支援活動日記2023.3.2(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今日は、仕事が終わって19時30分からホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。今夜は、突風?強風が吹き荒れる中での活動となり、気温も低下して寒かったです( ̄◇ ̄;)
毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人の人間としてもキリスト者(クリスチャン)としても、人道のための支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮し、路上生活を余儀なくされている人、家族に見放され精神時に不調をきたし、路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では、手が回らないところを私たちが支援するということですね。

ところで、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に書かれています。このブログの2022年11月11日に掲載した「聖マルティヌス司教のお話し」を是非ともお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-11-11

今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、「いろは商店街(以前は実測250mほどのアーケード商店街でした)」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め25人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていましたが、寒さで早く寝る方も多くあまり集まらないですね。支援活動に集まった15人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、厚手のシャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前までは、私が以前所属していたカトリック町田教会も「山谷の会(現在は解散)」があり、おにぎりを作っていました。

支援活動に集まっている皆さんの年齢構成は、70歳代の方、私のような仕事帰りの60歳代の社会人や主婦は少数派ですが、中心になるのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。暖かくなって梅も満開を迎えていますが、まだまだ明け方の気温は一桁台になる寒さです。ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、寒さだけでなく、雨や雪が降ったりして衛生的にも極めて悪い環境にあります。健康を維持するためにも体には特に気をつけてもらいたいものです。活動が終了してから反省会を行い、21時に解散しました。今は、すでに帰りの電車の中です………が、強風のため電車のダイヤが乱れてる!家に着くのは午前様か!?( ̄◇ ̄;)


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教会日記2023.3.2(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第一木曜日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「四旬節第一木曜日のミサ」に与りました。昨日から花粉症の症状が出てきました!昨年の5倍の花粉量だそうです( ̄▽ ̄;) 私は、何と言っても花粉症歴34年の強者(つわもの)です!初めのころは、鼻水で1日にティッシュ箱が2箱なくなるほどの重症でしたが、今はあのころの8分の1程度の症状で収まっています。まぁ、今年65歳になりますから、花粉症の症状も年老いてきたのでしょう。

ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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五十嵐健治のことば [キリスト者(クリスチャン)]

「……ところが、洗礼を受けてから、私は朝起きると先ず神に祈りました。
『今日の一日を導いてください』と祈りました。
何かあると神に相談した。
『このことはなすべきでしょうか、なさざるべきでしょうか』と祈るようになった。
……まあ、大したことはできませんが、大きなことをするより、小さくてもよい、目に立たなくてもよい、よき行いをしなければならない、と思うようになった。本気で神の教えに従うということが、真の意味で人さまや社会のために益となるのではないかと、考えるようになった。」

五十嵐 健治(新潟県:1877年~1972年)は、プロテスタント教会のクリスチャンで、日本の実業家、日本初のドライクリーニングの「白洋舍」の創設者です。自由党の新潟県会議員船崎資郎の子として新潟県に生れ、両親の離婚に伴って五十嵐家の養子となりました。北海道の開拓団に加わりますがうまくいかず、自殺を考えながら小樽の町をさまよっていた時、夜の明かりに引かれてキリスト教会に導かれ、自殺を思い留まったそうです。19才のときに洗礼を受けクリスチャンとなりました。東京に移りある人の紹介で三越に入社し、宮内省担当に抜擢されますが、日曜日に礼拝に出席できないために三越を退社したそうです。

銀座の日本聖書協会の店先で、事故で手足を失い盲人になった人が、舌で点字聖書を読んでいるという写真を見て大いに感動し、聖書を一日一章読む「一章会」を提唱しました。その事故で手足を失い盲人になった人は、アメリカのマック・ファ-ソンという鉱夫で、ある時ダイナマイトが爆発して両手両足を失い、目も失明してしまってただ胴体だけが残りました。かろうじて生き残りましたが、そのことを通して信仰に目覚め、どうしても聖書を読みたいと願いましたが、目が潰れている上、普通の盲人ならば点字で読むこともできますが、手がないのでそれもできません。そこで、点字を舌で読む練習をして、とうとう聖書を読めるようになったという話でした。

1906年に日本橋呉服町に「白洋舍」を創立。ドライクリーニングの研究に没頭し、1907年に独力で日本で初めて水を使わぬ洗濯法の開発に成功しました。 1920年白洋舍を株式会社に改組し、その経営方針は「どこまでも信仰を土台とする」というものでした。自伝に『恩寵の木漏れ日』、『キリスト信仰とわが体験』があります。1956年には北海道の病院で病床にあった堀田綾子(三浦綾子)を尋ね、このことがきっかけで後にクリスチャンになった三浦綾子は、後に五十嵐の伝記『夕あり朝あり』を著しました。
この言葉は、五十嵐氏の信仰に生きた想いそのままが述べられています。白洋舎の会長職を辞めた後は、キリスト教の信仰のために生き、キリスト教の伝道に生涯を捧げたました。
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