了、カリフォルニア大学バークリー校で政治学博士号を取得しています。1976年に日本初の女性国連公使となり、国際連合児童基金執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、第8代国連難民高等弁務官、アフガニスタン支援政府特別代表、独立行政法人国際協力機構理事長などを歴任し、国際基督教大学准教授、上智大学教授を務め、在職中は上智大学国際関係研究所長や外国語学部長などを務め、上智大学名誉教授となっておられます。主婦として、お二人のお子さんの母親として、また、お母様の介護をされて、学会、教育界、国際社会で活躍されたことは大絶賛されることですね。栄誉は、従三位、文化勲章授賞、文化功労者及び東京都名誉市民、その他、世界各国から勲章が授与されています。

この言葉ですが、“ 熱い心 ” と “ 冷たい頭 ” は対照的ですね。私は言葉のとおり「物事に対する想いは熱く、しかし、それを考える時や取り組む時は冷静に行いなさい」と解釈します。<成功の秘訣>又は<失敗の回避>のための名言ですね。
nice!(0)  コメント(0) 

田中耕太郎のことば [キリスト者(クリスチャン)]

「実に宗教こそは、道徳に生命を、人類に希望を、政治に理想を、世界に平和を与えるものであります。」

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を再掲載しています。
~衆議院議会において「宗教的情操教育二関スル決議」が採択された際の演説より~昭和21年、衆議院において「宗教的情操教育二関スル決議」が共産党を除く、圧倒的多数で採択されました。その内容は、世界平和のために、「宗教家、教育家の奮起を促し宗教的自覚による隣人愛、無我奉仕の思想を普及徹底させると共に、教育の根底に宗教的情操の陶冶を尊重せしめ、もって道義の昂揚と文化の向上を期さなければならない。」というものです。この言葉のとおりですね。説明はいりません。

田中耕太郎(鹿児島県鹿児島市:1890年(明治23年)~1974年)は、法学者で法哲学者です。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣の文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員、日本法哲学会初代会長です。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。死後に大勲位菊花大綬章を叙勲され正二位を追贈されました。
裁判官・検察官であった田中秀夫の長男として鹿児島県鹿児島市に生まれ、第一高等学校に入学し、東京帝国大学法科大学法律学科に進学、在学中の1914年(大正3年)に高等文官試験行政科(現在の「国家公務員総合職試験(Ⅰ種試験)」)に首席合格、1915年(大正4年)、東京帝国大学を首席で卒業して恩賜(おんし)の銀時計をもらっています。大変優秀だったのですね。
内務省に勤務しますが、1年半で退官して東京帝国大学助教授となりました。このころ、無教会主義キリスト教の内村鑑三の門下生となっています。欧米留学後、1923年(大正12年)に東京帝国大学教授に就任、結婚して妻の峰子夫人の影響によりカトリック信仰の真理性を確信するようになり、1926年(大正15年)4月に岩下壮一を代父として、上智大学初代学長ヘルマン・ホフマンより洗礼を受けています。1974年、聖母病院においてし帰天(逝去)しました。
nice!(0)  コメント(0) 

五十嵐健治のことば [キリスト者(クリスチャン)]

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を再掲載しています。
「……ところが、洗礼を受けてから、私は朝起きると先ず神に祈りました。
『今日の一日を導いてください』と祈りました。
何かあると神に相談した。
『このことはなすべきでしょうか、なさざるべきでしょうか』と祈るようになった。
……まあ、大したことはできませんが、大きなことをするより、小さくてもよい、目に立たなくてもよい、よき行いをしなければならない、と思うようになった。本気で神の教えに従うということが、真の意味で人さまや社会のために益となるのではないかと、考えるようになった。」

五十嵐 健治(新潟県:1877年~1972年)は、キリスト教プロテスタント教会のクリスチャンで、日本の実業家、日本初のドライクリーニングの「白洋舍」の創設者です。自由党の新潟県会議員船崎資郎の子として新潟県に生れ、両親の離婚に伴って五十嵐家の養子となりました。北海道の開拓団に加わりますがうまくいかず、自殺を考えながら小樽の町をさまよっていた時、夜の明かりに引かれてキリスト教会に導かれ、自殺を思い留まったそうです。19才のときに洗礼を受けクリスチャンとなりました。東京に移りある人の紹介で三越に入社し、宮内省担当に抜擢されますが、日曜日に礼拝に出席できないために三越を退社したそうです。

銀座の日本聖書協会の店先で、事故で手足を失い盲人になった人が、舌で点字聖書を読んでいるという写真を見て大いに感動し、聖書を一日一章読む「一章会」を提唱しました。その事故で手足を失い盲人になった人は、アメリカのマック・ファ-ソンという鉱夫で、ある時ダイナマイトが爆発して両手両足を失い、目も失明してしまってただ胴体だけが残りました。かろうじて生き残りましたが、そのことを通して信仰に目覚め、どうしても聖書を読みたいと願いましたが、目が潰れている上、普通の盲人ならば点字で読むこともできますが、手がないのでそれもできません。そこで、点字を舌で読む練習をして、とうとう聖書を読めるようになったという話でした。

1906年に日本橋呉服町に「白洋舍」を創立。ドライクリーニングの研究に没頭し、1907年に独力で日本で初めて水を使わぬ洗濯法の開発に成功しました。 1920年白洋舍を株式会社に改組し、その経営方針は「どこまでも信仰を土台とする」というものでした。自伝に『恩寵の木漏れ日』、『キリスト信仰とわが体験』があります。1956年には北海道の病院で病床にあった堀田綾子(三浦綾子)を尋ね、このことがきっかけで後にクリスチャンになった三浦綾子は、後に五十嵐の伝記『夕あり朝あり』を著しました。
この言葉は、五十嵐氏の信仰に生きた想いそのままが述べられています。白洋舎の会長職を辞めた後は、キリスト教の信仰のために生き、キリスト教の伝道に生涯を捧げたました。
nice!(1)  コメント(0) 

八木重吉のことば(詩)(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

『神の道』
「自分が
この着物さえも脱いで
乞食のようになって
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがえの末は必ずここへくる」

無題
「わたしは
キリストをしんずる
しかしながら
わたし自らが
乞食のようになって
それでうれしい日がくるまでは
たからかにさけべない」

八木重吉のことは、「八木重吉のことば(第1日目)2024.4.13」をご覧下さい。
キリスト教のイエス・キリストの生涯において、イエス様は、特に貧しい人達、病にある人達、弱い立場の人達を側に招いて憐れみをかけられました。また、反対に富んでいる人達、身分の高い人達、特権階級にある人達には強い戒めと弱者への救済(施し)を求めました。
初めの詩には『神の道』という題がついています。2つ目は無題ですが、同じ主旨の詩ですね。詩にある「乞食のようになって」は、イエス様の行いのように、貧しい人間となって信仰の道にあるべきではないかと、八木の心の葛藤が見えてきます。しかし、八木は重い病に冒され、十分に貧しい生活を余儀なくされていたわけですから、私はイエス様に適う者であったと確信しています。
nice!(1)  コメント(0) 
前の10件 | - キリスト者(クリスチャン) ブログトップ