教会日記2024.4.19(カトリック成城・聖タデオ教会「復活節第三金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で7時から復活節第三金曜日のミサに与りました。まだ朝は寒いですね。日中は暖かくても、朝夕はまだ寒さを感じます。通勤に春コートを着ている人は案外といます。
◯成城教会のハナミズキが咲き始めました。昨年は、12日には満開でしたから今年は遅いですね。
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ミサでは、先唱奉仕を務めました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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田中耕太郎のことば [キリスト者(クリスチャン)]

「実に宗教こそは、道徳に生命を、人類に希望を、政治に理想を、世界に平和を与えるものであります。」

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を再掲載しています。
~衆議院議会において「宗教的情操教育二関スル決議」が採択された際の演説より~昭和21年、衆議院において「宗教的情操教育二関スル決議」が共産党を除く、圧倒的多数で採択されました。その内容は、世界平和のために、「宗教家、教育家の奮起を促し宗教的自覚による隣人愛、無我奉仕の思想を普及徹底させると共に、教育の根底に宗教的情操の陶冶を尊重せしめ、もって道義の昂揚と文化の向上を期さなければならない。」というものです。この言葉のとおりですね。説明はいりません。

田中耕太郎(鹿児島県鹿児島市:1890年(明治23年)~1974年)は、法学者で法哲学者です。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣の文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員、日本法哲学会初代会長です。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。死後に大勲位菊花大綬章を叙勲され正二位を追贈されました。
裁判官・検察官であった田中秀夫の長男として鹿児島県鹿児島市に生まれ、第一高等学校に入学し、東京帝国大学法科大学法律学科に進学、在学中の1914年(大正3年)に高等文官試験行政科(現在の「国家公務員総合職試験(Ⅰ種試験)」)に首席合格、1915年(大正4年)、東京帝国大学を首席で卒業して恩賜(おんし)の銀時計をもらっています。大変優秀だったのですね。
内務省に勤務しますが、1年半で退官して東京帝国大学助教授となりました。このころ、無教会主義キリスト教の内村鑑三の門下生となっています。欧米留学後、1923年(大正12年)に東京帝国大学教授に就任、結婚して妻の峰子夫人の影響によりカトリック信仰の真理性を確信するようになり、1926年(大正15年)4月に岩下壮一を代父として、上智大学初代学長ヘルマン・ホフマンより洗礼を受けています。1974年、聖母病院においてし帰天(逝去)しました。
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