「聖ユスチノ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日6月1日は、聖ユスチノ(又は聖ユスティノス:100年?~165年)殉教者の記念日です。
紀元2世紀のキリスト教神学者で、ギリシア教父の系統に属して「教父」、「護教家(あるいは弁証家)」といわれる最初期のキリスト教神学者の一人です。
自身の著述によれば、ユスティノスはサマリア(イスラエルの北方)のフラウィア・ネアポリス(現在のパレスチナ自治区のナーブルス)出身です。若いころから哲学の勉強をし、ストア、ピタゴラス、プラトンなど多くの学派の研究を行いました。その後、ある老人との出会いによって、聖書を読み祈ることを知り、30歳のときに洗礼を受けました。そして、キリストの教えを最高の哲学、最高の道徳として実践し、模範的な信仰生活をして、小アジアやギリシアの町を遊説しました。
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時のローマ皇帝アントニーノのキリスト教徒迫害に際しても、公に信仰を宣言したため、彼の書いた護教書がローマの役人から嫌疑をかけられ、ユスチノは逮捕され殉教しました。ユスチノによれば、「世界にあるすべての真理はただひとつの源泉、キリストから出ている。キリスト教は、永遠の真理そのものであり、すべての哲学や学問の完成である」。彼は、キリスト教徒最初の偉大な哲学者、神学者といわれています。論破した哲学者の陰謀で捕えられ、165年、ローマで殉教したと伝えられています。
有名な著作は『ユダヤ人トリュフォンとの対話』です。ユダヤ人のラビ、トリュフォンとの二日間にわたる対話の記録で、142章からなる大著です。ユスティノスの聖書解釈を示す著作となっています。
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「イエスのみ心の6月」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

毎年6月は、「イエスのみ心」の月です。
「み心」は、御心ではなく「聖心」と書くようです。
この「イエスのみ心」について、カトリック中央協議会のホームページから引用いたします。アドレスは次の通りです。https://www.cbcj.catholic.jp/faq/mikokoro/
「イエスのみ心は全人類に対する神の愛の象徴としてイエスの心臓を表し、その信心はイエスのみ心に表される神の愛を思い起こし、その無限の愛のしるしであるみ心をたたえるものとして中世に始りました。
特に聖マルガリタ・マリア・アラコック(1647年~1690年)がみ心の信心についての啓示を受けて17世紀にフランスで広まりました。1675年6月16日、この聖女はご聖体を前にして、イエスの愛にこたえたいという思いに駆られました。そのときイエスは、愛情に燃えているみ心を示して、人々の間に存在する冷淡な心を嘆かれ、イエス自身の愛に倣ってその心を尊ぶことを勧められました。
また、このようなイエスの出現が数回にも及び、ご聖体の祝日(キリストの聖体)後の金曜日をみ心を礼拝する特別な祝日として定めるようにとのお告げにより、み心の信心の内容と形式が明確にされるようになりました。
そして、1856年に教皇ピオ9世によってイエスのみ心の祭日がご聖体の祝日後の金曜日に全世界で祝うことが定められました。ご聖体とみ心の主日がおおよそ6月に祝われるというこのような歴史からして、次第に6月が「イエスのみ心の月」と自然に浸透し、制定されてきたことは十分に考えられます。

<み心の信心>
前教皇ベネディクト十六世は、イエズス会のコルヴェンバッハ総長宛に、み心の信心を勧めたピオ十二世回勅『ハウリエティス・アクアス』(1956年5月15日)発布50周年を記念する書簡(2006年5月15日付。発表は5月23日)を送り、こう述べています。
「槍で刺し貫かれたイエスの脇腹(ヨハネ19・34参照)を礼拝しながら観想することにより、わたしたちは、人びとを救おうとする神のみ旨を感じることができるようになります。・・・・『槍で刺し貫かれた脇腹』の内に神の限りない救いのみ旨が輝いています。ですから、この脇腹を仰ぎ見ること(み心の信心)を、過去の礼拝ないし信心の形と考えてはなりません。刺し貫かれた心という象徴に歴史的な信心の表現を見いだした神の愛の礼拝は、神との生きた関係にとって不可欠なものであり続けます」。
み心の信心は、教会において基礎となるものであり、キリスト教の中心といえるものでありますから、イエスのみ心の限りない愛に対して、できる限りの愛をもってこたえるというみ心の信心の目的をしっかりともちながら特にこの月を過ごしていきたいものです。」
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