五十嵐健治のことば [キリスト者(クリスチャン)]

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を再掲載しています。
「……ところが、洗礼を受けてから、私は朝起きると先ず神に祈りました。
『今日の一日を導いてください』と祈りました。
何かあると神に相談した。
『このことはなすべきでしょうか、なさざるべきでしょうか』と祈るようになった。
……まあ、大したことはできませんが、大きなことをするより、小さくてもよい、目に立たなくてもよい、よき行いをしなければならない、と思うようになった。本気で神の教えに従うということが、真の意味で人さまや社会のために益となるのではないかと、考えるようになった。」

五十嵐 健治(新潟県:1877年~1972年)は、キリスト教プロテスタント教会のクリスチャンで、日本の実業家、日本初のドライクリーニングの「白洋舍」の創設者です。自由党の新潟県会議員船崎資郎の子として新潟県に生れ、両親の離婚に伴って五十嵐家の養子となりました。北海道の開拓団に加わりますがうまくいかず、自殺を考えながら小樽の町をさまよっていた時、夜の明かりに引かれてキリスト教会に導かれ、自殺を思い留まったそうです。19才のときに洗礼を受けクリスチャンとなりました。東京に移りある人の紹介で三越に入社し、宮内省担当に抜擢されますが、日曜日に礼拝に出席できないために三越を退社したそうです。

銀座の日本聖書協会の店先で、事故で手足を失い盲人になった人が、舌で点字聖書を読んでいるという写真を見て大いに感動し、聖書を一日一章読む「一章会」を提唱しました。その事故で手足を失い盲人になった人は、アメリカのマック・ファ-ソンという鉱夫で、ある時ダイナマイトが爆発して両手両足を失い、目も失明してしまってただ胴体だけが残りました。かろうじて生き残りましたが、そのことを通して信仰に目覚め、どうしても聖書を読みたいと願いましたが、目が潰れている上、普通の盲人ならば点字で読むこともできますが、手がないのでそれもできません。そこで、点字を舌で読む練習をして、とうとう聖書を読めるようになったという話でした。

1906年に日本橋呉服町に「白洋舍」を創立。ドライクリーニングの研究に没頭し、1907年に独力で日本で初めて水を使わぬ洗濯法の開発に成功しました。 1920年白洋舍を株式会社に改組し、その経営方針は「どこまでも信仰を土台とする」というものでした。自伝に『恩寵の木漏れ日』、『キリスト信仰とわが体験』があります。1956年には北海道の病院で病床にあった堀田綾子(三浦綾子)を尋ね、このことがきっかけで後にクリスチャンになった三浦綾子は、後に五十嵐の伝記『夕あり朝あり』を著しました。
この言葉は、五十嵐氏の信仰に生きた想いそのままが述べられています。白洋舎の会長職を辞めた後は、キリスト教の信仰のために生き、キリスト教の伝道に生涯を捧げたました。
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