『絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母への困難な時の祈り』 [祈り]

困難な時というものは、予期しない時に不意に誰にでも訪れるものです。私たちはそれを嘆くのではなく、神様からいただいた試練として受けとめることです。聖書に書いてあるとおり、神様は人間に耐えられない試練はお与えになりません。困難さを感じたら、何時どこでいても「絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母」様にこのお祈りを唱えてください。

◯『絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母への困難な時の祈り』
「信じる者の力である父よ、
すべての悪から私たちをお救いください。
忍耐する力をもって、すべての困難に打ち勝つよう、
私たちの信仰を強めてください。
私たちのために、
十字架を背負った主イエス・キリストと共に歩むことができますように、
聖霊の光によってお導きください。
絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母よ、
困難の中にある私達を助け、心身ともに健やかに保てますよう、
あなたの御摂理(みせつり)によって力を与えてください。
私たちの主イエス・キリストの御名(みな)によって。
アーメン」

◯新約聖書:コリントの信徒への手紙第一・第10章・第13節
「あなた方を襲った試練は、何一つとして人間に耐えられないようなものではありませんでした。神は信頼に値する方です。絶えられないような試練にあなた方を遭わせるようなことはなさらず、むしろ、耐えることができるように、試練とともに抜け出る道をも用意してくださるのです。」

◯このブログの2021年4日9日に掲載した「絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母マリア信心会のお話し」を是非ともお読みください。アドレスは次のとおりです。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-04-09

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『ニーバーの祈り』 [祈り]



このブログに過去に何度か掲載しましたが再掲載いたします。
『ニーバーの祈り』は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者であるとされています。当初は無題だった祈りの言葉の通称ですが、日本語の訳語から「平静の祈り」、「静穏の祈り」とも呼称されています。この祈りは、アルコール依存症克服のための組織「アルコホーリクス・アノニマス」や、薬物依存症や神経症の克服を支援するプログラム「12段階のプログラム」によって採用され、広く世に知られるようになりました。

◯『ニーバーの祈り』
「神よ 変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

原文は次のとおりです。
「神よ、恩寵を私に与えて下さい
変えられないものを
静穏に受け入れるために与えて下さい

変えるべきものを変える勇気を
そして、変えられるないものと
変えるべきものを区別する賢さを
私に与えて下さい

一日を一度に生き、
一瞬を一度に楽しみ、
平和へと向かう小道として
困難を受け入れる神がしたように、

この罪深い世界を
そのままに受け入れる私が、
それを味わうようにではなく、
あなたが全てを正しくされることを信じる

もしあなたの意志に身を委ねたならば、
この人生が適度に幸福なものとなり得るように、
そして、天国で永遠のあなたとともに至福を味わうために
アーメン」
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『聖ペレグリンの祈り』 [祈り]

このブログに過去に何度か掲載しましたが再掲載いたします。
今日は、『聖ペレグリンの祈り』のご紹介です。身近に癌に罹患(りかん)された人がいらっしゃる方は、次のお祈りを唱えましょう。
◯『聖ペレグリンの祈り』
「あぁ、偉大なる聖ペレグリン、
あなたにより頼む人々のために
神から多くの奇跡を得て「力ある者」、「奇跡をおこなう者」と呼ばれた方、
あなたは、私達の命そのものを破壊する癌の病を長年ご自分の身に負われ、
人の力ではもはや何もできなくなったとき、
すべての恩寵(おんちょう)の源により頼み、
主イエスがご自分の十字架から降りて
あなたの病をいやされる示現(じげん)を賜りました。
私があなたに委ねる病人の癒しを、神と聖母に願ってください。

(ここで沈黙のうちに、自分が祈りたい病人の名前を想起する)

あなたの力強いとりなしに助けられ、今、そして永遠に、
偉大な善と慈悲への感謝の賛歌を神に向かって歌います。
わが母マリア、平和の元后(げんこう)、癌の聖人聖ペレグリン、すべての天使と聖人、
私と私の愛する人を助けてください。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」     
聖ペレグリン・メダイ2pg.jpg
ペレグリン・ラツィオーシ(イタリア:1265年頃~1345年)は、イタリアのロマーニャ州のフォルリ市で、裕福な家庭の一人息子として生まれました。不良グループのリーダーでもあった若きペレグリンは、ある時、町にやってきた修道士達を打ち据えてしまいました。やがて我に返って自分のとった行動を深く恥じたペレグリンは、このころから回心して友人たちと群れるのを止め、礼拝堂で一人跪いたまま時間を過ごすようになりました。

そんなある日、聖母マリア様がペレグリンの前にあらわれました。聖母マリア様は「シエナに行きなさい。そこであなたは、“聖母の僕(せいぼのしもべ)”と名乗る敬虔な人たちに出会うでしょう。その人達に付き従いなさい」とおっしゃられました。ペレグリンは直ちに行動し、シエナの修道院に腰を落ち着けると情熱をもって修行に励みました。自分の欲求を抑えるために、できるかぎり休息をとらないようにしていました。何年もの間、座ったり横になったりすることを避け、ほんの少しだけ地面に横たわることで満足していました(; ̄O ̄)………私には絶対に無理!(⌒-⌒; )

熱心な修行の末、やがて司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、フォルリ市に戻って新たな修道院を造ることでした。若い頃無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者として戻ることになったのです。修道院の建設をすすめる傍ら、病にある人達、貧しい人達に献身的に奉仕しました。そんな苦行を続けていたせいか、ペレグリンの足に”悪性腫瘍”ができました。彼はこの苦しみをできるかぎり隠しとおしましたが、これ以上隠しきれなくなった時には病気は随分と進行しており、後は足を切断するしか治療の手立てはなさそうでした。

医師たちは手術の日取りを決めました。ペレグリンは足を引きずって聖堂へ行くと、キリスト磔刑像が描かれた絵画の前で、「私の腫瘍を治し、傷と痛みをお取り除きください。」と祈りました。すると信じられないことが起こりました。十字架の像(イエス・キリスト)が前にかがみ、そっとペレグリンの傷に触れると、その瞬間、病は癒されてしまったのです。この奇跡は、その献身的な生活ゆえにすでにもたらされていたペレグリンの名声をいっそう強固なものにし、やがて誰からともなく彼を聖人と呼ぶようになりました。ペレグリンはさらに20年を生きました。

ペレグリンの死は、公表される前から知れ渡り、街なかのみならず周辺の市からも、人々が修道院に押し寄せていました。あまりの群衆に、その晩は市の門を閉めることができないほどだったそうです。群集は、聖人の遺骸が教会へ運ばれ埋葬されるのを待っていましたが、その間、驚くべきことが起こりました。昔の伝記作家はこう記しています。「ペレグリンの遺骸が教会に安置されると、遺骸から漂う芳香で多くの病人が癒された。」と。
聖ペレグリンは、現在でもなお奇跡を起こす聖人として知られていますが、ある著述家は、遺骸がまだ人前に安置されていたときに起きた、おびただしい数の奇跡について語っています。どうやら他の人たちに混じって奇跡を目の当たりにしていたようで、それは「畏敬の念を起こさせる出来事であった。」と記しています。

ある時、聖ペレグリンの驚くべき奇跡を聞きつけて、生まれつき目の見えない男が教会にやって来て、深い信仰心を胸に棺台に近づくと、遺骸はまるで生きているかのように起き上がり、その場にいる全員の前で盲目の男の目に触れました。そして再び、もとのように横たわったのです。男は自分の目が見えていることに気づきました。この奇跡に人々はひどく興奮してしまい、その興奮を静めるためには、教会の聖職者たちが乗り出さざるを得なくなったほどだったそうです。棺台が置いてある教会のまわりに武装した守衛たちを配置し、人々が聖人の遺品を持ち去るのを防ぎました。

1639年、フォルリの修道院に礼拝堂が新設された際、聖ペレグリンの遺骸が掘り起こされましたが、その遺骸は腐敗もしておらず、「かぐわしい香り」を放っていたそうです。遺骸は行列とともに壮麗な大聖堂へ運ばれ、崇敬者たちのためにしばらく公開された後、新しい礼拝堂に安置されました。今もそこに霊廟があります。1726年12月27日、聖ペレグリンは正式に聖人の列に加えられました(列聖)。1926年、フォルリ司教は再び遺骸を調べましたが、どの部分もほぼ完全な状態で残っていたそうです。聖ペレグリンは、病気、特に ” 癌の守護聖人 ” となっています。お祈りしましょう。
◯写真は、四ッ谷にあるキリスト教カトリックの書籍や聖品などを扱う専門店「ドン・ボスコ社」で、聖ペレグリンの”メダイ(メダル)”を購入したものです(2016年12月29日現在)。『聖ペレグリンの祈り』が書かれた紙付きです。
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『朝の祈り』と『晩の祈り』 [祈り]

私は、一年365日、毎日午前4時30分に起床してシャワーを浴びた後に「希望のお祈り」をし、就寝直前に「感謝と回心のお祈り」を欠かさずしています。この朝夕約5分ほど、『主の祈り』はもちろんのこといろいろなお祈りをします。次の2つのお祈りは、毎日朝夕の基本中の基本のお祈りです。まだこのお祈りをしていない人は是非ともお祈りしてください。

◯『朝の祈り』
「新しい朝を迎えさせてくださった神よ、
きょう一日わたしを照らし、導いてください。
いつも朗らか(ほがらか)に、健やか(すこやか)に過ごせますように。
物事がうまくいかないときでも微笑み(ほほえみ)を忘れず、
いつも物事の明るい面を見、最悪の時にも、
感謝すべきものがあることを、悟らせてください。
自分のしたいことばかりではなく、
あなたの望まれることを行い、
まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを
見いださせてください。
アーメン。」

◯『晩の祈り』
「一日の働きをおえたわたしに、
やすらかな憩いの時を与えてくださる神よ、
あなたに祈り、感謝します。 
今日一日、私を支えてくれた多くの人たちに
たくさ んの恵みをお与え下さい。
わたしの思い、言葉、行い、怠り(おこたり)によって、
あなたを悲しませたことがあれば、どうかお赦し(ゆるし)ください。 
明日はもっ と良くいきることができますように。
悲しみや苦しみの中にある人たちを、助けてください。
わたしが幸福の中にあっても、困っている人たちのことを
忘れることがありませんように。
アーメン。」
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ラウル・フォレローの『共に生きる恵みを願う祈り』  [祈り]

毎年1月の最終日曜日は「世界ハンセン病の日」です。今年は1月28日(日)でした。
フランスのラウル・フォレローが「ハンセン病にかかった人が、他のいかなる病にかかった人と同じように介護され、いつくしまれるように、そして健康な人が抱くおよそ馬鹿げて犯罪的でさえある、この病気とこの病気にかかった人に対する恐怖をなくすため」に1954年に提唱されました。現在でも毎年1月の最終日曜日に世界各国でさまざまな活動が行われています。
ラウル・フォレローは1903年8月17日フランス中部のネーヴェに生まれ、1977年75才の生涯を終えました。彼の一生を記す年表の最後には、「弁護士、稀有の雄弁家、詩人、著作家、ジャーナリスト、良心の覚醒者、時代の証人、行動の人、ラウル・フォレロー、1977年12月6日パリに死す」と記されています。
ヨーロッパのハンセン病にかかわる組織の中には、その団体の名称にラウル・フォレローの名前を冠したものがいくつかあります。フランス ラウル・フォレロー財団、イタリア ラウル・フォレロー友の会、ルクセンブルグ ラウル・フォレロー財団などですが、このほか、ベルギーやスイスの団体も彼のよびかけに応えて活動を開始したといわれています。これらの団体はやがて1966年「ヨーロッパ・ハンセン病連合」をつくり、1975年にはアメリカとアジアの国々をメンバーに加えた「国際ハンセン病連合」となり、今日に至っています。

◯ラウル・フォレローの『共に生きる恵みを願う祈り』
「主よ、教えてください。
自分だけを愛さないことを、
身内だけを愛さないことを、
仲間だけを愛さないことを。
人のことも考え、
だれからも愛されたに人を
優先して愛することを。

主よ、教えてください。
わたし自身も苦しむことを、
人と共に苦しむことを。

主よ、わからせてください。
わたしがあなたのおかげで、
幸せな日々を送っている今、
刻一刻と、あなたの子、
わたしの兄弟である数知れぬ人びとが、
自分たちが悪いわけではないのに、
飢えて死んでいくことを、
こごえて死んでいくことを。

主よ、あわれんでください。
全世界の貧しい人びとを、
あなたが世におられたとき、
幾度となく慈愛の目を
お向けになった病に苦しむ人びとを、
不自由な体をあなたに見せながら、
あなたの慈悲にすがった病人たちを。

主よ、あわれんでください。
苦しむ人びとをいわれもなく退けた、
このわたしをゆるしてください。
幸せをひとりじめすることを、
わたしにさせないでください。

全世界の苦悩を、
わたしにも感じさせてください。
主よ、利己主義からの解放こそ、
あなたはお望みなのですから。」
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『十字の祈り』のお話し(ラテン語付き) [祈り]

このブログに、過去に掲載した記事を再掲載いたします。
『十字の祈り』という、ごく短いお祈りがあります。祈祷文は「父と子と聖霊の御名(みな)によって。アーメン」です。キリスト教カトリックの信徒が、いつどこでも最初に唱えるお祈りで、ある意味、お祈りのためのお祈りとも言うべきものです。次に日本語とラテン語、そして無謀と知りつつカタカナで表記しました。

◯『十字の祈り』
「父と
In Nomine  Patris,
イン ノミネ パトリス、

子と
et Filii ,
エト フィリイ、

聖霊のみ名によって
et Spiritus Sancti、
エト スピリトゥス サンクティ

あーめん
Amen
アーメン」

このお祈りの意味は、次のとおりです。
父とは、創造主であるイエス・キリストの父なる神様のことです。子とは、父なる神様の子であるイエス・キリストのことです。聖霊とは、父なる神様と子であるイエス・キリストから出る私達の救いとなる霊のことです。キリスト教の神様は、父なる神様と子であるイエス・キリストと聖霊の3つの位格が一体となる『三位一体』の神様です。意味は、「父なる神様と子であるイエス・キリストと聖霊の尊い御名(みな)をもって神様の愛と一つになります。」となります。「アーメン」は、「そのとおりになりますように。」という意味です。

このお祈りをする時は、右手で十字を切りながら(行いながら)「父と子と聖霊の御名(みな)によって。アーメン」と唱えます。「キリスト教の信徒は、キリスト教の初代教会時代から、十字架にかけられ、死んで、葬られ、黄泉(よみ)に降り、三日目に死者のうちから復活されたイエス・キリストを救い主(メシア)として信じてきました。この「信じています。」ということを表すため、また、十字架上ですべての人間の罪を背負って死んでいかれたイエス様を十字を切る度に思い起こすために、 ” 十字架のしるし ” を行ってきました。

この「父と、子と、聖霊のみ名によって。アーメン」は、キリスト教における最高、最強、完璧かつ究極的なお祈りです。キリスト教には多くのお祈りがありますが、キリスト教の「三位一体」の神を表し、その御名(みな)をもっての祈祷文ですから、これ以上のお祈りは「主の祈り」を除いて他にはありません。闇の支配者サタンの勢力もこの祈りの言葉の前には勝てないのです。次のとおり、十字を切りながらお祈りをします。では見てみましょう。

◯このお祈りをするときは、祈祷文を唱えながら右手で十字を切ります。要領は次のとおりです。
1 まず最初に合掌をして一礼します。この場合の合掌は、仏教のような左右の掌をピッタリと密着させるような合掌ではなく、両手の指先と手元はひっつけますが、掌はひっつけず、ふっくらとさせます。左右の親指は交差させます。右手の親指を上して✕印にします。(「キリスト教と美術(祈りの聖母)2016.8.4」の聖母の手をご参照ください。)
2 次に左手は、最初から掌(指)を真っ直ぐに伸ばして胸に当てます。(下の図では、お腹に当てていますが、私は胸に当てています。)
3 右手の掌を普通に指を揃えて(指を伸ばさずに)、手の一番先の中指の先を “ 額の中央 ” に触れて「父と」と唱えます。
4 次に、その手をお腹の辺りに持っていき、“ みぞおち ” 部分に触れて「子と」と唱えます。
5 次に、その手を左肩の辺りに持っていき、“ 左肩前 ” に触れて「聖霊の」と唱えます。
6 次に、その手を右肩の辺りに持っていき、“ 右肩前 ” に触れて「御名(みな)によって」と唱えます。
7 両手を胸の前で合掌して「アーメン」と唱えます。
十字を切る.png
この1~7の動作を連続して行います。上 → 下 → 左 → 右の順番です。ただし、キリスト教正教会(ギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など)は、上 → 下 → 右 → 左となり、カトリック教会とは左右が逆になります。注意したいことは、小さく早く十字を切る人が多いのですが、これは間違いですね。きちんと、ゆっくり「父と、子と、聖霊のみ名によって。」と唱えながら十字を切ってくださいね。
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『死者のための祈り』 [祈り]

先ほどの「教会日記2024.3.2」に書きましたが、今夜の主日のミサの帰りがけに、朝ミサでいつも敬虔にお祈りされている方のご親族がお亡くなりになられたと知りました。お亡くなりになられた方とご親族の皆さんのためにお祈りいたします。

「イエス・キリスト、栄光の王である主、
聖母マリアとすべての聖人の取り次ぎによって、
神を信じて亡くなった◯◯◯◯さんを復活の栄光にあずからせてください。
大天使ミカエルの取り次ぎによって、
アブラハムとその子孫に約束された聖なる光に導いてください。
主よ、◯◯◯◯さんのためにささげる賛美の祈りを受け納め、
永遠の喜びに迎え入れてください。
永遠の安息を与え、不滅の光で照らしてください。
◯◯◯◯さんが安らかに憩いますように。
アーメン」

「神よ、御子イエス・キリストは、わたしたちに約束されました。
『わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる人は、死んでも生きている。
わたしを信じて生きている者は、
すべて永遠に死ぬことはない』と。
いつくしみ深い神よ、
この世からあなたのもとにお呼びになった◯◯◯◯さんを
お約束のとおり、あなたの国に受け入れてください。
すべての罪の絆から解放されて、
永遠の光の内に迎えられ、救われた人々と共に、
復活の栄光のうちに立ち上がることができますように。
私たちの主イエス・キリストによって、
アーメン」
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『お告げの祈り』のお話し [祈り]

『お告げの祈り』は、『アンジェラス(Angelus)』と言います。聖母マリア様への “ 受胎告知 ” を記念するキリスト教カトリック教会の祈祷(きとう:お祈りのことば)です。一年365日を毎日午前6時(7時)、正午12時、午後6時の3回唱えます。“ Angelus Domini ” の句で始まるお告げの祈りですが、この祈りの時刻を知らせる鐘を「アンジェラスの鐘(お告げの鐘)」といいます。この鐘の音を聞いた信徒たちは、その場で胸の前で手を組み、目を閉じて聖母マリア様に『お告げの祈り(『アヴェマリアの祈り』を含む)』を捧げます。私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会も、土曜日と日曜日の主日のミサの前にお祈りしています。

カトリック教会の鐘の音は、そのほとんどがアンジェラスの鐘です。日本では、長崎市の浦上天主堂にあるアンジェラスの鐘が有名ですね。東京の四ツ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会のアンジェラスの鐘の音は大きく、『告げの祈り』が始まるのとほぼ同時に鳴りますから、聖堂の中までビンビン響いて聴こえてきます。ちなみに、仏教のお寺の鐘ですが、一般的に時報として鳴らす鐘は朝と夕方についているそうです。鐘をつく時刻はお寺により異なり、鐘をつく回数にも特に決まりはないそうです。でも、仏教の宗派や地域によりルールが決められている場合があるそうです。そして、大晦日につく「除夜の鐘」は、鎌倉時代に中国から伝わったそうですが、毎年12月31日の23時くらいから年を越した1日の深夜1時前あたりまで鐘をつくそうです。つく回数は、煩悩(ぼんのう)の数である108回というのが一般的ですが、200回もつくお寺もあるそうです。

◯掲載した絵は、ジャン=フランソワ・ミレーが1857年に制作した「晩鐘(ばんしょう)」です。フランスのパリにあるオルセー美術館の所蔵です。有名な絵画ですね。
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この絵の説明をします。
①バルビゾンのジャガイモ畑で収穫作業をする貧しい夫婦が、絵の右側遠くにフォンテーヌブローの森のはずれ、シャイイ村にある教会(尖塔が描かれています)から聞こえてくる午後6時のアンジェラスの鐘(お告げの鐘)に合わせ、敬虔に祈りを捧げているところを描いています。
②この絵は、厳粛に祈る敬虔な信徒の姿を象徴している絵として有名ですね。たぶん、当時の人々がそうであったように、この祈りを唱えた後は家路を急いだことでしょう。
③当時は、時計がまだ一般家庭にないころでしたので、この「お告げの祈り」を知らせる「アンジェラスの鐘(お告げの鐘)」が、時を知る大切な手段でもあったのですね。
④ちなみに、この絵の情景の細部ですが、一輪の荷車にある収穫物は地主に納めるためのものなのか、生活費を得るために売るジャガイモか、そのどちらかだと思われます。
⑤女性の前にある手さげ籠にあるジャガイモは、夫婦が食べるために持ち帰るものです。この絵が描かれた当時、ジャガイモはパンを食べられない貧しい人々の主食でした。

◯祈祷文は次のとおりです。
「主のみ使いのお告げを受けて、
マリアは聖霊によって神の御子を宿された。
『アヴェ・マリアの祈り』
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。

わたしは主のはしため、
おことばどおりになりますように。
(引き続き『アヴェ・マリアの祈り』を唱えます。)

みことばは人となり、
わたしたちのうちに住まわれた。
(引き続き『アヴェ・マリアの祈り』を唱えます。)

神の母聖マリア、わたしたちのために祈ってください。
キリストの約束にかなうものとなりますように。

<祈願>
神よ、み使いのお告げによって、御子が人となられたことを知ったわたしたちが、キリストの受難と十字架をとおして、復活の栄光に達することができるよう、恵みを注いでください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。 」
以上です。

◯そこで、実際は次のようにお祈りします。
先唱:「主のみ使いのお告げを受けて、」
会衆:「マリアは聖霊によって神の御子を宿された。」
先唱:「アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。」※『アヴェ・マリアの祈り』
の前半部分
会衆:「神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。」※『アヴェ・マリアの祈り』の後半部分

先唱:「わたしは主のはしため、」
会衆:「おことばどおりになりますように。」
(引き続き、上記の『アヴェ・マリアの祈り』の前半部分を先唱 → 後半部分を会衆の順で唱えます。)

先唱:「みことばは人となり、」
会衆:「わたしたちのうちに住まわれた。」
(引き続き、上記の『アヴェ・マリアの祈り』の前半部分を先唱 → 後半部分を会衆の順で唱えます。)

先唱:「神の母聖マリア、わたしたちのために祈ってください。」
会衆:「キリストの約束にかなうものとなりますように。」

<祈願>
先唱:「神よ、み使いのお告げによって、御子が人となられたことを知ったわたしたちが、キリストの受難と十字架をとおして、復活の栄光に達することができるよう、恵みを注いでください。わたしたちの主イエス・キリストによって。
一同:「アーメン。 」
以上です。
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『悔い改めの祈り』 [祈り]

今日は、悔い改めの祈りのご紹介です。
このブログに何度も掲載しましたが、再び掲載いたします………といういか、何度でも掲載いたします。今年も四旬節を迎え、明日の夜は、仕事が終わってからカトリック麹町・聖イグナチオ教会で「赦しの秘蹟」を授かろうと予定しています。その時にこのお祈りを捧げることになりますね。
罪びとの私にとっては大切なお祈りです。カトリック教会をはじめ、キリスト教会の信徒にはお馴染みのお祈りですが、信徒ではない一般の方には、聖書を読んでないと馴染めないかも知れませんね。でも、悔い改めの心はどのような人も同じです。とにかくお祈りしましょう!

◯口語祈祷文
『悔い改めの祈り』
「神よ、わたしは罪を犯して、
心から愛しているあなたに背いたことを深く悔やんでいます。
御子(おんこ)イエス・キリストが
十字架の上で流した御血(おんち)によって、
わたしの犯した罪をお赦しください。
お恵みによって心を改め、
ふたたび罪を犯して
あなたの愛に背くことのないように決心いたします。
アーメン」

◯文語祈祷文
『痛悔の祈り』
「ああ、天主、われ、主の限りなくきらい給う罪をもって、
限りなく愛すべき御父(おんちち)に背きしを深く悔やみたてまつる。
御子(おんこ)イエスズ・キリストの
流したまえる御血(おんち)の功徳によりって
わが罪を赦し給え。
聖寵(せいちょう)の助けをもって今より心を改め、
ふたたび罪を犯して、
御心(みこころ)に背くことあるまじと決心たてまつる。
アーメン」
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『災害被災者のための祈り』 [祈り]

阪神淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震など、多くの災害でお亡くなりになられた方々、被災された皆さんのためにお祈りください。

「父である神よ、
すべての人に限りないいつくしみを注いでくださるあなたに、
希望と信頼をこめて祈ります。
災害によって、苦しい生活を送り、
不安な日々を過ごす人々の心を照らし、
希望を失うことがないよう支えてください。
また、亡くなられた人々には、永遠の安らぎをお与えください。
すべての人の苦しみを担われたキリストが
いつもともにいてくださることを、
祈りと行動によってあかしできますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」
(2021 年 2 月 16 日 日本カトリック司教協議会認可)
◯戦争で、空襲にあったような被災地の状況です。
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