今日の日記2023.5.15(ブログ掲載記事数!) [日記]

このブログは、2012年2月12日に立ち上げ、本日で11周年を迎えました。その日のブログ記事は、「今日の日記(ブログ立ち上げ成功)」と題して「やっとブログを立ち上げました。これから「今日の言葉」に自戒をこめて書きます。」という短い文章でした。あれから11年が経ち、本日5月15日現在で総日数4,111日、掲載記事数は8,080本、1日平均掲載記事数1.96本、総閲覧数累計3,797,077件、1日平均閲覧数923.6件、ブログの日記・雑感分野で436,685ブログ中18位です。よく続いたものですね。

閲覧数は、このブログへのアクセス数ということですが、多い日は1,500件ほどあり、ここ3年は1日平均約1,300件ほどでした。しかし、昨年の安倍総理大臣銃撃事件がらみの宗教二世問題が世間を騒がせた直後に、1日平均約350件ほどに急降下しました。現在は1日約450件~550件で、少し回復傾向にありますが、1,300件に戻るには程遠いものがあります。このブログは、タイトルにあるとおりクリスチャンの信仰がテーマとなっていますから、あの事件で宗教関係のブログは敬遠されたのですね( ̄▽ ̄;)

◯このブログの名称遍歴!
ブログをスタートした時は「今日の言葉-愛と希望」でした。しばらくして「今日の言葉-愛と希望 私の信仰告白」となり、イエス・キリストの最大の教えは「愛と赦し」だからということで、「今日の言葉-愛と赦し 私の信仰告白」となり、信仰は告白するのではなく宣言するんだ~!ということで、現在は「今日の言葉-愛と赦し 私の信仰宣言」となりました。
◯このブログを始めた理由は次のとおりです。
①当初は、「教会で神父様からお教えいただいたことや聖書を読んで学んだことなどを書き留めておこう」と思ったのがきっかけです。携帯電話があればいつどこでも勉強ができるということですね。
②次に、どうせなら「自戒のために格言・名言・金言を記事として掲載しょう。」いうことで、そこから出発して、私が行っていた社会活動など、その日の出来事を日記として書くようになりました。
③3年ほど経ったころ、このブログの運営方針ということを意識し、「キリスト教(カトリック教会)の福音宣教活動の一環」として位置づけるようになり、それまでは漠然として何も意識してこなかった読者対象を「1.キリスト教にまったく興味のない人、2.キリスト教の初心者(入門者)」としました。

しかし、「キリスト教にまったく興味のない人」を対象にしたところで、このブログを読んでいただけるはずはありません。ですから、掲載記事をキリスト教一色にせず、ブログのカテゴリーにあるとおり社会活動でやっていた吹奏楽などの音楽の話し、美味しかった料理やお店のグルメ話し、マイ・ネクタイの話しやジーニスト日記、有名なキリスト教に関係する音楽や美術の話し、キリスト教の初心者でも理解しやすい入門書の紹介なども掲載し、例えば<キリスト教にまったく興味のない人>が、グルメ話しの記事を読みにこのブログにアクセスした機会を好機と捉え、同時に他に掲載されている福音書などのキリスト教関係の記事を読む機会を提供し、少しでも興味を持ってもらえればと思ったからです。

では、なぜそれが「福音宣教活動の一環」になるのか?それは、まずミサの説明から始めなければなりません。「ミサ」という名称は、式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est.」(ite = 行きなさい、missa est = 派遣である)というフレーズの中の語に由来し、missa(ミサ)は、ラテン語で「派遣」を意味する missio(ミッシオ)に由来すると言われています。 これは、ミサをとおしてミサに与る信徒達が聖化され、イエス・キリストの教えを宣教するために世界に派遣されるということです。ミサの最後のところで、司祭(神父様)が信徒たちに「派遣の祝福」をすることでも分かります。

以上のとおり、このミサ自体が福音宣教に派遣するという意味をもっているからですが、この派遣とは、次のとおり聖書に書いてあることが根拠となっています。
◯マタイによる福音書:第28章・第19~第20節
「あなた方は行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け、わたしがあなた方に命じたことを、すべて守るように教えなさい。」
◯マルコによる福音書:第16章・第15節
「全世界に行き、造られたすべてのものに福音を宣べ伝えなさい。」
◯ルカによる福音書:第24章・第47節
「罪の赦しへ導く悔い改めが、エルサレムから始まり、すべての民に宣べ伝えられる。あなたがたはこれらのことの証人である。」
◯ヨハネによる福音書:第20章・第21節
「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす。」

ですから、信徒は、ミサのたびに福音宣教のため世界に派遣されることになるのです。私が「福音宣教活動の一環」としているのは、福音宣教の方法を世界に発信できるインターネットという形態を使い、聖書の聖句や祈りの祈祷文などキリスト教(カトリック教会)関係の記事を掲載し、“ブログというツール”で福音宣教活動をしているのですね。ただし、絶対に間違ってはいけないのは、福音の宣教であって信徒の勧誘ではありません。新興宗教団体の勧誘のようではいけないのです。福音は「善き知らせ」という意味です。聖書に書かれたイエス・キリストの教えを知っていただき、善き行いに導くことが福音宣教なのです。

現在のところ毎日更新しております。1日に記事を6本も掲載したこともあり、随分と時間がある(暇である?ことを証明している)ように思われますが、このブログは、記事原稿を保存(下書き)する機能があるため、日祭日の休みの日や通勤の行き帰りの電車の中で、携帯からも<執筆作業>ができるのです。この3年は、過去の記事を一部加筆・修正して再掲載~最高8回も過去の記事を掲載することが多くなり、実はこの記事も過去に書いた内容をほとんどコピーしています。でも、その時折りのトピックスは新たに書いています。拙いブログではありますが、これからもご愛読のほどよろしくお願い申し上げます(*^▽^*)
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教会日記2023.5.12(カトリック成城・聖タデオ教会「復活節第六月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「復活節第六月曜日のミサ」に与りました。連日の雨天ですね。明日からは晴れますが、気温が高い日が続きそうです。25度の夏日を通り越して30度の真夏日を超える日もあるとの予報です!( ̄◇ ̄;)
今日も清々しい日を迎えています!
◯左側の写真は、祭壇左側にある聖母マリア様のご像です。右側の写真は祭壇下の生花です!キレイですね!
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ミサでは、朗読奉仕を担当しました。
そして、まずは主を讃えるお祈りを唱えました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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旧約聖書:イザヤ書・第2章・第4節 [聖書]

「主は国々の争いを裁き、
多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。」
◇次は英文です。
「He shall judge between the nations,
and shall decide disputes for many peoples;
and they shall beat their swords
into plowshares,
and their spears into pruning hooks;
nation shall not lift up sword
against nation,
neither shall they learn war anymore.」

アメリカ合衆国のニューヨークにある国際連合プラザ(国連広場)の通称「イザヤ・ウォール(Isaiah Wall)」と呼ばれる壁に、世界における非戦と平和を願って大預言者イザヤの聖句(聖書の言葉)が刻まれています。
国連イザヤ.jpg
◇刻まれているのは、上に掲載した聖句の次の部分(英文)です。
「they shall beat their swords
into plowshares,
and their spears into pruning hooks;
nation shall not lift up sword
against nation,
neither shall they learn war anymore.」
◇この英文は第4節の3行目からです。武器である剣や槍が、農作業で使う鋤(すき)や鎌(かま)に作り直されるのです。それでは戦争にはならないですね(*^▽^*) ウクライナに侵略しているロシアのプーチン大統領に読ませたい聖句です!
「彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。」
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