「聖カタリナおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月25日は、「聖カタリナおとめ殉教者」の祝日です。
カタリナ(287年~305年)は、エジプトのアレキサンドリアの貴族の家に生まれたことから「アレキサンドリアのカタリナ」とも呼ばれています。キリスト教の聖人で殉教者です。カトリック教会では伝統的に「十四救難聖人の一人とされており、ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人です。

カタリナは、ある時、一人の隠修士からキリストの教えを聞き、直ちに洗礼を受けたといわれています。カタリナが18歳の時、ローマ皇帝マキシミヌスは、市民たちに偶像崇拝を命じ、従わない者は処罰することを公布しましたが、カタリナは、公に信仰を表わしたので、皇帝は50人の学者を集め、彼女を屈服させようとしました。
ところが、学者たちは彼女に感化されて、キリスト教こそ真の宗教であると公言して改宗してしまいました。憤慨した皇帝は学者全員を処刑しましたが、カタリナに対しては、その学識の豊かさと美しさに心をひかれていたので、彼女が信仰を捨てれば皇后にするとまで言いました。しかし、彼女が拒否したので皇帝は怒り、彼女を車輪に縛りつけて身を引き裂くという刑を執行するよう命じました。
その時、カタリナが目を天に向けて祈ると、「わたしの許に来なさい、愛しい妻よ。見なさい。天国の門はあなたに対して開かれている。あなたの殉教をほめたたえる者に、わたしは天国の慰めを約束しよう。」という声が天から聞こえてきたそうです。それでも彼女が命を落とさなかったため、最後は、斬首されました。彼女の遺体は、天使によってシナイ山に運ばれたと伝えられています。

画名は《アレクサンドリアの聖カタリナ》です。画家のミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオによって描かれた作品です。制作年は1598年ごろ。聖カタリナを描く際のアトリビュートとして、処刑された時に使われれた車輪や剣、下の方に殉教者に共通するシュロの葉が画かれています。
聖カタリナ2.jpg
カタリナを敬う習慣は、8世紀ごろに東方教会から西方教会に伝わり、10世紀にはイタリアを中心に広まりました。釘を打った車輪と、イエス・キリストとの婚約指輪、剣などを持った姿で描かれている絵画が多いですね。若い女性、学者、弁護士などの守護の聖人とされています。
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483~565)は、カタリナの遺体が天使によって運ばれたとされるシナイ山に聖カタリナ修道院を設立しました。シナイ山の聖カタリナ修道院は現在も機能している世界最古の修道院で、写本やイコンなどキリスト教美術の宝庫として知られています。

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。