今日の日記2023.2.21(焼売&餃子!) [日記]
先日の日曜日のお昼ご飯のお話しです。
お昼ご飯代わりに、久しぶりに焼売(シューマイ)専門店&居酒屋で肉焼売を食べました。美味しかったです………が、お店ができた当時は、もっともっと美味しかったと思うのです( ̄▽ ̄;)
………ということで、朝ご飯抜きでしたから焼売5個ではお腹を満たすことができず、今度は餃子専門店で焼き餃子(ネギのせ餃子)3皿(1皿6個✕3皿=18個)です!このお店はいつも美味い!
お昼ご飯代わりに、久しぶりに焼売(シューマイ)専門店&居酒屋で肉焼売を食べました。美味しかったです………が、お店ができた当時は、もっともっと美味しかったと思うのです( ̄▽ ̄;)
………ということで、朝ご飯抜きでしたから焼売5個ではお腹を満たすことができず、今度は餃子専門店で焼き餃子(ネギのせ餃子)3皿(1皿6個✕3皿=18個)です!このお店はいつも美味い!
教会日記2023.2.21(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「平日のミサ」に与りました。明日は「灰の水曜日」で、いよいよ四旬節を迎えることになります。私たち信徒の信仰生活における大きな節目でもあります。「赦しの秘蹟」で告解し、犯した罪の赦しを得る良い機会でもありますね。
今日も寒いですが、清々しい朝を迎えています。
ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
今日も寒いですが、清々しい朝を迎えています。
ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
三浦綾子のことば(第5日目) [キリスト者(クリスチャン)]
「失敗した時は、誰だって、あ、しまったなと思っているのよ。しまった、悪いことをしたと思っている時に叱ったら、もう、そのすまないという思いは消し飛んじゃうよ。ぐだぐだ言ったって何の役にも立たないよ。」
『この土の器をも』から
三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2023.2.4」をご覧下さい。
失敗しょうと思って失敗するわけではないし、本人がきちんと反省しているのであれば叱る必要はないですね。しかし、叱ることを自分の不満やストレスの発散に置き換えて、激高して事を大きくさせてグダグダ言う人がいますね。あれには本当に困ってしまいます。
私も叱ることは「時と場合によっては必要である。」と思っていましたが、振り返ってみると効果はあまり上がらなかったですね。やはり叱るのではなく、「反省すべきことを本人と一緒になって確認すること」が大切なのですね。
せめて人の上に立つほど(上司・監督・コーチなど)の人間であれば、これは自覚すべきことだと思います。要するに愛です。愛がなければなりません。その人を思いやる愛ですね。
『この土の器をも』から
三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2023.2.4」をご覧下さい。
失敗しょうと思って失敗するわけではないし、本人がきちんと反省しているのであれば叱る必要はないですね。しかし、叱ることを自分の不満やストレスの発散に置き換えて、激高して事を大きくさせてグダグダ言う人がいますね。あれには本当に困ってしまいます。
私も叱ることは「時と場合によっては必要である。」と思っていましたが、振り返ってみると効果はあまり上がらなかったですね。やはり叱るのではなく、「反省すべきことを本人と一緒になって確認すること」が大切なのですね。
せめて人の上に立つほど(上司・監督・コーチなど)の人間であれば、これは自覚すべきことだと思います。要するに愛です。愛がなければなりません。その人を思いやる愛ですね。