教会日記2023.2.28(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第一火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第一火曜日のミサ」に与りました。まだ朝は寒いですが、日中は19度になるとの予報です。寒暖の差が大きいですね。三寒四温の季節ですから体調管理に留意です!今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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新約聖書:マタイによる福音書・第18章・第21〜第35節 [聖書]

私の人生における克服すべき課題の一つに「人を赦すこと。」があります。このブログのタイトルに「愛と赦し」とあるのは、「隣人への愛」と「人への赦し」がイエス・キリストの教えであるからです。そして、この2つが私の人生における課題であり、信仰生活における糧だからです。2012年に洗礼を受けてから随分と人を赦せるようになりましたが、それでもまだ赦すことに躊躇する時があります。やはり、人生における永遠の課題なのでしょうか。これは、人を赦すことがいかに難しいかということですね。人を赦すことが簡単にできるなら、何も人生における課題にはなりません。
人を赦すことがどれほど難しいか、誰もが経験されていることだと思います。今まで生きてきて、どれだけの人を赦してこなかったか。肉親であるはずの家族でさえ、たまに”赦せない部分”を見つけてしまうことがあります。家族でさえ赦せないのなら、他人であればなおさらのことですよね。それでも、イエス・キリストは次のとおり「とことん赦しなさい。」と説いておられます。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第18章・第21~第35節
「その時、ペトロが近寄ってきて、イエスに尋ねた。「主よ、わたしの兄弟が私に罪を犯した場合、何度、赦さなければなりませんか。七回までですか」。イエスはお答えになった、「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までである。それ故、天の国は次のように喩えられる。
「一人の王が僕たちと貸借の決済をしようとした。決済が始まると、一万タラントンの負債のある者が王の前に連れ出された。しかし、返済することができなかったので、主人はその人自身と、その妻や子もたち、および所有物すべて売って、返済するように命じた。この僕はひれ伏し、『もうしばらくお待ちください。きっと全部お返ししますから』と哀願した。そこで、その僕の主人は憐れに思って、彼を赦し、借金を免じてやった。
ところが、この僕は外に出ると、自分に百デナリオンの負債のある同僚に出会った。彼はその同僚の喉元を絞めつけ、『借金を返せ』と言った。この同僚はひれ伏して、『もうしばらく待ってくれ、返すから』としきりに願った。しかし、彼は承知せず、その同僚を引き立てていき、負債を返すまでといって牢獄に入れた。この一部始終を見てい同僚らは大いに心を痛め、主君の前に出て、事の次第を告げた。
そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『不届きな僕だ。お前が嘆願したから、わたしは負債をいっさい免じてやった。わたしがお前を憐れんだように、お前もあの仲間を憐れむべきではなかったか。』主人は怒って、負債を全部返すまでといって、彼を拷問係りに引き渡した。もしあなた方の一人ひとりが、自分の兄弟を心から赦さないなら、天におられるわたしの父も、あなた方に対して同じようになさるであろう。」
『原文校訂口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

これは聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)です。イエス・キリストは、使徒(弟子)のペトロの質問に対して「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」と説いておられます。7回✕70倍=490回は喩え(たとえ)ですね。とにかく、徹底して赦しなさいと説いているのです。そこには赦す条件など微塵もないのです。この喩え話しですが、「王」とあるのは神様のことで、「僕」とは私たちのこと(罪人のこと)、「負債」とは罪のことです。「負債を帳消しにする」とは、すべての罪を赦すという解釈となります。ここでいう「兄弟」とは、隣人を含めて自分に関係する人などのことです。「天の父」とは、イエス・キリストの父なる神様のことです。

ちなみに、「一万タラントン借金している」とありますが、約2000年前のことですが具体的にどのくらいの程度の金額になるのか計算してみましょう。
<10,000タラントンとはどのくらいの金額なのか?>
2,000年前当時の価値観や物価が違いすぎますから比較にはなりませんが( ̄▽ ̄;)、無謀であることは承知の上で、無理やりこれを現代の金額に換算してみます。
日本のサラリーマンの平均年収が4,673,000円(令和元年度)です。これを1年365日毎日働いたとすると、4,673,000円/365日で、1日分の賃金が12,803円となります。1タラントンは6,000デナリオンで、当時1デナリオンは1日分の賃金ですから、12,803円×6,000デナリオン=1タラントン・76,818,000円となります。そうるすと、1タラントン・76,818,000×10,000タラントン=768,180,000,000円となります。7,681億8千万円です。この計算方式が間違っていなければ考えられない金額となりますΣ( ̄ロ ̄lll)

王は、「こんな莫大な借金を帳消しにしてやったのに、たかが100デナリオン=100日分の賃金くらいの借金を赦さないとは何事か!」ということですね。これは喩え話しですが、これを聖書本文の解釈(神様の言葉)にすると、「このような大きな罪を犯したのを赦してやったのに、隣人の極めて小さな罪を赦さないとは何事か!」ということになります。
私達は、いつか赦してもらいたいと願う時が必ず来ます。それは必ず来るのです。その時に赦してもらいたいなら、普段から人を赦すべきなのです。憎しみや恨みをもって毎日生活をしていても良いことは何もないですね。赦しましょう。とにかく赦すことです。人を赦さないのなら、自分も赦されないのです。

◯ジャン・ガロ著、大滝玲子訳『愛のいのり』から
出版:女子パウロ会・1981年・182ページ・税込み756円
“人を赦すことを教えてください!”
「主が、私たちを赦してくださるように、
私たちにも、人を赦すことを教えてください。
ほんのわずかな間でも、
恨みを心に留めることなく、
すぐに赦すことを教えてください。

口先だけでなく、心の底から、
すっかり赦すことを教えてください。
条件をつけたり限定したりせずに、
完全に赦すことを教えてください。
いったん赦したら、
決して過去のことを持ち出したりせず、
すべてを水に流して、
赦すことを教えてください。

真心から赦すことを教えてください。
無礼や侮辱など、
全く受けなかったかのように、
その人に接することができる力を与えてください。
私自身も、多くのことで
人に赦してもらわなければならないのです。

どうか、謙虚な心で赦すことを教えてください。
私に害を加えた人を、まえ以上に大切にし、
その人のために祈りながら、
寛容に赦すことを教えてください。
何度でも、際限なく赦す、
忍耐深さを与えてください。
主よ、人を赦すことを教えてください。
主が赦してくださるように、
広い心で赦すことを教えてください。」
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「悔い改めの祈り」 [祈り]

今日は、悔い改めの祈りのご紹介です。
このブログに何度も掲載しましたが、再び掲載いたします………といういか、何度でも掲載いたします!先日、カトリック麹町・聖イグナチオ教会で、「赦しの秘蹟」を授かった時にもこのお祈りをしました。
罪びとの私にとっては、日々大切なお祈りなのです。カトリック教会をはじめ、キリスト教会の信徒にはお馴染みのお祈りですが、信徒ではない一般の方には、聖書を読んでないと馴染めないかも知れませんね。でも、悔い改めの心はどのような人も同じです。とにかくお祈りしましょう!

◯口語祈祷文
『悔い改めの祈り』
「神よ、わたしは罪を犯して、
心から愛しているあなたに背いたことを深く悔やんでいます。
御子(おんこ)イエス・キリストが
十字架の上で流した御血(おんち)によって、
わたしの犯した罪をお赦しください。
お恵みによって心を改め、
ふたたび罪を犯して
あなたの愛に背くことのないように決心いたします。
アーメン」

◯文語祈祷文
『痛悔の祈り』
「ああ、天主、われ、主の限りなくきらい給う罪をもって、
限りなく愛すべき御父(おんちち)に背きしを深く悔やみたてまつる。
御子(おんこ)イエスズ・キリストの
流したまえる御血(おんち)の功徳によりって
わが罪を赦し給え。
聖寵(せいちょう)の助けをもって今より心を改め、
ふたたび罪を犯して、
御心(みこころ)に背くことあるまじと決心たてまつる。
アーメン」
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教会日記2023.2.27(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第一月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第一月曜日のミサ」に与りました。四旬節に入っています。土曜日に「赦しの秘蹟」で今までの罪を告解してお赦しをいただき、リセットされた新しい気持ちで信仰生活を再出発させます。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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三浦綾子のことば(第8日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「人間怒るべきことに、怒りを感じないようではいけない。が、怒りは長年連れ添った夫婦でさえ別れさせ、親子でさえ遠く引き離し、友をも失わせてしまうものだということだけは知っていなければならない。たとえ、怒らずに冷静に忠告されてさえ、傷つくほど、人は弱いものなのだから。」
『太陽はいつも雲の上に』から

三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2023.2.4」をご覧下さい。
私達が、日々の日常生活の中で一番陥りやすい罪が「怒り・(憤怒・激高)」です。キリスト教カトリックの教えでは、「怒り」は、“七つの大罪”の一つで、①色欲・肉欲、②貪欲・強欲、③怠惰・堕落、④傲慢・高慢、⑤怒り(憤怒・激高)、⑥嫉妬・羨望、⑦貪食・大食と同じく大罪なのです。罪を犯してはいけません。クリスチャンであれば尚更のことですね。

人間はいとも簡単に怒ってしまいます。それも、一番言いやすい(言い方を変えると「怒りやすい」)対象である家族、友人や職場の同僚(部下)に対して怒ることが多いのではないでしょうか。怒りをたとえ口に出さなくても顔に出せば同じことですね。最近は、職場で同僚(部下)に怒ると「パワハラ」と言われてしまいます。これは私の職場では、「ハラスメント委員会」に訴えられて懲戒になってしまいます。

怒りは自己中心的ものがほとんどであり、ストレス発散じゃあるまいし、自己満足させるためのもの以外に他なりません。そして、人を悲しませたり、悩ましたりして傷つけてしまい、結果的に人間関係を最悪にしてしまうのです。怒りをコントロールできる人は、人間関係も良好なものです。最近、私は怒りを感じると、心の中で神様に「どうか怒らないですみますように!」と祈ります。人間は弱いものですね。
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ロザリオは悪に打ち勝つ武器! [ロザリオ日記]

昨日、カトリック麹町・聖イグナチオ教会で「赦しの秘蹟」を授けていただいたのですが、その時に、聴罪司祭(ちょうざいしさい:神父様)から、終わってから聖堂で「ロザリオの祈り」を唱えるように言われました。
◯私が普段使いしているブラッドストーンのロザリオです。
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「ロザリオの祈り」は、聖母マリア様と一緒にイエス・キリストの生涯を思いめぐらすことを通して、信仰生活(祈る人の人生)をより豊かに生きる手助けをしてくれる尊いお祈りの一方法ですね。時には、いろいろな悩みや困難なことに勇気を与えて、解決に向けて導いてくれます。前々教皇の聖ヨハネ・パウロ二世は、使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』の中で、「ロザリオを祈るとは、わたしたちの重荷をキリストと聖母のあわれみ深い心にゆだねることです。」とお話しされています。

カトリック教会には、昔からいろいろなお祈りがありますが、「ロザリオの祈り」は神に心を向けさせ、祈る人を清めてくれるお祈りでもあります。悪はサタンから来るといいますが、ロザリオはサタンの誘惑に打ち勝つための、私たちキリスト者(クリスチャン)の武器でもあります。元々キリスト教は、個人の利益を願うようなご利益宗教ではありません。自分のためだけでなく、世界の平和のためにも祈らなければなりません。祈りは、キリスト者の信仰生活における大切な使命なのですね。
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今日の日記2023.2.26(かにチャーハンの店!) [日記]

昨夜のお話しになります。
カトリック麹町・聖イグナチオ教会でのミサの帰りに、JR中央線立川駅で途中下車し、駅構内にあるその名も「かにチャーハンの店」というお店で、「半熟たまごのかに玉チャーハン」のかに肉増量を食べました!立川(立川駅)に来たら、必ず寄るお店です。美味しーい!カニ好き&チャーハン好きにはたまりません!
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教会日記2023.2.26(カトリック相模原教会「四旬節第一主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック相模原教会での7時からの「四旬節第一主日のミサ」に与りました。現在の体調を考慮して、自宅に近い教会である相模原教会でミサに与ることにしました。door-to-doorで片道約20分〜25分ですね。自宅の北方向にあるカトリック八王子教会も、ほぼ同じくらいのところにあります。ちなみに、私の所属教会のカトリック成城・聖タデオ教会は、自宅から約1時間15分くらいになります。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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新約聖書:コリントの人々への第二の手紙・第13章・第13節 [聖書]

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさん一同とともにありますように。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

今日の聖句(聖書の言葉)は、ミサの司式の冒頭(一番最初のところ)で司祭の言葉に採用されている聖句です。今日は、ミサに関係することですので、信徒の方しかわからない内容ですね。ご了承ください。
<開祭の儀>
「入祭のあいさつ」のところで、
司祭:十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名において」と唱えます。
会衆:司祭と一緒に十字を切ってから「アーメン」と唱えます。
司祭:「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」と唱えます。
会衆:「また あなたとともに」と応えます。
そして司式は「回心の祈り」に入っていきます。

この司祭の唱える「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」は、『コリントの人々への第二の手紙』の一番最後にある第13章の第13節からの引用です。この聖書の聖句(聖書の言葉)は、キリスト教の根本である「三位一体の神」を見事に表現しています。私は、私的な手紙やメールの相手がクリスチャンであれば、最後の結びとして「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが◯◯さんと共にありますように。」と書くようにしています。ただし、クリスチャンではない方への手紙には意味が通じない(理解できない)ですから使えないですね~( ̄▽ ̄;)
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教会日記その三2023.2.25(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「四旬節第一主日とのミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、日中に所用があって仕事はお休みをいただき、所用を済ませて17時30分からカトリック麹町・聖イグナチオ教会で「赦しの秘蹟」を授けていただきました。終わって18時から「四旬節第一主日のミサ」に与りました。「赦しの秘蹟」で告解し、随分と気持ちが楽になりました。しかし、これからは罪を犯さないよう努力しないとダメですよね(⌒-⌒; )

ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も新しい一日を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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