道元禅師のことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

◯『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』の原文です。
「たとひ仏というは、我がもとより知りたりつるようは、相光光明具足し説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知りたりとも、知識(師匠のこと)若し仏というは蝦蟇蚯蚓(がまみみず)といはば、蝦蟇蚯蚓を是ぞ仏と信じて日此(ひごろ)の知解を捨つべきなり、この蚯蚓の上に仏の相光光明、種々の仏の所具の徳を求むるも猶(なお)情見あらたまざるなり。只当時の見ゆる処を仏と知るなり。」

◯次は現代語に超訳です。
「私たちは仏といわれたら、光り輝く徳のあるお釈迦様や阿弥陀様のようにすばらしくすごい方だと知っていますが、しかし、師匠が『仏とはカエルやミミズのことである。』と教えるならば、カエルやミミズこそが仏であるということを信じて、今までの仏に対する認識を捨てることです。しかし、そうは言われても、まだ自らの思いに引きずられてミミズの上に、従来の認識で仏のありようを見いだそうとする。そうではなく師匠が教えるまま、そのままを受けとることが大切である。」

道元(どうげん)は、鎌倉時代初期のころの禅僧で曹洞宗の開祖です。同宗旨では高祖と尊称されています。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には「道元禅師(どうげんぜんじ)」と呼ばれています。「徒(いたずら)に見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがある。」という修証一等、只管打坐の禅を伝え、その著書である『正法眼蔵』は、日本の著名な倫理学者である和辻哲郎やハイデッガーなど西洋哲学の研究者からも注目を集めています。

学生時代は文学部教育学科の倫理学専攻生でしたので、日本文献原典講読の科目で難解な『正法眼蔵』の原文に挑戦しましたが、まったく歯が立たなかったことを覚えています。全体を理解するには難しかったですね。しかし、道元の人となりや『正法眼蔵』を理解する上での基本文献といわれている『正法眼蔵随聞記』は愛読しました。古田紹欽訳注の『正法眼蔵随聞記』角川文庫版ですね。極めて貧乏な学生でしたので、文献で文庫本になっているものを読みました。今も書棚にあります。

この言葉は、『正法眼蔵随聞記』を読んで最初に感銘した箇所です。『正法眼蔵随聞記』は、道元禅師の2歳年長の弟子で、永平寺2世である孤雲懐奘が記した曹洞禅の語録書です。懐奘和尚は、約20年間にわたり師である道元禅師に随侍し、道元が折にふれ弟子たちに説いた言葉や、道元との問答を克明に筆記しました。それを懐奘和尚が亡くなった後、弟子がまとめたものです。

◯私の経験とこの言葉の解釈は次のとおりです。
私は、中学生時代に剣道を始め、20歳代前半から30歳代後半まで十数年間、居合道(いあいどう)という剣(刀)をもって形(かた)の演武をする修練に励みました。流派は江戸時代の御三家である紀州藩(紀州徳川家)に伝わる田宮流から、伊予西條藩(紀州藩分家)に伝わった田宮心剣流です。形に初伝、奥伝などがあり、宗家から四段を允可(いんか)されています。この居合道の稽古に、道元禅師の今日の言葉が役に立ちました。

剣道を経験していたことで、同じ剣術である居合のことだから大丈夫だと、師匠の教えを自分勝手に解釈して稽古していました。ある時、まわりの人は上達していくのに、私は明らかに上達していないことに気がつきました。「人の倍をも稽古しているのに、なぜ上達しないのか?」と悩んだ末に思い出したのがこの言葉だったのです。その時に今までの稽古の姿勢を反省し、教えどおりに素直に稽古したら見違えるほど上達しました。

「仏道修行などにかかわらず、剣道、華道、茶道など、いわゆる “ 道 ” を極める修行をする場合、師匠の教えを “ 心を無にして物・事に執着せず教えを受ける姿勢 ” の大切さを説いている。」と解釈します。ですから、師匠が「仏とはカエルやミミズである。」と言えば、教えを受ける者は素直に同じように「仏とはカエルやミミズである。」と心の底から素直に信じることです。道元禅師は極端な話しを例としてあげているだけです。

教えを受ける場合は姿勢を謙虚に、心を素直にしてこそ100%以上のものを学ぶことができるのです。それが証拠に、野球やサッカーなどのスポーツ、ピアノやヴァイオリンなどの楽器は、指導者(師匠)がしっかりしていれば子どもたちの上達は早いですね。しかも大人より上手かったりします( ̄▽ ̄;) 子どもたちはいらない知識や経験がないからですね。すべてにおいて素直なのです。この素直さこそが “ 学びの極意 ” なのです。
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