教会日記2023.2.19(カトリック成城・聖タデオ教会「主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会での10時からの「主日のミサ」に与りました。ミサでは聖歌奉仕を担当し、今日もアレルヤ唱を独唱しました。9時から聖歌奉仕の全員練習のため、8時に来て信徒館2階のピアノ室で一人練習をしました。まだ、5人一組で聖歌奉仕をしていますが、早く聖歌隊全員、ミサの会衆全員で歌いたいものです。ミサが終わってから聖歌隊の全体練習があったのですが、ボランティア活動の会議のため欠席となりました( i _ i )
◯歌った聖歌は、次のとおりです。
入祭の歌:典礼聖歌集・第172番「私たちは神の民」
答唱詩編:典礼聖歌集・第93番①、③、④「心を尽くして神をたたえ」
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第268番7A
奉納の歌:典礼聖歌集・第321番①「いつくしみと愛」
拝領の歌:典礼聖歌集・第63番「神は恵みとあわれみに満ち」
以上です。
◯聖堂横にある紅梅の木は、ほぼ満開になりました。
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ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も新しい一日を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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三浦綾子のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「成功者というのはな、自分がなりたいと思った者になれたら、それが成功者だ。……金を儲けなければ成功者ではないと思うのは、それは大間違いだ。金を儲けるよりも、有名になるよりも、誠心誠意人のために生きる者になれたら、それは成功というものだ。」
『泥流地帯』から

三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2023.2.4」をご覧下さい。
一般的に言って「成功者」には誰でもなりたいと思いますよね。では、成功者という定義はなんでしょうか?耳に入ってくるのは、「偏差値の高い学校を卒業し、一流と言われる企業や官公庁に就職をして立身出世し大金持ちになる、或いは有名になること……。」のようなものでしょうか………世の中には、これが成功者であると家族揃って信じている人たちがいます。価値観の違いといえばそれまでですが、もしもこれを肯定するのなら、その人たちはなんと寂しい人たちなのでしょうか。

三浦綾子さんは、「誠心誠意、人のために生きる者になる。」ことを真の成功者と定義付けています。隣人を自分のように愛し、人のために尽くすことができる人、人を赦すことのできる人、これが人生における成功者であると説いています。一度しかない人生で、すべてが人間関係の世の中で、“自分だけでなく他の人に尽くすことのできる人=人の為に為す人になること”が「成功者」なのです。キリスト者(クリスチャン)にとっては当たり前のことですが、みんな同じことを尽くす必要はありません。自分のできることをできるだけ尽くすということでいいのです。すべては隣人を自分を愛するように愛することです。
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