今日の日記2023.3.5(朝昼兼用ご飯!) [日記]

今日の朝昼兼用ご飯です!ミサから帰ってきてから食べました。大好物のウルメイワシの丸干し、アボカドサラダ、目玉焼き2個、ソーセージ3本、ご飯は玄米、八丁味噌の白菜の味噌汁です。美味しかったー!(^◇^)
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教会日記2023.3.5(カトリック相模原教会「四旬節第二主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック相模原教会での7時からの「四旬節第二主日のミサ」に与りました。これからの日曜日は、私の所属するカトリック成城・聖タデオ教会での「聖歌奉仕(教会の聖タデオ聖歌隊に所属)」がない場合は、相模原教会での7時からの主日のミサに与らせていただくことにしました。主任司祭(神父様)には、昨日お許しをいただきました。今日も清々しい朝を迎えています。これから帰って朝食です!(^◇^)

ミサでは、ミサ開式直前に第一朗読を命じられ( ̄◇ ̄;) 朗読奉仕を担当しました。所属外の教会だからか、膝の痛みもあって妙な緊張をしました(⌒-⌒; )
そして、まず、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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小泉信三のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「練習ハ不可能ヲ可能ニス(練習は、不可能を可能にする)」

小泉信三(こいずみ しんぞう:1888年~1966年)は、キリスト教日本聖公会のクリスチャンで、経済学者、上皇陛下(平成天皇)の皇太子時代の師父です。戦前の1933年から1946年まで慶應義塾長(慶応義塾大学)を務めました。1954年にコロンビア大学から人文学名誉博士号を贈与され、1959年には文化勲章を受章されています。

1943年10月16日開催の出陣学徒壮行早慶戦(通称「最後の早慶戦」)は、「学徒出陣に赴かざるを得ない学生らに、せめてもの最後の餞を残したい。それには早慶戦が相応しい。」との小泉信三の思いから始まったそうです。小泉は慶大野球部の部長・主将を通じ、早稲田大学野球部(飛田穂洲監督)に試合を頼み込みました。早稲田大学野球部はこれを快諾しましたが、早稲田大学側は軍部や文部省の圧力に屈して、試合の申し出を承諾出来ずにいました。

そのため、早稲田大学野球部は大学当局の反対を押し切って試合を挙行し、試合が行われた戸塚球場に招かれた小泉は、早稲田大学側による特別席への案内を「私は学生と一緒の方が楽しいです。」と断り、学生席で観戦したそうです。当時、敵国アメリカのスポーツであった野球に対する弾圧をただ一人体育審議会でその無意味さを説き、強烈な反対の論陣をもって軍部や官僚たちを沈黙させたのも小泉信三の功績です。1976年に野球殿堂入りしています。

後に、『ラストゲーム 最後の早慶戦』として、試合から65年にあたる2008年に映画化されました。(小泉信三役を石坂浩二が演じました。石坂浩二は、慶應中、慶應高、慶應大卒です。)この言葉は、慶応義塾大学日吉キャンパスにある碑に刻まれています。毅然とした言葉のようにも聞こえるのですが、私には、この言葉の奥底にある、氏の学生を“叱咤激励”するような情熱ある言葉に聞こえてきます。この世の中のすべてのことに当てはまる言葉ですね。
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