「教会とローソク」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

信徒ではない方から「なぜ、キリスト教の教会はローソクをたくさん灯しているのですか?」という素朴な質問をよく受けます。これは、たぶん欧米のカトリック教会のことを言っているのではないかと思われます。欧米も日本もカトリック教会は、イエス・キリストの十字架(磔刑像)の他に、聖母マリア像や聖ヨセフ像を置いており、他にも聖人のご像があったりします。欧米の映画やドラマで、聖堂の中での場面があると、必ずと言っていいほどご像の前や回りに大小さまざまなローソクをたくさん置いてお祈りをしているのを見かけますね。

日本では、基本的に祭壇のローソク以外には聖堂内にローソクを置きません。これは防火上のこともあります。実際に欧米の場合は、各ご像のまわりにローソクを置くスペースがあり、何本もローソクを置いてお祈りしています。ちなみに、プロテスタント教会は、ご像を置くことが偶像崇拝につながるということから、イエス・キリストの身体のない十字架があるだけです(十字架もないところもあります)。カトリック教会は、聖母マリア様や聖人を崇敬しているだけで崇拝しているわけでありません。ですから決して偶像崇拝ではありません。

私の自宅の書斎兼寝室にある自家製祭壇です。室内灯を消してローソクの灯りだけにすると、ものすごく趣きがありますね。以前は、上段の十字架前にローソクを2本置いていたのですが、今は下段のサン・ダミアノ教会の十字架のところにローソクを灯しています。それは、朝のお祈りの後、消し忘れて灯したまま出かけてしまったことがあり、それ以後は現在の祭壇のように下段に置いています。そして、ローソクは短めの太いものにし、ローソク立てはやめてガラス製の皿状のものにしています。しかも、下敷きには金属の板を敷いています。長細いローソクやローソク立ては地震などで倒れやすく、火事になりかねませんから気をつけましょうね!
◯自家製祭壇です。大きな十字架前に「お祈り台(祈祷台)」があります。毎日起床時と就寝時にお祈り台に膝をついてお祈りします。写真撮影上、部屋を明るくしていますが、お祈りする時は部屋は消灯してローソクの灯火だけにします。
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◯部屋の明かりを消してローソクの灯だけにしました。お祈りする時は、いつもこんな感じです。
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日本のカトリック教会もミサだけでなく、さまざまな典礼においてローソクを灯すように定められています。ミサが、キリストの“最後の晩餐”を再現する、主の食卓のかたどりとしての側面を持つことはよく知られていることですが、実際に祭壇には必ずテーブルクロスがかけられ、そして祭壇の上には必ずローソクが置かれます。これは崇敬することを“献灯”によって信心を表わす行為なのです。ローソクの灯は私たちの“喜びのしるし”でもあるからですね。

カトリック教会の『ミサ典礼書』の総則によれば、ローソク台は「すべての典礼行為の際に必要」であり、それは「崇敬と祝いの喜びを表すため」であると説明しています。また、ローソクは必ずしも祭壇上になければならないとは限りません。祭壇のローソク台であっても構わないし、和室の場合などは床の間や違い棚に置くことも許されています。ただし、祭壇からあまり遠くならない程度ですね。要は、今から祭壇を中心として行われる典礼に対して、私たちが特別な想いを込めて注目し、喜びを共にする、そのしるしとして輝く灯火を置くということなのですね。

なお、歴史的には、祭壇にローソクが置かれるようになったのは、12世紀ごろの中世ヨーロッパにおいてのことであり、当時は聖書もラテン語で書かれており、ミサもすべてラテン語で行われていました。このラテン語を理解できない一般的な市民(信徒)に対して、ミサ(や聖書)の内容をなんとか理解させようとさまざまな工夫を凝らしたその一環だったということです。

◯カトリック教会『ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則』(カトリック中央協議会)
第四章 ミサの種々の形式
一 会衆の参加するミサ 準備 79
・祭壇は少なくとも一枚の食卓布で覆われる。
・祭壇上もしくは祭壇の近くに、少なくとも二本、あるいは四本もしくは六本、またはその教区の司教が司式する場合には七本、火をともしたろうそくを立てるものとする。
・なお、祭壇上あるいは祭壇の近くに、十字架を置く。
・ろうそく台と十字架は、入堂の行列の際に奉持することができる。
・他の朗読書とは別冊の福音書は、入堂の行列に際して奉持されない場合、祭壇上に置くことができる。
第五章 感謝の祭儀をささげるための教会堂の配置と装飾
五 祭壇の装飾 269
・ろうそく台は、崇敬と祝いの喜びを表すために、すべての典礼行為の際に必要であるが、それは、祭壇および司祭席周辺の構造を考慮して、全体の配置が適当なものとなるように、祭壇上、もしくは祭壇の近くに置くものとする。
・なおそれは、信者が祭壇上で行われること、あるいは祭壇上に置かれるものを容易に見ることを妨げないようにする。

◯カトリック儀式書『ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝』(カトリック中央協議会)
第一章 三 聖体拝領式の祭器、祭服ならびに拝領方法 19
・教会または聖堂で聖体拝領が行われる場合には、白い食卓布で覆われた祭壇の上にコルポラーレを敷き、崇敬と祝いと喜びを表すために二本のろうそくをつける。
・パテナを用いる。
・他の場所で行われる場合には適当な机を用意して食卓布で覆い、ろうそくをともす。
以上です。
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「聖アントニオ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日6月13日は、「聖アントニオ(パドバ)司祭教会博士」の記念日です。
今日は、大変お世話になっている聖人をご紹介いたします! 私は、教会に通いだしてから今年で12年目、洗礼を受けてから11年目になります。その間に過去9回も電車や駅に忘れ物をしましたが、8回は見つかっています。後の1回は、忘れたことを忘れていました( ̄◇ ̄;)その紛失物を見つける手助けをしてくれたのが、私が崇敬する聖アントニオ様です………ある意味、私が一番お世話になっている聖人ですね(⌒-⌒; )

ある時、家に着いてから高価な本を電車の中に忘れたことに気がつき、駅の遺失物係に電話をしたのですが、電話の前に「聖アントニオ様、聖アントニオ様、聖アントニオ様、お願いです!なくした本を見つけてください!」と心の中で唱えました。そして電話をすると「電車の中に本を……」と話したところで、どういうわけか本のタイトルも大きさも話していないのに、いきなり「ありますよ。」と言われ、びっくりしたことがありました。見つかったのです!聖アントニオ様に感謝、感謝でした!伝説(言い伝え)によると、探し物のお願いのお祈りの最初に、聖アントニオ様を3回唱えるといいそうですよ。

◯次の絵は、スペインの画家マリアーノ・サルバドール・マエーリャの作品「パドヴァの聖アントニオ(1787)」です。アントニオは、イタリアやフランスの各地を説教して回った旅から帰った後は、パドヴァに居を定めて北イタリアのフランチェスコ会の代表にもなりますが、しかし、長年続いた旅の生活が彼の肉体を蝕んだのでしょうか、1231年にアントニオは田舎に移り、そこで病気療養の生活を送ることになりました。するとそのアントニオの前に、幼児イエスが現れるという奇蹟が起こります。それも何度も。そのたびにアントニオはイエスを両手で抱きかかえました。聖アントニオの絵の主題といえば、幼児イエスが登場するのはこのエピソードに由来しています。アントニオの病状は残念ながら、田舎への転地療養でも回復せず、彼はパドヴァへ戻る途中に、36歳の若さで天に召されます。
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聖アントニオは、1195年にポルトガルのリスボンに生まれました。5歳のときに修道会のアウグスチノ会に入り、司祭となりましたが、アフリカ宣教の望みを抱き、長上の許可を得てフランシスコ会に入りました。殉教の覚悟でアフリカのモロッコに渡りましたが、まもなく病気になり帰国。その後、フォル市郊外のモンテ・パオロで、修道司祭として生活しました。
あるとき、市の新司祭の祝賀会の席上、聖アントニオは長上から即座に演説を命じられで非常に良い話をしました。これを機に説教家として彼の才能が認められ、イタリアやフランスを巡って福音を伝え、多くの人々を回心に導きました。1231年6月13日に36歳の若さで帰天(きてん:神の国に帰ること)し、その遺骸はパドバの聖堂に安置されています。その墓で多くの奇跡が起こったといわれています。伝承では魚たちさえも、彼の語りかけを聞くことを愛したといいいます。聖アントニオは、紛失物を捜すときの助け手、貧困、婚姻・花嫁の守護の聖人として知られています。これからご結婚される花嫁さんは、結婚生活が幸せなものになるようお祈りしてくださいね。

「聖アントニオの祈り」は次のとおりです。(文語です。)
「ああ善き優しき聖アントニオよ、
御身の天主への愛と主の被造物への配慮は
御身を尊むべきものとなし、
かつ奇跡的力をこの世において有させ給えり。
この不安と苦難の瞬間において我が助けに来り給え。
御身の熱烈なる天主への愛は、
御身の御腕に聖なる幼な子を抱くにふさわしきものとなしたり。
我がつつしみて願うものを御子にささやき給え。
(ここでなくした物が見つかるようにお願いする。)
もしこれが天主の更なる栄光と、我が霊魂の救いとならば。 
アーメン。」

次のお祈りもあります。
「親愛なるパドヴァの聖アントニオ
栄光に満ちた神の僕
あなたは功徳と奇跡で名高い方
なくしたものが見つかるように
私たちを助けて下さい。
私たちが誘惑にさらされる時
あなたが助けて下さいますように
神の御旨を探し求められる小道を照らして下さい。
罪によって壊された恵みの生活を
再び見つけることが出来るよう助けて下さい。
そしてキリストが約束された
栄光へと私たちをお導き下さい。
アーメン」
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