教会日記2023.2.7(カトリック成城・聖タデオ教会「平日の ミサ」火曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「平日のミサ」に与りました。久しぶりに寒さが少々和らいだ感じがします。今日も清々しい朝を迎えています。
ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
新約聖書:ヨハネの手紙 一・第1章・第9節 [聖書]
「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」
『聖書協会共同訳 聖書』から
この聖句(聖書の言葉)は、カトリック教会の「赦しの秘跡(ゆるしのひせき)」のことを言い表しています。「赦しの秘跡」とは、罪を犯した信徒が、聴罪司祭(ちょうざいしさい:神父様)に告解(こっかい)して罪を赦してもらうというものです。もちろん罪を赦すのは、神様であって司祭ではありません。「赦しの秘跡」として、罪の赦しのための行為ができるのは、イエス・キリストの12人の使徒の後継者である司教と、司教の協力者である司祭だけです。司教・司祭(聴罪司祭)は罪の告白を聴き、「父と子と聖霊のみ名によって」罪を赦す権能を行使します。要するに神様に代わって罪を赦す宣言をするということですね。また、聴罪司祭には守秘義務があり、告白によって知り得た罪について、完全な秘密を守るように義務(秘守義務)づけられていて、これに背けば厳罰を科せられることになります。ですから、告解した内容は厳守されます。なお、「赦しの秘跡」を受けることができるのは、洗礼を受けたカトリック教会の信徒だけとなります。
ちなみに、次のような会話をよく耳にします。
A子「今日ね、教会で神父様に罪の告白をしてお赦しをいただいちゃいました!」
B太「そうなんだ~、懺悔(ざんげ)してきたんだ。」
A子「懺悔じゃないから!」
B太「だって罪の告白って懺悔のことじゃん!」
A子「なに言ってんの!?罪の告白は告解(こっかい)って言うんだよ。」
B太「なにそれ~。どう違うの?」(⌒-⌒; )
「赦しの秘跡」での告解を「懺悔(ざんげ)」と間違う人がいますが、懺悔はカトリック教会では使われず、カトリック教会での宗教的意味は全くありません。そして、お祈りの中で罪を認めるときは「罪の告白」といいます。カトリック教会の告解はとても大切な秘跡で、告解 = 懺悔ではないと考えられています。わかりやすく言えば懺悔は「ごめんなさい」と謝ることで、告解は「振り返り、あやまり・罪を認め神様に赦していただくこと。」です。「赦しの秘跡」で告解をし、そして、最後のところで「あなたの罪は赦されました。」と神様に代わって聴罪司祭が宣言します。これは罪が赦されたことを意味しています。
【聴罪司祭(神父)】
「赦しの秘跡」において、信徒の罪の告白を聴き、赦免(赦し)を与える司祭のこと。もちろん、「赦しの秘跡」の指導を受けて秘跡を修得し、聴罪司祭としての訓練をされていますから、信頼して告解できます。(告解とは、聴罪司祭に罪を告白すること。)
『聖書協会共同訳 聖書』から
この聖句(聖書の言葉)は、カトリック教会の「赦しの秘跡(ゆるしのひせき)」のことを言い表しています。「赦しの秘跡」とは、罪を犯した信徒が、聴罪司祭(ちょうざいしさい:神父様)に告解(こっかい)して罪を赦してもらうというものです。もちろん罪を赦すのは、神様であって司祭ではありません。「赦しの秘跡」として、罪の赦しのための行為ができるのは、イエス・キリストの12人の使徒の後継者である司教と、司教の協力者である司祭だけです。司教・司祭(聴罪司祭)は罪の告白を聴き、「父と子と聖霊のみ名によって」罪を赦す権能を行使します。要するに神様に代わって罪を赦す宣言をするということですね。また、聴罪司祭には守秘義務があり、告白によって知り得た罪について、完全な秘密を守るように義務(秘守義務)づけられていて、これに背けば厳罰を科せられることになります。ですから、告解した内容は厳守されます。なお、「赦しの秘跡」を受けることができるのは、洗礼を受けたカトリック教会の信徒だけとなります。
ちなみに、次のような会話をよく耳にします。
A子「今日ね、教会で神父様に罪の告白をしてお赦しをいただいちゃいました!」
B太「そうなんだ~、懺悔(ざんげ)してきたんだ。」
A子「懺悔じゃないから!」
B太「だって罪の告白って懺悔のことじゃん!」
A子「なに言ってんの!?罪の告白は告解(こっかい)って言うんだよ。」
B太「なにそれ~。どう違うの?」(⌒-⌒; )
「赦しの秘跡」での告解を「懺悔(ざんげ)」と間違う人がいますが、懺悔はカトリック教会では使われず、カトリック教会での宗教的意味は全くありません。そして、お祈りの中で罪を認めるときは「罪の告白」といいます。カトリック教会の告解はとても大切な秘跡で、告解 = 懺悔ではないと考えられています。わかりやすく言えば懺悔は「ごめんなさい」と謝ることで、告解は「振り返り、あやまり・罪を認め神様に赦していただくこと。」です。「赦しの秘跡」で告解をし、そして、最後のところで「あなたの罪は赦されました。」と神様に代わって聴罪司祭が宣言します。これは罪が赦されたことを意味しています。
【聴罪司祭(神父)】
「赦しの秘跡」において、信徒の罪の告白を聴き、赦免(赦し)を与える司祭のこと。もちろん、「赦しの秘跡」の指導を受けて秘跡を修得し、聴罪司祭としての訓練をされていますから、信頼して告解できます。(告解とは、聴罪司祭に罪を告白すること。)