「聖ペトロ・聖パウロ使徒」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日6月29日は、「聖ペトロ・聖パウロ使徒」の祭日です。
聖ペトロは、ゲネサレト湖畔のベトサイダの貧しい漁師の子として生まれ、弟アンドレと共に漁をしながら信心深い生活を送っていたそうです。聖ペトロは、漁をしているとき、イエス・キリストから「人をすなどる者にしよう」と言われ、イエス・キリストに従いました。彼の名は、初めはシモンでしたが、イエス・キリストが「岩」を意味する「ペトロ」という名前をつけられました。聖書にあるとおり、イエス・キリストから「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなくことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイによる福音書・第16章・第18〜第19節)と約束されました。復活されたイエス・キリストから「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、カトリック教会の礎を築きました。ローマ教会の司教を務め、後に、ローマの司教は全教会の司教団の教皇として、聖ペトロの使命を受け継いでいくことになりました。

◯次の絵は、エル・グレコ(1541年10月~1614年4月7日)作の「聖ペトロと聖パウロ」です。グレコは、ギリシャ出身のスペイン画壇の巨匠で、私の大好きな画家です。
聖ペトロと聖パウロ.jpg
聖パウロは、キリストの時代に、小アジアのタルソに生まれ、使徒になる前はサウロと呼ばれていました。ユダヤの律法や母国語以外に、ギリシャ語などを学んでいました。エルサレムで当時有名だった律法学者のガマリエルから学び、生粋のファリサイ派となりました。そしてサウロは、イエスの新しい教えに反対して徹底的にキリスト教徒を迫害しました。ある日、キリスト教徒を捕らえるためにダマスコに向かう途中に、突然天から「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」というイエス・キリストの声を聞き、地面に倒れました。この復活したイエス・キリストとの出会いによって、サウロは回心し、「イエス・キリストこそ神の子である」と熱心に宣べ伝え始めました。アンティオキアで宣教して、そこに初めて教会を建てました。そのころから、サウロは、パウロと呼ばれるようになりました。聖パウロは、宣教旅行に3回出かけ、小アジア、ギリシャ、ローマ、コリント、アテネに福音を伝えました。また、多くの難に遭いながらも、ゆらぐことのない信仰によって、イエス・キリストの愛を伝えるため宣教活動に力を注ぎました。聖ペトロが殉教したのと同じころ、ネロ皇帝の迫害時代に、ローマで捕えられて殉教しました。パウロはイスラエル以外の新しい地の人々に宣教したことから、「異邦人の使徒」と呼ばれています。新約聖書中にある彼の書いた書簡は、イエス・キリストの教えが、いかに素晴らしいものであるかを私たちに伝えています。
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