今日の日記2024.4.3(TULLY`S!) [日記]

タリーズコーヒーでブレンドコーヒーです。妻のと待ち合わせに早く着きすぎました(⌒-⌒; )
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新約聖書:マタイによる福音書・第5章・第33~第37節 [聖書]

「『また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、《偽りの誓いをしてはいけない。誓ったことは主に対して果たさなければならない》と命じられていた。しかし、わたしはあなた方に言っておく。決して誓ってはならない。天にかけて誓ってはならない。天は神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。地は神の足台だからである。エルサレムにかけても誓ってはならない。エルサレムは偉大な王の都だからである。また、頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一筋でさえ、あなたは白くも黒くもできないからである。《はい》は《はい》、《いいえ》は《いいえ》とだけ言いなさい。それ以上のことは、悪魔から来る。』」
『原文分校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

イエス・キリストは、どのようなことがあっても「誓ってはならない」と説いています。なぜ誓ってはいけないか?という理由は、「誓いを破った時に、自分に嘘をつくことになるからである。」と文豪トルストイは解釈していますが、自分だけでなく、神に対しても嘘をつくことになります、これは、高尚な誓いをたてるより、将来において “ 嘘をつく危険を避けること ” をイエス・キリストは説いているということです。ただ、「はい」と「いいえ」と言うこと。「はい」と「いいえ」をはっきり言えさえすれば、高尚な誓いなど立てる必要はないということを説いています。

旧約聖書の時代のイスラエル人は、神に向かってよく誓願していました。そして、それを実行しないことは重大な結果を招く罪でした。そして、新約聖書の時代になって、すなわちイエス・キリストは、聖句にあるとおり「決して誓ってならない」という新しい教えを人間に与えておられます。しかし、すべての誓いが禁じられているわけではありません。たとえば、社会生活上におけることで、相手と約束を交わすこと、仕事上で契約を結ぶことなどは、社会生活を営む上で必要不可欠なことですし、契約があるからこそ法律で保障(保証)され、社会に秩序ができ、平和が保たれるのですね。

イエス・キリストが「誓ってはならない」と説いておられるのは、思慮のない誓い、神を指して誓う傲慢な誓いなどのことです。そして、前述したトルストイが述べているように、人間には誓ったことが守れるかどうか分からないから誓ってはならないということですね。私たち人間は弱い生き物です。誤った判断を下すこともあり、為すべきだと分かっていても、それを実行する力がないこともあります。誓う時には、相当な決心をしたとしても、必ずしもそれを実行できるとは限らないものですね。さらに、私たち人間には明日のことが分かりません。それを知っておられるのは神様だけです。

神様は、誓わなくてもその人間のすべてを知っておられるわけです。ということは、そもそも神の愛を信じて神を信頼しているのであれば、誓願を立てる必要などまったくないのですね。ですから「だから、あなたがたは、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。」と説いておられるのです。それ以上のことを口にすると、弱い人間は、悪い者(サタン)の罠 = 悪い行いにかかる恐れがあるということですね。
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