教会日記2023.3.31(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第五金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第五金曜日のミサ」に与りました。聖堂内は暖かくはないものの、暖房を入れなくても大丈夫なくらいでした。今日も清々しい朝を迎えています。
◯ 成城教会の正門付近の垣根の「トキワマンサク(和名「常盤万作」)」です。来週あたりに満開となります。花言葉は「私から愛したい」、「霊感」や「おまじない」です。特にピンク色は、恋愛を象徴する色であることから「私から愛したい」という花言葉が付けられたそうです!………ここ何十年も言われてないな〜(⌒-⌒; )
1D08758A-8C56-4488-A12E-C9E4E30BABA0.jpeg
ミサでは、先唱奉仕を担当しました。
そして、ミサの前後に私的なお祈りです。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

パール・バックのことば [キリスト者(クリスチャン)]

「不可能なことがはっきりしない限り、
どんなことでも可能なのです。
そして不可能であるとはっきりしている場合も、
現段階で不可能であるに過ぎません。」

パール・サイデンストリッカー・バック(アメリカ:1892年~1973年)は、プロテスタント教会の女性宣教師で小説家です。南長老ミッション派宣教師の両親と中国(中華民国)に渡り、そこで育ちます。処女作『東の風・西の風』に続き、1931年に代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞しています。『大地』は『息子たち』『分裂せる家』と共に三部作『大地の家』となり、1938年にノーベル文学賞を受賞しました。小説やノンフィクションの他に、児童書や絵本も執筆しています。また、7人の孤児を養子として自らの手で育てたり、谷本清の広島における平和活動への支援も行いました。

この言葉は、要約すると<絶対にあきらめない心を持つこと>ですね。「不可能であるとはっきりしている場合も、現段階で不可能であるに過ぎません。」と言い切るところが、パールの意思の強さを表しています。小説『大地』には彼女の決意がみなぎっており、知的障害であった娘のキャロルの存在なしに『大地』という作品はありえなかったといわれています。皆様、是非ともご一読をお勧めします。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.3.30(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第五木曜日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第五木曜日のミサ」に与りました。聖堂は、まだ暖房が必要です。日中は暖かくても朝はまだまだ寒いのです。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサの前後に私的なお祈りです。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

ファーブルのことば [キリスト者(クリスチャン)]

「見ることは知ることだ。」

ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル(フランス:1823年~1915年)は、カトリック教会のクリスチャンで生物学者です。昆虫の行動研究の先駆者であり、その研究成果をまとめた『昆虫記』は世界的に有名ですよね。同時に作曲活動をしたことでも知られており、数々の曲を遺し、プロヴァンス語文芸復興の詩人としても活躍していたそうです。

日本の諺(ことわざ)に、「百聞(ひゃくぶん)は一見(いっけん)にしかず。」というのがあります。「人の話を何回も聞くより、自分の目で確かめるほうがよく分かるということ。」という意味ですが、ファーブルの言葉と同じですね。やはり自分の目で観ることが、本当に知ることになるのです。「知ったか振り」は信用を無くします。要注意です!
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.3.29(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第五水曜日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第五水曜日のミサ」に与りました。今日は晴れですが、朝のうちは寒いですね。聖堂にはまだ暖房が必要です。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサの前後に私的なお祈りです。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

ジョセフ・マレーグのことば [キリスト者(クリスチャン)]

「試練は、すべて『チャンス到来』である。」

フランスのカトリック作家であるジョセフ・マレーグ(フランス:1876年〜1940年)は、キリスト教カトリック教会のクリスチャンで、神学者、小説家です。

普通の人間は、試練となると重苦しくマイナス思考に受け取るものですが、これを“チャンス到来”と受け取るポジティブな思考が、人格を大きく豊かにし、生き方そのものを変える力があると私は思います。聖書にあるとおり、神様は人間に耐えられない試練はお与えになりません。試練をネガティブに思考ないでポジティブに生きましょう!“試練は、すべてチャンス到来!”とても良い言葉ですね。

◯新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第10章・第13節
「あなた方を襲った試練は、何一つとして人間に耐えられないようなものではありませんでした。神は信頼に値する方です。耐えられないような試練にあなた方を遭わせるようなことはなさらず、むしろ、耐えることができるように、試練とともに抜け出る道をも用意してくださるのです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳註聖書』から
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.3.28(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第五火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第五火曜日のミサ」に与りました。また雨で寒い朝ですね。風邪をひかないよに!今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、朗読奉仕を担当させていただきました。
そして、私的なお祈りです。
まず主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

トーマス・マンのことば [キリスト者(クリスチャン)]

「幸福とは愛することであり、愛する対象へわずかに心許なく近づいて行く機会を捉えることである。」

パウル・トーマス・マン(ドイツ:1875年~1955年)は、プロテスタント教会のクリスチャンで小説家です。ドイツ、リューベックの富裕な商家に生まれ、『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死す』などの芸術家小説や教養小説の傑作『魔の山』を発表し、1929年にノーベル文学賞を受賞しました。
1933年にナチスが政権を握ると亡命し、スイスやアメリカ合衆国で生活しながら、聖書の一節を膨大な長編小説に仕立てた『ヨセフとその兄弟』、ゲーテに範を求めた『ヴァイマルのロッテ』などを発表しています。兄のハインリヒ・マン、長男のクラウス・マンも有名な作家です。学生時代に『ヨセフとその兄弟』を読みました。今も自室の書棚にあります。

マンは、幸せを愛することと定義し、その“愛する対象へ近づく機会を捉えること”は幸せなことであると述べています。確かに若いころは愛する人に近づくことは幸せな瞬間でした~(⌒-⌒; ) 今もですね!
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.3.27(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第五月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第五月曜日のミサ」に与りました。先週末の雨も昨日であがり、今日は久しぶりに晴れてますね。桜の花びらが散り風に舞っています。若葉も出てきましたね。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、まず主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

新約聖書:ヨハネによる福音書・第2章・第1第〜第11節 [聖書]

「さて、三日目にガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちもその婚礼に招かれていた。ぶどう酒がなくなりかけていたので、母はイエスに、「ぶどう酒がありません」と言った。すると、イエスは母にお答えになった。「婦人よ、それがわたしとあなたとにどんな関わりがあるのでしょうか。わたしの時はまだ来ていません。」。母は給仕たちに、「何でもこの人の言うとおりにしてください」と言った。
ところで、そこにはユダヤ人が清めに用いる石の水瓶が、六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスは給仕たちに、『水瓶に、水をいっぱい入れなさい』と仰せになった。彼らは水瓶の縁まで水でいっぱいにした。イエスが、「さあ、それをくんで、宴会の世話役の所に持って行きなさい」と仰せになると、彼らはそれを持って行った。
世話役は、ぶどう酒になった水を味わってみた。水をくんだ給仕たちはそのぶどう酒がどこから来たのか知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「誰でも初めに善いぶどう酒を出して、酔いの回ったころに、質の劣ったものを出すものですが、あなたは善いぶどう酒を今まで取っておいたのですね」。イエスは最初の徴としてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。そして、弟子たちはイエスを信じた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(イエス・キリストお言葉又は聖書の言葉)は、イエス・キリストが初めて奇跡を行ったことを描写している聖句です。水がワインになるという奇跡ですが、イエス・キリストは、人々を信仰に招くために多くの奇蹟(=しるし)を行っていました。重い皮膚病(規定の病)の人の肌を綺麗にして治したり、耳の聴こえない人を聴こえるように、盲人の目を見えるように、歩けない人を歩けるように、喋れない人を喋れるように、死人を生き返らせたりしています。決して魔法などではありません。これは奇跡なのです。

この場面では、水をワインに変えて使徒(弟子)達の信じる心を開かせるために行った最初のしるし(=奇蹟)ですね。水がワインになるという描写は、ファンタジー映画などによく使われています。元々は聖書の中にあるイエス・キリストが行った奇跡のことなのです。キリスト教世界では、一般的に「カナの婚礼」と言われる聖書の有名な箇所です。神学者や聖職者によっていろいろな解釈がなされていますが、私はこの物語でポイントとなるところは、次のマリア様とイエス・キリストの会話の部分にあると思うのです………。

「母はイエスに、『ぶどう酒がありません』と言った。イエスは母にお答えになった、『婦人よ、それがわたしとあなたとにどんな関わりがあるのでしょうか。わたしの時はまだ来ていません。』と」
(婦人と母とは、聖母マリア様のこと)
この聖句の部分ですが、イエスがキリストの答えは、一見とんちんかんなことを言っているように感じられますね。それに、自分の母親に対して「婦人よ」という言い方は、あまりに冷たい他人に対する言い方のような気がします。これは、イエス・キリストは母であるマリア様に要求されたから答えたのではなく、神の子イエス・キリストとして主体的に恵みを与えるということを発言されたのではないかと推察します。神の子であるイエス・キリストとして、「ぶどう酒」は、ミサにおいていただくイエス・キリストの血を象徴しています。

今日の聖句の解釈は、信徒ではない方には難しいですね。
イエス・キリストの復活とミサにおけるご聖体と御血(おんち)の拝領を念頭に置いてこの箇所を読むと、マリア様とイエス・キリストの会話は、まるで違った解釈ができるのではないかと思います。それは「私(イエス・キリスト)が死に、あなた方がその記念として聖体拝領を行い、私の血の杯を飲む時はまだ到来していない。」とおっしゃられているのではないかと解釈できるからです。イエス・キリストが「神の国の到来を告げ知らせて悔い改めを述べ伝える」宣教活動の最初のところで、十字架の死に臨む最後のところも暗示されているというわけですね。
nice!(0)  コメント(0)