今日の日記その二2023.6.4(満月!) [日記]

自宅2階の自室の窓から22時45分に撮影しました。今夜の月齢は満月です。うっすらと雲がかかっているようで、あまりはっきりと映っていませんね。写真の右下に欅の大木のシルエットが写っていますが、その向こう側の灯りはJR横浜線相原駅です。
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今日の日記2023.6.4(「動物ヨーチ・ビスケット」) [日記]

写真は、私が子どものころ(昭和30年代後半から40年代前半)によく食べた思い出のビスケットです。とっても懐かしいですね〜!まだ作っていたんですね。お茶屋さんでお茶っ葉を買ったら付いてきました。皆さん、一度は動物の形をした色とりどりのビスケットを食べたことがあるのではないでしょうか?それは「動物ヨーチ」と呼ばれ、古くから多くの人に愛されてきたビスケットです。写真のビスケットの上にカラフルな砂糖でコーティングされたお菓子がいわゆるヨーチビスケットです。ヨーチビスケットの由来は、イギリスの「kindergarten biscuit(キンダーガーデンビスケット)」で、「kindergarten(幼稚園)」を「ヨーチ(幼稚)」と呼んだことが始まりだそうです。聞いた話ですので、真偽のほどは確認できていません(⌒-⌒; )
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『聖アウグスティヌスの幻視』のお話し [キリスト教と美術]

今日は、「三位一体」の祭日です。
◯イタリア、フェラーラの画家であるガロファーロ(1481年~1559年)作の 『聖アウグスティヌスの幻視』(1518年頃)です。イギリス・ロンドン市にあるナショナル・ギャラリーの所蔵です。この絵は、アウグスティヌスが『三位一体論』の執筆中に幻視したことを描いています。絵をクリックすると大きくなります。
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この絵を説明をしますと、まず、左上に天上界が描かれ、天からは聖家族(聖母マリア様の後ろに聖ヨセフ様、膝の上に幼いイエス・イリスト)と天使達の奏楽隊が地上の様子を見守っています。そして、右側・下部に描かれている地上ですが、『三位一体論』を執筆しているアウグスティヌスの後ろに立っているのは、3世紀ごろの殉教者アレクサンドリアの聖カタリナです。彼女が手にしているナツメヤシの葉(シュロの葉)は殉教者の印で、聖カタリナのアトリビュートになっています。そして、幼児(の姿をしたイエス・キリスト)が砂浜に穴を掘り、柄杓(ひしゃく)で海水を汲み上げています。この絵のテーマである<聖ウグスティヌスの幻視>は、複数の画家によって描かれており、描き方の解釈が、執筆中ではなく散策中であったり、幼児が天使であったりして、描き方に少々違いがあります。

この場面ですが、アウグスティヌスは、幼児(の姿をしたイエス・キリスト)が砂浜に穴を掘り、柄杓(ひしゃく)で海水を汲み上げる姿を目撃し、それが無駄な努力であることを幼児に告げました。すると、幼児は、砂浜に掘られた小さな穴をアウグスティヌスに示し、「あなたが三位一体を理解するよりも、海の水を全部この柄杓で小さな穴に移し替えるほうがまだやさしい」と、人間の知力には限界があることをアウグスティヌスに諭しました。その時、アウスグスティヌスは「三位一体論」の神秘解明が、不可能であることを自覚するのでした。
「アレクサンドリアの聖カタリナ」の詳しいことについては、このブログの2021年11月25日に掲載しました「聖カタリナおとめ殉教者のお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-11-25

キリスト教の考えでは、人間の知性によって神の属性を知ることはできません。中世最大の神学者で哲学者であるトマス・アクィナスも、あるとき幻視を見てから「私が見た物に比べれば、これまでに考え書き記してきたことは塵のようなものだ」と言って、著述をやめてしまいました。アウグスティヌスは死ぬまで書物を書き続けましたが、彼の優れた知性をもってしても、神の属性を知ることはまったく不可能でした。
なお、「三位一体」の詳しい説明については、先ほどこのブログに掲載した「三位一体の祭日のお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-04
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「三位一体」の祭日のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日6月4日は、「三位一体」の祭日です。
「主の昇天の主日(5月20日の日没後~21日の日中)」のミサの次の日曜日が「聖霊降臨の主日(5月27日日没後~28日の日中)」のミサで、これで「復活節」が終わりますが、その次の日曜日には「三位一体の主日(今年は6月3日の日没後~4日の日中)」が祝われます。

そこで、三位一体の主日のミサで、第二朗読で読まれる聖書のローマの人々への手紙を見てみましょう。
◯新約聖書:ローマの人々への手紙・第5章・第1〜第5節
「それ故、信仰によって義とされたわたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストによって神との平和を得ています。わたしたちは、このキリストのお陰で、今そのうちにある恵みの状態に、信仰によって立ち入ることが許されました。神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難さえ誇りにしています。苦難は忍耐を生み、忍耐は試練に磨かれた徳を生み、その徳は希望を生み出すことを知っています。この希望はわたしたちを裏切ることはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心の中に溢れ出ているからです。」

この聖書の箇所で重要なのは、この手紙を執筆している使徒パウロは、三位一体の神を「父と子と聖霊の神」として理解しているということです。パウロの時代には、まだ「三位一体」という言葉は定着していませんでしたが、「三位にして唯一である神」をパウロは「父と子と聖霊の唯一の神」として、はっきりと確信を持って理解していました。三位一体の神というのは、3つの異なる位格(ペルソナ)でありながら、唯一の神であるという教義的な側面が先行してしまうためかもしれませんが、どちらかといえば、私達の理解を越えている、なんだか難解で私達の毎日の生活の中ではあまり実感することはない………といった印象を持つ人が多いのではないでしょうか。

三位一体の神とは、「父なる神」、「子なる神」と「父と子から出る聖霊」による3つの位格(ペルソナ)が一体となった“一つの神”ということです。ここでいう子なる神がイエス・キリストのことです。このブログでは、よく「主(神)」と書きますが、主は父なる神のことであり、子なる神であるイエス・キリストのことも指します。ですから、聖書の中に「父」とでてくるのは、イエス・キリストの父なる神のことです………という表現をすると、神様は聖霊を合わせて3神じゃないか!って思うかもしれませんが、神様は聖霊を含めて1神というか1つなのです。

この三位一体の神様は、もちろん、カトリック教会、プロテスタント教会諸派、正教会、聖公会に共通していることです。「三位一体」を教義としていない(拒否して・否定して)、キリスト教を名乗って一般市民を勧誘する新興宗教団体がありますが、それはキリスト教ではありません。現在、そのような宗教団体に対して、カトリック教会、プロテスタント諸教会、日本正教会(ギリシャ正教会等の東方正教会系統)及び日本聖公会(イングランド国教会系統)は、これらの宗教団体を「正統なキリスト教団体とは認めない」旨を公表しています。偽物キリスト教です!

このブログに何度もご紹介していますが、ここで分かりやすく説明いたしましょう。
これを理解するのに最適な本があります。それは、カトリック浅草教会の主任司祭である晴佐久昌英(はれさくまさひで)神父様が書いた『幸いの書』という本です。この中に三位一体の優しい表現が例え話しとして記載されていますのでご紹介します。少し長くなりますが引用しますね。
「小さな子供が道で転んで泣き出しました。どうやら、足をすりむいてしまったようだ。かわいいひざ小僧に、血がにじんでいる。
すぐにお母さんが駆け寄り、わが子を抱き起こして、優しい声で語りかける。
『おお、よし、よし、あらあら痛かったねえ。ほらほら、もうだいじょうぶよ。痛いの、痛いの、飛んでけー』
お母さんの腕に抱き上げられて、すぐに子供は泣き止む。お母さんが耳元で何かささやくと、途端に笑顔になった。子供はいつだって、親心に包まれている。
この幸いな子供を私たちとするならば、お母さんは天の父、お母さんの手と声がイエス・キリスト、お母さんからあふれ出て子供を包む親心が聖霊である。
この三つ、すなわちお母さん自身と、お母さんが伸ばした手と声、そしてその親心は、一つであって分けることができない。
そこにあるのは、ただ子供を助けたいという純粋な思いだけである。天の父とイエス・キリストと聖霊は、純粋な一つの愛として存在する。……」
ご理解いただけましたでしょうか?

◯下の写真は、イコン作家として有名なアンドレイ・ルブリョフ(ロシア:1360年頃~1430年)作のイコン画『至聖三者(聖三位一体)』の本物です。このイコンは、創世記におけるアブラハムを三天使が訪れた記述を、至聖三者の啓示・象徴として捉える伝統が正教会にはありますが、そのもてなしの食卓の情景を描いたイコン画を元に三天使のみが描かれたものです。至聖三者(三位一体の神)そのものは描けないのですが、至聖三者を象徴する三天使を描いたイコンであるとされています。後に、ロシア正教会は教会会議でルブリョフの図像を、三位一体の唯一正当な聖像として認めるようになったそうです。
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ロシア正教会モスクワ総主教庁は、今年5月15日、15世紀に描かれたイコン画『至聖三者(聖三位一体)』が、所蔵しているモスクワの国立トレチャコフ美術館から、同正教会に返還されることが決まったと発表しました。このイコン画は、モスクワ近郊セルギエフポサドにあるトロイツェセルギエフ大修道院でイコン画家アンドレイ・ルブリョフが描いた代表作です。タス通信によると、ロシア革命後の1929年に大修道院から同美術館に移されたそうです。総主教庁によると、返還後は正教会の総本山であるモスクワの救世主キリスト大寺院で1年間陳列されるとのことです。

◯成城教会の聖堂の外壁にあるステンドグラスです。
このステンドグラスの絵は、イコン画『至聖三者(聖三位一体)』を模写したものですね。とてもキレイです!
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