ミサにおける“主に栄光”のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

過去に、ある信徒の方から「ミサの中で、神父様が福音書を朗読する前に、私たち信徒が“主に栄光”って言いながら3回十字を切るんだけど、あれって何の意味があるの?」との質問を受けましたので、その回答を書きます………ということで、このブログに何回か掲載しましたが、再掲載いたします。なお、このお話しは、たぶんカトリック教会の信徒しかわからない内容だと思いますのでご了承ください。

ミサの中で、司祭(神父様)の「福音の朗読」の時に、神父様が、例えば「マタイによる福音」と言った後に、続けて私たち信徒は、「主に栄光(しゅにえいこう)」と言います。
この「主に栄光」と言いながら、同時に心の中で「思い、言葉、行いのうちに、み言葉を受け入れ、伝えることを心します」と唱えます。

実際には、右手の親指を自分の身体の方に向けて、
①「主に」と言いながら、同時に額の前で小さく十字を切りながら、同時に心の中で「思い」と唱え、
②「栄」と言いながら、同時に口の前で小さく十字を切りながら、同時に心の中で「言葉」と唱え、
③「光」と言いながら、同時に胸の前で小さく十字架切りながら、同時に心の中で「行いのうちに、み言葉を受け入れ、伝えることを心します」と唱えます。
これらは連続動作となります。初めは難しいと思いますが、慣れると何でもないことのようになります。しかし、この意味を知らない信徒が案外と多いのです( ̄▽ ̄;)

「福音」とは、新約聖書にある「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」及び「ヨハネによる福音書」の4つの福音書のことです。ミサでは、これら4つの福音書から、予め決められた福音書の箇所を司祭が朗読することになっています。朗読後に、朗読した福音書の箇所に基づいて司祭から「説教」があります。
◯実際のミサの中では次の司式になります。
司祭:「主は皆さんと共に。」
会衆:「また、あなたと共に。」
司祭:「マタイによる福音」
会衆:「主に栄光」
司祭が福音書の朗読を始める。
朗読が終わると、続いて司祭が朗読をした福音に基づいて「説教」を行います。
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教会日記2023.3.15(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第三水曜日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第三水曜日のミサ」に与りました。昨日から朝は寒いですね。季節の変わり目ですから体調管理に注意ですね。今日も清々しい朝を迎えています。
◯早朝6時20分の成城教会の聖堂です。
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◯左側が司祭館で、右側が信徒館です。
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◯聖堂は典礼奉仕(香部屋係)の方だけで、まだ誰も来ていません。
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◯聖堂後方2階にはパイプオルガンがあります。聖歌隊席もあります。
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ミサでは、まず主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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復活祭:典礼聖歌集・第345番と第351番のお話し [聖歌日記]

カトリック成城・聖タデオ教会の聖タデオ聖歌隊(1グループは6人に制限)の聖なる3日間と復活の主日の聖歌奉仕は次の通りです。
4月6日(木)は、聖木曜日「主の晩餐」19時から
4月7日(金)は、聖金曜日「主の受難」19時から
4月8日(土)は、聖土曜日、夜は「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」18時から
4月9日(日)は、「復活の主日・日中のミサ」10時からと14時から
たくさんの典礼聖歌を歌いますが、私が担当するのは7日(金)の聖金曜日「主の受難のミサ」と9日(日)10時からの「復活の主日・日中のミサ」の聖歌奉仕です。

◯私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の聖タデオ聖歌隊は、聖堂後方2階に設置しているパイプオルガン(ドイツ製)の伴奏で歌います。奏者の左側にあるモニターは、祭壇にいる司祭(神父様)の司式手順を見ながら演奏するためのものです。パイプオルガンの横に聖歌隊席があります。
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ところで、9日(日)の復活の主日・日中のミサでは、司祭の入祭の時に歌う第345番「わたしは復活し」があります。この聖歌について、成城教会の山本主任司祭(神父様)が、以前に東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会の主任司祭をお勤めの時に、関口教会のホームページに書かれた記事がありますので掲載いたします。

「復活節に歌われる典礼聖歌の一つに「わたしは復活し」がある。その歌詞は、復活の主日のミサの入祭唱からとられている(詩編139からのかなりの意訳である)。「わたしは復活し、あなたとともにいる。あなたはわたしの上に手をのべられた。あなたの知恵ははかりがたい。アレルヤ」(典礼聖歌345)
それでは、この歌詞の「わたし」とはだれのことだろうか。「あなた」とはだれのことだろうか。実は、「わたし」とは「復活のキリスト」、「あなた」とは「父なる神」であり、復活のキリストが父なる神をたたえている言葉なのである。今日のミサでも復活のキリストがわたしたちの真ん中におられ、父なる神をたたえて「わたしは復活し、あなたとともにいる。…」と歌っておられる。わたしたちもキリストのからだとしてキリストと一つになって、「あなたの知恵ははかりがたい。アレルヤ」と唱和するのである。
2015年04月18日 山本量太郎神父」

◯典礼聖歌集:第345番「わたしは復活し」
「わたしは復活し
あなたと共にいる
あなたはわたしの上に手をのべられた
あなたの知恵は測りがたい
アレルヤ
アレルヤ
アレルヤ」

復活祭でのもう1曲の重要な典礼聖歌を掲載いたします。それは、典礼聖歌集:第351番「復活の続唱(Victimae paschali laudes)」です。毎年のことですが、この続唱を静かなお御堂で気持ちを込めて歌っていると、「マリアよ、わたしたちに告げよ、あなたが道で見た事を、開かれたキリストの墓、よみがえられた主の栄光」のところから涙がにじんできて、最後の方は涙があふれ出て歌えなくなります………きちんと終わりまで歌ったことがありません。一昨年の復活の主日・日中のミサで、この続唱の先唱を担当し、「キリストを信じるすべてのものよ」と独唱したところで、もう涙がにじんできました。純朴な感激屋の私としては、涙腺がゆるゆるになってしまいます(T_T)今年こそ、まともに歌いたいものですね。とても素晴らしい感動の聖歌です。それでは、まず、典礼聖歌集にある日本語の歌詞を掲載し、続いて原曲のラテン語歌詞を掲載いたします。

◯典礼聖歌集:第351番「復活の続唱」
(先唱)
キリストを信じるすべてのものよ
(会衆)
主の過越をたたえよう
こひつじはひつじをあがない
罪のないキリストは
罪の世にゆるしをもたらされた
死といのちとのたたかいで
死を身に受けたいのちの主は
いまや生きて治められる
マリアよ
わたしたちに告げよ
あなたが道で見た事を
開かれたキリストの墓
よみがえられた主の栄光
あかしする神の使いと残された主の衣服を
私の希望
キリストは復活し
ガリレアに行き待っておられる
ともにたたえ告げ知らせよう
主キリストは復活された
勝利の王キリストよ
いつくしみをわたしたちに
アーメン
アレルヤ」

この長い続唱は、原曲であるラテン語の正式名称は「ヴィクティマエ・パスカリ・ラウデス(Victimae Paschali Laudes)『復活のいけにえに』」というカトリック教会の聖歌の一つです。中世に多く書かれた続唱(セクエンツィア)の一つで、復活祭のミサのためのものです。ブルゴーニュ出身で神聖ローマ皇帝コンラート2世のシャプラン(宮廷付き聖歌隊長)であったヴィポ Wipo(活動 1020頃-1040頃)の作とされています。イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギによるグレゴリオ風協奏曲(1921年)2楽章冒頭のヴァイオリンソロ等に引用されています。
[A]
Victimae paschali laudes 過ぎ越しのいけにえに
Immolent Christiani. 賛美をささげよ、キリスト者たちよ。
[B]
Agnus redemit oves 子羊が羊を贖い。
Christus innocens Patri 罪のないキリストが父に
Reconciliavit 罪びとたちを
Peccatores. とりなされた。
Mors et vita duello 死と命とは戦い
Conflixere mirando, 驚くべき仕方でぶつかりあう。
Dux vitae mortuus 命の王は、死ぬことで
Regnat vivus. 生きて治められる。
[C]
Dic nobis Maria マリアよ、私たちに告げよ。
Quid vidisti in via? あなたが道で見たものを。
Sepulcrum Christi viventis 生きているキリストの墓を
Et gloriam vidi resurgentis. そして蘇られた方の栄光を、わたくしは見た。
Angelicos testes 証しする天の使と
Sudarium et vestes. 布と服を。
Surrexit Christus spes mea 私の希望、キリストは復活し
Praecedet suos in Galilaeam. ガリラヤに行き、待っておられる。
[D]
Credendum est magis soli 真を語るマリアを
Mariae veraci 信ぜよ
Quam Iudaeorum 嘘を語る
Turbae fallaci. ユダヤの群集ではなく。
Scimus Christum surrexisse 私たちは知っている。キリストが
A mortuis vere. 真に死から立ち上がられたことを。
Tu nobis victor Rex 勝利の王であるあなた、どうか私たちを
miserere. あわれみたまえ。
[E]
Amen, Alleluia. アーメン(かくあれ)
アレルヤ(神を讃えよ)
▲1570年以降、カトリック教会では[D]の前半の歌詞は歌いません。
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