「ファティマの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日5月13日は、カトリック教会では「ファティマ(ファチマ)の聖母の任意の記念日です。
1917年(大正6年)5月13日、ポルトガルのファティマに住む3人の牧童の前に、聖母マリア様がご出現されました。イタリア・ローマ市内にあるバチカン市国の教皇庁が正式に奇跡として認めた「ファティマの聖母」又は「ファティマの預言」のことですね。このファティマの聖母のご出現は、いろいろなところに書かれていますから、それらを要約して掲載します。

ファティマは、ポルトガルの山中にある村のことです。第一次世界大戦の最中の1917年5月13日、3人の牧童の前に謎の貴婦人の姿をした女性が現われました。牧童はルシアという10歳の女の子、ルシアの従弟でフランシスコという男の子、そしてその妹で7歳のヤシンタです。3人は祈り方は知っていましたが、読み書きはできませんでした。この日、3人の子どもがいつものように羊たちを連れて丘の上で遊んでいると、突然、強い閃光が走り、小さな柊の木の上に、光り輝く貴婦人のような女性が立っていたそうです。貴婦人のような女性は、3人の子どもに6ヵ月間続けて毎月13日にここに来るように話し、子どもたちはその言葉に従って、村人の妨害にあいながらも毎月貴婦人のような女性に会いました。そして貴婦人のような女性から様々なメッセージを受け取り、6ヵ月目に貴婦人のような女性は「ロザリオの聖母」と自らを名乗ったといいます。

貴婦人のような女性と3度目に出会った7月13日、貴婦人のような女性が両手を広げると、3人の子どもは一瞬ですが、強い光線とともに火の海のような光景を見せられました。そこでは悪魔や人間のかたちをした霊魂が、絶望と苦悶のうちに火の固まりとなっています。貴婦人のような女性は、これは地獄の様子であると告げられました。子どもたちは地獄の実在に戦慄します。そして貴婦人のような女性は、「私があなた方に言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、戦争(第一次世界大戦)は終わるでしょう。しかし人々が神に背くことをやめないならば、教皇ビオ11世の御代にもっとひどい戦争が起こるでしょう」と警告しました。さらに貴婦人のような女性は、ロシアの奉献を求め「その求めに応じればロシアは回心し、平和が来るでしょうが、そうでないならばロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多くの苦しみを受けるでしょう」と警告します。女性の言葉が、第二次世界大戦と共産主義革命を指していることは、容易に見当がつきますね。
さらにもう一つ、いわゆる第3の預言もこの時に語られたといわれますが、内容はわかっていません。なお3回目の出現の時には、子どもたちの他に800人~1000人以上もの人が立ち会っていました。8月は、子どもたちは、行政側から拘束され町に連れていかれ、貴婦人のような女性の出現に立ち会うことはできませんでした。しかし子どもたちの話を信じる巡礼者が、2万人近く集まっており、彼らは強い閃光とともに木の上に白い雲が降り立ち、また空に上っていくのを見たといいます。

またその6日後の8月19日、祈りを捧げようとする子どもたちの前に、予期せぬかたちで貴婦人のような女性が現われました。9月13日の5回目の出現の時には、貴婦人のような女性は子どもたちに、「10月13日には、すべての人が信じるように、一つの奇蹟を行ないます」と告げます。9月13日には3万人ほどの人が集まっていましたが、多くの人が空を移動する球体を見たり、白い花びらのようなものが降ってくるのを見ました。
そして10月13日。その日は朝から雨でしたが、前月を上回る大群衆が集まりました。出現した貴婦人のような女性は、子どもたちに「私を称えてここに聖堂を建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。戦争は間もなく終わるでしょう」と告げます。そして聖母が去っていく時、ルシアは聖母に促され「太陽を御覧なさい」と叫びます。すると降り続いていた雨が急に止み、雲が切れて太陽が顔を出しました。太陽は様々な色の光線を発した後、ダンスをするかのように動き時に急降下するように動きました。その熱で雨に濡れていた群集の服は乾き、この約10分間の異常現象は居合わせた新聞記者たちも目撃し、翌日のポルトガル中の新聞が大々的に報じました。

高さ65mの塔をもつネオ・クラシック様式のファティマ大聖堂です。バジリカ式建築の聖堂で、バジリカはキリスト教において特別な高い地位にある聖堂に使われる名称であり、建築の平面形式のひとつです。
ファティマ.jpg
1930年、現地管区のレイリア司教によって聖母の出現は公認され、同年、教皇ビオ12世によって、ファティマに参詣する者の贖宥が宣言されます。 また教皇庁は一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日をファティマの聖母の記念日としました。なお3人の牧童のうち、フランシスコとヤシンタ兄妹はほどなく天に召され、最年長のルシアは修道女となって、預言の内容を教皇庁に伝えます。第3の預言について、聖母は1960年に公表するようにと指示しましたが、教皇庁は公表しませんでした。 それがいわゆる「ファティマ第3の預言」とされるものです。この記録を見た教皇ヨハネ23世は絶句して再度封印し、次代の教皇パウロ6世は衝撃を受けて卒倒し、数日間人事不省に陥ったと伝えられています。
そして2000年に至り、教皇庁は「第3の預言」は1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件を指していたと発表しましたが、真の内容を伝えたルシアは「それはほんの一部でバチカンは嘘をついている」と司法省に提訴しています。そのルシアも2005年に97歳で他界しました。
この一連のファティマの聖母の奇蹟と、第3の預言が何を意味するのか、解釈はさまざまにあろうかと思いますが、将来における重大な警告を意味するのであろうことは、キリスト教カトリックの信徒でなくても察しのつくことではないでしょうか。真実を知りたいですね………ひょっとして、「ロシアの奉献」ということが言われていましたから、現在交戦状態にあるロシアのウクライナへの侵略かも?ですね。核兵器の使用が………絶対止めてもらいたい!
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