2023年5月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今月は31日間ある中の12日間(38.7%)を6つの教会・修道院に16回訪問し、16回ミサに与って16回ご聖体を拝領させていただきました。なお、ホームレス支援活動は0回でした。
4月28日(金)の仕事中に胸部に激痛が起こり、病院で検査・診察の結果、狭心症と診断されました。これまでの睡眠時間を今まで1日4〜5時間だったものを6〜7時間に増やし、体重を現在の84kgから75kgに減量しなけれはなりません( ̄◇ ̄;) これは身体への負担を減らし、心臓への負荷を軽減するためです。

そこで、これまで毎朝欠かさず早朝7時からの平日のミサに与てきましたが、6月からは基本的に次のとりとすることにしました。
◯平日のミサ(早朝7時からのミサ)
1.第一金曜日の初金のミサを除く第二~第四金曜日の先唱奉仕の担当日(月3日)
2.毎月第三月曜日の朗読奉仕の担当日(月1日)
◯主日のミサ
毎週土曜日の18時のミサ(月4回)
また、2月から曜日によってカトリック相模原教会、八王子教会及び松原教会にお世話になっていましたが、いらぬご迷惑をおかけすることになりますので、基本的に私の所属するカトリック成城・聖タデオ教会のみとすることにしました。
そして、ミサで唯一の楽しみであった成城教会聖タデオ聖歌隊の聖歌奉仕活動も当分の間はお休みすることにし、今月は「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動も不本意ながらお休みしました。非常に残念ですが、身体を壊してしまっては元も子もなくなってしまいますから、欲求を捨てて自制します。

1日(月)………
2日(火)………
3日(水)………
4日(木)神奈川県相模原市・相模原教会:復活節第四木曜日のミサ・9時から
5日(金)成城教会:初金のミサ(復活節第四金曜日のミサ)10時から
6日(土)松原教会:復活節第五主日のミサ・19時から
7日(日)八王子教会:復活節第五主日のミサ・7時から
8日(月)………
9日(火)………
10日(水)………
11日(木)………
12日(金)成城教会②:復活節第五木曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
13日(土)神奈川県相模原市・相模原教会②:復活節第五土曜日のミサ・7時から
  〃  松原教会②:復活節第六主日のミサ・19時から
14日(日)八王子教会②:復活節第六主日のミサ(世界広報の日)・7時から
15日(月)成城教会③:復活節第六月曜日のミサ・7時から(朗読奉仕)
16日(火)………
17日(水)………
18日(木)………
19日(金)成城教会④:復活節第六金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
20日(土)神奈川県相模原市・相模原教会③:復活節第六土曜日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会:復活節第六土曜日のミサ・12時から
  〃  吉祥寺教会:主の昇天の祭日のミサ・17時から
  〃  松原教会③:主の昇天の祭日のミサ・19時から
21日(日)………
22日(月)………
23日(火)………
24日(水)………
25日(木)………
26日(金)成城教会⑤:聖フィリポ・ネリ司教の記念日のミサ(復活節第七金曜日のミサ)・7時から(先唱奉仕)
27日(土)成城教会⑥:聖霊降臨の祭日のミサ・18時から
28日(日)………
29日(月)………
30日(火)………
31日(水)………
以上です。

【元も子もなくなる】
元も子もないの「元」は元金、「子」は利子のこと。 投資をして利子を得るはずだったが、それどころか元金も全て失くしてしまうことを「元も子もなくなる」と言います。そこから、金銭的なことだけではなく、無理をしたり欲張り過ぎ、何もかも全てを失うことのたとえとして用いられるようになりました。
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カラヴァッジョの『ロザリオの聖母』のご紹介 [キリスト教と美術]

今月は「聖母月」ですが、今日31日が最終日です。
ご紹介する『ロザリオの聖母』は、私が大好きな画家であるカラヴァッジョ(イタリア・ミラノ:1571年~1610年)の作品です。本名は、ミケランジェロ・メリージです。ミラノの小さな村カラヴァッジョの生まれのため、カルヴァッジョの通称で呼ばれています。この作品は、カラヴァッジョがナポリにおいて製作したもので、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されています。
ロザリオの聖母 カラバッジョ (2).jpg
<解説>
中央上部に聖母子(聖母マリア様に抱かれた幼いイエス・キリスト)、その左側横に両手にロザリオを持った聖ドミニコ司祭、その足元に民衆がおり、右側のこちらを向いて聖母子を指さしているのがイエス・キリストの12使徒(弟子)の頭である聖ペトロだそうです。
聖母マリア様は、聖ドミニコ司祭に目配せしてロザリオを指差し、民衆に配るように指示しています。民衆は熱狂的に聖ドミニコ司祭にすがるように懇願し、神の恵みとともにこのロザリオを欲しているようです。それは信仰することを求めるということですね。民衆には幼いイエス・キリストと聖母マリア様は見えませんが、聖ドミニコ司祭には見えるのです。また、上から垂れている赤い生地は栄誉を表しているとのことです。
一番左側の聖ドミニコ司祭の足元に、頭の禿げた男性がこちらを向いていますが、これは寄進者だそうです。彼は聖ドミニコのマントの端を掴んでおり、このマントは庇護マントであり、こちらに向かって聖ドミニコの庇護マントに身を寄せることをこの絵を見る人々に勧めているようです。
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「聖母の訪問」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日5月31日は、「聖母の訪問」の祝日です。
「聖母月」の最終日でもあります。
神の子であるイエス・キリストを身ごもった聖母マリア様が、親戚のエリザベト訪問したことを記念する日ということです。
ローマでは8世紀に、待降節中に聖母の訪問が祝われ、東方教会では7月2日が祝日とされていました。第二バチカン公会議の典礼刷新において「エリサベトはもう六か月になっている(ルカによる福音書:第1章・第36節)」という天使ガブリエルの聖母マリア様への言葉と「マリアは三か月ほどエリサベトのところに滞在した(ルカにようる福音書・第1章・第56節)」という福音書の記述に従って、「聖母の訪問」の祝日は「神のお告げ(3月25日)」と「洗礼者聖ヨハネの誕生(6月24日)」の間の日に移されました。4月のはじめは復活祭と重なることが多く、この祝日は聖母月とされる5月の最終日に定められました。
ジョット・ディ・ボンドーネ(イタリア:1267年頃~1337年1月8日)の作です。中央の人物の左側が聖母マリア様、右側がエリザベトです。
聖母の訪問.jpg
聖母マリア様が、大天使カブリエルから“受胎告知(じゅたいこくち・「赤ちゃん(イエス・キリスト)が授かりましたよ」という告知)”を受けたころ、彼女の親戚であるエリザベトも懐妊していると、大天使ガブリエルから聞きました。エリザベトは、長年子どもができず年老いていましたので、聖母マリア様はエリザベトの懐妊を聞き、神の偉大な力に驚き賛美して、さっそく山里にあるエリザベトの家を訪ねました。聖母マリア様の訪問を喜んだエリザベトは、新約聖書のルカによる福音書に記載のあるとおり、感動の言葉を述べたのでした。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第39~45節
「そのころ、マリアは旅だって、急いでユダの山地にある町に向かった。そしてザカリアの家に行き、エリサベトに挨拶した。 エリサベトがマリアの挨拶を聞くと、胎内の子が躍り、エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに叫んで言った、『あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎内の子も祝福されています。わたしの主の御母(おんはは)が、わたしのもとへおいでくださるとは、いったい、どうしたことでしょう。あなたの挨拶のお声が、わたしの耳に入ったとき、胎内の子が喜び躍りました。主から告げられたことが成就すると信じた方は、ほんとうにお幸せなことです。』」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

そこで、聖母マリア様は、神に感謝して祈りました。この祈りが有名な「マニフィカト」です。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第46~第55節
「そこで、マリアは言った。
『わたしの魂は主を崇め、
わたしの霊は、
救い主である神に、喜び躍ります。
主が、身分の低いはしために、
目を留めてくださったからです。
そうです。今から後、いつの時代の人々も、
わたしを幸いな者と呼ぶでしょう。
力ある方が、
わたしに偉大な業を行われたからです。
その名は尊く、
その憐れみは代々限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕をもって力ある業を行われ、
心の思いの高ぶった者を、追い散らされました。
権力をふるう者をその座から引き下ろし、
身分の低い者を引き上げられました。
飢えた者を善いもので満たし、
富める者をむなしく追い返されました。
主は憐れみを心に留め、
その僕、イスラエルを助けてくださいました。
わたしたちの先祖に仰せになったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。』
マリアはエリザベトのもとに三か月ほど滞在した後、家に帰った。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

「ルカによる福音書」は、聖母マリア様の訪問について語る直前に、天使がイエス・キリストの受胎を聖母マリア様に告げる場面を記しています。その中で、天使は聖母マリア様に「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と言っています。聖母マリア様は、神の子イエス・キリストを身ごもるにあたって、聖霊に満たされました。そのすぐ後に、親戚のエリサベトのところへと向かいました。どうやら、福音書は、エリサベト訪問が神の霊に導かれた行動であった、つまり、聖母マリア様の思いやりから生まれた行動ということもあったと思いますが、神様の導きに身を任せた行動であり、神様がなされた業であったということが言えます。聖霊に導かれてなされる行いは、聖霊の力に満たされて行ったイエス・キリストや使徒たちの宣教活動を思わせるものがありますね。このことから、「聖母の訪問」は、福音宣教を先取りしているといえるのではないでしょうか。
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