ダイエット2023.6.21 [日記]

狭心症になってから、真面目にダイエットに取り組んでいます。5月1日以降、4㎏減量ほどしました。あの胸の激痛を経験すれば、真面目にならざるを得ませんね( ̄▽ ̄;) 大げさではなく、本当に一瞬このまま死ぬかと思いました。今は、特に食事に注意しています。野菜と魚を中心にして、お米など炭水化物は控えめにしています。大好物の唐揚げや天ぷらは、もう2か月近く食べていません( T_T ) そして、飲み物も「特定保健用食品(トクホ)」にしました。
◯サントリーの「特茶」です。「ケルセチン配糖体」が配合されて体脂肪の減量に効果バツグンです!
ちなみに、写真は職場の私のデスクです。パソコン画面の壁紙は「最後の晩餐」で、左下は「絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母マリア」様のご絵です。この写真は先々週撮影したもので、もう2週間飲んでいます。
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後は運動ですが、心臓に負担がかかる過激な運動や膝痛のため走ったりはできませんので、ストレッチを中心にダンベルを使ってのウェイト・トレーニング(ダンベル・ダイエット)を再開しました………4年前までやっていたのですが、読書とブログ記事作成の時間を増やすために止めていました( ̄▽ ̄;) もう65歳、随分と筋肉・筋力ともに落ちていたのですが、この2か月近くで左右の大胸筋が鍛えられ、少しですが胸筋が隆起して胸の谷間ができました!一年中ペンダントにしている<不思議のメダイ>は、トレーニング再開以前は胸の前でブラブラしていたのですが、今では左右の大胸筋の谷間に入って固定される感じになりました。これでは女性みたいですね ( ̄◇ ̄;)

しかし、以前はダンベル1個を10㎏(両方で20㎏)で、一日に1時間ほど一日おきにやっていました。再開後は慣れるように徐々にウエイトを上げ、以前と同じようにやっていたら、息が続かないというか、すぐ息苦しくなるというか胸苦しくなりました。この点が以前と決定的に違う点です。やはり、狭心症の影響ですね。ですから、今では毎日15分程度で、無理をしないようにゆっくりやり、ダンベルは1個を5㎏(両方で10㎏)にしてやっています。
◯書斎兼寝室にあるトレーニング・ベンチとダンベルです。ベンチ上の中央にあるパイプの両側に、ダンベルをつければベンチプレスができます。これで書斎兼トレーニングルーム兼寝室です。
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さて、トレーニング中はBGMをかけています。以前トレーニングをやっていた時に、クラッシック、民謡、アニメソング、ドラマの主題歌、映画のテーマ音楽、日向坂46、米津玄師、三代目、ジェネの曲などなど、いろいろと聴き比べました。その結果、ウェイト・トレーニング中に合うBGMは、なんと!グレゴリアン・チャント(グレゴリア聖歌)だということが判明いたしました(; ̄O ̄)私にはということですが………(⌒-⌒; )あの旋律というか、あの歌い方というか、あのゆったりとしたリズムというか、筋肉を鍛えるトレーニングに妙に合うのですよ。落ち着いて集中できるということですね。何かおかしいでしょうか?(⌒-⌒; )
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随分前にグレゴリオ聖歌が<癒やしの音楽>として流行った時によく売れたCDです。よく売れただけあって、今ではどこのBOOKOFFのお店にも必ずと言っていいほどあります!ほとんどは100円〜500円です。
◯「グレゴリアン・チャント ~グレゴリオ聖歌 EMI クラッシックBEST100 」
合唱:シロス修道院合唱団(サント・ドミンゴ・デ・シロス・ベネディクト派修道士合唱団)
指揮:イスマエル・フェルナンデス・デ・ラ・クエスタ
発売:(株) EMIミュージックジャパン
定価:1,500円(税込)
収録曲リスト
1. 入祭唱:幼な子われらに生まれ (第7旋法)
2. 交唱及び詩篇99:処女、王をば生みぬ (第2旋法)
3. 続唱:めでたし、世の望みなるマリアよ (第7&第8旋法)
4. 昇階唱:すべての者らの瞳が (第7旋法)
5. 賛歌:来たれ、造物主なる聖霊 (第8旋法)
6. アレルヤ唱:試練に耐うる者は幸いなり (第1旋法)
7. 昇階唱:正しき者の唇は (第1旋法)
8. 入祭唱:主の聖霊は地上に満つ (第8旋法)
9. トロープス:善きことの泉なる主よ (第3旋法)
10. 昇階唱:われ、いかに嬉しきかな (第7旋法)
11. 賛歌:陽の出ずる地の果てより (第3旋法)
12. 昇階唱:キリストはわれらがため死のもとにすら (第5旋法)
13. 交唱及び詩篇132:新しき訓えを汝らに与えん (第3旋法)
14. 応唱:われら、死への道程の半ばに (第4旋法)

【ケルセチン配糖体】
「ケルセチン配糖体とは、「体脂肪を減らす」として話題の成分です。写真のサントリーの特茶には「特定保健用食品(トクホ)」として許可されています。ケルセチンは、玉ねぎやブロッコリー、リンゴといった野菜や果物などに含まれているポリフェノールの一種で、抗酸化作用や抗炎症作用、降圧作用などさまざまな体へ良い作用があることがわかっており、脂肪分解を促す力や、コレステロールを下げる作用もあると報告されています。しかし、多くの利点を持つケルセチンですが、健康のために摂り続けるには弱点もあり、それは、水に溶けにくく体内に吸収されにくいという点ですね。せっかく体に良い作用があっても、体に取り込まれなければ意味をなしません。そこで、研究の結果、「ケルセチン配糖体」という形にすることで解決されたのでした。「ケルセチン配糖体」は、ケルセチンと糖を結合したもので、水に溶けにくいケルセチンと異なり、「ケルセチン配糖体」は水に溶けやすく、吸収も良くなっています。水に溶けやすいので、お茶などに入れることができるのです。」
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「日本聖公会東京聖十字教会」のご案内 [教会案内]

このブログに過去何回か掲載いたしましたが、再掲載いたします。
私が勤務する国士舘大学から、歩いて5分もかからない松陰神社通り商店街から少し入ったところ(世田谷区若林四丁目28番8号)に、日本聖公会の「東京聖十字教会」があります。教会自体は1924年に献堂されました。親しみやすい地域の中で、形式ばらない教会が特色となっています。
有名なのは礼拝堂のユニークさですね。この礼拝堂は、1961年にアメリカ人のA・レイモンド氏の設計によって献堂され、「柱状合板」を使用の「合掌造り風」のものとしては、日本最初の建築物です。よく建築専門誌に紹介され、知る人ぞ知るその分野ではとっても有名な建物なのです。
◯この写真は、私が2016年6月15日の早朝に撮影したものです。
平成24年6月27日に72才でお亡くなりになったコメディアン、タレント、俳優、ミュージシャンとして幅広い活動をされた故小野ヤスシさんは、この「東京聖十字教会」に所属する日本聖公会の信徒で、お葬式もこの教会で行われました。洗礼名は十二使徒の一人「バルトロマイ」です。
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「聖公会(せいこうかい)」は、イギリスのカンタベリー大主教を精神的指導者とするイングランド国教会から生れ、世界160ヵ国に広がる34の管区と4つの自治区からなるキリスト教会です。信徒は世界に7,000万人。34の管区と4の自治区は教義を共有していますが、それぞれが自治権を有しています。カトリック教会とプロテスタント教会に大別される西方キリスト教会の中で、「聖公会」は、両者の持つ要素を兼ね備え、その中間に位置する教派です。もちろんイギリス王室はこの宗派です。

日本聖公会には、北海道から沖縄に至る11の教区があり、それぞれの教区を司牧する主教がいます。11名の主教の中から一名の首座主教が選ばれて日本管区を構成しています。11の教区には主教・司祭・執事の三職位の聖職や伝道師・宣教師・聖職候補生ら約270名の教役者が約300の教会・礼拝堂・伝道所に遣わされ、教会では約3万2千人の信徒が信仰を守っています。教義として、1930年のランベス会議(全世界聖公会主教会議)において提唱された「ランベス四綱領」を遵奉しています。
第1:旧約および新約の聖書を受け、これを神の啓示にして救いを得る要道を悉く載せたるものと信ずる。
第2:ニケヤ信経および使徒信経に示されたる信仰の道を公認する。
第3:主イエス・キリストの命じ給うた教理を説き、その自ら立て給うた洗礼および聖餐の2聖奠を行い、且つその訓戒を遵奉する。
第4:使徒時代より継紹したる、主教(エピスコポ)、司祭(プレスブテロ)、執事(デアコノ)の3職位を確守する。
(後半部分は日本聖公会管区事務所のホームページから引用)
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「聖アロイジオ・ゴンガザ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日6月21日は、「聖アロイジオ・ゴンザガ」の記念日です。
聖アロイジオ・ゴンザガについて掲載いたしますが、次の聖アロイジオ・ゴンザガの紹介文章は、イエズス会日本管区のホームページから引用掲載したことを明示いたします。ちなみに、バスケットボール選手として有名な八村塁選手が在籍していたゴンザーガ大学は、ワシントン州スポケーンにあるアメリカ合衆国の私立大学で、1887年にイエズス会により設立され、その名称はイエズス会の聖人アロイジオ・ゴンザガに由来しています。
◯次の絵は、聖アロイジオ・ゴンザガが、幻の中で大天使聖ガブリエルからお告げを受けている場面です。
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「ルイジ(アロイジオ)・ゴンザガは、1568年3月9日、イタリアのマントバ地方、カスティリオネ侯の家庭に生まれた。まだ4歳の時、父親に伴われて軍営に行き、鎧をつけて父のそばで歩き、閲兵したというエピソードがある。彼自身によると、7歳の頃、貴族の生活振りに飽きて、霊的生活に魅せられて、詩篇を唱える喜びを覚えた。ゴンザガ家の跡継ぎとして養成を受けるためにフィレンツェのメディチの宮廷に送られた(1577-78年)。宮廷の虚栄や陰謀が渦巻く世界を嫌悪して、1578年のある日、絶対罪を犯さないという決意を立てた。1579年マントバで、聖人伝との出会い、詩篇を祈るなかで、司祭への召し出しを考え始めた。カスティリオネの図書の中でペトロ・カニジオ著の『キリスト教教義大全』を見つけ、その中に毎日の黙想のヒントも記されていたので、それを祈りの題材にした。1580年7月、カロロ・ボロメオ枢機卿がミラノからの公式訪問の途中、ゴンザガ家を訪問した。ルイジがまだ初聖体をしていないと聞き、その準備を指導して、7月22日に聖体拝領をさせた。この時から、ルイジは毎週の聖体拝領を楽しみにし、週3度の断食、朝夕の黙想、平日のミサを日程とした。

1581年、ゴンザガ家はオーストリア皇后マリアがマドリッドに帰る旅に加わり、1582年3月、ルイジは従者としてスペインのフェリペ2世の宮廷に入った。マドリッドでイエズス会の聴罪司祭に出会い、1583年8月15日、イエズス会の教会の聖母画の前で祈り、イエズス会に入会する決心をしたが、父親の許可を得るように指導を受けた。粘り強く説得した結果、父親の許しを得て、相続権を放棄し、1585年11月25日、ローマでイエズス会に入った。入会前に霊操をマントバでしていた時、たまたま中浦ジュリアンたちの天正少年使節が教皇グレゴリオ13世の謁見を終えて、マントバに来て町の祭りに加わっていた。しかし、アロイジオは部屋から出なかったという。
ローマ学院で学んでいる間、ロベルト・ベラルミーノから大きな影響を受けた。1591年、ローマでペストが流行っていた。アロイジオはペストに倒れていた病人を見つけては、病院に運び、体を洗い、秘跡を受ける準備をさせた。しかし、彼自身もペストにかかり、その年の6月21日、23歳の若さで帰天した。1605年10月19日、教皇パウロ5世によって列福され、1726年12月31日、ベネディクト13世によってスタニスラオ・コストカと共に列聖された。その3年後、若い人たち、特に学生の守護の聖人に定められた。1926年、ピオ11世もこのことを新たに確認した。
「自らの環境に逆らい、勇気をもって真の王に仕え、主の忠実な友となりました。古来の慣習に逆らうばかりでなく、キリストの足跡に従い、回心して貧しい人々と生活を共にしました。」(P-H.コルベンバッハ総長、AR XX [1991], 580)」
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