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今日の日記2025.2.9(寿司!) [日記]
今日の昼食はお寿司でした。
妻の体調不良で病院に行き、その帰りに久しぶりにお皿で出てくるお寿司屋さんでお寿司を食べました。回転寿司ではないのですが、カウンターですぐ握ってくれますから嬉しいですね。美味しかったな〜(^◇^)
妻の体調不良で病院に行き、その帰りに久しぶりにお皿で出てくるお寿司屋さんでお寿司を食べました。回転寿司ではないのですが、カウンターですぐ握ってくれますから嬉しいですね。美味しかったな〜(^◇^)

「聖アポロニア」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日2月9日は、「聖アポロニア(生年不詳~249年)」の記念日(又は祝日)です。なお、典礼歴にはありません。
聖アポロニアは、ローマ帝国時代のアレクサンドリアで殉教したキリスト教徒です。アレクサンドリアで殉教したため、「アレクサンドリアのアポロニア」とも呼ばれています。カトリック教会、東方正教会、コプト正教会で聖人とされています。
◯写真の絵は、17世紀フランドルの画家ヤーコブ・ヨルダーンスの手がけた宗教画のひとつ「聖アポロニアの殉教」です。アントウェルペンのアウグスティノ修道参事会の依頼により同会の祭壇画として制作されました。逸話で有名な聖アポロニアの抜歯の場面です。抜歯される聖女アポロニアは痛々しい姿ながら胸の前で腕を交差させ、天上を見上げ聖母マリアの降臨(聖母マリア様がアポロニアの魂を迎えにきたのですね。)を幻視しています。また抜歯するアレクサンドリアの暴徒や異教の神像を指差す異教の祭司、画面下部で火刑の炎を熾す暴徒などが画かれています。

言い伝えによると、彼女は歯を全て乱暴に引き抜かれたか、粉々にされるという拷問を受けたということです。このために、歯科学や歯痛を患う者、歯に関する問題のあるすべての人の守護聖人として崇敬されています。多くの絵は、歯を引き抜くための“はさみ(又は「歯」)”を手にした姿で描かれている場合が多いです。歯が痛い時は、聖アポロニア様にお祈りしましよう!それと、歯科医院が苦手な人も!お祈りしてくださいね。
当時アポロニアは、教会内の協力者を務め非常に尊敬されました。アレクサンドリア市で異教の偶像を破壊したことから捕らえられ、柱に繋がれ歯を抜かれる(又は殴られて歯が折れたとされる)などの暴行を受けた後、市外で火刑に処されました。一説では改宗しないと火刑にすると脅されるも自ら炎の中へ飛び込んだそうです。この悲惨な話しは、ヤコブス・デ・ウォラギネの著した「黄金伝説(1260年頃)」により広まりました。
聖アポロニアは、ローマ帝国時代のアレクサンドリアで殉教したキリスト教徒です。アレクサンドリアで殉教したため、「アレクサンドリアのアポロニア」とも呼ばれています。カトリック教会、東方正教会、コプト正教会で聖人とされています。
◯写真の絵は、17世紀フランドルの画家ヤーコブ・ヨルダーンスの手がけた宗教画のひとつ「聖アポロニアの殉教」です。アントウェルペンのアウグスティノ修道参事会の依頼により同会の祭壇画として制作されました。逸話で有名な聖アポロニアの抜歯の場面です。抜歯される聖女アポロニアは痛々しい姿ながら胸の前で腕を交差させ、天上を見上げ聖母マリアの降臨(聖母マリア様がアポロニアの魂を迎えにきたのですね。)を幻視しています。また抜歯するアレクサンドリアの暴徒や異教の神像を指差す異教の祭司、画面下部で火刑の炎を熾す暴徒などが画かれています。

言い伝えによると、彼女は歯を全て乱暴に引き抜かれたか、粉々にされるという拷問を受けたということです。このために、歯科学や歯痛を患う者、歯に関する問題のあるすべての人の守護聖人として崇敬されています。多くの絵は、歯を引き抜くための“はさみ(又は「歯」)”を手にした姿で描かれている場合が多いです。歯が痛い時は、聖アポロニア様にお祈りしましよう!それと、歯科医院が苦手な人も!お祈りしてくださいね。
当時アポロニアは、教会内の協力者を務め非常に尊敬されました。アレクサンドリア市で異教の偶像を破壊したことから捕らえられ、柱に繋がれ歯を抜かれる(又は殴られて歯が折れたとされる)などの暴行を受けた後、市外で火刑に処されました。一説では改宗しないと火刑にすると脅されるも自ら炎の中へ飛び込んだそうです。この悲惨な話しは、ヤコブス・デ・ウォラギネの著した「黄金伝説(1260年頃)」により広まりました。
「聖ジュゼッピーナ・バキータ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日2月8日は、二人の聖人の任意の記念日です。二人目は、「聖ジュゼッピーナ・バキータ(又はバキタ:スーダン:1869年~1947年)」の任意の記念日です。
彼女は修道女、カトリック教会の聖人でスーダンの守護聖人となっています。バキータは、西スーダン・ダルフール地方の村オルゴッサで、村の有力者の家に生まれました。彼女が9歳の時、アラブ人の奴隷狩りにあって誘拐され、その後8年もの間、エル・オベイドやハルトゥームの奴隷市場で5度も売られました。この過酷な経験が精神的外傷となって、彼女は自分の名前を忘れてしまい、奴隷達からアラビア語の名前バキータ(「幸運」の意味)を与えられました。洗礼名のジュゼッピーナは成人してからです。
バキータは奴隷の間、彼女の所有者の息子に幾度も殴られる暴行を受け、後に彼女は4度目の所有者となるオスマン帝国の軍人に、最もひどい虐待を受けました。彼は自分の所有する奴隷に「彼のものである印」として、刃物で傷を付け入れ墨をしたのです。何年も後にバキータがイタリア語で書いた自伝には、小麦粉の入った皿、塩の皿、刀、それらを女性たちが持ってきて、彼女たちがバキータの肌の上に刃物をつきたてて奴隷を示す模様を刻み、傷口を小麦粉と塩で埋めて傷口が盛り上がるようにしたのでした。バキータの胸元、腹、腕には60種類以上の模様がありました。
彼女の最後の購入者となったのは、イタリアの領事カッリスト・レニャーニでした。彼はバキータに優しく接し、彼女を自由にすべく計画しました。1885年、彼は16歳のバキータを友人アウグスト・ミキエーリに託し、ミキエーリは、自分の娘ミンミーナの乳母としてバキータをイタリアへ連れ帰りました。1888年か1889年、バキータとミンミーナは、ミキエーリが仕事で紅海へ向かった間、ヴェネツィアのカノッサ女子修道会の保護のもとに置かれていました。1890年、バキータは自分の意志で洗礼を受け、洗礼名ジュゼッピーナ・マルガリータ(Giuseppina Margarita)を授かりました。
ミキエーリ夫妻が帰国してバキータとミンミーナを呼び寄せると、バキータは修道会を離れるのを嫌がりました。ミキエーリ夫人は出させようとしますが、バキータとミンミーナがヴェネツィアで入学した最上の学校は、裁判所に訴え出ました。イタリアの法廷は「どんな場合でもイタリアの法律は奴隷制度を承認しない、バキータが奴隷であったことは一度もない。」と宣告しました。バキータはもはや成人になっており、自分で自分の運命をコントロールすることができると知った最初の出来事となりました。彼女は女子修道会に残ることを選択しました。1896年、彼女は正式に修道女となりました。1902年、彼女は北イタリアのスキーオに家を与えられ、そこで余生を暮らしました。
スキーオで暮らした45年間、ジュゼッピーナは自宅に女性門番を雇っていました。そして、彼女が地元のコミュニティーとの連絡役を果たしていました。彼女の優しさ、穏やかな声、絶えない笑顔はよく知られるようになり、ヴィチェンツァの住民達は、彼女のことを「ラ・ノストラ・マードレ・モレッタ(La nostra madre moretta・私たちの小さな褐色の母)」と呼びました。彼女の特別な献身と高潔さの評判は教書に記され、彼女は回顧録を公にし、自身の経験を他人に話しました。これらが彼女の高名をイタリア中に広めることになりました。最晩年、バキータは苦痛と病が著しかったのですが、彼女は朗らかさを保ち、何かを尋ねられるといつも笑みを浮かべて『主のお望みのままに』と答えました。
死が迫ったとき、彼女の記憶は奴隷だった頃に逆戻りし、錯乱の中で「どうか鎖を外してください・・・重すぎるのです。」と叫んだそうです。ジュゼッピーナは1947年2月8日に帰天(天国に帰ること・死ぬこと)しました。3日間、彼女の遺体が安置され、何千もの人々が彼女に敬意を払いにやってきました。彼女を列聖してほしいという声がすぐに起こり、彼女の死からわずか12年後の1959年に審査が開始され、1978年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ジュゼッピーナを列聖の最初の段階である尊者とし、1992年5月17日、彼女は列福され2月8日が彼女の記念日とされました。2000年10月1日、彼女は列聖され聖人となりました。彼女は現代アフリカの聖人であり、虐待と奴隷に関連した聖人として列聖されました。
「聖ヒエロニモ・エミリアニ」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日2月8日は、二人の聖人の任意の記念日です。まず一人目は、聖ヒエロニモ・エミリアニ(1486年~1537年)です。ヒエロニモは、イタリア、ヴェネチアの貴族の家に生まれ、15歳から軍隊生活を送りましたが、あるとき敵に捕えられ、砦の地下の牢獄で鉄の鎖につながれて囚われの身となりました。不運な牢獄の生活は酷い屈辱的な日々で、「もし神の恵みで自由が与えられるなら、これまでの悪い生活からきっぱりと足を洗おう」と心にかたく誓い、聖母マリア様に祈りを捧げたのでした。そうしたある日(7月26日)のこと、まったくあり得ないことが彼の身の上に起こりました。彼はまったくその姿を見られないで、堂々と敵の真ん中を通りぬけて外に出たのでした。そして、まっすぐトレヴィゾ市の聖母巡礼聖堂に向かい、鉄鎖を壁にかけて聖母マリア様に感謝しました。
この奇跡的な体験で彼は神に生涯をささげようと決心し、1518年に司祭となって病気に苦しむ人々、貧しい人々、身よりのない子どもたちの世話をしました。そして、人々の必要に応じて3つの施設をイタリアに設立し、1532年に同志とともに、ソマスコの小さな町に慈善事業を目的とした、特に身よりのない子どもの世話と教育をする修道会「ソマスキ会」を創立しました。1537年にベルガモにペストが流行したときも看護に奔走し、自らも感染して愛の殉教者として天に召されました。聖ヒエロニモは、身よりのない子ども(孤児)の守護聖人といわれています。
教会日記2025.2.7(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第四金曜日のミサ・初金のミサ」金曜日) [教会日記]
今日は、午前10時からカトリック成城・聖タデオ教会で「年間第四金曜日のミサ・初金のミサ」に与り、祭壇奉仕(侍者)を務めました。今朝も寒かったですね〜( ̄◇ ̄;) 昨夜は、山谷夜回りの会のホームレス支援活動で帰宅が晩くなり、あまり寝てないので眠くてしかたがありません。帰りは各駅停車で寝て帰ります!(⌒-⌒; )
ミサでは、祭壇奉仕(侍者)を務めました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
ミサでは、祭壇奉仕(侍者)を務めました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
新約聖書:マタイによる福音書・第11章・第28〜第30節 [聖書]
「労苦し、重荷を背負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で謙遜であるから、わたしの軛(くびき)を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂の安らぎを見出す。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
この聖句(イエス・キリストの言葉)「労苦し、重荷を背負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」で、私は何度も癒やされて安らぎを得ることができ、表現が極端かもしれませんが “ 息をする ” ことができました。私と同じように、この聖句で癒やされた人はたくさんいるのではないでしょうか。
この現代社会で、疲れていない人なんていないと思います。大人も子どもも、体も心も疲れ果てているのです。人付き合いが下手で人間関係がうまくいかない。勉強しても成績が上がらない。いわれのない悪口を噂された。常にトップを目指さなければならない…………などなど、これでは疲れないわけがありませんね( ̄▽ ̄;)
イエス・キリストは、そんな私たちに対して「休ませてあげよう」とおっしゃられています。でも現実問題として多くの人は休んでいられない状況にあるわけです。しかし、間題は “ 私たちが何によって疲れ果てているか、何によって安らぎを得て、癒やしを得て平安を得ようとしているのか ” ということではないでしょうか。
よく言われる “ 心地よく疲れる ” というのとでは訳が違うのです。そうではなく、仕事では緊張の連続であり、常に強いられ、もう心身共にくたくたになり、心が押しつぶされるように疲弊しているというのが、多くの人の「疲れ」の現状ではないでしょうか。自殺者の心境にはなれませんが、その心境に近いかもしれません。
イエス・キリストは、私たちが苦しむ様子を、農具を取り付けられて畑で働かされている家畜の姿として表現しています。「軛(くびき)を負い。」という言葉ですね。重い軛をつけられて疲れきっている私たちに、イエス・キリストは「私のもとに来なさい」とおっしゃられます。あなたがたが担いでいる軛を外しなさいと。
本当はものすごくありがたい言葉ですが、そうは簡単にはいかないですよね。どうしてか?私たちはこの軛をもって働き、生活し、生きてきたのですから。重たい軛に耐えて、うまく担いで上手に畑を耕すこと、効率よく働き、その能力にしたがって評価され、それが長年当たり前の社会だとして生きてきたわけですからね。
イエス・キリストは “ 軽い軛を与える ” とおっしゃられています。休ませるといっても、何もしなくてもいいのではありませんね。職場の休憩時間ではないわけです。そのような休み時間を約束したのではないのです。イエス・キリストが約束した休み・安らぎとは、実は「軛を付け替えること」だったのです。ここが重要です。
私たちを疲れさせているのは、軛の重さや仕事の量ではなく、質や強いられる犠牲の大きさでもなく、「本質的な意味や目的に共感できないことで疲れている。」のではないでしょうか。世間の波に飲み込まれ、世間の物差しで自分を測って、 " 本当の自分らしさ ” を見失っているからではないでしょうか。これがポイントです。
イエス・キリストは柔和で謙遜で真実で優しい方です。それ以上に、イエス・キリストは十字架の苦しみをご経験された私たちの救い主です。ですから私たち人間の苦労や痛みを知っていらっしゃるのですね。軛を取り替えること → 仕事の目的を変えること → それは自分の人生観、価値観を変えることに他ならないと思います。
安らぎと癒やしはそこに約束されるのです。疲れて二進も三進もいかない人は、役に立たないような無駄ないらないプライドなど捨ててしまい、毎日の生活に平安と癒しを得られるように、今までの既存の生活環境&仕事環境から思い切って方向転換しましょう!人生は一つだけではありません!いろいろと選択肢があるのです。
生涯のすべてに信頼をおいてイエス・キリストを信じること。これが信仰なのですが、イエス・キリストに自分のすべてをゆだねることができること。これが信仰しているという証ではないでしょうか。このゆだねることこそ「軛を付け替えること」ではないでしょうか。だからこそ既存の状態から思い切って方向転換できるのです。
イエス・キリストはそばで見ておられます。祈りましょう。
【軛(くびき)】
車の轅(ながえ)の先端につけて、車を引く牛馬の頸の後ろにかける横木。
【輈(ながえ)】
「長柄」のこと。馬車・牛車などの前方に長く突き出ている2本の棒。先端に軛(くびき)をつけて牛や馬にひかせる。
◯図の矢印が軛(くびき)、牛の両側の横棒が輈(ながえ)です。

◯2頭立ての軛(くびき)です。とっても重そうですね。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
この聖句(イエス・キリストの言葉)「労苦し、重荷を背負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」で、私は何度も癒やされて安らぎを得ることができ、表現が極端かもしれませんが “ 息をする ” ことができました。私と同じように、この聖句で癒やされた人はたくさんいるのではないでしょうか。
この現代社会で、疲れていない人なんていないと思います。大人も子どもも、体も心も疲れ果てているのです。人付き合いが下手で人間関係がうまくいかない。勉強しても成績が上がらない。いわれのない悪口を噂された。常にトップを目指さなければならない…………などなど、これでは疲れないわけがありませんね( ̄▽ ̄;)
イエス・キリストは、そんな私たちに対して「休ませてあげよう」とおっしゃられています。でも現実問題として多くの人は休んでいられない状況にあるわけです。しかし、間題は “ 私たちが何によって疲れ果てているか、何によって安らぎを得て、癒やしを得て平安を得ようとしているのか ” ということではないでしょうか。
よく言われる “ 心地よく疲れる ” というのとでは訳が違うのです。そうではなく、仕事では緊張の連続であり、常に強いられ、もう心身共にくたくたになり、心が押しつぶされるように疲弊しているというのが、多くの人の「疲れ」の現状ではないでしょうか。自殺者の心境にはなれませんが、その心境に近いかもしれません。
イエス・キリストは、私たちが苦しむ様子を、農具を取り付けられて畑で働かされている家畜の姿として表現しています。「軛(くびき)を負い。」という言葉ですね。重い軛をつけられて疲れきっている私たちに、イエス・キリストは「私のもとに来なさい」とおっしゃられます。あなたがたが担いでいる軛を外しなさいと。
本当はものすごくありがたい言葉ですが、そうは簡単にはいかないですよね。どうしてか?私たちはこの軛をもって働き、生活し、生きてきたのですから。重たい軛に耐えて、うまく担いで上手に畑を耕すこと、効率よく働き、その能力にしたがって評価され、それが長年当たり前の社会だとして生きてきたわけですからね。
イエス・キリストは “ 軽い軛を与える ” とおっしゃられています。休ませるといっても、何もしなくてもいいのではありませんね。職場の休憩時間ではないわけです。そのような休み時間を約束したのではないのです。イエス・キリストが約束した休み・安らぎとは、実は「軛を付け替えること」だったのです。ここが重要です。
私たちを疲れさせているのは、軛の重さや仕事の量ではなく、質や強いられる犠牲の大きさでもなく、「本質的な意味や目的に共感できないことで疲れている。」のではないでしょうか。世間の波に飲み込まれ、世間の物差しで自分を測って、 " 本当の自分らしさ ” を見失っているからではないでしょうか。これがポイントです。
イエス・キリストは柔和で謙遜で真実で優しい方です。それ以上に、イエス・キリストは十字架の苦しみをご経験された私たちの救い主です。ですから私たち人間の苦労や痛みを知っていらっしゃるのですね。軛を取り替えること → 仕事の目的を変えること → それは自分の人生観、価値観を変えることに他ならないと思います。
安らぎと癒やしはそこに約束されるのです。疲れて二進も三進もいかない人は、役に立たないような無駄ないらないプライドなど捨ててしまい、毎日の生活に平安と癒しを得られるように、今までの既存の生活環境&仕事環境から思い切って方向転換しましょう!人生は一つだけではありません!いろいろと選択肢があるのです。
生涯のすべてに信頼をおいてイエス・キリストを信じること。これが信仰なのですが、イエス・キリストに自分のすべてをゆだねることができること。これが信仰しているという証ではないでしょうか。このゆだねることこそ「軛を付け替えること」ではないでしょうか。だからこそ既存の状態から思い切って方向転換できるのです。
イエス・キリストはそばで見ておられます。祈りましょう。
【軛(くびき)】
車の轅(ながえ)の先端につけて、車を引く牛馬の頸の後ろにかける横木。
【輈(ながえ)】
「長柄」のこと。馬車・牛車などの前方に長く突き出ている2本の棒。先端に軛(くびき)をつけて牛や馬にひかせる。
◯図の矢印が軛(くびき)、牛の両側の横棒が輈(ながえ)です。

◯2頭立ての軛(くびき)です。とっても重そうですね。

支援活動日記2025.2.6(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]
今夜は、カトリック麹町・聖イグナチオ教会で、18時から「聖アガタおとめ殉教者の記念日のミサ」に与ってから山谷夜回りの会活動に参加しました。昨年末の12月から、活動のある木曜日は活動前に聖イグナチオ教会で18時からミサに与ることにしています。ところで連日本格的な寒さになりましたね~( ̄◇ ̄;) 今週は、寒波が日本列島に押し寄せ、厳しい寒さとなっています。最低気温が氷点下になる日が続いています。毎度のことながら風邪などひかないよいに体調管理に気をつけましょう!
毎回の支援活動日記の記事に書いていますが、私は一人のキリスト者(クリスチャン)として、人道のための弱者支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮して路上生活を余儀なくされている人、精神時に不調をきたして路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があるのです。国や自治体などの行政では手が回らないところを私たちが支援するということですね。誰かがやらなければならない、隣人への愛の地道な実践活動なのです。この寒い日々をなんとか乗り越えてもらいたいものです。
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある「いろは商店街」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め35人ほどのホームレスの皆さんが私たちを待っていました。10年ほど前は、実測250mほどのアーケード(屋根がある)商店街で、そのころでもすでに8割方はシャッターを下ろして営業をしていない「シャッター商店街」になっていました。当時は屋根があって雨をしのげましたから、シャッターの前に段ボールを囲って寝ることができました。当時は120人ほどが来ていて、半数ほどの方が段ボールで囲って寝泊りしていました。今は平均約40人くらいになりました。
今日は、支援活動に集まった16人(女性4人・男性12人)で、ホームレスの皆さんにおにぎり200個、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、シャツ、ズボン、毛布、寝袋、風邪薬などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。
毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。私が以前所属していたカトリック町田教会も、かつては「山谷の会」があり、おにぎりを作って隅田川沿いで配布していましたが、会のメンバーが高齢化して解散しました。
◯今夜は、JリーグのFC東京に所属している日本代表(A代表)のバングーナガンデ・佳史扶(カシーフ)選手(写真右側、左側はお兄さんのバングーナガンデ・マシュードさん)のご家族と一緒に活動しました。

支援活動に集まっている方の年齢構成は、私のような定年退職した65歳以上の人、20歳代~50歳代の社会や主婦の方もいらっしゃいます。活動の中心になっているのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。たまに高校生も親子で参加しています。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。先々週の7日に「立冬」となり本格的に冬の寒さになってきました。風邪などひかないように健康には気をつけてもらいたいですね。活動が終了してから反省会を行って21時ごろに解散し、今はすでに帰りの電車の中にいます。
毎回の支援活動日記の記事に書いていますが、私は一人のキリスト者(クリスチャン)として、人道のための弱者支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮して路上生活を余儀なくされている人、精神時に不調をきたして路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があるのです。国や自治体などの行政では手が回らないところを私たちが支援するということですね。誰かがやらなければならない、隣人への愛の地道な実践活動なのです。この寒い日々をなんとか乗り越えてもらいたいものです。
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある「いろは商店街」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め35人ほどのホームレスの皆さんが私たちを待っていました。10年ほど前は、実測250mほどのアーケード(屋根がある)商店街で、そのころでもすでに8割方はシャッターを下ろして営業をしていない「シャッター商店街」になっていました。当時は屋根があって雨をしのげましたから、シャッターの前に段ボールを囲って寝ることができました。当時は120人ほどが来ていて、半数ほどの方が段ボールで囲って寝泊りしていました。今は平均約40人くらいになりました。
今日は、支援活動に集まった16人(女性4人・男性12人)で、ホームレスの皆さんにおにぎり200個、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、シャツ、ズボン、毛布、寝袋、風邪薬などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。
毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。私が以前所属していたカトリック町田教会も、かつては「山谷の会」があり、おにぎりを作って隅田川沿いで配布していましたが、会のメンバーが高齢化して解散しました。
◯今夜は、JリーグのFC東京に所属している日本代表(A代表)のバングーナガンデ・佳史扶(カシーフ)選手(写真右側、左側はお兄さんのバングーナガンデ・マシュードさん)のご家族と一緒に活動しました。

支援活動に集まっている方の年齢構成は、私のような定年退職した65歳以上の人、20歳代~50歳代の社会や主婦の方もいらっしゃいます。活動の中心になっているのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。たまに高校生も親子で参加しています。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。先々週の7日に「立冬」となり本格的に冬の寒さになってきました。風邪などひかないように健康には気をつけてもらいたいですね。活動が終了してから反省会を行って21時ごろに解散し、今はすでに帰りの電車の中にいます。
教会日記2025.2.6(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「聖アガタおとめ殉教者の記念日のミサ」木曜日) [教会日記]
今夜は、カトリック麹町・聖イグナチオ教会で、18時から「聖アガタおとめ殉教者の記念日のミサ」に与りました。
今夜は、19時30分から「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動があり、その前にミサに与ることができました。今から集合場所のJR南千住駅に向かいます!それにしても寒いですね〜( ̄◇ ̄;) 今朝は、さすがに夜明けくらいに暖房を入れました(⌒-⌒; ) 風邪ひきに注意です!
ミサが始まる前に、聖イグナチオ教会の18時のアンジェラスの鐘が鳴り響く中、祭壇奉仕の方の先唱にしたがい、いつものように会衆全員で『お告げの祈り』をお祈りしました。
ミサでは、
「三位一体の神よ、
あなたの栄光を心から賛美し、
今日の恵みを感謝いたします。
父である神よ、
あなたの愛のうちに
今日一日の思い、言葉、行い、怠りを深く反省いたします。
今夜と私たちの一生をあなたにお委ねいたします。
あなたの祝福が、
私たちとすべての人々に与えられますように。
耐えさる御助けの聖母、守護の天使、すべての聖人よ、
私たちが愛のうちに留まれますように、
父である神にお祈りください。
アーメン」
と神を賛美して祈りました。
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今夜は、19時30分から「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動があり、その前にミサに与ることができました。今から集合場所のJR南千住駅に向かいます!それにしても寒いですね〜( ̄◇ ̄;) 今朝は、さすがに夜明けくらいに暖房を入れました(⌒-⌒; ) 風邪ひきに注意です!
ミサが始まる前に、聖イグナチオ教会の18時のアンジェラスの鐘が鳴り響く中、祭壇奉仕の方の先唱にしたがい、いつものように会衆全員で『お告げの祈り』をお祈りしました。
ミサでは、
「三位一体の神よ、
あなたの栄光を心から賛美し、
今日の恵みを感謝いたします。
父である神よ、
あなたの愛のうちに
今日一日の思い、言葉、行い、怠りを深く反省いたします。
今夜と私たちの一生をあなたにお委ねいたします。
あなたの祝福が、
私たちとすべての人々に与えられますように。
耐えさる御助けの聖母、守護の天使、すべての聖人よ、
私たちが愛のうちに留まれますように、
父である神にお祈りください。
アーメン」
と神を賛美して祈りました。
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
「聖アガタおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]
【閲覧注意】この記事には、閲覧注意な画像があります。
今日2月6日は、「聖アガタおとめ殉教者」の記念日です。記念日は正式には2月5日ですが、日本では2月5日は「日本二十六聖人殉教者」の祝日となっているため、聖アガタの記念日は2月6日となります。
聖アガタ(又は「シチリアのアガタ」)はキリスト教の聖女です。カトリック教会・正教会・非カルケドン派で聖人となっています。イタリアのシチリア島・カターニアの裕福な貴族の家庭に生まれ、250年頃に殉教したとされています。15歳の時にはすでに神に身をささげ、信者として生きる決意を固めてました。
そのような美しい娘アガタと彼女の財産に目をつけた当時シチリアでも支配力を持っていたローマ総督は彼女にプロポーズします。しかし、彼女はカトリックの信徒として純潔な身でありたいという意思を貫き、申し出を頑なに拒んだため、総督の権力により迫害を受けることになります。牢屋に入れられ暴力を受け、最後には乳房を切り落とされます。
彼女は、それでも祈り続けることをやめず、奇跡的に乳房は完治します。ところが、更に総督の反感を買った彼女は火あぶりの刑にされることになりました。火あぶりにされた際に彼女を包んでいた赤いヴェールだけは、奇跡的に無傷のまま残っていたそうです。この赤いヴェールは、その後、彼女の聖遺品として現在も大切に保存されているそうです。
◯フランシスコ・エ・スルバラン(スペイン:1598年~1664年)作の『シチリアのアガタ』です。フランシスコ・デ・スルバランは、バロック期のスペインの画家です。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れた作品を残しています。カラヴァッジオ(イタリア・バロック期の巨匠)のように、明暗の劇的な対比を見せたものが多く、「スペインのカラヴァッジョ」の呼称もあるほどです。なんと!切り取られた乳房をお盆の上に載せていますΣ( ̄ロ ̄lll)

◯【閲覧注意】
なかなかリアルなこちらの絵は、乳房を抉り取られ肋骨が3本白く見えています( ̄◇ ̄;) 取られた乳房は、聖アガタが持っているお皿にあります。この絵の作者は不詳です。

◯イタリアのお菓子「Le Minne di Sant’Agata(聖アガタの乳房)」です。オッパイの形したリアルなお菓子ですね( ̄▽ ̄;) 果物とナッツの入ったカッサータと呼ばれる羊乳のリコッタ、チョコチップ、フルーツのシロップ漬け(チェードロ、オレンジピール)のクリームを詰め、生地を乳房型にして乳首に砂糖漬けの赤いチェリーをトッピングしたものです。食べた~い!

現在、カターニアの守護聖人、カトリック教会のミサの中で名前が読み上げられる七人の女性の一人(聖母マリアは除く)となっています。また、両方の乳房を切り落とされ、そのために彼女は切り落とされた乳房を盆の上に載せて持つ姿で描かれることが多いのです。聖アガタの絵はたくさんありますが、胸に布を当て出血を押さえる絵や自分の乳房をお盆にのせているという、すごく猟奇的な絵になってますね( ̄◇ ̄;) ですから、聖アガタの場合は「乳房」がアトリビュートになっています。
彼女が捧げ持つ乳房の形との関連から、聖アガタは鐘職人やパン屋の守護聖人とされているのですが、近代に入ると、乳房と言うことで乳癌患者の守護聖人ともされていますね。また、1551年にオスマン帝国がマルタ島に侵攻したときは、人々は聖アガタにとりなしを祈りました。結果的にマルタ島は守られたため、彼女はマルタの守護聖人となっています。そして、他にもエトナ火山が爆発したとき、彼女の遺物によって町を救ったと伝えられることから、火災予防の守護聖人にもなっています。
【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
今日2月6日は、「聖アガタおとめ殉教者」の記念日です。記念日は正式には2月5日ですが、日本では2月5日は「日本二十六聖人殉教者」の祝日となっているため、聖アガタの記念日は2月6日となります。
聖アガタ(又は「シチリアのアガタ」)はキリスト教の聖女です。カトリック教会・正教会・非カルケドン派で聖人となっています。イタリアのシチリア島・カターニアの裕福な貴族の家庭に生まれ、250年頃に殉教したとされています。15歳の時にはすでに神に身をささげ、信者として生きる決意を固めてました。
そのような美しい娘アガタと彼女の財産に目をつけた当時シチリアでも支配力を持っていたローマ総督は彼女にプロポーズします。しかし、彼女はカトリックの信徒として純潔な身でありたいという意思を貫き、申し出を頑なに拒んだため、総督の権力により迫害を受けることになります。牢屋に入れられ暴力を受け、最後には乳房を切り落とされます。
彼女は、それでも祈り続けることをやめず、奇跡的に乳房は完治します。ところが、更に総督の反感を買った彼女は火あぶりの刑にされることになりました。火あぶりにされた際に彼女を包んでいた赤いヴェールだけは、奇跡的に無傷のまま残っていたそうです。この赤いヴェールは、その後、彼女の聖遺品として現在も大切に保存されているそうです。
◯フランシスコ・エ・スルバラン(スペイン:1598年~1664年)作の『シチリアのアガタ』です。フランシスコ・デ・スルバランは、バロック期のスペインの画家です。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れた作品を残しています。カラヴァッジオ(イタリア・バロック期の巨匠)のように、明暗の劇的な対比を見せたものが多く、「スペインのカラヴァッジョ」の呼称もあるほどです。なんと!切り取られた乳房をお盆の上に載せていますΣ( ̄ロ ̄lll)
◯【閲覧注意】
なかなかリアルなこちらの絵は、乳房を抉り取られ肋骨が3本白く見えています( ̄◇ ̄;) 取られた乳房は、聖アガタが持っているお皿にあります。この絵の作者は不詳です。

◯イタリアのお菓子「Le Minne di Sant’Agata(聖アガタの乳房)」です。オッパイの形したリアルなお菓子ですね( ̄▽ ̄;) 果物とナッツの入ったカッサータと呼ばれる羊乳のリコッタ、チョコチップ、フルーツのシロップ漬け(チェードロ、オレンジピール)のクリームを詰め、生地を乳房型にして乳首に砂糖漬けの赤いチェリーをトッピングしたものです。食べた~い!
現在、カターニアの守護聖人、カトリック教会のミサの中で名前が読み上げられる七人の女性の一人(聖母マリアは除く)となっています。また、両方の乳房を切り落とされ、そのために彼女は切り落とされた乳房を盆の上に載せて持つ姿で描かれることが多いのです。聖アガタの絵はたくさんありますが、胸に布を当て出血を押さえる絵や自分の乳房をお盆にのせているという、すごく猟奇的な絵になってますね( ̄◇ ̄;) ですから、聖アガタの場合は「乳房」がアトリビュートになっています。
彼女が捧げ持つ乳房の形との関連から、聖アガタは鐘職人やパン屋の守護聖人とされているのですが、近代に入ると、乳房と言うことで乳癌患者の守護聖人ともされていますね。また、1551年にオスマン帝国がマルタ島に侵攻したときは、人々は聖アガタにとりなしを祈りました。結果的にマルタ島は守られたため、彼女はマルタの守護聖人となっています。そして、他にもエトナ火山が爆発したとき、彼女の遺物によって町を救ったと伝えられることから、火災予防の守護聖人にもなっています。
【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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