教会日記2023.3.14(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第三火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第三火曜日のミサ」に与りました。昨日とは違って寒い朝になりました。毎日寒暖の差が大きいですから体調管理に注意ですね。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、まず主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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映画『祈りのちから』と小説『祈りのちから』のご紹介 [キリスト教と読書]

祈りの力.jpg
今日は、このブログで過去に掲載した記事を再掲載いたします。映画『祈りのちから』と小説『祈りのちから』です。この映画を初めて観て大いに感激・感動しました。祈ることが、いかに大切なことかを説いています。キリスト者(クリスチャン)であれば、これは絶対に観るべき映画であり、絶対に読むべき小説です。

映画のホームページに掲載されているストーリーはだいたい次のとおりです。
「トニーは妻エリザベスと娘の3人家族。理想的なファミリーと思われたが問題を抱えていた。クリスチャンの老婆クララは家を売却のため不動産の担当者エリザベスを呼び彼女にクローゼットを見せる。そこはクララの祈りの部屋だった。エリザベスの問題にクララは、祈ることをすすめる…そこから不思議なことが展開する。」というものです。
そして、解説として次のことが記載されています。
「人は誰でも行き詰まることがある。失敗し、誤解され、助けてくれる人もなく、どうすることも出来なくなったとき、自然と口から出る言葉は「神様、助けて下さい」という“祈りの言葉”である。この映画は、祈ることはいつでも、どこでも、誰にでも出来ること、祈りは、最終の最強の力であることを教えてくれる。」という納得の解説ですね。

私の妻も娘もクリスチャンではありませんが、家で一緒にDVDを観て大感動していました。これは絶対に観るしかないでしょう!というか、絶対に観なければならないですね!祈りには神様の恵みがあるのです。願いがかなうのです。もちろんすべてではありませんが、それでも祈りの恵みを日々感じるようになるのです。そして、この映画の原作者(著者)であるクリス・ファブリーの待望の小説(日本言版)が、中嶋典子訳で2017年3月25日に<いのちのことば社>から出版されています。やはり小説の方が映画(DVD)よりもストーリーが濃く・長く、整理されて書かれていますので読み甲斐があります。皆さんも是非とも映画を観て小説を読んでくだい。最初に映画を観て、それから小説を読む方がいいでしょう。

イエス様は、祈りについて次のとおり説かれています。
新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第5~第6節
「また、あなた方は祈る時、偽善者のようであってはならない。彼らは人に見せびらかすために、会堂や街角に立って祈るのを好む。あなた方によく言っておく。彼らはすでに報いを受けている。あなた方は祈る時は、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをご覧になるあなたの父が報いてくださる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
この聖句(イエス様の言葉)で重要なところは、「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」というところです。ここに「父」とありますが、父とはイエス様の父なる神様のことですね。ここの箇所は、イエス・キリストが使徒(弟子)達に説かれているところですから、「父に祈りなさい。」となるのですね。この聖句のとおり謙虚に信じて祈れば、必ずや神様が報いてくださるのです。祈りましょう!
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