今日の日記2023.6.29(病気!) [日記]

今日、午後の会議が終わって自席に戻ったら、約2週間ぶりに急に胸苦しくなって身体が固まったままににりました( ̄▽ ̄;) また心臓に激痛が来るかと心配しましたが、胸苦しさは約3分ほど続いたような感じで、何事もなかったようにひいていきました。大事にならず、職場の皆さんにご迷惑をおかけせずに済みました。よかったです(⌒-⌒; ) 来週7月4日(火)は、北里大学附属病院で核医学の検査がありますが、この検査で狭心症の程度がはっきりするそうです。まぁ、長いお付き合いになりそうです。

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教会日記2023.6.29(カトリック成城・聖タデオ教会「聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日のミサ」木曜日)  [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日のミサ」に与りました。暑い!すでに30度あります!毎日温度&湿度の高い蒸し暑い日が続いてますね~( ̄▽ ̄;) この時期、体調管理が難しいですが、きちんと食事と睡眠をとり、後は熱中症にならないようにこまめな水分補給ですね!
今日も清々しい朝を迎えています!

ミサでは、聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
続いて、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「聖ペトロ・聖パウロ使徒」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日6月29日は、「聖ペトロ・聖パウロ使徒」の祭日です。
聖ペトロは、ゲネサレト湖畔のベトサイダの貧しい漁師の子として生まれ、弟アンドレと共に漁をしながら信心深い生活を送っていたそうです。聖ペトロは、漁をしているとき、イエス・キリストから「人をすなどる者にしよう」と言われ、イエス・キリストに従いました。彼の名は、初めはシモンでしたが、イエス・キリストが「岩」を意味する「ペトロ」という名前をつけられました。聖書にあるとおり、イエス・キリストから「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなくことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイによる福音書・第16章・第18〜第19節)と約束されました。復活されたイエス・キリストから「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、カトリック教会の礎を築きました。ローマ教会の司教を務め、後に、ローマの司教は全教会の司教団の教皇として、聖ペトロの使命を受け継いでいくことになりました。

◯次の絵は、エル・グレコ(1541年10月~1614年4月7日)作の「聖ペトロと聖パウロ」です。グレコは、ギリシャ出身のスペイン画壇の巨匠で、私の大好きな画家です。
聖ペトロと聖パウロ.jpg
聖パウロは、キリストの時代に、小アジアのタルソに生まれ、使徒になる前はサウロと呼ばれていました。ユダヤの律法や母国語以外に、ギリシャ語などを学んでいました。エルサレムで当時有名だった律法学者のガマリエルから学び、生粋のファリサイ派となりました。そしてサウロは、イエスの新しい教えに反対して徹底的にキリスト教徒を迫害しました。ある日、キリスト教徒を捕らえるためにダマスコに向かう途中に、突然天から「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」というイエス・キリストの声を聞き、地面に倒れました。この復活したイエス・キリストとの出会いによって、サウロは回心し、「イエス・キリストこそ神の子である」と熱心に宣べ伝え始めました。アンティオキアで宣教して、そこに初めて教会を建てました。そのころから、サウロは、パウロと呼ばれるようになりました。聖パウロは、宣教旅行に3回出かけ、小アジア、ギリシャ、ローマ、コリント、アテネに福音を伝えました。また、多くの難に遭いながらも、ゆらぐことのない信仰によって、イエス・キリストの愛を伝えるため宣教活動に力を注ぎました。聖ペトロが殉教したのと同じころ、ネロ皇帝の迫害時代に、ローマで捕えられて殉教しました。パウロはイスラエル以外の新しい地の人々に宣教したことから、「異邦人の使徒」と呼ばれています。新約聖書中にある彼の書いた書簡は、イエス・キリストの教えが、いかに素晴らしいものであるかを私たちに伝えています。
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